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第一話 來りて歌え ②

【市】


 その星は名を《黄金卿》という。

 星土のほとんどを原生植物たる黄金色の麦が覆い、麦とその麦を食べて育った牛たちがこの星の土着民である黄金卿の民の台所を支える。

 年の始まりの短い冬を除けば年間を通して過ごしやすい温暖な気候をしており、起伏の少ない土地を吹き流れる穏やかな風すらも星の恵みとして民に愛されていた。

 ヤシロを中心に時計回りに遷移する帯状の一拠集中型都市では日々、市が開かれ……。

「市だ……、ねえライメイ、市だよ……」

「ああ、市だな」

 (いち)が開かれている星は心が躍る。

 ポータルから市まで、真っ直ぐ四輪車(ミコシ)を飛ばしてきた二人の食いしん坊の期待に十分以上に応えるべく、《黄金卿》の都市兼市場入り口は荘厳な門構えで二人を迎えた。

 砂利の敷き詰められた駐車場にミコシを停めるなり、駐車場から市場入り口までの道のりを、ミケは舟形の下駄の底を弾ませながら踊るように進んでいく。

「ライメーイ! あんまり離れると、迷子になっちゃうぞー?」

 早く早く! と大声で手を振るミケに、手を振り返しながら、

 ──あくまで、極秘行動なんだからな?

 道中、風の吹き抜ける車の中で、そう口すっぱく言って聞かせるミケの横顔をライメイは思い出していた。



 久しぶりの|自動運転《Wheel Drive》の固い乗り心地に相応しく、ミケはやや厳格な口調でライメイに旅の心得を説いた。

「いいか? いくら#モブMOD入れてるからって、おれたちがお尋ね者なことに変わりはないんだ」

「うむ」

「最近までポータルもなかった星だ。旅人ってだけでも十分目立つ」

「うむ」

「下手なことしたら、変装がバレて企業(コーポ)の刺客と戦闘になるかもしれない」

「うむ」

「目立つ行動は控えること、名前を呼ぶ時は念のため小さな声にすること」

「うむ」

「危ないことは、絶対しないこと。いいな?」

「うむ」

「戦闘なんてもってのほか!」

「うむ!」

「あくまで極秘行動なんだからな?」

「心得た」

 この約束事は星に降りた時の二人のお決まりになっていて、必ず二人のうちどちらかもしくは両方がしばしば忘れてしまうところまでがお約束となっている。

 今回は、盛況な市を前にミケがその約束(﹅﹅)を果たした。



 やはりこうなったか、とミケにわからないよう心の内で微笑みつつ、ライメイは後に続く。

 こうして未知の星に降りることも、日々の食糧を得ることも、失われたライメイの記憶と体を取り戻すためのことだとミケは言うが、ライメイは半分観光のつもりで旅している。

 目覚めた時には機械の体だった。目覚める以前の記憶はなく、ただ機械ではない元あった体と記憶が失われた感覚があった。元から無いのではなく、失われたものならば取り返してみたい。けれど、今の自分たちが楽しむことは犠牲にしたくない。

 だからどちらかというと、自分の過去に繋がる〈DLC〉を求めることよりも、今の自分の、自分たちとの記憶を作っていくことの方に旅の目的を置いていた。

 自分が何者かわからない。

 その底なしの恐怖を感じる暇もないほど、ミケと旅をするのは楽しいから。

 あのはしゃぎようじゃ、ミケもそうなんじゃないか? と思わずにはいられない。

「ライメーイ! 早く仕入れないと、ご飯に間に合わなくなるぞー?」

 広い広い駐車場にミケの嬌声が響き渡る。

 返事をしつつ、ミケのはしゃぎっぷりをぎろりと見下ろす門構えの(いかめ)しさライメイはとくと眺めた。

 硬く踏みしめられた土色の地面からそそり立つ黒い二本の円柱は、自分たちが乗ってきたミコシ(四輪車)など縦にも横にもすっぽり隠れてしまいそうなほど太く、高さはミケの十等身ほどもある。

 見上げれば、少し内側に傾いた円柱に被さるようにして、柱と同じ素材の黒い梁が橋のように架けられていた。青空の下に腕を広げるように一対の円柱の上を渡るそれは、目を凝らすと空に向かって両端がややそり上がっているのがわかる。

「はは、気になるよな?」

 いつの間にか隣りに来ていたミケも、ライメイと同じように門構えを見上げた。

「大きいな……」

「大きいねぇ」

 門柱や梁に厳かな時の流れを感じる一方、肝心の開閉部はと言うと、まるで最近建て付けられたような真新しさを感じた。真新しい、をより咀嚼すると、〝取って付けた〟や〝その辺の何かでそれっぽくした〟といった別の味わいが出てくる。色も門柱とははっきりと異なり、となると茶色の地面を焼き固めて作った壁──をどこからか剥ぎ取って建てかけただけのようにも見える。

