5、公爵の提案
クラウスは、ライヒスブルク公爵とその召使いを貴賓室に案内した。
エレナと公爵が椅子に座り向かい合うと、公爵は部屋の中を見回して、
「とても綺麗にしてありますね。この塔はずいぶん長い間、人の手が入っていなかったはずですが」
「ありがとうございます。クラウスが整えました」
そう言ってエレナはクラウスの方をちらっと見た。
「なるほど」
そう言って、公爵はクラウスに対して社交的な笑顔を向けた。
「ところで私が何の用件で来たか。そもそも今の王宮の情勢をご存知ですか?」
エレナは首を振った。
「さっぱり。なにしろこんな辺鄙な場所ですから」
「そうですか。ならよかった。私が来た甲斐があったというものです」
そういって、公爵はにこっと笑った。
「私がここに来たのは今王宮で起こっていることを伝えること。そしてそれに関連して、私から一つ提案をしに来たのです。まあゆっくり話しましょう。お茶を頂きますね」
そういって、公爵は寛いだ表情になって、お茶を口にした。
ライヒスブルク公爵は、最近若くして家を継いだばかりだったが、公爵になる前から王宮の中で確固たる地位を築いていた人物だった。
さらに容貌も優れていて、長身に、長い光り輝くような金髪に整った顔は、その場にいるすべての人の目を自然に集めるような存在感があった。特に女性は、その魅力に憧れの目を向けることが多かった。
逆に言えば、彼と一緒にいる男性はみな見劣りした。
エレナはクラウスと公爵の顔を見比べてみた。
ライヒスブルク公爵、美しい顔の男だ。自信に満ちた表情に、優しい笑顔。いかにも頼りがいのある雰囲気。世の女性が、彼に熱い視線を送るのもよくわかる。
それに比べてしまうと、クラウスの容姿はごく平凡だ。愛想もない、話していても真面目すぎて面白みもない男だ。
でも、とエレナは思った。
そして、自分の首にかかった地味な首飾りに手をやった。
これがこんなにも愛おしいのはなぜだろう。
今の私は変なのだろうか。
エレナは首を振った。
いや、変でもないし、完璧に冷静だ。そう、これが私なんだ。
「さて本題です。まず結論からいいますと、あなたはもうこの塔にいる必要はありません。あなたはもう罪人ではない。いやそもそも最初から何の罪もなかった」
エレナは急な話しに驚いた。
「一体、どういう……」
「驚くのも無理もありません。何がどうなっているのか、順を追って話しましょう」
そう言って、公爵は話をはじめたのだった。
公爵の話した内容はエレナにとっては、俄には信じられないものだった。
王家の人たちは全員失脚し、他国に亡命したという。そして、代わりにライヒスブルク公爵をはじめとする有力貴族たちが実権を握った。
そして、その貴族たちによってエレナの調査が行われて、彼女の無実が明らかになった。
その結果、彼女は悲劇の王女として、国民から同情を寄せられる存在になったという。
「というわけですね。まあ、あなたにとって良い知らせだと思います。唯一、ご兄弟に簡単には会えないことが、心配かもしれないですが」
エレナは首を振った。
「それは別に。あの人たちとは、あまり交流もありませんでしたし。それに、私をここに追いやったのもあの人たちなんじゃないかなって、思ってるくらいですから。違ったら、かなり酷いけど」
「いえいえ。よくわかってらっしゃる。他の王家の人たちが追放されて、なぜあなただけが追放されないのか。ただ無実であることが理由じゃないんです。あなたが彼等の手で罪を着せられたからです。だからあなたは我々の側の人間であるみなされている」
「そう。私はここに来たことが今になって、こんな風に転ぶとは。皮肉なものですね」
「ええ、全く」
公爵が王宮の状況を説明し終わると、一呼吸置いて、もう一つの話題に入ったのだった。
「もう一つの話題。この状況で一つの提案があるのです。私が直接ここに来たのはこちらの話をするためです。王宮の状況を説明するだけなら私でなくてもいいですから」
「提案?」
「そうです。これは私事になるのですが、私にはまだ妻がいないのです。それで誰か良い相手がいないかと探していたのですが、先ほどお話ししたようなことで手いっぱいになっているうちに今になったわけです」
「へえ」
「いろいろ落ち着いてから、改めて誰か良い相手がいないかと考えて見た時に、真っ先に思い浮かんだのがあなただったわけです。なのでこうしてやって参りました。エレナ様。私と結婚する気はありませんか?」
「それがあなたの提案という訳ですね」
「ええ」
そう言って、公爵は頷いた。
エレナはクラウスをちらっと見た。
しかし、彼は特に表情を変えずに、召使いらしく立っていた。
公爵もクラウスの方に視線をやった。そして、彼は口を開いた。
「そうだ。結婚には一つだけお願いしたい条件があります」
「なんでしょう」
「エレナ様が結婚して公爵家にいらっしゃる場合、召使いは私たちの家の者がいますから、そちらのクラウスとおっしゃいましたか、彼は一緒に来ることはできません。それを承知して欲しいのです」
エレナはその言葉を聞いて、言っていることがよく理解できないというように黙ってしまった。
公爵はその様子を見て付け加えるように言った。
「でも心配しないで下さい。彼には、私が然るべき場所に推薦状を書いて、十分な待遇で雇ってもらうことを保証します」
そう言って、公爵は自信に満ちた笑顔を見せた。
確かに公爵が自ら推薦状を書けば、高位の貴族の家に相当いい条件で雇ってもらえることは間違いない。
エレナは公爵の言葉を聞いて、もしかしたら、それがクラウスにとって幸せなのではないかという思いが浮かんでしまった。
自分の頭に最初に浮かんでいた結論は、私のわがままで、みんなを不幸にするものなのかもしれない。
私はどうするべきなのだろう。
エレナは言葉を選びながら、公爵にその場でできる返答をしたのだった。
「あなたの評判はよく知っています。家柄も働きも申し分ない。そんなあなたからのその提案を、私は光栄に思うべきでしょうね。でも私はそういった話を、いままで考えてもなかったのです。だからちょっと考えさせて欲しい」
「もちろんです。今日のところは、私はこれでお暇しようと思います。また、返答が決まったら使者でも送って呼んでいただければ」
「二日でいいです。二日後にまた来てください」
「わかりました」
公爵はそうして帰っていったのだった。
公爵は塔から滞在している家に戻る途中、馬車の中で自分の召使いと話をしていた。
「ご主人様、なぜあのような条件を?」
「あのクラウスという召使いのことか?」
「はい。別に召使い一人を新たに雇うくらい可能でしょう」
公爵は首を振った。
「そういう問題じゃないんだ。俺とエレナ様が結婚したとして、あの召使いが一緒じゃあ、誰も幸せにならない」
「それはどういう?」
「さあ。どういうことだろうね」
と公爵は肩をすくめて見せた。
「何にしろ、すべては二日後に決まる。さあ、一体どうなるかな」