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第2話その1

 中学2年の1学期が始まるまでの1ヶ月、二葉は研究所で過ごすことになった。

 冷たい灰色の壁の内側では、外の季節など全く感じることはできない。それに、南織を犠牲にしてしまって以来、二葉の心は死んだ様に反応しなくなっていた。美鈴がどんなに暴行し、痛めつけても、表情一つ変えることはなかった。そして夜中になると、思い出したようにすすり泣くのである。

 そんな状態が2週間も続いたある日。

 二葉の瞳は、突然、金色の光をとらえた。

 その美しい光の正体をつかもうと、二葉の心が少し反応した。

「・・可哀想に・・。」

光の中から、柔らかな花びらのような声がする。

 2週間、何も映らなかった二葉の目に、一人の女性が映し出された。

 それは、この世のものとは思えない、美しく気高い、大人の女性だった。

 その女性は何故か二葉に慈愛の眼差しを向け、優しく身体を抱きしめたのである。

 二葉には、理由わけがわからなかった。

 一体、この女性は何者なんだろう・・・。

 いい香りがする。

 薔薇の香り。

 甘くて清清しい、朝露を含んだ花びらの香り。

優三ゆうみ。」

 部屋の扉が開き、今度は男の声がした。

 だが、男の姿は二葉の瞳に映らなかった。声の方を向いても、暗闇しか見えない。

 しかし、金色の光に包まれた女性は声の主に向かって返事をした。

「・・・あなた。」

「優三。こんなところで何をしているんだ?勝手に歩き回るなと言ってあっただろう。」

「勝手ではないわ。遠野所長に頼まれたのよ。二葉に会ってくれって。可哀想に、2週間もろくに眠らず、食べず、呆けているのですって。」

「その子はこの研究所の実験材料だ。もともと、心など必要がない道具だ。放っておけばいい。」

「このままでは、死んでしまうわ。」

「死ぬもんか。何のためにこの研究所に多額の投資をしていると思っている?死に損ないくらい生かせられねば、採算があわん。」

「肉体は、どうにかなるわよ。でも、心は違う。」

優三は二葉を抱きしめたまま、放そうとはしなかった。

「お願いです。私に二葉の世話をさせて。」

「お前は私の妻だ。その勤めだけ果たせばいい。余計なことはするな。」

「だから頼んでいるんです。・・・二葉を救えるのは私しかいない。」

「くだらない同情か?それとも、同じ人工児としての仲間意識か?」

夫の厭らしい物言いに、優三は美しい眉を吊り上げた。

「その両方です。あなたのような純粋な『人間』にはわからない領域よ。」

 そう言いきった優三に舌打ちをして、男は踵を返した。

 男の名は真崎潤一。

 運輸からホテルまで手広く事業を展開する真崎グループ総帥の次男である。

 真崎グループは戦時中に軍事産業でのし上がった、日本屈指のグループ企業である。遠野遺伝子工学研究所は、このグループからの出資で代々成り立ってきた。戦時中は細菌兵器や薬物などの研究に取り組み、現在は臓器売買やクローン研究の他、政財界や著名人の『お忍び』の手術、倫理規定や法に抵触する手術などを行っている。その仲介役をかっているのが真崎潤一だった。研究所は、もはや潤一のものと言っても過言ではなかった。潤一の命令は絶対であり、所長である遠野基とおのもといは権限の無い単なる研究員のまとめ役だった。研究所内で行われていることが外へ漏れないよう、研究所は住所を持っていない。研究員は入所したら死ぬまで門の外へ出ることはできない。研究所の既定を破ったり逆らったりすれば、身体を刻まれてアルコール漬けのサンプルになるか、人体実験に利用されるか、どちらにせよ生きてはいられない。これらの後始末をするのも、真崎潤一の仕事だった。

 潤一の父は、研究所の初代所長である基の父に、遺伝子操作による人工児の試作を依頼した。その第3号が潤一の妻、優三ゆうみである。

 優三は世界中の精子・卵子バンクから最も優秀な遺伝子を選りすぐり、更に遺伝子操作を施して誕生した逸材であり、研究の最たる成功例だった。たぐい稀な美貌、王族や貴族を思わせる気品、姿、どれをとっても申し分なかった。誕生時にその資質を確信した潤一の父は、優三を、子のない資産家夫婦の養子にとらせるべく引き取った。大金持ちの一人娘として教育された優三は、出生の確かな令嬢として、大学卒業後すぐに潤一と結婚したのである。

 潤一にとって優三は体面を保つのに都合のいい妻であるに過ぎなかった。

 優三を連れて歩けば、どこへ行っても注目される。その妻をどれだけ大事にしているか演じれば、潤一を悪く言う者など決して出てこない。たまに悪口を言う者がいても、逆にその者が「やっかみを言っている」と批難されるだけだ。事実、潤一と優三は上流社会一の美男美女夫婦として有名になっている。二人の間に子どもはいない。真崎家の跡継ぎは長男であり、潤一が跡取りの心配をする必要はない。優三はあくまで潤一が生きている間の「飾り物」であり、優秀な子孫繁栄などには関係がない。だから、優三の知能指数は120。著名人達と知的な会話がこなせる程度で十分なのである。賢すぎれば潤一に逆らう虞がでてくるからだ。

 優三が潤一の存在を知ったのは、やはり12歳の時だった。

 突然家に現れた6歳年上の青年。上質なスーツを着たノーブルな雰囲気の奥に潜む陰湿な影を、優三は見逃さなかった。だから、一目で嫌いになった。しかし養父母から告げられたのは、この男が自分の許婚者であるという衝撃の事実であった。

 養父母のいないところで、潤一は優三の出生の秘密をすべて打ち明けた。

「だから、君は僕のために作られた人形なんだ。そのことを一生、忘れるな。」

 資産家の養父母は優三が研究所の人工児だということを知らない。潤一の父は「名だたる方の隠し子」として、優三の養子縁組を取り持った。養父の会社はいくら資産を持っているとはいえ、真崎グループとの取引なしではやっていけない。当然、縁組を喜んで引き受けざるをえなかった。しかも、当時6歳だった潤一の将来の花嫁として育てろというのだから、真崎家との血縁関係を結ぶことができるという利点がある。だが、研究所の存在を知られてはならないという前提がある以上、優三の出生の秘密が養父母に明かされることはなかった。

 優三の幸せな日は終わった。

 自分が養女であるという事実は知っていたが、養父母はこの上なく自分を愛しんで育ててくれたから、寂しいとか、本当の両親が知りたいとか思ったことは殆どなかった。

 潤一と会ったその日に、デートと称して連れて行かれたのは見知らぬ土地の奥深くに存在する、灰色の建物の中だった。そのおぞましい雰囲気に、優三は身の毛がよだつ思いがした。

 そこで優三の耳には、紅蓮色のピアスがつけられた。

 右耳には盗聴器。

 左耳には発信機。

 身体に埋め込まれ、取ることはできない。

 潤一は、その二つで優三を監視すると言い放った。

「バカな真似はするなよ。どういうことか、わかるよな?それくらいわからないような愚かな女なら、用はない。道具として役に立たないのなら、捨てるまでだ。」

 優三は、自分の人生が、自分のためのものではないことを知った。

 養父母に、もう、頼ることもできない。

 この日、自分は死んだと思った。


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