 それでもなお、ライメイはこの巨大な建造物に目を奪われっぱなしだった。

「大きい、その……」

「ん?」

「こう、何か、感じるんだが、こう……」

「言葉が出てこない?」

「そう、それだ。言葉にしたいんだが、何と言うかわからない」

 少し離れたところから見上げる門は、柱が先に向かってやや細くなっているからだろうか。今にもこちらに向かって倒れてきそうに見える。

 空に向かって、すっ、と伸びる門柱にどっしりとした反り上がりの梁の姿は、まるで何かを待っているかのようにも見える。

 見知らぬ土地の巨大な建造物を前に、ライメイは腹の底から滲み出るような気持ちの伝え方がわからず、鳩尾のあたりを触りながらミケを見た。 

「もどかしいねぇ、ライメイ。うれしい気持ち? こわい気持ち?」

「うぅん……、嬉しいと恐ろしいの両方……、難しい気持ちだ。もう少し見ていたい」

「ふふ、いいな、もう少し見てようか」

 あれだけ急かしていたミケも、ライメイとしばらくその場に留まった。

 どれほどそうしていたのか定かではないが、ライメイがふと、ミケの視線にミケが市に入るのを楽しみにしていたのを思い出してやっと二人は門をくぐった。

 考えごとは、ご飯をいっぱい食べてから。それもミケとの約束だった。





 ポータルを出た時に肌が感じた通りだと、ミケは市を眺めながらうっとりため息をついた。

 (とお)銀河の果て、還らずの海の星・《黄金卿》。

 《黄金卿》はやはり麦が特産品のようで、道沿いの出店には様々な麦の加工品が並び、それがどこまでも続き、果てが見えない。ポータルを出てすぐに感じた獣の香りも牛で間違いないらしく、市には牛肉や牛乳はもちろん、副産物のチーズやバター専門の店が軒を連ねている。ここにはありとあらゆる茶色と黄色の食べ物があった。これと言って珍しいものがあるわけではない。ただ、その星で生きていくのに応じた、生きた食材が並んでいるというのはそれだけで心が踊る。

 そして何より、その全てがこの星で生まれたもので賄われている。交易用のポータルを持ちながら、企業(コーポ)による資本化の手が及んでいない星というだけで、ここに来た価値があったように思う。

 市の人々の、キラキラというよりギラギラとした追い立てるような眼差しからも、溢れる熱意を感じる。

「フッ……」

「なんだあの木の棒……、あれも農業用具なのかな……。わ、あっちはギザギザの刃がついてる! 見て、ライメイ、あのお店──ん、どうした? ライメイ」

「いいや、なんでもない」

「そう? じゃあさ、おれ、米踏んでくるから、ちょっとだけここで待っててもらえるか?」

 よいしょ、とミケは米俵を肩に担いだ。

 通貨は星ごとに異なる。星によっては、そもそも通貨の概念がない。企業(コーポ)系の星やコロニーでは統一通貨が流通しているが、黄金卿のような最近まで星外との交流がなかった星では、統一通貨の需要があるかわからない。このような星での売買に関して、ミケたちはもっぱら〝米〟を用いた物々交換で物資を得ていた。

 統一通貨という資本主義社会でしか通用しない概念に値が付かない星でも、食糧になる米には値が付くことが多い。

 現地の民に米を値踏みしてもらい、当地での日銭を得る。その一連の行為をミケは「米を踏む」と呼んでいた。

 米でも値が付かない場合は体で稼ぐ。ミケが。

 それが二人の旅の作法だった。

「俺も行こう」

 よ、とミケの米俵を引き取って、ライメイも後に続く。

「この星の人々には、米俵一つでは足りないだろうしな」

「ハハ、ライメイの言う通りかも」

 笑い合う二人をすっぽり覆うどっしりとした黒い影が一人、また一人と通り過ぎてゆく。

 パンに始まる豊富な炭水化物に良質なタンパク質。そして水より安く、美味しい牛乳(カルシウム)。それら麦のもたらす恵みに育まれてか、黄金卿の民は中程度重力下の炭素生物(カーボノイド)にしては非常に体格が良い。

 コロニー人の人混みの中でも、ひょこん、と頭が飛び出す長身のミケを、一回りも二回りも上回る筋肉の彫刻。額の両側から聳り立つ長い乳白色の角を持つ者たち。それがこの星の原住民・《黄金卿の民》の姿であった。

 コロニーだと成人の身長は大柄な者で190cm程度だが、往来を歩いている黄金卿の人々の身長は、ミケが見たところコロニースケールで平均320cmといったところだ。がっちりとした厚みのある体躯を通路いっぱいに幅を利かせながら逞しく歩いてゆく姿は、まるで山脈の移動のようで、惚れ惚れと見上げてしまう。黄金卿の民と比べたら、ミケもライメイもまるで子どもに見えた。

 そのせいか、黄金卿の民の目線だと二人は死角に入るらしく、注意深く歩いていないと丸太のような太い足に蹴り飛ばされそうになってしまう。

「あはは! おれたち、まるでネズミみたいだな」

「ネズミ?」

「ちっちゃくて、耳が丸くてしっぽが長い米泥棒だ。ライメイもいつか会え──わっ‼︎」

「ミケ!」

 その時、くすくす笑うミケの前に居た現星民が、突如勢いよく振り向いた。この市の掃除をしているのか背中には樽のような掃除機を背負い、そこから伸びる長いノズルを肩に担いでいる。もし自分の身長がその者と同じくらいだったら、振り向いた拍子にあの尖った岩のような肘が側頭部にクリーンヒットしていただろうとミケは冷や汗をかいた。幸いにもミケの頭は男の腰くらいの位置だったので、頭の上を岩のような肘が猛烈な勢いで横切っただけに終わったが、つむじの上で風が巻き起こる感覚は新鮮だった。

