表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

ゆきのまちシリーズ

雪虹の幻

作者: 謎村ノン

後書き:こちらも、十年くらい前、今はなき、ゆきのまち幻想文学賞用に投稿したものを多少改稿したものです。大人向けのなろう的な感じですね。すっかり内容忘れていましたが、久しぶりに、元ネタ(インスパイヤ)された映画を見返してみよぅかなあ。

(Noteと同時投稿しています)

 二つの私鉄の駅の間にあるアーケード街、おそらく関西では珍しくもない――の先を眺めていたら、唐突に思いだした。

 そうだ、私は、物語の世界で生きている人物だった。

 甦る記憶に茫然としつつ佇んでいると、横合いからいきなり肩を叩かれた。

凪都(なと)先生ですね? お久しぶりです!」

 振り返ると、梨池(なしいけ) 和姫(かずき)がいた。映画版の主演女優によく似た、すらっとした美人だった。そういえば、あの女優は、女の人が男役をする有名な歌劇団出身だったはずだ。

「神戸の学会では、お世話になりました。今日は、ご出張ですか?」

「あ、ああ。こちらの大学で、つまらない打ち合わせさ」

 すらすらと、セリフが口からでた。

「凄い偶然! 先生に、お願いしたい記事があったんです。ちょうど、連絡をしようと思っていたところで……」

 彼女の方も、これまた、覚えのある台詞を告げてきた。

 映画の冒頭シーンの記憶がよみがえってきて、背中が震える。

 しかし、そのシーンとまったく同じに、彼女は、にこりと微笑んだ。

「すみません。今から打ち合わせなので。東京に戻ったら、改めて連絡しますね!」

「あ、ああ……」

 どう返答しようか迷っているうちに彼女は改札を通り、一度だけ振り返って笑顔で手を振ると、ホームの方に走っていった。これも、映画のシーンと、まったく同じように思えた。

 私は、呆然としつつ、柱の横に佇んで、彼女の姿が見えなくなるまで見つめていた。


 その後、どうにか京都駅に着き、気がついたら帰りの新幹線に乗っていた。

 状況を整理してみる。

 私は、この物語(ストーリー)で主人公をしている、凪都(なと) 春彦(はるひこ)だった。東都医科大学の分子医学研究所で、准教授をしている。


 先程まで、私は、自分の人生を生きているものだと信じていた。いや、よく考えてみれば、子供の頃から、自分が自分でないような、何かずっと忘れていることがあるような、微妙な違和感を感じることがあったような気もするような、しなかったような……。

 そう、先程、『思いだし』たのは、私の『前世』の記憶だったのだ。

 前世の『私』は、中堅の電子機器メーカーのしがない開発者だった。四十歳代の独身で、あまり趣味もなかった。肩書きだけは、課長待遇だったが、会社では、日々、黙々とハンダ付けと、組み込みプログラミングを続けていた。

 その『私』が電子工学科の大学生だった頃、『社会的現象』とまで言われるほど流行した小説があった。その小説は、大手新聞の全国板に連載されたものだったのに、泥沼の不倫劇と大胆な濡れ場描写で世間に衝撃を与えた。ドラマ化されて、数十パーセントを超える瞬間視聴率を叩きだし、映画もその年の記録に残る大ヒットとなったはずだ。

 そして、ご多分に漏れず、その二番煎じ、三番煎じを狙った小説も出回り、いくつかは、そこそこヒットした。

 その三番煎じくらいの小説の一つ、『雪虹の幻』のドラマが、元となった小説よりも過激な描写のため深夜枠で放送されていて――大学の研究室から深夜に帰宅することが多かった当時の『私』は、内心ツッコミを入れながら、毎回ビールを片手に視聴していたのだった。

 ついでに、原作の小説を買って読み、思ったより忠実な台本に驚いたりもした。映画化された方は、あまり興行成績はよくなかったようだが――パッケージ化された際に、当時はレコードほども大きかったビデオディスクを買ったのを『覚えて』いる。

 つまり、現世の私は、その『雪虹の幻』の主人公であったのだ。

 そうなると、これまでの私とは、いったい何だったのだろう――と唸った。生まれてから、学位を取得するまで、研究者としての道を進み、結婚、そして別れ……すべてが鮮明に思いだされる。そして、これまでの研究の成果も、自分自身で考えて積み上げたのだと信じていたのだが……。

