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わたしの幸せな人生

作者: 遠田


 生まれ直しって信じる?


 わたしは今、生まれ直している最中だった。前回、わたしは母親の死と引き換えに生まれた。母を溺愛していた父は兄を生んで予後の悪かった母にそれ以上の子を望んではいなかったが、先代の伯爵夫人がそれを許さなかったそうだ。もう少しの療養が必要だと医者も言っていたのに子作りを強制され抗ったが、それこそ薬を打たれても必死に抗ったようだが、奥歯が割れんばかりに耐える父に母の心が耐えられず、大丈夫だからと父の限界にまで抵抗した末の、それでも暴力じみた行為を受け止めたのだと言う。地獄すぎる。そんな地獄を経て一度で授かったのはよりにもよって息子ではなく娘で、さらに出産に耐えきれず最愛の母を亡くしたのだ。父が娘であるわたしを愛さなくてもしかたがない。まあ前回はそのように思うこともなくわたしは生き地獄を前伯爵夫人とともに歩まされたのだけれど。

 伯爵領の一番北に当たる場所で前伯爵夫人とわたしは幽閉されて、最低限の世話だけをされた。世話人も持ち回りで暴力はないものの、母の実家に当たる伯爵家から派遣された心無いものたちだったので前伯爵夫人は始めこそそちらに当たり散らして悪態をひたすらについていたが、やがてわたしに憎悪を向けることとなった。最低限の義務としての生活のなかには祈りの時間もあった。わたしはそこで毎回懺悔をした。おかあさまをころしてもうしわけありません。前伯爵夫人も言わされていたが、本当に言っているだけだった。なぜ母をそんなにも憎んだのかわからないが、謝罪を含まない言葉というのはなにも学べなかったわたしにもわかるもので、神父にもきっとわかったのだろう。前伯爵夫人に厳しい神父がわたしにはやさしかったからだ。

 あなたのせいではないのですよ。

 神父が来るときには監視を兼ねて従兄が付き添っていたので、知られてしまえばきっと罰があるだろうに神父はわたしにそっとその言葉を伝えてくれた。神はきちんとあなたを見てくれます。そう言って手を包んでくれた。

 わたしを見てくれるのはだからわたしを憎む母方の伯爵家のものか、憐んでくれる神父か、神父の言葉が嘘ではないのなら神だけだった。

 父も兄にも会ったことがなく、前伯爵夫人の言葉から察するに母と同じ髪色をしていたことも家族は知らないのだろうなと思った。わたしの記憶は前伯爵夫人に忌忌しいと髪を掴まれて岩壁に打ち付けられたのを最後に途切れているので。憎いわたしの葬式、葬式があったのかも知らないが、あったとしても来ることはなかっただろうから。


 そしてチカチカとした眩さに気づいたときには神の御前にいたのだ。てっきり頭を打ったせいだと思ったのに、神の後光的なものだった。物理。物理? 思い返して疑問になったのだが、あれはなんの光だったのだろうか。


 とにもかくにもわたしはまだ神の御許から離れる前の年齢で死んだのだという。その魂は救われなければならないらしく、神のまわりを囲んでいる魂のなかでわたしが一番の非業の死を遂げたのだという。そしてあまりに憐れで救われなければならない命だったのだという。それしか知らないにしても確かにわたしの一生は悲惨だったなと思う。神父のおかげで信仰心はあったのでそのせいもあるのかもしれない。とにかくすぐに救ってくださるというのでわたしは希望を聞かれて述べた。戻りたい、と。母を死なせないように生まれることは可能かと聞いたのだ。

 そうしていただいたのだ。祝福のちからとやらを。

 わたしが新たに幸せな人生を歩むにはあの家は地獄すぎたので、烏滸がましくも救えたらいいのにと思ったのだ。それがどうやら神の琴線に触れたらしい。ただ今生き戻っても母はとうに肉体も失っている。生まれ変わってはいないようで、意識はないものの次生の順番にはついていたようだ。他の生まれた方方には影響はそれほどないそうなので神がギリギリに巻き戻してくれた、らしい。どうやら。