「オっと、すまねえ! 大丈夫か! ……って、ああん?」

 ひょうきんな謝罪の声は、二人の姿を見るなり不躾なものに変わった。

「なんだテメェら、企業(コーポ)の人間か」

 地鳴りのような唸り声からは紛れもない警戒心を感じる。

 ライメイたち異邦の旅人を隠しもしない不信に満ちた目で見下ろしている。

  ライメイに俵を下ろすよう頼むフリをして、ミケは「大丈夫だから、抵抗しないで」とそっとライメイに耳打ちした。

 ──戦闘なんてもってのほか。

 その約束にライメイが頷くと同時に、清掃員(仮)は少し大げさにも感じる敵意そのまま、太い指でミケの首根っこをつまみ上げた。

企業(コーポ)の人間が、こんなとこで何してやがる」

企業(コーポ)? 俺たちがか?」

 ぷらん、と宙吊りにさえてなお、ミケは努めていつもの調子だった。

 こうした不躾なやりとりには慣れっこのようで、正体がバレた時に備えて臨戦態勢を取ろうとするライメイに、まかせて、と合図を送ると、白々しく「ただの旅人だよ」と言う。

 嘘ではなかった。実際、ただの旅人だ。

 加えてミケには、自分たちがお尋ね者だとバレていない確信があった。

 宇宙中に指名手配されているミケたちは、モブ(NPC)MODと呼ばれる特殊な認知迷彩を着けている。

 モブ(NPC)MODが機能している限り、例え相手が指名手配犯としてのライメイとミケを探しているとしたって、ライメイが「自分はあの(﹅﹅)ライメイだ」と自己紹介したって、相手はまさか本当にあの(﹅﹅)ライメイ(﹅﹅﹅﹅)だとは思わない。認知できたとしてそれは、『ライメイさんという名前の旅人A』であり、手配写真のライメイとは全く似て非なる別の人物であると認識する。ミケが往来の真ん中で「ライメーイ!」と大声で指名手配犯・ライメイの名前を叫んだって、誰もその大声が指名手配犯・ライメイの名だとは思わない、逆もまた然り。誰でも誰でもない誰かになれる。それがこのモブ(NPC)MODだ。

 ミケはこのあまりにも都合の良すぎる隠れ蓑を作った張本人だった。

 唯一、壊れやすいのが欠点であったが、今日のところはまだ主たる故障の原因となるような戦闘行為を行っていない。

 故に、イミグレーションの時と同様、自信たっぷりに自己紹介をする。

「あいにく、定職には付かない主義なんだ。忙しそうに見えるけど、ただの旅人。観光目的だよ」

「観光……? この星に……? ……デェ、その麦袋みてぇのは」

「これ? これはお米。市の食べ物と交換してもらおうと思ってさ」

「……ウチの食いもんとか?」清掃員は面食らったような顔をした。「……な、何のために」

「何のため? ご飯を作って食べるためだよ。旅人ってのはお腹が空くから」

「……本当に企業(コーポ)とは関係ねぇってのか」

「もちろん」やけに気にするな、と内心訝るものの、ミケは気づかないふりをした。

「お前もこいつのツレか? お前は何しにここに来た?」

「もちろん」ミケを真似て、ライメイも自信たっぷりに答える。「ご飯目的だ」

 一体、企業(コーポ)だったら何なのだ、とライメイが疑問を口にしようとしたその瞬間、

「客だァーッ!」

 地鳴りのような大声が二人の耳をつんざいた。清掃員が叫んだのだ。

 不意打ちの大声に若干の耳鳴りを覚えて硬直している間にも、

 ──なにィ⁉︎

 ──客だ⁉︎

 ──てェへんだ、てェへんだ!

 と市が騒然となり、やんややんやと人が集まってくる。

「このニィチャンたち、腹が減ってるとよ!」

「腹ァ? 腹が減ってるったって、そんな……」

「い、いやそれがよお……」

 清掃員が叫んだ直後に起きたざわめきとは異なる動揺の波及に、ミケはひとまずの難は去ったと察知した。

「お腹がへってるのはこっちの相棒なんだ。俺は彼にご飯を作るための材料を買いにね」

 よっ、とくるりと逆上がりして、清掃員の手からヒョイっと離脱する。着地ざま、ミケはライメイにパチ、と片目でライメイに合図すると、二人で得意げに米俵を見せた。何が何だかわからないが、どうやら歓迎はされているようだし、なかなかいいレートの取引ができるだろう。

「どうにかこいつで、小麦粉と、あと牛乳とかバターとか、乳製品と交換できないかな」

「足りないなら、船にまだ積んである」

 自分たちはあくまで友好的な旅人です、あわよくばちょっとおまけしてください。

 そんな気持ちを笑顔で包んでニコッと旅人スマイルをすると、それはミケの下心以上の効果を呼んだ。

 旅行者への扱いは星ごとに異なる。基本的に、旅行者というのは目的はどうあれコミュニティへの侵入者でしかない。壮絶な企業闘争を経て植民地化した星やコロニーほど、他星系から来た者には当たりが強いのが当たり前で、甘やかしてくれる星は稀だ。最初に清掃員に摘み上げられた時、ミケもライメイも、きっとこの星では星外から来た者はあまり歓迎されないのだろうと思った。清掃員の声で市場の人が集まってきた時には、単に珍しがられているのだろう、と。

 しかしひとたび二人が旅行者で、あまつさえ現地の食事を求めているとなるとその歓待ぶりはいっそ心配になるほどで、ライメイが腹が減っていると言えばライメイは屋台街へ担がれてゆき、小麦が欲しいとミケが零せば、それを言い終わるか否かのうちにミケは街人たちに担がれていった。いまミケの目の前には、きっとこの星のあらゆる食材卸業者が揃っている。

 対価としての米を差し出すと言えば、旅人の足元を見るなんてオオタニじゃないと上から麦が降り、そういうわけにはいかないとミケが遠慮すれば、遠慮するなんてオオタニじゃないと横からバターが、牛乳が、肉が、肉を乾燥させて保存をよくしたジャーキーが何かわからないがとりあえず麦か牛で作られた何かが、雨やあられのようにもたらされる。

 ひょっとして黄金卿の民とミケたちの体格差が庇護欲でも掻き立てているのだろうか?

