悪夢の椅子
男は室内に入りソファに腰を下ろした。そしてテレビをつけながらグラスにウイスキーを注ぎストレートで煽った。
番組では何やら楽しそうなCMが流れているが、そのCMを見て男は鼻を鳴らした。
(フン、こんなものを楽しめる奴の気が知れんな)
そう思いつつ彼は立ち上がり、奥にある部屋へ向かった。
そこは地下室への入り口になっているのだ。
鉄扉を開けると薄暗い階段が続いていた。照明をつけて降りて行くと突き当たりには小さな鉄扉があった。その横にあるパネルを操作すると認証が終わりロックが外れた。金属音と共にゆっくりと開いていく扉の先には薄暗い空間があった。
黒服の男は懐からリモコンを取り出すとボタンを押す。すると壁面に埋め込まれていたモニターが点灯し、部屋の中をぼんやりと照らす。
そこには異常な光景があった。
その部屋の中央には機械でできた椅子のようなものが置かれている。そしてその上には一人の男が座っていた。
正確には座っているというよりは拘束されているといったほうが正しいかもしれない。腕は手錠によって固定され足はベルトで拘束されている。さらには頭部には椅子と繋がっている奇妙な形のヘルメットを装着されており目から上は隠れていた。
「さて、そろそろ始めるか……」
それを確認した黒服の男はコントローラーのボタンを押し込んだ。
突然男の拘束が外れた。急に解放された男は一瞬だけ訝しんだ。
次の瞬間―――ガシャン!!という音と床が開き男の身体が落下していった。
「ーーっ!!」
悲鳴を上げることすら許されず落ちていく途中で気を失ってしまうのだった……。
黒服の男はモニターに向かい合う。画面の中では先ほどの男が目覚めて周囲を見回していた。どうやら自分がどこにいるのか把握できていないようだ。
しばらく呆然としていたようだがやがて我に返ったように動き出した。必死になってあたりを見回すも出口が無い。
黒服の男はコントロールパネルのスイッチを指で撫でた。モニターには被験者の脈拍数が急上昇する様子が映し出されている。
「まずは水中遊泳を体験するといい」
◆◆◆
男は突然の変化に戸惑いながらも逃げ道を探していた。しかし四角い部屋は出口など見当たらなかった。天井は果てさえなく、壁をよじ登るのは無謀であろう。焦燥感に駆られて壁を叩いているさなか、不意に足元から冷気が上がってきた。
「な……なんだ?」
見下ろすと自分の足首まで冷たい液体が湧き出していることに気づく。それは床全体に広がり始め、次第に膝丈へと達していった。冷水が皮膚に触れると血管が収縮し、足が痺れ始める。湧き出す水の量は増え続け、ついには男の姿を完全に飲み込んでしまった。部屋全体があっという間に深い水槽に変わり果てていた。
「ぐっ……!」
息を止めたのも束の間、耳・鼻・直腸まで水が侵入しようとしてくる。必死に水面を探すが天井は無限の水中空間となっている。泳ごうとしても体は鉛のように重く、まるで鎖につながれているかのようだ。肺が悲鳴を上げ、焼けつくような痛みに襲われる。
(苦しい……!)
水中で苦しむ男に向かって影が高速で接近する。それは巨大な蛇の姿をしていた。輝く目は男を見据えて離さず、鋭い歯が並ぶ口からは不気味な泡が漏れている。
(幻覚……?いや違う!本当にここにいる!)