 母が死にそうなその瞬間に。


 そうしてそれは未だに語り草になっている。生まれそうなわたしは母の命を救うべく祝福の光を纏っていたのだと。

 奇跡の子として生まれたわたしはそれはもう大切にされた。前伯爵夫人は変わらずに北へやられたけれど、少しは環境は改善しているらしい。相変わらずの監視はありつつも、ひとりだと憎悪をぶつける相手もなくなにやらぶつぶつ言いながら泣いてばかりではいるらしいが。誰か憎むということは生きる力にもなるらしく、今ではずいぶんと衰えているらしいので長くはないのかもしれない。

 癒しの力は母に完全なる健康をも与えた。父は泣いて喜び家族を重ために愛する良き伯爵となり、家族を守った妹を溺愛する兄も爆誕させた。なのでこれは神に感謝せねばなるまいとわたしは神殿に通った。


「もしやアイミーでは?」

 幸せな世界に生まれ直しをさせてくれた神に今日も今日とて感謝をして寄進をしたところで名を呼ばれて振り返ると、見覚えのある神父が立っていた。まわりにはなにやら散乱していて、手にしていたもののすべてを落としたのだなとその驚きようにこちらが驚いてしまう。それから記憶があるのだなと不思議に思った。なぜなら家族には生まれ直し以前の記憶はないからだ。そして初めて名を呼ばれたことに驚く。以前は名などなかったからだ。わたしの名を自然と口にしたことに神父も驚いているようで、アイミー、と、もう一度わたしの名をくちにしてから、アイミーさまですね、と伯爵令嬢に対する敬称に言い直した。

「アイミーとお呼びください、神父さま。そのせつはお世話になりまして、神父さまのおかげで神の御許へ行くことができ、あの……このような状況になった次第です」

 わたしのそばには侍女と侍従が控えていて、身なりも伯爵令嬢のものだ。それを見て神父は涙を浮かべて何度か頷くと十字をきって神への言葉をくちにした。

「あなたのような敬虔な方を神は見ていてくださったのですね」

「ありがたいことにそのようで、今はとても幸せです。神父さまが導いてくださったおかげでもあります、ありがとうございました」

「いえ…いいのです、あなたが幸せになることが神の望まれたことなのですよ」

 神父とはその後も交流を深めた。何も知らないわたしをあれほどまでに導いたのだから信頼しかないわけで。家族とわたし付きの侍女と侍従以外には知らせていない祝福のちからも神父には打ち明けた。想像できたとは思うが神父もそのことは黙っているようにと告げた、悪しき人というものは他人の善意を喰らうのです、と。

 わたしはわたしの箱庭さえうつくしければ良いので家族に言われたとき同様に頷いた。ちなみにわたし付きの侍女と侍従はわたしがもらい受けた男爵家の呪われし双子なので、わたしには第二の家族である。秘密など作らない。話せば長くなるが以前のわたしと同じような生まれだったと言えばすべてがわかる。ただしかれらの母親は死んでらおらず、双子という忌子であったゆえの幽閉である。なんならまだ死んでいないだけでわたしよりもひどい扱いだった。わたしを溺愛する兄にすらネーミングセンスがないと言われた侍女マイと侍従マインはわたしと同様名を呼ばれるまで名を持たず、しかしわたしと違うことに神父の派遣もされていなかったためになぜか神ではなくわたしを崇めた。ふたりは虐待と生育不良によって目も見えず、鼓膜が破られるほど殴られて、歯もボロボロで、痣だらけで肌の色が斑らだった。祝福のちからはそれらを治してくれた、だからかふたりはわたしを神と混同したようだ。何度か違いますよ、神が助けてくださったのですよと説明をしたが理解はしてくれなかった。不敬なのでやめてほしい。神だけ崇めてほしい。でもまあわたしがそのぶん神に祈れば三人分になるだろうから良しとした。