 しかし、前世の『私』の記憶も、今の私の記憶と同じように自分のものとして鮮明に思いだせた。自分がまったく違う人物であったということが、何故かはっきり『分かる』のだ。まるでゼロを超えて虚数の世界に紛れ込んでしまったように、二つの記憶は区別されている――のだが、『私』が今の私と同じ年齢であった頃の記憶が曖昧なことに気がついた――その前後で何があったのか、つまり、命を落とすような出来事があったのだろうか……。

 それにしても、今日は夢見が悪かった。あまり思いだせないが、凄い悪夢を見たような記憶がある。起きた後、それを必死に思いだそうとしたせいで、前世などというものまで記憶に表出させてしまったのだろうか……。

 思考が千々に乱れたまま、なんとか家に辿り着き、いつものように仏壇の位牌に拝んでから、夕食も取らずにベッドに飛び込んだ。悶々としていると、いつの間にか意識が途切れて、次の瞬間、朝になっていた。


 いつの間にか研究所に着いて、居室に入っていた。私は、ブリーフケースを机の上に投げだし、頭を抱えた。

 昨日は気が動転していて、あまり深く考えていなかったが、このまま『物語(ストーリー)』通りに進むとすると――彼女、和姫とは、その夫とぐでぐでの愛憎劇を繰り広げた後、二人で毒を呷ることになる。それは……なんとしても避けねばならない。

 いったい、どうすればよいだろう……と思い悩んでいるうちに電話が鳴った。

「はい、凪都です」

「先生、おはようございます。梨池です。先日、京都でお話した記事の御依頼について、よろしければ今日にでもお伺いして、打ち合わせをさせて頂きたいのですが?」

 私は、戦慄した。そうだ、この台詞も映画にあった。そのシーンと同じなら、この話し合いが長くなり、食事でも一緒にということになって、彼女の不幸な境遇について知ることとなり、お互いの境遇に涙し、同情が愛情に変わり……。

 そこまで考えて、私は思わず受話器を握り締めていた。

「あ、すみません。あの件については無理です! ここのところ、学会の準備でたて込んでいて、まったく、全っ然! 執筆時間がとれないのですよ!」

 一気にまくし立てると、電話を通して、ため息をつく音がした。

「はあ。それでは、別の方にお願いすることにします」

「すみません! ここのところ、いや、これからも、ずっと忙しいのでよろしく。では!」

 そこまで一気に言い切って、受話器を置く。

 しばらく、そのまま硬直していたものの、ふっと息を抜いて、椅子にもたれた。

 これで、彼女との『フラグ』をへし折ることに成功したはずだ。彼女の境遇が『物語』と同じなら、いささか可哀想な気もするものの、背負い込むのにはあまりにも大きすぎるリスクだ。

「さて……」

 そうすると、これからどうして生きていけばよいのだろうか。

 今生きているこの世界は、『私』の世界でちょうどあの『雪虹の幻』が流行った頃と、よく似ているものの、少し異なっているようだ。そもそも、私が勤めているこの東都大学という大学そのものが、『私』の世界ではフィクションでよく使われる大学名だったではないか。デスクの上にある昔風のパソコンも、Tatibana社のMandarishとかいうものだし、どこかで見たようなGUIグラフィカル・ユーザー・インターフェイスの独自OSが走っていたはずだ。商標の関係だろうか……。

 ともかく、現在の私は、『私』の世界の来世紀の記憶があるとはいえ、何が起こるかを当てて儲けるとかは難しい気がする。今の私の世界でも、バブルが崩壊し、米国も景気が悪そうだが、来世紀にバブルが起こったり、戦争が起こったり、パンデミックや何かが起きるかどうかは分からない。

 そもそも、『私』は、知っていた知識も偏っていた。今の私の専門である生物の知識なんて、大学の教養学部以来、まったく勉強していなかった。

 『私』の専門だった電気工学でさえ――『私』の記憶のある最後の方では、最先端の量子コンピュータを使っていたのを覚えている――出来合いの素子を使っていただけで、製造方法を知っていた訳でもない。だから、先に特許を取るなんてことも無理だろう。『私』には、ソフトウェア方面の知識があったが、使っていた並列プログラミング言語は、この世界でも過去から使われているものと、殆ど変わらないはずだ。