 何か理由を見つけようとミケは勘ぐるが、考えるほど理解に苦しんだ。

 そうだとしても、だ。

 警戒は解けたような雰囲気を感じたが、やはりすぐにライメイと合流した方がいいかもしれない。不穏ではないが、奇妙だ。

「ありがとう。悪いね、こんなサービス(﹅﹅﹅﹅)──」

オオタニ(﹅﹅﹅﹅)

「してもらって」

 何も貰わないのも悪いからと、ミケは梱包してからしばらく経ったような小麦袋と加工肉の包みを一つだけ受け取って、ここまで案内してくれた清掃員に礼を伝えた。

「なぁに、このくらいオオタニってことないさ」

「この星じゃ、いつもこうなのか?」

「いつも? まさか! 初めてさ!」

「じゃあどうして……」

「うちの星に、この市に食べるもの(﹅﹅﹅﹅﹅)を探しに来てくれるなんて、アンタたちくらいだよ! アンタたち、星をあちこち旅してんだろう? だったらさ、ウチらの星はおもてなしたっぷりのいい星だったって、宇宙の果てまで広めていっておくれよ!」

 そう言って、遠銀河の果ての住民は豪快に笑ってミケを送り出した。



 受け取った小麦粉や肉には、妙なものは混ぜられていないらしい。

 もしもの場合を考えて、自分たちがここに来るよりも前に密封されたものだけを貰ってみたが、どうやら杞憂だったみたいだ。

 企業(コーポ)で長く暗殺稼業なんてやっていたせいか、どうもこういう手放しの歓待というものにはその裏を考えてしまう。

 考えすぎだろうか。

 ミケは先程の妙な胸騒ぎを払拭するように頭を振った。

 案内してくれた者たちに礼を言い、するりと人混みの間を、時に股の下を抜けながらライメイとの待ち合わせ場所に向かうと、やっぱりライメイも無事だった。

「豊作じゃないか」

「おかげさまでね」

 様子見用の小麦粉を抱えたミケと反対に、ライメイは手持ち無沙汰だったらしい。

「持とう」

「ありがと、ライメイ」

 ライメイは米俵の上に小麦の、ミケは加工肉の袋を手に、ひとまず船に戻るべく二人は市の中を駐車場に向かって遡った。市には食材の他に、様々な情報が集まる。その情報収集も兼ねての来訪だったが、ここで知り得た情報の中に二人のもう一つの探しものに関する情報はなかった。モノがモノなだけに、どうやらこの市よりも、もう少しディープなところに赴かないといけないらしい。よくあるパターンだ。こうなるとこれ以上ここに留まっても仕方がない。時間帯を変えれば出てくる人も情報も変わる。一旦船に引き上げて、仕入れた情報を整理しながら腹ごしらえをするのがミケとライメイのやり方だった。市の景色が名残惜しくはあったが、目的のために今日のところはここまで。

 駐車場へは屋台街を抜けるのが近道らしい、と、ライメイはミケを待つ間、地元民に教えてもらったばかりの道をミケに伝えた。

 恰幅のいい黄金卿の民にふさわしく、屋台に並ぶ料理はどれもボリューミーで歩いているだけで腹が鳴った。道の右から左から、そこら中から肉やパンの焼ける堪らない匂いがする。後ろからは一撃で腹を満たしそうな濃厚な肉の香り、行先からは満腹の相手でも強引に食欲を掻き立ててやるという気合の入ったソースの香りが漂ってきて向かい風が美味しい。

 ライメイが好きそうな匂いだ、とニヤけるのが隣りのライメイにバレないよう、ミケは少し先を歩いた。

 この星のご飯を知ることも兼ねていくつかテイクアウトしてもいいけど、しても、テイクアウトも、いいんだけど、たぶん、これは飯屋でなおかつ相棒の自分にしかわからない領域だとミケはうずく料理人魂に胸を抑えた。ライメイには、色んな星のご飯を知ってほしい。でも、できるなら、叶うならライメイが食べるご飯は自分が作りたい。

 自分のエゴでしかないけれど、一応は、指名手配犯として一服盛られないためという大義名分もある。

 ライメイにねだられる前に、ミケは気持ち早足で今にもはち切れそうなプリプリのウインナーの暖簾をくぐり抜け、駐車場へ急いだ。

 しかし、この星に着いた時から感じる違和感はなんなんだろう。

 ……手がかりもないのに、考えすぎても仕方ない。この星風に言うと、考えてる時間があるならオオタニしろ、といったところだろうか。

 ぐるぐると考えをめぐらせるミケの横で、大きなジョッキを掲げた黄金卿の民が地鳴りのような豪快な笑い声を上げて体を揺らす。食べるものも大型(オーバー)なら仕草もオーバーで、笑うのと一緒に体も大弓のように仰け反らせてくるから、不意に巨体が目の前に降ってきてぶつかりそうになった。昼間っから随分楽しそうな様子を見ると、身勝手だがここに裏も表もないことを期待してしまう。ひょい、と降りかかる脅威を躱して、その期待が期待通りか検討するために帰路を急いだ。考えるにしても、まずは帰って頭に栄養を入れてからだ。これ以上先入観を入れないために軽く頭を振って思考を止める。振った拍子に、抱えた袋のバランスが崩れてしまった。せっかくの食材を落としてしまわないようにしっかりと抱え直す。うん、どれもこの星の香りのするいい食材たちだ。知っている食材(もの)も、まるで違うもののように感じる。ここのところは食材の節約のため味気ないものが続いたが、粉も肉もあるなら、何かこの星らしいものが作れそうだ。

