第58話 忠臣の帰還
空気が、張り詰めた糸のように静かで冷たかった。
セシリアの告白が終わっても、誰もその場を動けなかった。
レイも、リリィも、言葉を持たず、ただ彼女の歪な静けさを見つめていた。
そして――その声は、まるで舞台袖から現れた俳優のように、軽やかだった。
「いやあ、実に美しい舞台だったよ。涙も、後悔も、執着も……まるで調律された楽器のように、完璧な和音を奏でていた」
全員の視線が、音の主へと向かう。
崩れた聖堂の入口――その奥の闇から、石畳に規則正しく響く足音と共に姿を現したのは、
カーム伯爵。
白銀の髪をなびかせ、深紅の礼装に身を包み、眼鏡の奥で微笑む男は、かつてレイを「無能」と呼んだ一人であり、「英雄」と祭り上げようとしていた冷笑の貴族――そして今や、この教団の『演出家』を自称する張本人。
「……カーム伯爵」
レイの声がかすかに低く震えた。
伯爵はその視線を柔らかく受け止め、紳士然とした笑みを崩さずに言う。
「まさか、再会の第一声がそれだけとは。寂しいものだね。私はお前を忘れたことなど一度もないよ、レイ=グラン――失われし『英知の守人』よ」
「……冗談だろ。何のつもりでここに現れた」
リリィが剣の柄にそっと手を添える。
しかしカームは、それすら娯楽の一部と見なすように、手を軽く上げて制する。
「落ち着きたまえ、リリィ嬢。私はただ、この『演目』の構造を少し明かしに来ただけだ。真実の幕を引くには、語り部が必要だろう?」
そして彼は、舞台に立つ役者のように一歩前へと踏み出した。
「教団――その設立は確かに私だ。だがその目的は至って明快だ。『神』と『英雄』を統合する、新たなる魔導国家の創出。混沌と堕落に満ちた旧時代に終止符を打ち、完璧な秩序と思想の礎を築く。それだけのことさ」
「……そのために、セシリアを『狂わせた』のか」
レイの声に応じて、セシリアの肩がわずかに揺れる。
カームはその反応すら、計算済みとばかりに首をかしげてみせた。
「『狂わせた』とは語弊があるな。私は彼女を『導いた』にすぎない。彼女の中にあった想い――君への執着、失望、愛、破滅願望……それらを、ほんの少しだけ形に整えてやっただけだ」
「それを……利用したってわけね」
リリィの呟きは低く、鋭く。
その瞳には、怒りと殺意が潜んでいた。
だが、カームはその眼差しを受けても、微笑を崩さない。
「セシリア様は、神の依代として理想的だった。王族の血、精神の脆さ、信仰に飢えた民衆……すべてが、『偶像』の構築に適していたのだよ」
「……じゃあ、お前は俺を何にするつもりだった」
レイの問いに、カームはふっと目を細める。
「君は『守護者』だ、レイ。神の力を制御し、暴走を鎮める『剣』であり、理性という名の『枷』として存在する。君の存在こそが、歪んだ神性に均衡をもたらす唯一の楔なのだよ」
「勝手な妄想を……」
リリィが怒気を露わにして一歩踏み出す。
だが、レイが静かに手を伸ばし、それを制した。
カームはなおも、旧友に語りかけるような穏やかさで続ける。
「理解してほしい、レイ。私は君を殺しに来たのではない。むしろ、再び『共に歩む』ためにここに立っている。君という『均衡』なしに、この世界はもう長くは保たないのだ」
レイは沈黙する。
その視線の奥には、強く確かな光が宿っていた。
「……その幻想を抱けるのも、今のうちだ」
その一言に、カームの表情がわずかに愉悦に歪む。
「おお……それは素晴らしい。『君自身の意志』が、私の設計を超える――ならば、それこそが最大の価値だ」
彼は満足げに片手を掲げる。
「さて。そろそろ『第二幕』の始まりだ。存分に足掻いてくれたまえよ、『英雄』たち――『信仰』の結末を、君たち自身の手で迎えるために」
その言葉と同時に、カームの姿が影のように霧散し、その場には闇色の魔法陣だけが残された。
空気が震え――空間が軋むような圧力を孕み、戦いの前兆が確かにそこにあった。
リリィが小さく息を吐き、レイを見上げる。
「……やっぱり、あいつ、『敵』だったのね」
レイは黙って頷く。
「俺たちは、踊る気はない。この『台本』ごと、燃やしてやる」
そしてふたりは、夜の中へと歩を進めた。
たとえその先に、再び血にまみれた戦いが待っていようと。
避けられぬ選択が迫っていようと――すべてを終わらせるための、最後の幕が待っている。
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