第38話 三人の夜
教会広場に鳴り響いた怒声と混乱の余韻を背に、レイたちは静かにその場を後にした。
衛兵たちが事態の収拾に追われ、貴族たちが口々に非難と困惑を漏らす中で、彼らの姿に気づく者はいなかった。
レイは外套のフードを深くかぶり、群衆の目から逃れるように広場を抜け出す。
リリィはその後に続き、まるで守るように彼の背を追っていた。
「……逃げたように見えるかもしれないけど、こっちが『正しい』ってわけじゃないんだよね」
誰に向けたでもない言葉をリリィが呟くと、レイはちらりと横目を向けた。
「正しさなんて、もうとうにどうでもいい」
その言葉は静かだったが、どこか深く沈んだ冷たさがあった。
町を離れ、人気のない高台の森へとたどり着く頃には、空には薄雲がかかり、星々は鈍く滲んでいた。
森の奥に小さな野営地を作り、焚き火に火を灯すと、ぱちぱちと薪が割れる音が夜に溶け込んでいった。
その火を囲んで座るのは、レイとリリィ――そして、どこからともなく現れたルーラだった。
「……来ると思ってた」
リリィが警戒するように睨むと、ルーラはまるで悪びれもせず、にこりと笑った。
「うん、だってボク、『味方』って言ったもんね。今日はただ、お喋りしにきただけ」
ルーラはレイの隣に座ろうとするが、リリィが一歩先にそこを埋めていた。
「……こっちは満席よ」
ぴしゃりとリリィが言い放つ。
レイのすぐ隣――わざわざ空けていたようにも見える場所に腰かけた彼女は、しれっとした顔でルーラを睨みつけていた。
ルーラは少しだけ唇を尖らせたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて、焚き火を挟んだ向かい側に腰を下ろす。
「ふふ……そんなに警戒しないでよ、リリィちゃん。ボクは、ただレイと『お話』しに来ただけなんだけどな」
「『話す』って、抱きついたり耳元で囁いたりすることだった?」
リリィはにこりと微笑みながら、声に棘を仕込んだ。
表情は穏やかだが、その視線は氷のように鋭い。
「そっか、それって嫉妬?ふふ……そういう顔、すごく可愛いかも」
ルーラはくすくすと笑うが、目の奥は笑っていない。
その視線には、静かな挑発が潜んでいた。
「……殴られても文句言わないでね」
「怖いなあ、でもそれって、ボクが本当にレイに近づいたら、の話でしょ?」
「十分近づいてるでしょ。いつもふにゃっとした顔してベタベタくっついて」
「だって、レイは拒まなかったよ?」
リリィの表情がわずかに引きつる。
それを見て、ルーラは勝ち誇ったように目を細めた。
「それって、レイがボクを受け入れてるってことじゃない?」
「……あんた、それ以上言うと、ほんとに一発殴るわよ」
声は低く、しかし熱を孕んでいた。
そんな二人のやり取りを、レイは無言のまま見ている。
無表情――だが、焚き火の明かりに照らされた彼の瞳は、ほんのわずかに揺れていた。
その変化に、リリィは気づいた。
「……ったく、黙ってないで何か言ってよ。あんたのことなんだから」
不機嫌さを隠しきれずにリリィが口を開くと、レイは焚き火を見つめたまま、小さく呟いた。
「……俺のことは、お前たちで決めるな」
一瞬、空気が張りつめる。
ルーラの笑顔がふっと和らぎ、リリィの視線も揺れる。
その言葉は、拒絶でも苛立ちでもなかった。
ただ、深く沈んだ水底からすくい上げられたような、真実の声だった。
「……そう言うと思ったよ」
ルーラが笑みを浮かべたまま、少しだけ視線を落とす。
「でも、それでもね。ボクは、レイの『隣』にいたいって思ってるの」
「……私だって、ほっとけないのよ。こんなに不器用で、こんなにめちゃくちゃで、誰より寂しがりなあんたをね」
リリィの声には、ほんの少しだけ照れが混じっていた。
焚き火がぱち、と音を立て、静寂が戻る。
しばらく沈黙が続いたあと――レイがふいにリリィの方へ視線を向け、ぽつりと呟いた。
「……あのとき」
「え?」
「儀式の時。あの場から俺を連れ出してくれたこと……礼を言う」
それはあまりにも唐突で、そして静かな言葉だった。
リリィは驚いたように目を見開き、そして少しだけうつむいた。
「……別に、当たり前でしょ」
その頬には、火の明かりのせいだけではない、わずかな赤みがさしていた。
「……それでも、ありがとう」
レイの言葉は短かったが、その声には確かに“本心”が込められていた。
ルーラがそれを見て、ふっと目を伏せる。
「……なるほど。レイの『優しさ』って、こういう形で出るんだね。だから、ボクは……やっぱり、好きだよ」
風が、三人の間を通り抜けていった。
焚き火の灯が揺れ、影が重なり合う。
誰も『正解』を持っていない。
けれど、その夜だけは――ほんの少しだけ、心が温もりに包まれていた。
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