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第9話その2

 潤一と二葉の突然の来訪に、美鈴は戸惑いを隠せなかった。何の連絡もなく潤一が研究所を訪れるなど、初めてのことだ。

 潤一は、二葉の細い腕を掴んだまま言った。

「美鈴。二葉にセシリアを見せてやれ。」

「・・・よろしいんですか。」

「二葉が望んでいるんだよ。過去を知りたいそうだ。例え、精神を破壊しても。」

 美鈴は二葉を見つめた。二葉は、美鈴を怖れていたことなど完全に忘れたように、美鈴を見つめ返してくる。

「わかりました。ご案内します。」

 いくつものセキュリティゲートを潜り抜け、やがて、一つの薄暗い部屋にたどり着いた。そこは、通常なら所長である遠野基の研究室だった。しかし長時間に渡って主を失ったことで、廊下よりもひんやりとした空気をはらんでいる。だが、その隅の実験机には試験管と試薬などの実験道具が散らかっていた。それは、美鈴が着手し始めたばかりの研究の跡だった。

 部屋の奥の壁の一部は、美鈴が手を触れると同時に扉の形を成し、鈍い音を立てて開かれた。それを見た瞬間、二葉の瞳が異常にギラギラし出した。

 二葉は、胸の高鳴りを押さえられない。

 心臓の鼓動が、喉を震わせる。

 電気は点灯したが、薄暗くて中の様子がよくわからない。

 目を細めたり、大きく見開いたりを繰り返すうちに段々と目が慣れてきて、やがて中の様子をはっきりと見て取れるようになった。

 部屋の中央に、繭型の金属製の箱が置かれている。

 潤一は二葉に言った。

「君の友達は、その箱の中だよ。」

 二葉がハッとして振り返ると、潤一は言葉を続けた。

「セシリアは、その中で眠っているんだよ。」

「眠ってる・・・?」

「そうだ。12歳の、可憐なままの姿でね。」

 二葉には、潤一が言っていることが理解できなかった。

 動けずにいる二葉を見た潤一は、美鈴に顎で合図した。美鈴は唇の端を一度ぎゅっと引き締めると、冷凍睡眠カプセルの上部に設けられた小さな扉を開けた。そうすると、ガラス越しにセシリアの顔を確認することができるのだ。潤一は二葉の上腕をつかむと、カプセルの脇に跪かせた。

「見ろ!そして思い出すがいい。お前の、運命を。」

 二葉は箱に手をついて身体を支えながら、扉の中を覗きこんだ。

(・・・!)

 青白い美少女の顔がある。

 セシリアの両親からもらったチラシの写真のような生き生きとした面影はないし、目を瞑っているためにセシリアであるという確信さえ持てない。

「これが・・・セシリア・・・?」

「そうだ。3年前まで、お前の親友だった。」

「どうして、ここで眠っているんです?どうして、セシリアの両親に教えてあげないんです?あんなに探してらっしゃるのに。」

 そう言いながら、二葉の脳裏に恐ろしい考えが浮かんできた。それが真実である証拠に、腕には鳥肌が立ち、背筋が寒気が走る。

 潤一の顔が、不気味に歪んでいる。

 二葉は、両手でカプセルに触れながら、この感触の記憶を辿り始めていた。

 覚えがある。

 この、骨まで凍らせるような冷たい感触。

 手のひらから伝わる感触が、脳の隅々へと浸透していく。

 瞳を固く閉じて、後頭部に神経を集中させる。

 何かが、来る。

 鈍い痛みと共に、心臓が徐々に高鳴ってくる。

 遠い昔、この感触を抱きしめて、何日も何日も泣き続けたような気がする。

 その様子を遠くから眺めていた美鈴は、ゆっくりと腕組みをした。これくらいで、二葉の記憶が完全に戻るとは思えない。潤一は一体、何を考えているのか。

 カプセルの前で動けずにいる二葉の様子を見届けた潤一は、その場からゆっくりと離れた。 美鈴が慌てて後を追う。

「オーナー!」

 潤一が、ゆっくりと振り向いた。

 昔から変わらない長さの前髪が、ほんの少し揺れる。

 美鈴は、潤一を見上げた。

「二葉を、どうするおつもりですか。」

「全部教えてやれ。どうせ、自力ですべてを思い出すことなどできるわけがないのだから。」

「・・・その後は?」

「もう二葉は、俺達の家に連れ戻すつもりはない。好感度を上げるための十分な役目は果たし終えたからな。あとは研究所で次の指示を待たせろ。」

「兄は・・?兄はいつ、戻れるのですか。」

「それはわからない。外国あっちへ出た以上、迂闊に連絡など取れない。」

 美鈴は、もといから受け取った試験管の話をすべきかどうか迷った。基がどんな思いで荷を送ってきたのか全くわからないからだ。大体、何の液体なのか3日経っても殆どつかめていない。そんな状況で、潤一に何を話したらいいのか。

 潤一は帰り支度をして、もう部屋から出ようとしている。

(・・・今は黙っていよう。兄の帰国を待ってからだって、遅くはないはず・・。)

 と、その時だった。

 「うぉああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 突然、うなり声とも叫び声ともつかぬ大声が、二人の背後から襲ってきた。

 驚いて振り返ると、そこには凄まじい勢いで走ってくる二葉の姿があった。

 二葉は、右手に何か光るものを手にしている。

 二葉の目は、確実に潤一を捉えている。

 一体どういうことか?

