第6話その1
二葉が耳に紅蓮いピアスを付けていることが生徒の間で噂になったのは、11月の半ばだった。学校側へは「宗教上の理由」としていたが、生徒間にはそれが周知されてはいない。当然のごとく校則違反の生意気な女として見られ、あっという間に孤立し、終いには集団暴行を受ける破目になった。
すっかり日の暮れた放課後。顔に痣や切り傷を作り、足を引きずりながら校門へ辿りついた二葉を、運転手の浅井は慌てて支えたが、二葉はその手を振り払った。
「私は大丈夫・・・。大丈夫です。」
後部シートに身体を預け、二葉は固く瞳を閉じた。
見知らぬ女子達に殴られ、蹴られたショックが、二葉の身体を震えさせる。だが、二葉にはそれ以上に脳裏を何度もかすめる記憶の断片の方が、ずっと重要だった。
(私は、こういう経験をしていたに違いない。ううん、こういう事を、他の誰かにしていたのかもしれない。)
屋敷に着くと、優三が血相を変えて二葉の顔を覗き込んだ。
「一体、どういうことなの?どうしたというの!?」
「・・・・。」
ショックのせいか、声が出ない。
(さっきは、出たのに。浅井さんには、ちゃんと「大丈夫」って言えたのに・・。)
唇さえ開かない二葉に、優三はそれ以上何も聞けなかった。
優三は二葉を自室に連れて行き、優しく傷の手当をした。そして着換えさせ、精神安定剤を与えて眠らせた。
埃まみれですりきれた制服をたたみながら、優三は唇を噛み締めた。
悔しかった。
どんな理由があろうとも、自分の娘のような存在である二葉が他人に暴行されるなんて許せるわけがない。犯人がわかれば、捕まえて半殺しの目にあわせてやりたいと本気で思う。
潤一が帰宅するなり、優三は人払いをして話をきりだした。
「教えて頂戴。二葉はなぜ、暴行を受けたの?ちゃんと、盗聴していたんでしょう?」
潤一は苦笑した。
「いつもは否定するくせに、こんな時ばかりは盗聴器を頼るか。」
「そうよ、こんな時くらいしか役に立たないんだから。さあ、教えて。」
潤一は細長い煙草を取り出し、火をつけた。
「ピアスがばれた。それだけだ。」
「それだけって・・・。どうしてそれが、あんなことになるのよ?」
「校則違反は許せないっていう正義面して愚かな行動に走る輩は、どこの世界にもいる。」
優三は苦いため息をついて、白い額を抱え込んだ。
「可哀想に・・。あの子、ショックで口も聞けなかったのよ。浅井にも特に何も言ってないようだし。」
「いいじゃないか、これで、不登校の原因が勝手にできたんだ。」
優三は弾かれたように顔をあげた。
「勝手に、・・・って!二葉の気持ちはどうなるの?」
「気持ち?あれは私の研究所の道具だ。『ヒト』ではない。」
「一度精神破壊しかけた道具にでも、そんなことを言うの?」
「そうだ。大体あれは、本来ならすでに朽ち果てていたはずなんだ。今さらどうなろうと知ったことではない。」
優三は奥歯を噛み、そして叫んだ。
「どうしてあなたはそうなの!?私は悔しい。二葉があんな目にあうなんて許せない!あなたが二葉を所有物だというなら、あなたはそれを痛めつけられたことに対して、腹が立たないの!?」
潤一は落ち着き払った様子で足を組んだ。
「そういう気持ちには、ならない。私にとっては使い捨てのような物だからな。」
「・・・一体あなたにとって、遠野研究所は何?生まれたときから与えられていた付属物のようなもの?」
上質な煙草の煙が、細長く宙を漂う。
優三の視線に、潤一は決して視線をぶつけるようなことはしない。しばらくの沈黙の後、潤一は立ち上がった。
「あした、一緒に学校へ行くか?」
「・・行くわ。どうせ、その方があなたにとって外聞がいいからなんでしょうけど。」
「それはそうだ。二葉を大事に可愛がっているという事になっているのだからな。だが、二葉が集団暴行を受けたことが外部に漏れることだけは絶対に許さない。」
優三は、その潤一の言葉が納得できなかった。
「どういうこと?」
「真崎家に引き取られている子が暴行を受けたなんて、ただの恥だ。」
「恥?」