 そんな家族とふたりと恐れ多くも神からもたぶん愛されている幸せ人生を歩むわたしにも婚約者がいる。同じ伯爵位であるご令息である。白い肌、金の髪、碧眼、という絵本に出てくる王子様を絵に描いたような男性だ。次期伯爵はかれのようなので王子ではなく伯爵にしかならないが、わたしもお姫さまであるのは家族の中だけなので同じようなものか。ちなみに言うとわたしは黒髪のやや茶色がかった黒の瞳である。なんなら侍女と侍従のほうが地黒気味とは言え金の髪なので見た目は高貴かもしれない。目はグレイだ。ふたりはわたしの黒い瞳が大好きなので舐めたがる。犬か。


 そんな忠犬ふたりを従えながらわたしは今婚約破棄を叫ばれていた。


 第一王子はすでに立太子しており、今喚いているのは第二王子の方だった。貴族学院の夏休みを迎える集会で突然名を呼ばれたうちのひとりで、わたしが前に進むと同じように名を呼ばれた各婚約者のご令嬢が並ぶ。侯爵位の令嬢おふたりと、伯爵位がわたしを含めてふたり、子爵位がおひとり、第二王子の腕の中で震える女生徒と各婚約者の面面が相対することになった。わたしはなにに巻き込まれたのか。神に対する祈りが足りなかったのだろうか。はてさてと頭を傾いでいると、ポヤンポヤンしたような名前の女生徒が男爵位のご令嬢だと言うことと、かの女をわたしたちが苛んだのでそのような人間とは婚約など続けられない、と言うことらしい。意味がわからない。婚約者とは会っていたが、男爵令嬢とは面識がない。

 矢面に立ってくださったのは侯爵令嬢のおふたりである。事実無根であることと、そのような男爵令嬢を苛むほど暇ではないという事実を伝える。侯爵位ともなればやるべきことは多いに違いない。しかもおふたりは第二王子の婚約者と、その側近の婚約者なのだ。立太子されている方の婚約者よりは時間はあるかもしれないが、高位になればなるほど見られるのはその生き様であるので程度の低い行いなどしない。

「アイミーさま、婚約破棄はさっさと受け入れて伯爵の指示を仰ぐべきでは?」

「このような茶番に付き合う義理はないのでは?」

「寸劇の対応を侯爵位の方がなさっているのだから、こちらが離脱するわけにはいかないと思うのよ」

 困ったように告げると婚約者から冷たい視線が向けられた。途端に侍女と侍従が殺意を剥き出しにするので控えてほしい、なぜってわたしのことを神よりも尊いという不敬まみれの精神で生きているふたりなので。

「アイミー、おまえのその不遜な態度には辟易としていた!」

「第二王子殿下たちの場面に伯爵子息がしゃしゃり出てはご迷惑なのでは? こちらのことは後からにいたしましょうよ」

 空気を読まないなあと思いながら言うが、また目を吊り上げて生意気だのなんだのと重ねてくる。後ろのふたりから殺意が漏れ出してきているので黙っていてほしい。困り果ててとにかく言えたことは爵位順にことを済ませていきましょうよという先ほどの言葉を繰り返すだけの、わかりやすい身分を盾にしたものになった。

 この無駄な時間はいつ終わるのだろうかと当たり前のことを当たり前に婚約者に告げているらしい侯爵令嬢の言葉をぼんやりと聞きつつあくびを噛み殺していると、侯爵位のご令嬢ふたりが呆れを多分に滲ませながら両家を交えた話し合いの日時を指定して会話を切り上げていた。となるとわたしの順番になる。

 交流のない男爵令嬢を苛んだと言われても困ってしまう。証拠は互いにないので。しかしそれを立証もできない。

「嘘をつくな、かの女が言っている、と申されますけれども、わたしも申し上げておりますとおりかの女との交流は一切なく苛めただのなんだのはしておりませんと申し上げております。かの女の言葉だけを信じる頭と耳を一旦落ち着かせてはいかがでしょう」

「おまえの言うことなど」

「ええ、はい、信じられないのですよね? 婚約がなくなることはこちらもかまいません、それこそ両家の話し合いは必要でしょうが、反対されることはないでしょうから憂いなく婚約はなくなると思います。あとやってもいないことで謝罪はいたしません。そんなにわたしもわたしの友人も暇ではありませんし、なにより神が見ておられますのでね、わたしはなるべく品行方正に生きようと決めているのですよ」

