第1話その2
学校から最寄の駅まではスクールバスによる送迎があり、ほとんどの生徒が利用している。二葉も南織もその一人だった。偶然、二人は席が隣になった。先に窓際に座っていた二葉のところに、南織がやってきたのだ。
「隣、いい?」
透明な、氷のように透き通る声。二葉が南織の声を聞くのは、これが初めてだった。
「どうぞ。」
ちょっと腰を窓際へずらし、二葉は手のひらを差し伸べた。
少し経っただろうか。
二葉は、南織がずっとうつむいているのに気付いた。南織の表情は苦痛に歪んでいる。
「・・・どうしたの?」
南織の乱れた前髪の隙間から、蒼く汗ばんだ額がのぞく。
「具合悪いの?」
「・・・・ちがう。」
二葉はどうしたらよいかわからず、ただ南織の様子を見守るしかなかった。
バスは間もなく駅のロータリーに到着した。他の生徒がどんどん先へ降りていく。二葉は南織の鞄とバイオリンを背負い、南織の身体を支えるようにしてバスのタラップをゆっくりと下った。
「とにかく、座ろうか。」
二葉は、バスの停留所のベンチに南織を座らせ、自分も脇に腰掛けた。
「お家、どこ?私、送っていこうか?」
すると、南織は激しく首をふった。短い髪が乱れる。
「じゃあ、何か飲み物買ってこようか。暖かいのがいい?それとも、炭酸系?水?」
「・・・炭酸。甘くないの。」
「わかった。」
二葉は近くの自動販売機に走り、財布を取り出した。財布自体は養母が買ってくれたものだが、中身は現在マンションで同居している美鈴から渡されたものだ。500円。通学に必要な電車の定期以外は、これがすべてだ。
一瞬、躊躇した。
別に、買いたいものがあるわけではない。
これは、美鈴が研究所へもどり、独りになったときの食事代なのだ。しかも、何日続くかわからない。
だが、今、南織を放ってなどおけない。二葉は自分の使命など完全に忘れて、財布から500円玉を取り出した。
冷たい飲み物で、南織は少し楽になったようだ。
「ありがとう。もう、平気。」
南織は顔を少し傾け、疲れた頬で微笑んでみせた。
「あと少し休めば、帰れそうだから。もう、行っていいよ。」
そう言われると、帰るしかない。心配ではあるが、二葉は南織を置いて背を向けた。