第4話その4
6月に入った頃だった。
祥子は廊下ですれ違いざまに、数名の女子から「リストラ」と揶揄された。
ハッとして祥子が振り向くと、女子達もやはり祥子を振り返り、クスクスと笑って小走りに去っていった。
祥子はその場に立ち尽くし、拳を握り締めた。
祥子の父は、この春、大手電機メーカーからリストラされた。それは、突然のことだった。しかし、そのことがどうしてあの見知らぬ女子に知られているのだろう?そんな疑問と不気味さが、祥子を襲った。
この学校は、就学途中に親がリストラなどで職を失った場合、学費が全額免除される制度をとっている。だから、祥子が私立に通うことには問題はない。だが、生活費は失業保険だけで賄えるものではない。父一人子一人の生活だが、生活は相当に苦しくなっている。
(先生が誰かに言うわけないよね・・・。私は誰にも言ってないし・・。)
なんで?という思いが交錯する。
この学校に、父と同じ会社に勤める社員の子どもでもいるのか?
だが、祥子の不安をよそに、祥子の父がリストラされたという噂はどんどん広まっていった。それが結衣の耳に入るころには、全学年の生徒が知っているほどだった。
祥子はいつの間にかクラスで孤立していた。
何となく、周りが祥子を離れたところから見るようになったのである。
いつも、人目が気になる。
人が溜まっていると、自分のことを噂しているのではないかと不安になる。
こういうとき、男子というのは蚊帳の外だ。噂の中に入るでもなく、かばうでもなく、途端に正体をなくす。篠崎も、例外ではなかった。
そんな中、結衣だけは別だった。とはいえ、元々、大した間柄ではないのだが・・・。
ある日、祥子は思わず、結衣に聞いていた。
「あのさ、私のお父さんのことで・・・何か、聞いてない?」
すると結衣は、
「ああ・・。それが、どうかしたの?」
「ん・・・。みんなの態度が、ちょっと、気になって。」
「そう?噂なんて、そのうち忘れ去られると思うけど。」
祥子は、その楽観的な答えに少し腹が立った。
「そうよね。前田さんには他人事だもん。それに、前田さんてすごく大人だから、これくらいのこと、気にならないんだろうしね。」
「・・・大人?私が?」
「そうよ。いつも冷静だし。」
すると、結衣はクスリと笑った。それが、祥子の神経を逆撫でした。
「何がおかしいの!?」
「だって、私、みんなより一つ年上だもの。」
「・・・え・・・?」
「当然よね。そうか・・・やっぱり、老けて見えてたんだ。」
祥子は、自分の軽率な言葉が結衣を傷つけたのではないかと、後悔した。
わかっていたはずではなかったか?
気を遣うべきだと、心に言い聞かせたはずではなかったか?
祥子は激しい自責の念にかられた。
「・・・ごめんなさい。私、変なこと言っちゃって・・。」
「どうして謝るの?いいのよ。本当のことだし。」
だが、祥子はそんな結衣のあっけらかんとした物言いに、逆に切なさを感じていた。
「あのね、聞いてもいい?どうして・・・1年、年上なの?」
「記憶を失くしたせいで、普通に生活したり勉強することができなくなっていたの。その訓練で1年かかったみたい。」
「そう・・。」
結衣は普段背負っているものを微塵も感じさせない。だから、祥子はつい自分の甘えをぶつけてしまったのだ。
申し訳のないことをしてしまった。
父の噂で悩んでいた自分が、すごくちっぽけだと思った。
(そうよ。お父さんのリストラは本当のことだもん。でも今お父さんはちゃんとパートだけど働いて私を食べさせてくれてるもん。後ろめたいことなんか、何もないもん。)
そういう、前向きな気持ちになれた。
二葉は、祥子のこういう心の動きを見越して、一つ年上だということを打ち明けてくれたのだろうか。だとすれば、やっぱり、大人だ。
ある授業での出来事だった。
教師が「身近な人の職業について調べる」という課題を出した。
「二人一組で、一つの職業について、調べてもらいます。インタビューしたり、働いている現場を見学させてもらったり、できれば体験させてもらうのもいいでしょう。どちらかのご両親やご兄弟に協力していただくのが一番良いですね。」
すると、お約束のように布谷花音が手を挙げた。
「先生。親が失業中で、兄弟がいない場合にはどうするんですか?」
途端に教室内は、囁きや嘲笑の渦と化した。
祥子は顔が段々と熱を帯びてくるのを感じながら、じっとそれに耐えていた。その様子を、結衣は隣で黙って見ていた。
教師は言った。
「だから、二人一組なのですよ。二人なら、どうにかなるでしょう?さあ、好きな者同士で組んだら相談を始めて!」
教室内はワッと活気付いた。
皆、仲のいい同士はしゃぎあったり手を取り合ったりして楽しんでいる。
そんな中、不意に結衣は、花音と視線があった。
花音の挑戦的な瞳に、結衣は押さえきれないほどの闘争心にかられた。
結衣は見せつけるように、うつむく祥子の腕をとった。
「一緒にやろ。」
「・・・え・・・。」
困惑の色を隠しきれない祥子に、結衣は元気よく話しかけた。
「いいでしょう?」
「・・でも、」
「何とかなるよ。駄目なら駄目で、いいじゃない。そのとおり先生に報告すればいいだけよ。それで成績が悪くなったら、私、校長先生に直談判に行っちゃう。そんなの、私達子どものせいじゃないんだから。」
強気な発言に、祥子は気持ちが晴れる気がした。
そうだ、結衣と一緒なら何とかなる。もう、何も怖くなんかない。
「うん、わかった。一緒にやる。」
祥子と結衣は、そのとき初めて手を取り合った。