 そう考えると、いまやっている仕事を、そのまま普通に続けていくしかないと思える。

「もうちょい、生物の知識を知っておくんだったなあ。えーと、再生医療って、なんとかファクターで、どうやって人工なんちゃら細胞を作ったんだっけ……思いだせないかな……」

 頭を振って立ち上がり、研究室に入る。

「あ、凪都さん、おはようございます。細胞の培地の方、換えておきました」

 先にきていたポスドクの永井君が、声をかけてきた。

「ありがとう。僕も、培養室に入るよ」


***


 そのまま、今日の実験を終えて、記録を付けたり、雑用をこなしていたりすると、いつものように夜中になった。

 ……梨池 和姫に電話で告げたように、忙しいというのは、本当なのだ。

 大学の近所に借りているマンションに歩いて戻り、着替えてから仏壇の前に座って、線香に火をつけ、手を合わせた。

「……君のところに行くのが、もう少し先になっちゃったかもしれないな」

 遺影は、若くして亡くなった妻だった。彼女は、大学時代の同級生だったのだが、まだ新婚のときにガンが見つかった。若かったせいで進行が早く、見つかったときには既に手遅れだったのだ――彼女との間に子供はいない。

 『私』の記憶が戻ってからも、現在の春彦としての生活の方が自分にとって、現実だと感じた。まだ、妻との思い出を、ありありと思い浮かべることができる。

 ――『雪虹の幻』では、亡き妻のことを思って、最初は躊躇していたものの、和姫と逢瀬を重ねるうちにその思いを振り切った――というような描写があった。しかし、現実の今では、そのような事態になるとは、少しも思えなかった。

「小腹が空いたな……」

 疲れているので寝ようと思ったのだが、なんとなく、今後のことを考えて眠れなかったので、少し散歩に出ることにする。

 マンションのドアを開けると、そこに和姫がいた。

「おねがい、かくまって下さい!」

 和姫は、潤んだ目で見つめてきた。これは、あの映画版の一シーンだと、ピンときた。しかし、それはありえないはずだ。

「え、どうして私の家の住所を……?」

 『物語』では、例の仕事の打ち合わせの後の朝、ホテルで連絡先を交換した後に、このシーンとなるはずだった。しかし、朝の電話で私が拒否したから、彼女は、当然、連絡先を知るはずがないのだが……。

「……え、あ? わたし、なんだかここに来なければならない気がして……あれ? ここは、凪都先生のお家なんですか? あ、あれ?」

 和姫は、我に返ったのか、訳が分からないという感じの表情で首を振った。

「とりあえず、立ち話もなんだから、入ってください。見知らぬ仲でもないし」

 私の方は、動転していたせいか、また例のシーンの台詞が口をついてでた。しまった!

「はい……」

 和姫の方も、まだ動揺している様子だったが、素直に玄関へ入ってきた。

 私は、靴を脱いだ彼女を、リビングに案内する。

「夜中に押しかけてしまって、すみません。ほんと、どうして先生のお家に……」

 恐縮する和姫を椅子に座らせて、お茶を用意しようと、台所まで歩く。この家は、中古物件を買ったもので、リビングと台所が廊下で完全に離れているのだ。

「もう、彼女とは関わり合いがなくなると思っていたのに――まさか、運命……」

 思わず独りごちていた。私は、子供の頃、何かの小説で読んだ話を思いだしていた。運命を変えようとすると、その運命を元に戻そうとする復元力のようなものが働いて、結局は、その運命通りになってしまうという……。

 いや、オカルト的なことを考える前に、まずは、考えられる理由を考えねばならないだろう。今――この時代では、まだ、『私』の記憶にあるような個人情報保護法は制定されていない。つまり、可能性として、和姫は、調べようとすれば、学会の名簿や何かで私の家の住所を知ることは、できるだろう。

 問題は、『物語』では、仕事の打ち合わせで意気投合する前に、和姫が私に対して、単なる仕事上の好感以上の感情を感じていた描写がなかったことだ。そもそも、理由がなければ、彼女が私の家の住所を調べるとは思えない。つまり、彼女が来たのは、普通ではない(イレギュラー)な事態であると考えられる。

