第37話 英雄の価値
白昼の広場に、教会の鐘が鳴り響く。
その音に合わせて、白銀の装飾を施された祭壇が据えられた。
列席する司祭たち、整列した貴族の使者、そしてそれを囲む民衆。
視線のすべてが集まるその中央に立つのは、黒衣の青年――レイ=グラン。
人々は彼を『英雄』と呼び、崇め、称え、そして縛りつけようとしていた。
(……面倒くさい)
レイは無表情を保ったまま、ゆっくりと視線を巡らせる。
視線の中には、畏敬や感謝、あるいは熱狂すら含まれている。
だが、彼にとってそれは――すべて、空疎なノイズに過ぎなかった。
「今ここに、神の名のもと、救世の剣たるその者に『聖印』を授けん」
高司祭の声が、聖堂の鐘と重なるように響き渡る。
その掌には、古の神聖魔術で刻まれた銀の紋章――『英雄の印』と呼ばれる象徴が握られていた。
(『救世の剣』?『神の加護』?……笑わせる)
それを受け取れば、正式に教会に選ばれし英雄として扱われることになる。
名誉、名声、庇護、信仰――そういった『得るはずのもの』が、一斉に肩へと圧し掛かってくる。
だがレイにとって、それは恩恵ではなく、鎖でしかなかった。
――いや、もっと言えば。
(もしまた、『使われる』側に戻るくらいなら……)
レイの視線が、壇上に並ぶ神官たちや、傲慢な笑みを浮かべる貴族たちをなぞる。
彼らは誰一人として、レイという『人間』を見ていない。
ただ『英雄』という偶像を飾り立て、利用しようとしているだけだ。
王女の婚約者だった時も。
『無能』と言われ、追放された後も。
(――いっそ、この場を壊してしまえばいい)
全て、壊してしまえば問題ない――ほんの一瞬、彼の中に黒い衝動が芽生える。
拒絶、暴力、破壊。
かつて、押しつけられ、見捨てられた過去が疼き、その記憶が心の奥で囁いた。
だが、レイはすぐにその感情を押し殺す。
顔には何も浮かべず、ただ冷たい瞳で壇上の光景を見下ろしていた。
(……どうせ、すぐに誰かが割り込んでくる)
そう思いながら、レイは沈黙のまま、聖印を掲げる神官の動きを見つめていた。
――それが、リリィの声に遮られることになると、どこかで予感していたかのように。
「――やめなさいッ!」
その瞬間、少女の叫びが鐘の音すらかき消した。
広場中の視線が、その声の主に向く。
彼女――リリィがレイたちの前に姿を見せる。
金茶の髪を振り乱し、壇上の階段を駆け上がるようにして現れると、レイと高司祭の間に割って入った。
「これ以上……これ以上、レイに『何か』を貼り付けないで!!」
彼女の叫びとともに、司祭の手から銀の聖印が滑り落ち、石畳の上を転がった。
硬質な音が、広場の空気を一変させる。
「な、何をするか! これは神聖なる儀式であるぞ!」
高司祭が怒気に満ちた声で詰め寄る。
だがリリィは一歩も退かない。
レイの前に立ちはだかるように両腕を広げ、その瞳に真っすぐな怒りを宿す。
「『英雄』?『神の選びし者』?……誰が決めたの?あんたたちが勝手にそう呼んでるだけでしょ!」
その声に、周囲の人々がざわめいた。
「レイは、誰かの称号を欲しがってなんかいない。あの時だって、ただ、助けが必要な人のために戦っただけ!名乗りもしなかったし、誰かに褒めてほしいなんて言ってない!」
震える手。荒い息。
けれど、言葉は止まらない。
リリィは振り返り、壇上に立つ高司祭と貴族たちを睨みつけるように見渡した。
怒気に燃えるその瞳は、まっすぐにこの場の『欺瞞』を撃ち抜いていた。
「それを『英雄』だって持ち上げて、今度は『神の器』にするつもり? そんなの、ただの鎖よ! 称号って名前の、見えない首輪じゃない!」
その声は凛とした怒りに満ちていた。
だが、続く言葉には、リリィらしい毒と皮肉が滲む。
「……まあ、当の本人はそんなこと、これっぽっちも考えてないでしょうけどね。通りかかって邪魔だったから壊しただけ――その程度の脳しか使ってないんじゃない?」
会場が静まり返る中、どこか呆れたようにそう吐き捨てた。
レイはその言葉にちらりと目を向けた。
軽く眉をひそめ、何か言おうと口を開きかけたが――すぐにやめた。
(……否定できない)
呆れたような、それでいて少しだけ苦笑にも似た息を吐き、視線を逸らす。
たしかにリリィの言うとおりだった。
大仰な意図なんてなかった。ただ、目の前で不快なものがあったから――壊しただけ。
それが『レイ=グラン』の本質。
だからこそ、リリィの言葉に反論できるわけもない。
レイの背後から響く彼女の声に、レイの瞳がゆらめいた。
表情は変わらない。
だが、胸の奥に届くものがあった。
「……レイがそんなものに縛られる必要なんて、どこにもないわ」
小さく、だが確かに彼の肩が揺れた。
それは、重荷を背負い続けていた者にしかわからない、かすかな変化だった。
「黙らせろ、その女を!これは『儀式』なのだ!」
誰かが叫び、騎士が階段を駆け上がろうとしたその瞬間――幼い声が静かに響き渡る。
「やれやれ、なんだか騒がしいね」
ふわりと割って入ったのは、銀白の髪と紅い瞳の少女――ルーラのその笑顔は、混乱の中に差し込まれた刃のように冷たく美しい。
「じゃあ、ボクが決めてもいい? 『英雄レイ様』の価値を」
広場中が凍りついた。
「はぁ? あんた何様のつもり――」
リリィが言いかけたとき、レイの声が低く響いた。
「……俺のことは、お前らで勝手に決めるな」
その声は小さかった。
けれど、広場のすべてを貫いた。
空気が張り詰め、鐘の音さえ遠のいて聞こえた。
リリィとルーラの視線が、レイに集まる。
だがレイは、それ以上何も言わず、ただ視線を地面に落とした。
――それが拒絶なのか、決意なのかは、誰にも分からなかった。
ただ一つ確かなのは、この瞬間、彼にとって『英雄』とは最も遠い言葉となったということだった。
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