40 見たものと感じたものを信じて進め
困惑する僕をよそに、ユキトは足早に来た道を戻り出した。
「待ってよ、何がわかったの? 救出の糸口って?」
「後で説明する。準備ができたらすぐここを出るぞ」
モーテルの室内に戻ると、僕はわけもわからず急かされるまま荷物をまとめた。アイリが置いていった荷物もだ。
僕たちはもとより必要最低限の所持品しか持ち合わせていなかったので、ものの十分で身支度を整えてバイクとサイドカーにそれぞれ乗りこんだ。
午前五時。まだ日も昇らない早朝からの出発。
ユキトはモーテルの駐車場を出ると、旅程どおりの北へ進路をとった。
「どこ行くの? アイリを助けに行くなら南でしょ」
僕が半ば喧嘩腰で訴えると、ユキトは「説明する」と強めの口調で返し、間を置かずに続けた。
「お前は反人派国を知らなすぎる。オレたちがこのままシュテファニッツに向かったところで、行けるのは国境の手前までだ。正式な手続きなしに越境すれば、国境警備の衛兵に襲われる。向こうはこっちを殺す気で来るぞ」
「なら手続きをすれば―――」
「アホか。それこそ何週間もかかる。しかも貿易だとか医療提供だとかの正当な理由がないと無理だ。いいか、オレたちに真っ向勝負の手札はない」
「だったら、君は今何をしようとしているの? 北にどんな手札があるっていうんだ」
「IL」
「何がいるって?」
「イタク・リキンテだよ。オレたちの目的地」
意味がわからず、僕は苛立った。
「何言ってるんだ。アイリが攫われたのに悠長に旅なんて続けられない」
「違う。もう悠長に犬道は行かない。高速道路をぶっ飛ばす。イタク・リキンテはシュテファニッツの同盟国だ。その族長に頼んでシュテファニッツの王族に繋いでもらう。オレたちに残された道はそれしかない」
僕は眩暈を感じながらユキトの計画を聞いていた。族長だとか王族だとか、自分からは遠い存在すぎて想像もつかない。
それに、残された道がそれしかない、というのにも疑問があった。何はともあれ一度は警察に相談するべきではないか。幸い、モーテルに犯人、もとい犯犬からのメッセージらしきものは何もなかった。だから、警察に連絡したとしても犯犬の意に反することはない。
「ユキト、君の計画はわかった。でも僕は一度警察に相談したい。もしかしたらアイリはまだニーポン国内にいるかもしれないし……」
「いいぜ、好きにしろよ」
ユキトは意外にもあっさりと受け入れた。しかし皮肉るように、だがな、とつけ加えた。「オレはもういないと思うぜ。ヤツらはそんなのんびり屋じゃない。それに反人派国に連れ去られた犬の救出は、ニーポン警察の管轄外だ」
「わかった、じゃあ管轄のヒトに繋いでもらう」
「ハッ、管轄はどこか……ニーポン自衛軍さ。いいかもな。繋いでもらえるよう頑張れよ。繋がってからも交渉力が試されるな。なにせオレたちの手元には、アイリが反人派国に誘拐された”かもしれない状況証拠”しかないんだから」
取り合ってはもらえない、もしくは体のいい言葉で流される。
あくまで賛同の形をとったユキトの言葉の裏側には、表に滲み出すほどの異議がべったりとバターのように塗り込められていた。素パンだと思ってうっかり齧れば胸やけする。
「無駄なら無駄ってはっきり言えばいいじゃないか」
「お前の意思を尊重してやったんだ」
「嘘。僕のこと馬鹿だと思ってるだろ」
ユキトは前方を向いたまま、フルフェイスヘルメットの中で目玉だけ動かしてちらりと僕を見た。
「馬鹿だとは思わない。でも世の中を知らないし、そのせいで無謀だ。まあ地上で学生やってる分にはそれでいいけど」
「世の中って何? 拳銃の撃ち方を知っているかどうか?」
嫌味だったと思う。僕は腹が立っていた。
ユキトに対してじゃない。自分自身の不甲斐なさに。
「八つ当たりするなよ。アイリはオレたちで必ず救い出す。そうだろ」
僕の胸中を見透かしたみたいに、宥めるような穏やかさでユキトは言った。僕は決まりが悪くて返事ができなかった。
ユキトは僕の反応を少し待って、何もないと察したのか、言い含めるように続けた。
「それにな、アイリは大丈夫だ。お前がライフナビで解析結果を出した犬ソリ、マックス・エミールF。あれを使うのはシュテファニッツの中でも近衛隊だけ。ヤツらは国王の命で動く、王の手足だ。粗暴な衛兵隊とは違う」
「どういう意味?」
「兵個人の意思で衝動的に誰かを殺したり、下品な無茶は働かないってこと」
僕はユキトの言葉を反芻した。違う、と僕は思った。ユキトは僕を安堵させようとしているだけだ。
兵個人の意思では殺さない。裏を返せばそれは、
「王が望めばアイリは殺される……?」
「逆説的にはそうだ」
ユキトは否定しなかった。「でも殺す理由がないはず。相手は国王だぞ。外国の一介の犬と自国のチンピラが喧嘩したとして、普通なら目の端に蚊が飛んだくらいにしか思わない。それに万が一、報復で近衛隊を寄越したならば、オレたち全員を攫えたはずだ。その方が都合がいい。こうやってアイリを探し回られることもなくなる。仮に攫えなくとも、寝ているオレたちを殺すことはできた」
なぜ殺さなかったのだろう、というニュアンスでさらりと言ってのけるユキトの感性に寒気がした。僕は彼が二の句を継ぐ前に口を挟む。
「どうして国王は、アイリだけを攫ったのかな」
「それはオレにもわからない。けど、アイリの命を国王が握っているのだとしたら、アイリが国王に逆らいさえしなければ大丈夫だ」
「国王……って、怖い犬なんだろうか」
「どうだろう。シュテファニッツの現王グラーフラートは、ニーポンとの外交の場にほとんど姿を現さない。ずいぶん若いって噂だが」
「……そう」
僕はライフナビにグラーフラートの名を問い合わせた。ライフナビで検索するのは、もはや癖だ。
すると出てきた記事は、芳しくないどころか背筋の凍るものだった。
『シュテファニッツ王グラーフラートは秘密裏に暗殺部隊を所持しており―――』
『王命により処刑された脱走犬の数はおよそ―――』
『冷酷無比の新王。即位の裏には父王の暗殺が―――』
「アキラ!」
隣で前を向いたままユキトが僕を叱り飛ばした。「ネットのデマを信じるな。自分で見て、感じたものだけを信じろ。オレたちは殺されなかった。だからアイリも生きてる」
ユキトの言葉は強かった。くずおれそうな僕の心に太い添え木を当ててくれた。
「うん」
僕はライフナビの検索機能を閉じた。
バイクは間もなく、高速道路のインターチェンジへと続く螺旋の上り坂を駆け上がろうとしていた。