「おかしい、理屈に合わない。なんで、つながらないはずのシーンが……そもそも、何故、今夜……?」

 そう、『物語』と同じであれば、彼女と夫との間は、かなり厳しい状態になっているはずだが――家出まで考えたのは、打ち合わせの後の逢瀬が終わってから、だった筈だ。

 そこまで考えたところで、ヤカンが鳴った。

 お茶を入れて、台所に戻る。しかし、そこに、和姫はいなかった。

「あれ、梨池、さん……?」

 台所は、電気がついているものの、それまで誰かがいた気配が感じられなかった。台所を出て、廊下から玄関まで行った。しかし、誰もおらず、和姫の靴もなかった。ドアを開けても、寒々とした夜の景色があるだけだった。

 最近、めっきり寒くなってきたせいか、少し雪花が舞っていた。

「寝ぼけて、夢でもみたのかな?」

 頭を振って、廊下と繋がった仏壇のある和室を覗いた。廊下の光に照らされた遺影が、何故か笑ったように見えた。


 次の日、私が実験室でマイクロピペットを操作していると、ポスドクの永井君が声をかけてきた。

「凪都さん、お客様です」

 手を洗って、実験室を出て応接室に入る。すると、応接ソファに、細身で神経質そうな青年が座っていた。

「げっ!」

 思わず、声が出てしまった。

 青年の方は、口の端をつり上げて、立ち上がった。

「おや、私のことをご存じのようですね。梨池 和姫の夫、秋一です」

 腕を組んで睨んできた男も、『雪虹の幻』の映画版の、その役の俳優とそっくりだった。

 しかし、これもおかしい。このシーンは、『物語』の私と和姫が、大分、のっぴきならない関係になってからのはずだったのだが……。

「ご用件を、承りましょうか?」

 動揺していたせいで――うっかり、また映画のシーンと同じ台詞が口をついて出てしまった。

 案の定、秋一は、眉をつり上げた。

「ご用件? ご用件じゃないでしょう! 人の妻をたらしこんで、関係をもつなんて、倫理に劣る行為ですね! 法律で決まっているんですよ、慰謝料を請求できるんですよ!」

 秋一の台詞も、映画版とまったく同じだった。私は、必死でどう対応すればよいのか考えた。

 そう、彼は事態が進行したのを見計らって、脅してくるのだ。それは、『物語』では、和姫をつなぎ止めるというよりは、プライドを傷つけられたことに対する腹いせのためだったのだが……。

 しかし、今の私は、和姫とは何の関係もない。なのに、何故か、焦る感情が沸いてくる。ひょっとして、自分の思考も『物語』に引きずられているのだろうか……?

 私は、この事態を打開するため、賭けてみることにした。

「何か、証拠があるんですか?」

 映画版では、この男は、和姫と私がホテルから出た写真で脅してくるのだった。だが、今、そんな写真を撮られた訳がない!

「証拠ならあるぞ!」

 秋一は、映画で見たのと同じ古びた革の鞄から封筒を取り出し、写真を並べ、勝ち誇ったようにそう言った。

 しかし、私は、賭けに勝ったことに気がついた。

「……これは、何の写真ですか?」

「しらばっくれるな! 興信所に調べさせ――あ、あ、あれ?」

 例のシーンの台詞を途中で止め、はっきり分かるほど、顔の色が白くなった。

 写真には、ホテルから出てくる和姫だけが写っていたのだ。まあ、当然なのだろうが。

 よく見ると、映画でみた写真と気味の悪いほど似た構図だったが……和姫は、隣にいる空気に向かって腕を組んだ姿勢で微笑みかけていた。シュールだ。

 朧げながら、何が起こっているのか、分かってきたような気がした。それでも、あえて、ごほん、と咳払いをしてみせる。

「こちらは……梨池 和姫さん――ああ、I出版の編集者さんですね。学会で声をかけられたので、名刺を交換しましたよ。つい昨日、仕事を依頼されましたが……断っています。何かの勘違いではないですか?」