 わたしが教会に足繁く通っていることは隠すことではないので婚約者も知っている。敬虔な信徒であることは悪いことではないので、咎められるようなことでもない。婚約者が急用だと約束を破られた時も時間を持て余すくらいならと教会へ出向いたほどだ。寄進も与えられた小遣いからしている。

「あなたとの婚約がなくなったところでわたしは神に仕える選択肢もあるのですから、ええと」

「アイミーさま、お言葉を選ぶ必要はございません」

 後ろから侍女が告げるので、それそうかと向き直る。

「あなたがどうしようとわたしには関係がないのですよ。なので婚約を白紙に戻すもよし、そのかの女を第二王子殿下と共有するもよし、ご自由になさってはいかがかしら、というのがわたしの意見ですね。もうよろしい?」

 女性を共有というあけすけな発言に言葉を失くした婚約者、もうすぐ元婚約者になる伯爵令息に告げて、もうおひとりの伯爵令嬢へと場を譲る。

 でもまあ穏便には終わりそうにないなあとため息を噛み殺す。母が気に病むと父の機嫌も悪くなるので。でもどうか父母の心が穏やかでありますようにと心の中で祈った。神頼みばかりで良くないなあと思わないでもなかったけれど。

「アイミーさまを傷つけるとはこの世に逆らうも同等」

「万事に値します。あの程度の男がよもやアイミーさまを侮辱するとはなんたる愚かさか」

「あのような無駄な目は必要ないので抉られるべき」

「アイミーさまのお言葉を聞けない耳も潰すべきなのでは」

「声が大きいのでもう少し潜めましょうか。子爵令嬢が怯えておられるではないの、おかわいそうよ」

 育てられ方が悪かったせいなのか暴力は心を折るにも有効だと知っているので、ふたりはそれを躊躇わない。良くないことですよ、と諭してはいるものの悪い子はそうされるべきと思っている。困った。もちろんふたりは悪くない、双子を忌子などと解釈するのは大昔の悪しき慣習の考え方であると言い聞かせているので、ふたりは理不尽な古びた慣習に囚われた被害者だったのだと理解している。悪い子ではないのであの虐待は正当な行為ではなかったと理解して、家族はちゃんと裁かれているのでふたりは生きている。でなければ自傷がはじまりそうだったので、そこだけはなんとか。

 そうしているうちに先生方が第一王子を連れてきてくださったようだ。連絡が言った模様。極寒の瞳と辛辣なお言葉遣いによって第二王子のこの行為の愚かさと過ちぶりをその場にいる生徒全員にわかるように幼児にもわかるような勢いで噛み砕いて説明され、じょじょに勢いをなくして項垂れた愚かなる第二王子はとぼとぼとその場を連れ出されていき、まだ喚く元気のある男爵令嬢は女性騎士の方方がガッチリと両脇を抱えていかれた。婚約者の顔色も悪いがやっとかという思いしかない。頭の中にブタクサでもつまっていたのだろうか、考えなしすぎる。

 その後は学院内の一番大きな応接室に集められて、家族も招集されて、おおまかな説明の後にそれぞれの家庭のこととなるので婚約者両家同士の小さめの応接室に分かれた。まあこちらとしては婚約を破棄したいと言われているのを白紙にしましょうねという被害者側なので簡単に通るはずの要求と、慰謝料額の取り決めくらいのことしかない。あちら側は平謝りで婚約者の来年一年の予算額分をすべて渡すということで手打ちになった。第一王子がもう生徒の前でわたしたちには瑕疵はなかったと説明をしてくれたので、その程度で済ませることにした。父は納得していなかったけれど、これ以上の制裁はやりすぎになってしまうのでね。

「ではどうも。今後はお好きな方とぜひお付き合いなさってくださいませね」

 次男のおられるご家庭だったので、まあ後継には困らないのだろうな。余分な爵位はあるのかしら、とどうでもいいことを思いながらわたしの婚約はなくなった。

 そこそこの金額がわたしの手元に届いたので、半分は寄進して、残りで侍女と侍従を連れて夏休みを楽しんだ。泡銭は使い切るのが一番なので。父母と兄にもプレゼントを買ったら喜ばれたのであのような男でも役立つことがあったのだと感心した。