「なあライメイ! 帰ったらこれで何作ろう──、え?」

 ライメイは何が食べたいか、と振り向いて、硬直する。

 ライメイ、何か食べてる。

「ラ……」

 左手に小麦の袋、右手に何か茶色い食べ物を持って、なんかもぐもぐしてるライメイ。

 半円状に齧り取られた丸くて茶色い食べ物の、おそらく齧り取った部分を口の中でもぐもぐしてるライメイ。

 なんでも『腹が減ってはオオタニできない』とかで、さっきたまたま話しかけてきた屋台の店主がライメイに渡した(押し付けてきた)らしい。ミケも食べるか聞こうとしたが、ずんずん歩いてっちゃったから自分だけもらった、とのことだった。

「食ったのか……? おれ以外の、飯を……」

「ああ、古い言葉で、名を〈ハンバーガー〉というらしい」

 言いつつ、また一口。

「すごく肉で美味いぞ」

 食べるか? と茶色一色の丸いハンバーガーとやらを見せてくる。

「肉……」

 手渡されるままに受け取ると、ずしりと両手に重量感。フライパンより重い気がするのはこのダイナミックな見た目のせいだろう。顎の可動域を超えているサイズのご飯に慄きつつも飯屋の性でついつい観察してしまう。

 確かにこんなパン、肉肉、パン、肉、パンみたいな潔いご飯、船では作ったことないかもしれない、とミケは狼狽えた。

 気休めにレタス一枚だけ挟むだとか、味のメリハリにピクルスだとか。そんな日和ったことは一切しないで、肉とパン。以上だ。イカれたバンズのメンバー構成に目眩がするほどの憧れを覚える。

 それに加え、この星に着くまでの限られた物資で作った〈いつもの朝ごはん〉や〈タダノオムスビ〉たちの質素さを思うと申し訳なさがぶり返してくる。

 そういえば、いつもちょこちょこしか食べられないからって、ライメイがハムの角っこをつまみ食いしたことだってあった。

 そう、だよなあ……。ライメイだって、こういうの、たくさん食べたいよなあ。

「……ライメイはこういうご飯が、好き?」

 ハンバーガーをライメイに返してあげて恐る恐る伺うと、ライメイは少し考えてから答えた。

「そうだな」

 そうだな。

 心にヅンッ! と重たい一撃。空きっ腹に火を放り込まれたような衝撃。

 ミケは胸に抱えた加工肉の袋をぎゅっと抱きしめた。

 そっか……。そうだよなあ。お尋ね者じゃなく、自由にどこでもいける身なら、もっと気軽に星でもコロニーでも寄って、食材に困ることなんてないんだもの。もっと言えば、本当なら食材の豊富な星に定住だって──。

「ミケと」

「え?」

「ミケと食べるものなら、何でも好きだ」

「……っ」

「いつものご飯が一番だと思っていたが、知らないご飯を食べるのも楽しいな」

 そう言って、ライメイは食べづらそうにハンバーガーを口に押し込んで、もぐもぐ咀嚼しながら、ふむ……、と何か考え出した。それから、ミケと、今しがた食べきったばかりのハンバーガーの空袋とを見合わせながら、ごくん、と肉とパンの塊を飲み下して、「ミケならどんな風に作るだろうな」とうきうき言う。

 当たり前のように口にされた言葉に、ミケはとっさに袋で顔を隠した。

 砂糖を口いっぱいに頬張った時みたいに、むにむにと口の端が疼くのを、誰にも見られたくない。見せたくない。

 ミケが処理落ちしてる間もライメイは駐車場まで続く屋台の並びをきょろきょろ見て、目が合った星の民にオオタニオオタニと食べ物をもらっては美味いと言い、その度に、「うちのミケも飯屋なんだ」「ミケ、今度これを作ってくれ!」と嬉しそうに話す。

 だめだ、気をしっかり持たないと。ミケはぶるぶる首を振って、冷静な自分を取り戻した。

 自分はライメイの飯屋であると同時に、ライメイを守る盾でもあるのだから。

 ミケは市に来るまでにライメイと「知らない人に貰ったものを食べない」の約束をしていなかったことを思い出した。最近ポータルを拓いたばかりの星だし、コロニーじゃないからと気が緩んでいた。ただでさえ、ご飯をつまみ食いしちゃうライメイだ。この星はなんだか奇妙なところがあるし、もし自分たちを狙う刺客でも紛れ込んでいて毒でも盛られていたら一巻のおしまいだ。

  喜んでいるライメイには酷だが、ダメなことはダメってきちんと言わないと──。

「ありがとう、ありがたくいただく。──ミケ! 〈ハンバーガー〉の亜種だ! 名を〈チーズバーガー〉と言うらしい! 〈バンズ〉に挟めば何でもバーガーの名を冠せるそうだ。そうだ、ミケ、ミケの〈ハンバーガー〉も皆に」

「ライメイ」

「ん? どうした?」

「知らな、し、知ら──ライメイ、一緒に〈ポテト〉はどうだ?」

 毒入ってたら解毒すればいいや、あれも、これも、食べたいものみーーんな食べな、とミケはにこにこ笑顔で、ライメイのお食事を見守った。




 【黄金卿・郊外】




「ごちそうさまでした」

 黄金の麦畑を走るミコシの中は、〈ハンバーガー〉の匂いで満たされていた。

 ライメイの顎の可動域からするとやはり黄金卿の民向けの食べ物は大きすぎたようで、食べるのに苦戦し、駐車場を出てから車内でずっともぐもぐ元気に食べ進めていたが、市を離れてこんな草原しかない街外れまで来てやっと食べ切れたくらいだった。