「そ、そんなはずは……」

 秋一は、勢いを削がれて、動揺しているようだった。

「何か誤解があったようですが、そういう訳で、私はあなたの奥様とは、単なる仕事上の知り合いです。お分かりでしたら、どうぞお帰り下さい」

 私は、手を広げて、応接室のドアを示した。

「うぬぬ。今日はこのまま帰るが、絶対、証拠をつかんでみせるからな!」

 白くなっていた顔を真っ赤にして、秋一は足音荒く、応接室を出て行った。

 すると、様子をうかがっていたらしい、研究室の秘書の女の子が応接室に入ってきて、しっしっと手を振った。

「塩でも撒いておきましょうか? 頭のおかしい人みたいですね。顔がいいのに、もったいないけど、あんなタイプはゴメンだわ」

 そういえば、昨日、普及し始めのネットで調べたら、和姫役の俳優はこの世界ではいなかった。秋一の方も、そうなのだろうか、と思った。


***


 その後は、とても仕事をする気にならず、家に帰った。

 仏壇を拝んでから、一人、冷凍食品を暖めつつ、状況について考えてみた。

 和姫の依頼を断ったことで、『雪虹の幻』の出来事は、当然、起こらなくなったと思っていた。

 しかし、なぜか映画版のシーンにあたるような状況だけが、突発的に発生しているようだ。昨日の和姫は本当に家に来たのかどうか分からない。が、秋一の方は、完全に『物語』と同じ行動をしてきた。いや、そもそも、例の打ち合わせの電話から一日しか経っていないから、時系列的な流れ自体が、おかしいのだが。

 ひょっとしたら、この世界自体に――『物語』の主人公の一人である私がねじ曲げてしまったものの――まだ『物語』のシナリオの記憶のようなものが残っていて、それが、他の人々の行動に影響を与えているのではないだろうか。私が無理に意識しないと、『物語』の台詞を話してしまうように。

「そうか……だとすると……」

 『雪虹の幻』の原作の和姫の台詞によれば、彼女と秋一との仲は、既に冷え切っていたのだそうだが――秋一は、動物的な勘で和姫と私との関係に気づき、和姫を精神的に傷めつけ、暴力にも訴えてくるのだ。

 本来の『物語』の映画版の流れでいくと、先程のシーンで、私は、秋一に念書を書かされて「従わないとスキャンダルを雑誌に流し、裁判を起こす」と脅される。

 和姫は、その経過を告げられ、追い詰められて家を飛び出すことになる。しかしながら、心根の優しい彼女は、これ以上、私に迷惑はかけられない、と彷徨することになる。

「不味いな……」

 まだ、現在では、『私』がいた時代のDV防止法のような法律は制定されていない。警察に連絡しても、民事不介入で相手にしてくれないだろう。

 まったく知らない人間でもないから、冷たくなって発見でもされたら――と考えると、気がつくとコートを羽織って、夜の町に飛び出していた。夜になって気温が下がったせいか、雪花が舞っていた。

 マンションを出ると、後ろから誰かがつけているのが分かった。おそらく、秋一の依頼している探偵だろう。私は、無言でダッシュして駅まで走った。吐く息が白い。

 必死で、定期で自動改札を通り、ホームに来たばかりの電車に飛び乗った。そのまま、次の駅で降りて、向い側の電車に飛び乗った。これで、撒けたただろう。

 念のため、別の路線に乗り換えて、副都心まで行った。


 例の映画版では、意気投合するシーンで一緒に行ったバーに、もう一度、和姫が行く。そして、その付近の路地で、飲み過ぎて倒れ込んだ和姫を介抱しようと装って、よからぬ輩が寄ってくるのだ。

 本当に、そのシーンに遭遇したのに驚いた。

「おい、彼女は、私の連れだ!」

 いかにも見た目からして堅気には見えない男から、強引に彼女を立たせて引き寄せる。

 すると、男は、ちっと舌打ちして、離れていった。

 和姫の方は、かなり酔っており、服装が乱れ、泣いたせいで化粧も流れて酷い状態だった。映画版では、涙があっても美しく撮られていたが、流石に、現実の様子は映画とは違うということだろうか。