大蛇は水中で優雅に回転しながら近づいてきた。その動きに合わせて水流が渦巻き、男は翻弄され上下がわからなくなっていく。
(まずい、意識が―――)
抵抗する力を失った男の四肢を海蛇が絡め取っていき、強靭な筋肉が男の体を雑巾絞りのごとく締め付ける。
「ぐぁあっ!」
たまらず男はわずかな空気さえも吐き出してしまう。激痛に喘ぐ間もなく、今度は大蛇が男の首に狙いを定める。男が呼吸困難で朦朧とする中、大蛇は牙を突き立てた。
「がふっ―――」
牙から伝わる激痛は意識を閉じようとしていた脳内を強制的に叩き起こす。水中で溺れる恐怖と窒息の苦しみ、さらに肉体的な暴力が同時に襲いかかる。男は最後の力を振り絞って抵抗するにも、指一本動かせないほど全身が麻痺していた。そしてそのまま大蛇は男を天井の奥まで連れ去っていった―――。
◆◆◆
気が付くとそれまで水中で感じていた冷たさが消え去り、灼熱感が全身を包み込む。熱湯の中に放り込まれたような感覚に思わず目を見開いた。周囲の青い世界は一瞬にして赤く染まり、灼けつくような蒸気に包まれた浴室のような光景に変わっていた。
「あ……熱い!」
叫び声を上げたいのに喉が焼けて声が出ない。肌という肌が沸騰した鍋の底のように水疱だらけになりつつあるのが分かった。皮膚の下で血液が沸騰する感覚が走り抜け、骨まで溶けてしまいそうなほどの熱さだ。
だが突如として熱波が嘘のように消え去り、代わりに氷点下の嵐が吹き荒れ始めた。体温調節機能が狂ったのか汗腺から油が噴き出し、それが凍結して鱗のような模様を作り始める。皮膚の表面は瞬時に真っ白な霜に覆われていった。
「ふぅ……くぅ……!」
筋肉が硬直し心臓が激しく鼓動する。体温が急激に奪われていき意識が遠のく寸前、今度は圧倒的な重量が全身にのしかかってきた。空気の塊が巨大なハンマーとなり、関節の隙間にまで詰め込まれるような感覚。骨がミシミシと軋み血管が破裂しそうになる。
◆◆◆
バイタルサインが危険域に達したことを知らせる警告音が鳴り響く中、黒服の男は意に介さず操作を続ける。
「最終フェーズ……自己存在否定プロトコル開始」
◆◆◆
突如として男の視界は真っ黒に塗り潰された。どんなに目を凝らしても光の一筋すら見えない完璧な闇だ。そしてそれまで感じていた五感の全てが剥奪されていく。触覚が消え味覚が消失し嗅覚すら奪われた。唯一残るのは自分の鼓動だけ―――
「お前は誰だ?」 内部から響く声が問いかけた。「その存在意義は何だ?」
「俺は……俺は……?」
混乱の中で記憶の断片が閃光のように走る。過去の出来事・言葉・感情—すべてがバラバラのパズルとなって散らばっていく。自分という概念が解体されていく恐怖に男は狂乱状態に陥った。
「助けてくれ!俺が消え■い■!」
「許し■■れ■■■逆■■■■■■■」
絶叫をあげたつもりだったが、その声は男の耳にさえも届かない。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
もはや自分が立っているのか座っているのかさえわからない虚無。時間も空間も意味をなさなくなった。
「―――はっ!?」
気が付くと男は再び椅子に座っていた。背の硬い感触を感じた男は己の手を開け閉めして確かにそこにあることを確認し―――安堵した。全身は脂汗でびしょ濡れだったが命はある。
「さて、」
地下室に響く声に戦慄する男。ボタン一つで”悪夢”に突き落とすコントロールパネルの前に立つ黒服の男は問いかける。
「貴重な体験だったな。お前が望むならまだまだ体験させてやれるが?」
「やめてくれ!なんでもする!何もかも話しますから!」
外聞もなく体中から様々な液体を垂れ流しながら男は懇願した。黒服の男が無線で合図を送ると扉から兵士たちが入り込んでくる。
「あとは任せる」
地下室を後にし、男は再びソファに座り込む。テレビには先ほどと同じCMが流れていた。
「五感を完全再現!究極の没入感で楽しもう、フルダイブ・VRゲーム『ナイトメア・カーニバル』近日発売!」
そのCMを見て男は再び鼻を鳴らした。
「フン、こんなものに身を委ねられる奴の気が知れんな」
某ギャンブル漫画のアレです。
VRゲーム系の作品でよく見る五感再現型ゲーム。
それって本当に安全でしょうか?