 二葉の失くした過去の記憶に、潤一はいないはずだ。記憶を取り戻したら、真っ先に襲いたいのは美鈴のはずだろうに。

 潤一は二葉を睨みつけ、動かない。

 美鈴は、潤一の方に駆け寄った。潤一は強い。だが、万が一にも傷つけてはならない存在だ。美鈴の個人的な想いとは、別の次元で!

「二葉!」

 だが、美鈴の制止の声など二葉にはまったく届かない。美鈴よりも速く、そのまま潤一の懐へと突進していく。

「うあぁぁ!」

 二葉が目一杯振り翳した腕を、潤一は軽くかわした。

 が、空振りした二葉の腕が再び反動をつけて持ち上がったその時。

「くっ・・・!」

 潤一の端正な顔が歪んだ。

 刃先が潤一の手の甲を少しだけかすめたのである。

 しかし、そんなことぐらいで潤一はビクともしない。すぐに左足で二葉の腹に膝打ちを食らわせた。

「ぐっ・・。」

 一瞬だけ目を見開いた二葉だが、次の瞬間に床に崩れた。

 美鈴は潤一の手に視線をやった。ほんの少し血が滲んで、赤い糸のような筋ができている。

「消毒します。」

「いや、いい。大した事はない。」

「でも、何かあったら困ります。」

「・・・そうだな。じゃあ、頼む。」

 美鈴はすぐに、研究所でも最も強い消毒薬をもってきて、脱脂綿で丁寧に傷口を拭った。

 床に転がった二葉を見下ろし、潤一は言った。

「記憶が戻って、また精神でもやられたなら、今度こそ処分しろ。君の権限でかまわない。それが、俺の命令だ。」

「わかりました。」

 潤一はそのまま車に乗り、研究所を後にした。

 美鈴は再び研究室に戻り、目を覚ます気配のない二葉の脇で立ち止まった。

 よく見ると、二葉はまだ右手に刃物を握っている。

 美鈴は腰をかがめて、二葉の手から刃物をもぎとった。

 それは、小さなメスだった。

(・・これは・・!)

 その瞬間、美鈴の顔が一気に青ざめ、次の瞬間に体中の血が全身を駆け巡った。

 慌てて、試験管や試薬が散らかった実験机にかけよる。

 そこには、あったはずのメスが一本なくなっていた。

 美鈴は、思わず手で口を押さえた。

 恐怖で、涙がこぼれそうになる。

(いいえ、そんなはずはない。探すのよ。落ち着いて、よく探さなきゃ。)

 美鈴は机の上にある物を端に寄せたり、本の間をめくってみたり、机の下を覗いたりしてメスを探した。だが、やはり見当たらない。

 二葉が持っていたメスが、実験に使用していたメスだったのだ。

 どうしてさっき、気付かなかったのか?

 潤一を傷つけたメスが、謎の液体の研究に使用していたメスだったということに!!

 もし、危険な伝染病のウィルスを含んだ液体だったら?

 生物兵器として開発された新種の細菌だったら?

 その可能性が、こんなにも高いというのに!

 美鈴は床に転がる二葉の襟首をつかむと、気を失っている頬を力任せに叩いた。

「あんたなんか、はやく殺しておくべきだった!お兄様が危険に曝されることなんかまったくなかったのに!生きてたって、あんたなんか何の役にも立たないくせに!」

何度も何度も叩きつけ、その間に一回くらいは正気に戻ったのかもしれないが、またすぐに気を失い、二葉は顔を腫らしたまま床に転がされた。

 美鈴はインターホンで研究所員の一人を呼び出した。

「二葉を330号室に放り込んでおきなさい。私の命令が下るまで、死なない程度に生かしておいて。」

 研究所員が二葉を連れ去ると、美鈴は電話に向かった。

 呼び出し音が鳴る間、何度も唾を飲み込んだが、全然口の中が潤わない。粘膜で喉がひっついてしまいそうだ。

 潤一はまだ運転中のため、携帯には出られない。美鈴は伝言を残した。

「ご自宅にお帰りになったら、先ほどの傷口をもう一度消毒してください。もし、少しでも熱が出たり、異常を感じた場合はすぐにお知らせください。必ず、知らせてください。」

 受話器を置いた美鈴は、溢れそうになる涙をグッと堪えて、上を向いた。

 一刻も早く、あの液体の正体を掴まねばならない。

 そして最悪の事態が起きないように、備えておかねばならない。

 

 こうして、美鈴の戦いが始まった。


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