「大丈夫ですか?」

「春彦さん……あ、れ、凪都、先生? なんでここに……?」

 私は、和姫に、いきつけのバーに行った帰りだとごまかした。そもそも、本来なら知らないはずのバーに和姫がいた時点で、おかしなことなのだが。

「とりあえず、場所を移しましょう」

 おぼつかない足取りの和姫に肩を貸して歩き、表通りに出てタクシーを呼び、駅前のホテルまで行った。そして、彼女用に部屋を取った。

 部屋まで彼女を送って、そのまま帰ろうとして背を向けたところ、呼び止められた。

「待って! ひとりにしないで下さい。お願い……」

 ジャケットを掴まれ、身体を押しつけられる。

 私は、必死で思考を巡らせる。このシーンは、映画版にはなかった――『物語』では、当然のように二人で泊まっていたので。

 しかし、現実の今でも、このまま彼女を放置すると、まずいことになる気がする。少し話を聞いて落ち着かせ、ベッドで寝るのを見届けてから帰った方がよいかもしれない。追っ手は撒いたので、大丈夫だろう。

「分かりました。とりあえず、落ち着いて」

 ドアを開けて、彼女をベッドに座らせる。水を飲ませようと、冷蔵庫を開けたところで、妙なことに気づいた。

「え、あれ、ここは、あのホテル……?」

 部屋の内装が、映画版の最後のシーンのものに酷似していたのだ。

 慌てて窓まで歩くと、外には、一面の雪景色が広がっていた。北の国の空港から、ほど近いホテル。まさに、あのシーンだ!

 慌てて、ジャケットの内ポケットを探ると、実験室にあるはずの試薬の小瓶が入っていた。

「そんな、バカな……」

 髑髏マークのラベルのついた小瓶をまじまじと見つめる。こんなものを持ち出した記憶はない。

 そもそも、この試薬は実験には必須だが猛毒なので、キャビネット自体が施錠され、持ち出し禁止のはずだ。

「お願い、最後に……」

 振り返ると、和姫が服を脱ごうとしていた。

「うん、来世(つぎのよ)で幸……ゴホっ。ま、待つんだ! ちょっと!」

 私は、思わず、最後のシーンの台詞を言いそうになり、慌てて止めた。

 そのときだった、突然、部屋の呼び鈴が鳴った。

 驚いて振り返ると、なぜかオートロックのはずの扉が開いて、白い服を着た女が入ってきた。

「え、高子?」

 それは、亡くなった妻の高子だった。しっかり両脚があり、多少顔色が悪そうなものの、普通の人間のように見える。

 そういえば――聞いたことがある、『ホンモノ』の幽霊は、一見すると、生きている人と同じ姿で現れるという。

 高子は、無表情で、平板な声のまま、告げた。

「こういう事態になることを怖れていたので、春彦に前世の記憶を思い起こさせたのです。でも、結局、ストーリィの流れ自体は、変えられませんでしたが」

「ストーリィ……?」

 和姫は、毛布を胸の前までたくし上げて、硬直していた。

「結婚の約束は、死が二人を分かつまで。春彦さんに、現世で幸せに過ごしてもらうことは吝かではありません。幸いなことに、あなたは、私と同じ一族の出身。それでは、女同士の話をしましょう。春彦さんは、お帰り下さい」

 高子は、ドアの方を指さした。その有無を言わさぬ迫力のようなものに、私は、抵抗することができずに、部屋の外にでた。

 ホテルを出ると、水銀灯に照らされた雪が渦巻いて、虹のように光っていた。膝下まで積もる雪に足を取られつつ、必死で空港まで辿り着いて、照明の落とされた待合室で椅子にもたれ掛かりつつ寝た。

 次の日、身体の節々をさすりながらホテルまで戻ると、そもそも、和姫は宿泊していないようだった。更にいえば、なぜ、東京にいたはずが、こんな北の国にいるのか、さっぱり分からなかった。

 和姫に連絡を取りたかったものの、まだ、携帯電話やインターネットのような便利なものは、一般には普及していない。電話番号をメモした手帳も家に置いてきてしまった。

 ため息をつきつつ、朝一番の飛行機で、東京に戻った。


 その後、色々とすったもんだがあったものの、結局、私は、和姫と再婚した。

 概ね幸せではあったが、時折、和姫が、亡くなった高子と同じ表情をするような気がして、少し背筋が冷えることがある。


(了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