 この星では牛の脂(ヘット)で調理をするのがスタンダードなのか、こもった脂の堪らない香りが、これも市のお土産と言わんばかりに車内を漂い食欲を刺激し続けていた。

 栄養とかバランスとか一切見向きもしないど真ん中一球勝負の肉とパン。

 想像と寸分違わぬ味がしたとライメイはうっとり語った。

「……ミケ」

「どうしたライメイ。お、眠くなったか?」

「いや、そうじゃないんだ……」

「ポテトの匂いだなあ。お腹鳴りそう。少し窓を開けようか?」

「いや……、それはいいんだが……」

「遠慮するな」

 気分を変えよう、と言うかのように、ミケは構わず「『開口』」と呟いた。

 ミケの発声に反応して、シュゥゥ……、と音を立てながらルーフごとフロント部が大きく開き、車体がオープン仕様になる。ガイドを放棄したルートナビを投影するためのフロントウインドウは、もはやただの風避けにしかならない。まるでフィクション作品に登場するオープンカーだとミケは口笛を吹いた。

「フッ、風が気持ちいいな……」

「……」

 輝く草原を撫でる薫風が、星の規定速度通りで運ばれるミケとライメイの間を吹き抜けてゆく。

 ふぅ、と片手で乱れた髪を軽く流して、|自動走行《Wheel Drive》に切り替えたミケはライメイに向き直った。

「なあ、ライメイ。気づいてるか?」

「……ああ」

 フフ……、とミケは微笑すると、爽やかに言い放った。

「ごめん、迷子だ」

「……ああ、だろうな……」

 市からポータルへの道中。ミケは地図を眺めると、しばらく考え込んで、「こっちの方が早い気がする」そう言ってミケがフロントウインドウに投影された親切なネオンガイドを無視して軽やかにハンドルを切った瞬間、ライメイは全てを覚悟した。かぶりついたが最後、食べきるまで一生もぐもぐするしかないハンバーガーを相手にしている手前、止める術がなかったのもある。


 全天球に渡ってルートが無数に展開する星の海では抜群の土地勘を発揮するミケだが、どういうわけか縦方向の移動のない、あってもせいぜい360°程度しか進みようのない地上においては方向感覚がどうにかなってしまうのか、ミコシで迷子になってしまうことがよくあった。

 海図のない《還らずの海》域はともかく、少なくとも地図情報のある(おか)の上ならば、ミコシのWD(自動運転)に任せていれば目的の場所に導いてくれる。

 しかし、ミケは何かと自分でミコシを運転したがった。

「星は星ごとの、あるんだよ……、色々……」

 迷子の責任を七割くらい背負ったミケは、ス……、と遠い目をした。

「俺はミケに任せたことを後悔していないがミケに任せきりにしたことを反省している」

 残り三割の責任を自覚しているライメイも同じように前を見る。

 こうして互いを信じ合う二人が同じ方向を向いて果てなく続く未開の地を直走る様は、あたかも光指す未来への挑戦のようでなかなかなグッドエンディングだとミケは思ったが、その実ただの迷子である。ひたすら真っ直ぐな道を走るうち、道の方が根負けしたのかぽつりぽつりと何かしらの看板も見えてきたが、どうも目的地に向かっているようには考えられなかった。

「引き返す、という選択肢は無いのか?」

「そんなヤワなルート選びはヤだってさ」

「……今日中に街まで戻れると思うか?」

「そうだな。この道が賽の目状に区画整備されてるなら一生右折してればそのうち着くんじゃないか?」

「ああ、そんなこともあったか……」

 ある星にて。ハンドルはおれに任せろと自信たっぷりにライメイを助手席に乗せたミケは、賽の目状に区画整備された街の角という角を右折した。結果、ミコシは右折三回を経て元来た道に戻る、ということをひたすら繰り返し、ライメイがさっきから同じ店の看板ばかり数十回も出てくる理由をミケに尋ねて初めて迷子になっていることとどうやらミケは方向音痴のケがあることが発覚した、ということがあった。

 日が暮れる前に気づけてよかったと、ライメイは当時を振り返る。小さな迷路のような星で、ライメイは探し物の代わりに、盲信は信頼から最も遠い行為であることを学んだ。

 ここのところは人工知能にも感情なり人権なりがあるため、あまり無茶なルート選びをするとナビの方から「もうイヤです」と言ってくれる。事実ミケは何度か怒られている。ナビ相手にそこをなんとか、と言うこともできないので、ナビ通りに走行するコロニー艦内ではここまで迷うことはそうそう無いのだが、そうはいかぬのが泣く子も黙る未開の星だ。人工知能も困る情報不足のこの星で、運転手はやりたい放題だった。

「まさか迷い子になるなんて……、(おか)酔いかな」

「俺が運転できるようになったら、同じ言葉は言わせないぞ」

「星酔い星酔い」

 そうして、迷子が二人、広い広い草原の道をひた走っている。

「見て、ライメイ。牛だよ。はは、でっけー」

 山みたいだ、とミケは運転席側の草原で放牧されている巨大な牛の群れを差した。人が大きければ牛も大きいのが黄金卿だ。地面から頭のてっぺんまでがコロニースケールで5mほどもある黄金卿の牛は、そこからさらに頭の脇から1mを超える左右一対の黒い角を生やしている。コロニーで製造している牛のような食肉種と搾乳種といった分け方をせず、この星の牛は皆一様に死せば食肉、血を持て余せば搾乳として、祖星開闢より黄金卿の民の血肉を養っている。

