37 手紙交換
「グラーフラートと話したい」
昼食を運んできた給仕に近づき、短くそう告げてみると、彼女はあたしに初めて話しかけられたことと、王を呼び捨てにしたことに驚いたらしく、一瞬表情を強張らせてから首を横に振った。
「ご要望にはお応えしかねます」
ならば、とあたしは次にホーリーと話したいと言ってみたが、同じ答えが返ってきた。
実際、ホーリーのことは気がかりだったのだ。昨夜あの後、彼女は兄王と会ったのだろう。あたしを連れてウルンデたちを撒いたことで何か罰を受けたのではないか。
「どうしても駄目?」
「申し訳ございません。陛下も姫殿下も執務中でございますので」
あたしは一応グラーフラートが勝手に言うところの妃のはずだが、あたしの言葉を持ち帰る素振りも見せないところから察するに、体のいい断り文句なのだと思った。
給仕は昼食のホットケーキにあたしの眼前で甘い蜜をかけ、
「どうぞ」
と差し出す。なるほど、彼女はただの給仕係だ。仕方ない。
あたしは踵を返した。
「お待ちください」
給仕が呼び止める。あたしは半身振り返り、
「ソレは食べないわ。下げてくれていい」
「いえ、あの、そうではなくて……」
給仕はどこか挙動不審に見えた。ビー玉のような目が泳ぎ、あたしとホットケーキとをしきりに見比べていた。何か言いたげだったが察することができず、あたしはもう一度、
「あの男から与えられるものは食べたくないの」
とはっきり告げた。すると給仕は眉根を寄せて切なげにあたしを見つめ、二枚重なったホットケーキの上の段に突然かぶりついた。
その異常行動にあたしは絶句する。たっぷりかけられた甘い蜜が彼女の口元を濡らし、食べこぼしが器の上だけでなくローテーブルや絨毯まで汚す。それほど飢えていたのだろうか。見たところ若いシェパードだ。とはいえ働いているのだから十四は過ぎており、幼い子どもではない。むしろあたしよりも年上に見える。
やがて給仕は口から何かを吐き出した。それは小さく折りたたまれ、ラップのようなもので包まれた紙だった。あたしは理解した。彼女はホットケーキを食べていたのではなく、口で崩して中に埋められた紙を探していたのだ。
給仕はラップを綺麗に剝がし、折りたたまれた紙をあたしに差し出す。
「ホーリーさまからです。どうぞご内密に」
給仕は恭しく頭を下げた。あたしは紙を開いてみる。それは短い手紙だった。
アイリ、助けられなくてごめんなさい。そのメイドはわたしの仲良しだから心配しないで。
あたしも兄さまにこっぴどく叱られて、謹慎処分になっちゃった。部屋の外に兵士がついていて出られない。だからお手紙でお話しましょう。
わたし、あなたを姉さまと呼ぶ前に、もっとあなたのことを知るべきだったわ。
この手紙は読んだら暖炉にくべてちょうだい。
「お返事を書かれますか」
給仕が問い、あたしは逡巡したのち頷いた。
「では夕飯時までお待ちください。そのときにまた、食事に忍ばせて筆記具をお持ちします。そのようにしか持ち込めないのです。アイリさまへのお食事にはウルンデさまの検閲が入りますし、わたくし自身も身体検査されます」
「わかったわ。あなた、名前は?」
「ネーナと申します」
ネーナは自分の口の周りを拭き、ホットケーキの食べこぼしを素早く掃除すると、あたしが残した手つかずの朝食を持って出ていった。
あたしは読み終えた手紙を丸め、赤々と燃える暖炉の炎に放り込んだ。手紙は綿あめが溶けるみたいにシュウウと周りから燃えて小さくなっていき、最後に残った灰が上昇気流で浮き上がり、暖炉の天井に当たって砕けた。
あたしはそれから夕方まで、ホーリーへの返事と、アキラたちのことを考えながら過ごした。さすがに飲まず食わずではいられず、洗面所に行って蛇口の水を少し飲んだ。置かれていった昼食にはやはり手をつける気にならなかった。
次第に日が暮れていき、窓の外が闇にすっかり包まれたころ、部屋の出入り口が開いた。
ベッドの脚の横で丸くなっていたあたしはネーナが来たのだと思い体を起こし、そちらを見た。そこにはグラーフラートが立っていた。
「共生派育ちの我が妃は、家具の使い方を知らないと見える」
男は暖炉の前の一人掛けローソファに腰かける。今言い放ったのは皮肉だ。世間一般には、共生派の犬の方が反人派の犬より文化的で教養高いとされている。
ネーナが続いてやってきて、ローテーブルの上の昼食を引き上げると、二人分の夕飯を並べていった。あたしが彼女を見ると、彼女は目を逸らして伏せる。その動きだけで、筆記具を持ち込めなかったのだとわかった。
「食べたのはホットケーキ一枚か」
独り言のように男は言った。実際、食べてはいないのだが、あたしは黙っておく。
「酒は飲むか?」
と、今度はあたしに向かって明確に言う。その横でネーナが二人分の器の中にデキャンタから赤い液体を注ぎ入れた。アルコールのにおいがベッドの方にまで漂ってくる。
答えずにいると、ネーナが寄ってきてあたしの首輪をはんだ。
「ちょっと、何?」
「ソファへお座りください」
咄嗟に振り払いかけたが思いとどまった。ネーナの目があたしに、従うよう懇願していた。あたしが言うとおりにしなければ彼女が困るのだと察した。
あたしは渋々、空いたもう一つのローソファに腰を下ろした。
「乾杯しよう」
男は赤い液体の入った器を私の方へ押し出した。あたしにもそうしろということだろうが、あたしは首を横に振った。
「お酒は飲めないわ、未成年だもの」
「では乾杯だけでいい」
穏やかな目で言われて、あたしは意味が分からないまま自分の器を押し出した。器の端と端が軽くぶつかり、チンと音が鳴る。男はそれで満足したらしく、自分の器を引き戻すと、美味そうに飲んだ。
「あたしをどうするつもり」
男が器から顔を上げた。
「どうするもこうするもない。お前はここにいればいい」
「そうはいかないわ。こんな首輪つけられて……馬鹿にしないでよ」
「騒ぐな、その首輪はただの保険だ。この部屋にいさえすれば害はないし、大昔のヒトのようにお前を使役しようという意図もない」
「それでも不愉快だわ」
「私はお前を妃にすると決めた。勝手に出ていかれては困る」
「傲慢よ」
「私は王だ」
堂々とそう言われてしまえば返す言葉が見つからず、あたしは黙った。
グラーフラートはマッシュポテトをサーモンで巻いた前菜を口に入れる。
「お前も食べろ。うさぎ肉は使っていない。今夜はすべて魚料理を用意させた」
「そういう気遣いはするくせに、あたしの意思は無視するのね」
「勘違いするな。民の意思を無下にすることはない。この国では、私の意思が最優先というだけだ。私の意思に反しない範囲でならば好きにしていい」
「やっぱり傲慢ね」
「サーモンを無理やり口に突っ込まれたくなければ自分の意思で食え」
はあ、とため息がこぼれた。王族というものは理解できない。
脅されて行う行為が自分の意思といえるのかはさておき、あたしは自ら前菜を口にした。
一日ぶりの食事は、胃と脳を蕩かすほどの美味しさだった。