「そうだ。我々は、いつも高みから下を見下ろしているべき人種だ。例え赤の他人だろうと、我々と暮らしている人間が他人から見下されたなんて絶対に知られてはならない。真崎家が世間からバカにされたのと同じことなんだからな。弱みなんか、絶対に世間に知られてはならない。」
「・・・じゃあ、二葉をあんな目にあわせた子たちは、どうなるの?」
「校内で適当に処分されるだろう。私立の学校はこんな不祥事が外部に漏れることを何よりも怖れるはずだから極秘に事をおさめるはずだ。そこに恩を売ってやればいい。二葉はもう、あの学校へ行く必要はない。」
優三は顎を引きながら、唇を引き締めた。
「・・・それで、ターゲットは決まったの?」
「・・・そんなことは、知らなくていい。」
「お願い。二葉を痛めつけた子を、さらって。」
潤一は、軽い驚きを隠せなかった。
研究所の実験台として若い子を拉致することをこの上なく軽蔑し、反対していた優三がそんなことを言うとは思ってもみなかったからだ。優三の怒りはわかる。だが。
「盗聴器からは、誰かなんてわからなかったが。」
「二葉に、しゃべらせればいい。」
「それに、一人しかさらえないぞ。絶対に。複数は危険だ。」
「絶対にリーダー格がいたはずよ。それでいいわ。」
「そいつに、実験台としての価値があるとは限らない。」
「いいじゃないの。刻んで、ホルマリン漬けにでもすれば?そういうの、好きでしょ。」
「いや、・・・駄目だ。」
潤一は口元に手をあてた。
「俺達が抗議に行き、その後、暴行に加わった一人が行方不明になれば必ず俺達が疑われる。足がつくようなことはできない。」
「なら、抗議に行かなくていい。どうせ犯人がわかったって所詮停学になる程度なら、今は黙っていて、後で・・・!」
優三の白い手が震えている。今の優三は、正気ではない。
潤一は、灰皿で煙草の先をひねりつぶした。
「優三。実験台を選択することは、ビジネスだ。個人的な恨みや憎しみで決めるべきものではない。」
「それはわかっているわ。だからどうせなら、二葉を痛めつけた連中の中で、価値のありそうなのを選んでもいいんじゃないかって言ってるの。」
「二葉が学校へ行かない以上、それを探るのは難しい。何も盗聴できないし、情報収集にも限界がある。・・・期待は、するな。」
そのまま背を向け、潤一は部屋から去っていった。
優三は、二葉の一件に心を痛めながらも、潤一がいつになく話に乗ってくれたことに意外さを感じていた。潤一からは、いつも一喝されていた。口ごたえしようものなら殴られていた。だが、今日は最後まで会話が続いた。こんなことは、もしかしたら初めてかもしれない。
電気をつけたままの部屋で、二葉は眠っていた。
優三はベッドの脇に腰掛け、傷ついた二葉の髪を撫でながら、
(明日、病院で検査させねば・・・。)
と考えていた。二葉は、何も悪くない。それなのに、こんな目に遭うなんて理不尽すぎる。
(私にできることは何?いっそ身代わりにでもなれたらいいのに。私の人生なんて、いらなにのだから。)
涙の痕が、二葉の頬に残っている。
優三は切なく眉を寄せた。
(眠りが、嫌なことを忘れていられる唯一の方法なのだとすれば、このままずっと眠っていればいいい。私がずっとそばにいて守ってあげる。もう二度と、あなたが傷つかないように。)
次の日の朝。優三が二葉のベッド脇で目覚めたときには、二葉も、潤一も、そして使用人達さえいなかった。家の中が、完全に空の状態になっていたのである。
こんなことは、めずらしい。
使用人がいない時は、遠野研究所が関わるときだ。だが、家の中にその気配はない。秘密の地下室でさえ、もぬけの殻だ。
(一体どういうこと?大体、二葉をどこへやったというの・・・!?)
玄関から外へ出て、ガレージを見ると、潤一の車はなかった。つまり、二葉を連れてどこかへ行ったということだ。
(・・・研究所へ連れて行ったというの?あの悪の巣窟へ、また引き戻そうというの?)
肩に羽織った薄いショールを通して、秋の冷たい空気が身体に染みる。
乱れた栗色の巻き毛を頬で揺らしながら、優三は不安気に空を見上げることしかできなかった。