1、塔に幽閉される
「王女様、着きました」
数台の馬車に囲まれたなかの、ひときわ豪華な一台の馬車に、黒ずくめの服を着た男が近づいて声をかけたのだった。
その事務的な声に応じるように、馬車の開けられたドアから、第四王女エレナが姿を現した。
そこは、周りに人家の見当たらない深い森の中だった。ただ一本の塔が目の前に聳えている。
彼女は、無表情で立っている男たちに見送られながら、目の前の塔へと向かって歩き出した。
彼女に付き従うのは召使いがただ一人。
灰色で武骨な石造りの塔の入り口に、王女と従者は入っていく。
二人が塔に入るのを見届けると、見守っていた男たちはどこかへと馬車に乗り走り去っていった。
とはいえ、彼等はどこか離れたところで自分たちを見張っているはずだ、とエレナは思った。私が決して逃げられないように。
何しろ、私は罪人なのだ。
その塔は壁面には蔦が絡んでいて、苔むし、ずいぶん長い間使われていない様子だったが、その昔、とある王家の人間が幽閉されていた塔だという。
入ってすぐのホールは、召使いのクラウスが明かりをつけて回っても、薄暗かったし、壁からは冷気が流れてきてエレナは身震いした。
塔の外は得たいの知れない魔物が潜む深い森だ。
彼女は急に心細い気持ちになった。
私はここで誰にも知られずに人知れず朽ちていくのだ。
ふと彼女は、これなら今すぐ森の恐ろしい魔物に引き裂かれて、その腹に収まった方がましではないか、と思えてきた。こんな暗い、寒々しい場所から出て、外の森の中へと走り出したい気持ちになった。そうすれば少なくとも一瞬は自由になれる。
「エレナ様」
クラウスの声が、そんなエレナの物思いをかき消した。
「何?」
「こちらでございます」
彼は前に立ってエレナを案内した。階段を二つほど上って廊下を進むと、彼女の部屋があった。
そこにはあらかじめ運び込まれた家具が置いてあって、見かけは王宮の彼女の私室に似ていた。
見かけだけでも慣れた場所に戻ったようで、彼女はその部屋に入ると少し安心したのだった。
クラウスは、彼女の手荷物を運び入れて、暖炉に火を入れると出ていった。
エレナは王宮でよくしていたようにベッドに横になった。
近くのテーブルには小さな鈴が置かれていた。それを鳴らすとクラウスがやってくるのだろう。
彼女は静かな部屋の中で自らの境遇について、物思いにふけった。
自分が皆に裏切られて、知らない罪を被せられ、こんなところに来るはめになったことについて。
いや違うな。裏切られたんじゃない。最初から、私に味方などいなかったのだ。
彼女はベッドの上に仰向けになると、天井に向かって手を伸ばしてみた。
私には何もなかったのだ。
そう呟いて、手のひらをぎゅっと握った。
エレナは小さい頃から王女として育ってきた。
何をしても周りから褒めてもらえたし、贈り物も沢山貰った。欲しい物を言えば、誰かがそれを買ってくれた。
そして私もそんな風に優しくしてくれる人たちを大切にした。
王女が気にかけていると分かれば、王宮内で一目置かれるらしい。それで出世したりすると、また贅沢なものを贈ってくれたりした。
それなのに、私が有罪を告げられ追放を命じられたその瞬間から、誰も味方がいなくなった。
あんなに私に優しくしてくれた人たち全員が、黙り込み、私ともはや目を合わせようとすらしなくなった。まるで私がもともと見知らぬ、全くの他人だというように。
私が有罪になった罪ってなんだっけ?
他国に、我が国に脅威となる情報を売り渡したとか、そういう罪状だった。
まったく心当たりがない。
でもとにかく私の取り巻きの一人が捕縛され、速やかに処刑された。
その人の罪が本当なのかも私には分からない。
それから、私の罪、私には心当たりのないその罪状を説明され、それを認めるように求められた。
もちろん、私は認めなかった。
でもそれが何になる?
だって私の味方をしてくれる人なんて誰一人いないのだ。
私が何と言おうと有罪になって塔への幽閉が決まった。
結局、私に優しくしてくれた人たちは自分に利益があるからそうしてくれたのだ。王宮の中で地位を高めるために王女の私に取り入り、見返りを得ただけだったのだ。
一方で罪人となった王女に関わるのはむしろ損になる。それだけのこと。
彼らは誰一人、私の味方なんかじゃなかったのだ。
私には兄や姉が五人ほどいる。
しかし、その誰も、私が追放されると聞いても同情するような顔一つしなかった。全く興味のない様子だった。
というか、あの人たちが今回のことを計画したんじゃないかな、とエレナは思っている。
何の力もない私がなんの邪魔になるんだろうとは思うけど。
でも王宮を仕切っているのは私の兄や姉たち、それくらいは私でもわかること。あれほどの大々的なことに関わっていないはずはないのだ。
まあいい、もうそんなことを考えてみても今の私には何の意味もないことだ。
エレナは鈴を鳴らした。
そうすると、すぐに召使いのクラウスが姿を現した。
私に味方は一人もいないと言ったけど、それは事実とは少し違う。
ただ一人だけ味方がいる。
この男だ。
「飲み物をちょうだい」
エレナがそう言うと、クラウスは彼女がいつも王宮で飲んでいた温かいハーブティーを持ってきた。
「ありがとう」
彼は私が幽閉されると聞いて、迷わずについてくると決めたたった一人の人間だった。
でもエレナはこのクラウスという召使いが苦手だ。
他の人は、エレナに愛想よくして、たくさん褒めたりしてくれるのに、彼は無愛想だ。いつも真面目くさった表情で立っていて、仕事以上のことをしようとしない。
仕事に文句はないのだが、何を考えているかわからない。
王宮にいた時のエレナは、彼と意識的に距離をとっていた。それくらい苦手だった。
でも、今の私の味方は彼一人だけだ。
私はきっと一人では生きていけない。
一人で生きていくためのことをあまりにも知らなさすぎる。
だから今は彼に頼るしかない。