 さて。わたしの婚約がなくなったので次を父母が探していた。わたしを溺愛する兄はもう少し傷が癒えてからでと言っていたが、兄にも結婚間近の婚約者はいるのでそうはいかない。

 夏休みの間にどうにかと思っているらしいが、そう簡単にはいかないだろう。なにせわたしには余る爵位もないので相手方に頼るしかない状態だからだ。

 夏の暑さと婚約者選びの圧に辟易とし、神に仕える道もありますがと進言したものの、修女となると面会を求めなければ会えなくなるので、それは無理ダメ絶対と父母が大反対をした。神よ申し訳ない。父母というか母を泣かせるのは無理だった。とりあえず暑さからは逃れようと北の、懐かしの幽閉屋敷というこぢんまりとした建物の近くを通り、母方の伯爵領へとお邪魔する。冬はひどく寒いが、夏はとても過ごしやすい。にこやかな祖父母は健在で、叔父が爵位を継いでいるが、離れで矍鑠としている。憎まれていたときは恐ろしい形相だったが、笑っていればそれ相応だった。

 わたしはあいさつもそこそこに湖へと足を伸ばした。もちろん侍女と従者はついてくる。アイミーさまとお出かけ! と忠犬よろしくウキウキとついてきているのはかわいいものだ。祖父母が命じて用意してもらったバスケットは従者が持っている。湖そばの木陰で敷物を広げてさんにんでピクニックをする。ころころと大きなからだで転がっている従者と、サンドイッチおいしいともぐもぐしている侍女と、お腹いっぱいになってうとうとしているわたしになにやら馬の走る音が近づいてきた。従者はすぐに起き上がり臨戦体制になり、侍女はわたしを庇うために立ちはだかった。敵に祝福のちからは役に立たないのだ。

 近づいてくる馬は単騎。そして騎乗していたのは元婚約者である。はて。ストーカーされていたのだろうか。

「どうかなさいましたか。まさかとは思いますが復縁要請ではございませんよね?」

 問えば返事を聞くまでもなく、顔から察するに復縁要請のようだ。恥を知らないとはこのことか。

「戻りましょう、アイミーさま、気狂いに近づいてはなりません」

「接近禁止を盛り込まないとは伯爵さまの手落ちですね。戻って抗議せねばなりませんね」

「アイミー、」

「もう婚約者ではないのですから名を呼ぶのはやめていただけますか。失礼ですよ、馴れ馴れしい」

 失敗した。そう気づくのは遅かった。侍従がすらりと帯刀を抜いたからだ。しかし嫌悪感は拭えなかったのだから仕方がない。

「面倒なことになるから傷をつけてはだめよ、マイン」

「ですがアイミーさま、かのものはすでに後継者より外された、今はただの慮外者です」

「一応は貴族なのよ」

「これで伯爵令息を名乗れるとは恥を知らないだけはありますね」

 わたしはかわいがったのになぜふたりはこれほどまでに辛辣な子になったのか。そう思ったが答えは昔から出ている育ちが悪かったからだ。おのれあの男爵家め。かわいいふたりの性格がおかしくなったのはおまえらのせいだぞ、と呪いの言葉を脳内で呟いていると、元婚約者が一歩近づいてきた。いや、後継者から外されたのも、騎士団に入れられるのもご自身のせいではありますよね。婚約を戻してもそれは覆らないと思いますよー、と丁寧に教えて差し上げたのに元婚約者は納得しない。頭悪いな。

 それにしてもこちらは徒歩でてこてこと遊びに来ていたわけで逃げたところで捕まってしまう。こちらがかれを切り捨てても良いものだろうか。一応の罰は決められて処分はされているわけで。いやでもこの狼藉は許されるかしら。