 身は引き締まっていて旨みが強く、市で聞いた話だとあの巨体で時速60kmで走るらしいとミケは付け加えた。

「そんなに速く走れるのか? あんな大きさで?」

「うん、おれもびっくりしたけど、どうやら大げさじゃないらしい」

 ほら、とミケがライメイの肩の向こうを手で指す。

 ん? とライメイが振り向くと、窓のすぐそばに黒い壁が出現していた。「うおっ⁉︎」

「あははははっ! どうやらご挨拶に来てくれたみたいだな!」

 神輿に並走して走る牛の迫力に驚くライメイを、ミケは楽しそうに笑った。

 いつから言うタイミングを見計らっていたのだろう。

 こいつ、と笑うライメイに白い歯を見せて、ミケは果てしない道の脇にミコシを止めた。



 市に並ぶ食材や市の人の話を聞くかぎり、この星の名産は麦と牛で間違いない。

 名産となる食材には、星ごとに異なる神の祝福が宿っている。神からの恩寵たる名産食材で作る《星の味》は、星との結びつきであり、ライメイが霊装化(ニンジャ)して特別な力を得るためのエネルギーを彼にもたらす。その《星の味》を作る手がかりに、ミケはこうして星の恩寵と対話をするのだ。

 市内では服の下に隠していた武器を車内に置き、自動開閉式のドアをさらにゆっくりと閉め、草原の淵にミケは降り立った。風に靡く牧草の先端が膝を撫でる感触がこそばゆい。

 遠くから見る黄金牛の群れは、まるで雄大な山脈のようであった。目前まで来ると、やはりそれぞれが独立した山であったと納得するほど、その身体は凛々しく逞しい。この生き物にかかればあの大柄な星の人々も、ましてやミケもライメイも一捻りであろう。しかし、ミケたちの頭ほどもある大きな黒い眼は、まるで宇宙を満たす無のように果てなく、穏やかに凪いでいる。

「はじめまして」

 ミケは己の作法に則って〝礼〟をした。星の恩寵に臨む飯屋にとって、恩寵に対する〝礼〟は最も神聖な行為である。

「待て、そんなに近寄って平気か?」ミケを追ってミコシを降りようとしたライメイが、数m先をゆくミケの背中に呼びかけた。

「このひとなら大丈夫。あとおれも。あれ? でもライメイはまだ危ないから、少し離れ──」

 て、とライメイに振り返ったその瞬間、ミケは白い弾丸の様なものが自分に向かってきているのに気がついた。

「……ッ!」

 狙撃か──⁉︎

 軽率だった。

 到着時からどこか奇妙さの漂う星で、こんな開けた場所に出るなんて無防備にもほどがある。

 刹那の戦慄の中で、ミケの打算は素早く働く。

 ライメイは車の中。

 弾丸ではない。

 避ければ後ろの牛に当たる。

 弾き返すための武器はない。

 なら、受けるしかない──!

 衝撃に備えて咄嗟に手を前に出したミケの前に黒い影が閃いた。

 パン! と短い破裂音。

 砂埃にピントの歪んだ目を堪えると、そこにはクナイを構えたライメイの背中があった。

「待てと言った」

 無事か? と背中越しに問う彼に「おかげさまで……」

 ライメイの足元に、彼のクナイに一刀両断された白い球状の物体が落ちている。

 どうやら襲撃らしい。

「ありがとう、ライメイ」

危ないから(﹅﹅﹅﹅﹅)少し離れていろ」

「ハハッ! 頼もしいな」

 牛を宥め、群れの方へ走るよう伝えると、ミケはライメイと背中を合わせて並び立つ。

「生憎、そんなヤワなルート選びはごめんでね」

「……ミケは本当に機械の言うことをきかない」

 仕方ない、と吐いた溜め息を最後に、ライメイは迫り来る敵の前に躍り出た。



 どこで彼らの正体を見破ったか知れないが、刺客は黄金卿の民だった。何事か不明瞭な雄叫びを上げながらミコシの向こうから真っ直ぐこちらに迫ってくる。

 どうやら運転席側の牧草地に潜んでいたらしい。手に大型のパンチグローブらしきものを装着しているのを見るに近接戦闘を好むようだ。飛び道具で出鼻を挫きたいが、正確な敵の総数がわからない以上ライメイも手元のクナイを捨てるのが惜しい。見たところ他に敵の気配はないが、要心に過剰はない。ならばと素早く敵人の懐に滑り込んだライメイはシュルリと足下に滑り込んで地面に薙ぎ倒し、両腕を封じた。あっけなさすぎる。あの遠距離砲の精度は悪くなかったが、戦闘慣れしているわけでは無いらしい。やはり他に狙撃手(スナイパー)が居るのかもしれない。ライメイは巨漢の黄金卿の民で射線を切りつつ、首元にクナイを当てた。「何人いる」

「ン゛ー⁉︎ ン゛ー⁉︎」

「スナイパーの場所は」

 ヒヤリとした鋭利な感触に、哀れなほどパニックに陥った敵は具にもならない叫びをあげるだけで情報は出てこない。

 射線は切ったが、このままではコイツの声で狙撃手に居場所が知れる。

「待って、ライメイ!」

 ライメイは手に力を込めた。

「静かにしてもらうだけだ」

 パ、と頸から手を離し、ライメイは気絶した敵から退いた。

 武器を回収したミケと一緒に、車と気絶した敵で作った壁の間に隠れて、ライメイは壁代わりにした敵の姿をまじまじと眺めた。

 郊外で、しかも真正面から挑んできたのを見るに、企業(コーポ)総合職(アサシン)ではない。

 企業(コーポ)の者は戦闘履歴(レポート)を提出するため、市内カメラから映像を経費で買える市街地戦を好む。とすれば、この敵はミケが昔そうだったように、フリーランス、もしくは鉄砲玉(飛び込み営業)である可能性が高い。

