41 ラブホテル
高速道路の制限速度は時速200キロ。すべての自動車が自動運転機能を搭載しているため事故を起こすことはない。
そう、すべての自動車が自動運転機能を使用した場合の理論上は。
午前五時半。この時間帯の高速道路には一般車が少ない。ほとんどが、運転手を乗せない完全自動運転で走る貨物輸送用トラックだ。そして、一月三日の正月という時期も相まって、そのトラックもまばらだった。
ユキトは初めからそうするつもりだったのかもしれない。彼は、自動運転を解いて走ると言い出した。そのメリットは、多少の無茶な運転が可能だということだ。とはいえ取り締まりに引っかかったり衝突事故を起こしてしまえば意味がない。だがユキトの言い分では、違反にならない程度は心得ており、相手側が自動運転ならばぶつかることもない、だった。
「最速で行きたいならオレの腕を信じろ」
一点の曇りない瞳で言われてしまえば、頷くほかなかった。
高速道路に乗って間もなく、本州とホッカイドーとを繋ぐ青函アクアラインが見えてきた。
青函アクアラインは、青函トンネルの真上に作られた海上横断道路だ。青函トンネルが新幹線などの鉄道や犬道の通り道であるのに対し、同アクアラインは車両の通り道としての役割を持つ。
手前の段階から注意看板が出ていたとおり、海からの横風に備えて、同アクアライン上の制限速度は120キロまで下がっていた。
ユキトは青函アクアラインに入ると、速度をぐっと落として走行した。
午前六時。日の出まではまだ一時間ある。
黒い海に目を遣りながら、背筋を上がってきた寒気に身を震わせ、手袋をした手を揉む。そしてユキトを振り向き、思う。彼の方が、サイドカーにいる僕よりも寒いはずだ。
だが、ここで寒いかと尋ねたところで何にもならない。寒さを防ぐ手立てはないし、僕が運転を代わることも彼は許さないだろう。
とことん自分の無力さに腹が立つ。
「なあ、アキラ」
とユキトは口を開いた。僕は「何?」と短く返事をする。
「この旅についてきたこと、後悔してるか」
そう問われるとは思わず、僕は黙った。脳内で彼の問いを反芻していると、彼は続けざまに言った。
「お前とアイリを連れてきたオレのこと、恨んでるか」
「違う」
今度は瞬時に声が出た。衝動的だった。恨んでるか、の問いに対する答えとしてはズレているが、紛れもない心からの声だった。
「違う。そんな風に言わないで。ユキトのせいじゃないし、僕はユキトを恨んじゃいない」
中央分離帯を挟んだ向こう側を対向車が通過する。そのヘッドライトが一瞬だけ、夜の闇とフルフェイスヘルメットに隠れたユキトの表情を照らし出す。
僕は言葉を失った。
ユキトは、今までに見たことがないほど暗く、危うげに眉をひそめていた。
僕は、彼が泣き出すのではないかと思った。そして同時に思い出していた。ユキトだって、僕やアイリとほとんど歳の変わらない少年だ。バイクが運転できても、拳銃が撃てても、国内外の情勢をよく知っていても、大人ではない。
しかも彼は言わないが、アイリ救出を優先事項として動いている今、彼は、彼がもともと遡上派グループから与えられていた先遣隊の任務を放棄していることになる。彼が最も大切にしているであろう遡上派よりも、今、目の前のアイリの命のために、ユキトはバイクを最速で走らせてくれている。
感謝こそすれ、恨みの気持ちなど湧くはずがない。
「ありがとう、ユキト。僕は君と友だちになれてよかったよ」
ひと呼吸ほどの間をおいて、ユキトは呟くように言った。
「なんだよそれ。死に際の台詞かよ」
僕は否定もできず、「そうかもね」と笑った。
僕たちはその日、ほとんど休憩を取らず走り続けた。バイクは今夜停泊予定だったハッコダテを横目に通過し、サッポロリを経由してアサヒノカワまで進行した。
そしてそのままモンベッツまで突き進もうとしたユキトを僕が止めた。アサヒノカワでトイレ休憩のためにフルフェイスヘルメットを外した彼の頬が異常に赤かったからだ。
その時点で午後四時を過ぎ、日は暮れかかっていた。また、北上したことで気温はぐっと下がり、現状の装備では僕もユキトも寒気を防ぎきれなくなっていた。
加えて、ホッカイドーのドー北からドー東地方では、今夜から明日にかけて大雪の予報だった。
もろもろの理由により僕たちは、自分たちの命を守るべく、アサヒノカワに一泊することとなった。
となると宿泊場所を探さなければならない。淡い期待を込めて二日後に泊まる予定だった中心部のシティホテルを訪ねてみたが、年始ということもあり満室だった。そして僕たちは方々尋ね回った挙句、中心部からやや離れた場所に建つ、城のようなホテルに入った―――そう、ラブホテルだ。
「オレぶっちゃけ初めてなんだけど」
無人フロントでできる限り簡素な部屋を選び、入室するや否やユキトはキングサイズのベッドに倒れ込んだ。
「はは……僕も初めて」
物珍しさと緊張が入り混じる。僕はダウンジャケットをハンガーに掛けながら室内を見渡した。コンセプトのない一般的な部屋を選んだため調度品はシティホテルとそう変わらないが、ピンクみがかった間接照明がどことなく淫猥な雰囲気を演出している。
ベットはこの部屋の本来の用途上、当然、部屋の中央に置かれたキングサイズベッド一点のみだ。男二人で横たわっても十分な広さがある。
バスルームのドアを開けてみると、シンプルなトイレと洗面台の奥に、やたらと大きな円形のバスタブが設置されていた。何のために大きいのかと考えたら負けだと思った。僕は丸いバスタブとその周囲をシャワーの湯で入念に洗い流し、バスタブに栓をして湯を溜め始めた。
コンッコンッ、と咳き込むのが聞こえてバスルームを出ると、ベッドの上でこちらに背を向けて横たわるユキトが、海老のように丸まって身を跳ねさせていた。
そうだ。何もなければユキトと二人、ネットカフェにでも泊まればよかった。家出初日にアイリとそうしたように。けれど、それじゃ駄目だと思ったのは、ユキトが体調を崩していたからだ。
彼に気づかれないようこっそりライフナビで解析したところ、体温は38度6分だった。ライフナビの所見は風邪だ。冬季に増えるウイルス性の流行り病でなかったことは救いだが、僕たちの置かれた状況と今後の旅程を考えると悩ましかった。
ユキト自身もそれはわかっているようで、体調不良を頑なに認めようとしなかった。認めれば、僕が彼をリタイアさせて一人でモンベッツへ向かうとでも思ったのかもしれない。実際、最悪の場合はそれも考えるべきなのだ。
バスタブに湯の落ちる音とユキトが咳き込む音を聞きながら、僕は一人、襲い来る不安を打ち払えずにいた。