 マインがわたしを庇いつつじわじわと後退していると、突然として元婚約者が悲鳴をあげて倒れた。どうされたのかしら、よもや神が罰でも与えたのかしら。そう思っていると倒れた元婚約者の肩あたりになにやら棒が立っていて、続けて無事か! とそれは大きな声が近づいてきた。姿はまだ小さく見えるのに声は間近で聞こえてその腹式呼吸に驚く。バカでかいな声。馬ですぐに来てくれた男の手には弓がある。どうやら暴漢だと思い、すぐさま打ってくれたらしい。そしてその後から見覚えのある顔も近づいてきた。従兄である。先ほどは隣の領地の辺境伯嫡男と遠出していると聞いていたのだが、湖にピクニックへ出かけたと知って迎えに来てくれたらしい。辺境伯の方に会うのは初めてだったので、とりあえず礼を述べる。

 従兄とは母が帰省したときに会ったことがあるからだ。七つほど年上の従兄には朧げながらもわたしの記憶があったらしい。前回に神父に付き添ってきていたからで、今回生まれ直ってから初めて会ったときには驚かれたものだ、どうやらわたしに悪意がそれほどなかったものに記憶は残されているらしい。憎むのなら前伯爵夫人だよなあとは思ってはいたが、家の指針として決まっていた冷遇に異を唱えることはかなわなかったらしい。それは仕方がない。神父の派遣も従兄の口添えであったことは今回になって知った、おかげでわたしは生まれ直しができたのだから逆に感謝しかない。なにもしなければ自分の罪もわからないだろうからと言って神父を手配させたとのことだ、神父の目があったのであまり酷い目にはあわなかったのかもしれない。よくわからないが戻れてよかったな、と頭を撫でられた小さなときから従兄はやさしい。そのやさしい従兄は倒れて痛い痛いと喚いている元婚約者を見下すように目を向けている。

「暴漢に襲われているようだったから射ったのだが、皆にけがはないか」

 下馬して元婚約者がまだ立てない状況でもなお、わたしたちを守るように間に入る辺境伯子息はマインよりも頭ひとつ大きい。

「暴漢ではなく元婚約者ですが、恐ろしかったので助けていただけけて感謝いたします」

 元婚約者、の言葉に辺境伯子息の瞳に嫌悪感がありありと浮かんだ。従兄から話は耳にしていたのかもしれない。なにせ今のわたしは母を救った奇跡の子なので、母方の伯爵家からも愛されていて、元婚約者の処遇は甘いのではないかと恐ろしい案を持ち出そうとしていたくらいだ。いわゆる戯言しか乗せられない舌はなくてもいいのでは? 的なやつだ。

 屈強な辺境伯子息は元婚約者をかれの服を使って簡単に拘束して、よいこらせとわたしを馬に乗せた。歩いて来られる距離だったが、わたしだけ馬に乗せられて伯爵家に戻ることになった。元婚約者は矢が刺さったまま従兄の馬に乱雑に乗せられて揺れで痛む肩を嘆いてうるさかったが、舌を噛んでようやく黙った。

 結果としてわたしは慰謝料の上乗せをいただき、今度は従兄と辺境伯子息を巻き込んで豪遊することになった。泡銭は半分寄進して半分は使い切るのが信条なので。

 それからわたしは辺境伯子息と仲良くなった。ピクニックにも行ったし、ショッピングにも行ったし、侍女と侍従を置いてふたりきりで食事もした。黒い髪と黒い瞳を食べたいほどかわいいと言ってから、かれはわたしに愛を囁いてくれて、なのでわたしは返事より先に問うた。なぜってかれはわたしと家族になってくれるといったからだ。


「生まれ直したのって言ったら信じる?」

「信じがたいな、でもそれをおれにわかるように話してくれるのだろう、かわいいアイミーそのくちびるから」

 どうしてか、かわいいといったくちびるには噛みつかれてしまったけれど。


 そうしてわたしは幸せな人生を送った。神父さまを通して神に病めるときも健やかなときもと誓って、大粒の涙を流す父母と兄に苦笑して、わたしに付いて辺境伯領に来てくれる侍女と侍従も心からの祝福をくれて、わたしの腰を掴んで持ち上げてずいぶんと高いところでくるくるとまわるわたしを愛しげに見つめる旦那さま。

 神さまは今ごろ驚いているのかもしれない、それとも安堵しているのかしら、わたしがこんなにも幸せになれたってことに!

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