 しかし、賞金稼ぎにしては妙な格好をしている。

 麦畑に紛れやすい白地に黄金色の縦線が入ったセットアップは合理的だが、上半身の半袖部分から飛び出た上腕部はピッタリとした黒い布で覆われていて、これでは遠目にも武器を構えているのがわかってしまう。通気性に優れていそうだが、装着するなら夜間だろう。さらに、所属する機関の象徴だろうか? 白いシャツの背中には牛に似た動物の紋章が刺繍されている。特定の機関から受注する鉄砲玉(飛び込み営業)が仲間に狩られないよう紋章を掲げることはままあるが、ここまであからさまなものは珍しい。意図がわからない。「一体なんなんだ……」

「ん、この服……?」

 懐のタコ糸で巨漢の敵をなんとか縛り上げながら、ミケが首を傾げた。

「〝知り合い〟か?」かつて企業(コーポ)でフリーの総合職(アサシン)をしていたミケに問う。

「いや、そうじゃないけど……」

 心当たりがあるらしいミケが敵の懐から頭を出して「あっ、ミケ!」服の前身ごろを確認した。

 背中にあった紋章は胸部にも施されていた。よほど掲げたいものらしい。

 やはりか、という風に思案して、ミケはある可能性に行き当たった。

「なあ、ライメイ。もしかしたらこの人(﹅﹅﹅)──」

「オーイ! だーいじょーぶかァー⁉︎」

 ミケが口を開いた瞬間、遠くから間延びした声が聞こえた。

「オーーーーイ! どーこ行ったあ〜?」

 オーーイ! ともう一度呼びかけられる。

 仲間──にしては、緊張感が無さすぎた。

「なんだ……?」

 警戒しつつ、ライメイが車のミラーを曲げて、向こう側を覗く。

 すると、草原の向こうから足元の者と同じ衣装を身に纏った黄金卿の民が、丸太のような両腕を左右に大きく振りながらこちらに向かってきていた。降参の縁起にしては神妙さがない。

 オーイ! オーイ! と丸々とした腹を揺らしながらドシドシ走ってくる。走ってくる──、が一向に距離が縮まらない。

「……」

「……」

 っへー!んじーをく、ェエッホ、エッホ、れェー!!

 ゼェ、ゼェ、と激しい息切れが数十メートル離れたこちらにも聞こえてきそうな勢いで、声の主は相変わらず縮まらない距離をひた走る。

 これは……、とライメイとミケは顔を見合わせ、ハムのように縛り上げた黄金卿の刺客(?)を引きずりながら、彼の者の元に向かってやった。



「ハァイ」折衝役のミケが片手をひらりと振る。

「どうも、この星に旅行に来たただの旅人です」

「同じく」

「ウチに⁉︎ 旅に⁉︎ こりゃあこりゃあ! そりゃまた、こんっ、エッホ、ン゛ンッ! な牧草地で、ゼェ、迷子かい?」

 市で見かけた人々よりも、さらに大きな体躯をぐうっと屈め、ゼエハア息を吐き出しながら刺客Bはミケと目線を合わせた。

「まあ、そんなところかな」ハハ……、と答えつつ、ミケは目の前で滝のような大汗をかいている者を観察した。

「そいつぁ大変だ! 後で街まで送ってってやるよ! けど、すまないねぇ、ちょっと今緊急でよお。なあアンタ、オレの仲間見なかったか? オレとおんなじ服で、ヘニャってした男でよ! ボール探しに行ってくれたんだが、急にどっかに消えちまってよォ」

 また肥溜めに落ちてたら助けてやんねえと! あわあわ辺りを見渡しながら、刺客Bは鍔長帽で自身を仰ぐ。風圧でミケの面隠しがふわりと浮き上がりかけた。

「その仲間というのはこいつか?」

 念の為、刺客Bの背後に回ったライメイは先ほど締め落とした刺客Aを見せてやった。

 すでに嫌な予感をミケの顔色から感じている。 

「あれェ⁉︎ ハムになってる⁉︎」

「手足を引きずると怪我させちゃうから悪いけど縛らせてもらったよ」

 ミケが素早く嘘をつく。トラブル回避には嘘も方便。銀河ガイドブック(ギジロク)にもそうかいてある。「えっと……、出会い頭にライメイとぶつかって気絶しちゃったみたい」

「オゥ……、なんてこった」

 ライメイからチャーシュー編みされた仲間を受け取って、刺客Bは頭を抱えた。

「あと、ボールってもしかしてこれ……?」

 さっきライメイが真っ二つにした白い革でできたボールをミケが差し出すと、なんじゃこりゃあ! と驚愕されたが、さすがにこれのうまい言い訳は見つからず、なんだろうねぇ……、とミケもライメイもしらばっくれた。

 ──どうやらおれたちは、ちょっとまずいことをしちゃったみたい。

 ミケは隣りに戻ってきたライメイをちら、と見た。

 ──どうする?

 ──どうしよう……。

 と二人が目で会話する間も、刺客Bは、

「ノビちまったか〜! 参ったな〜!」どうしよう〜! と、ひげもじゃの顔をくしゃくしゃにして、うんうん唸っていた。

 どうやら何の敵意もない民間人を締め落としてタコ糸で縛り上げた挙句、あまつさえ彼らの財産を損傷してしまったらしい。最近まで星外とのやりとりのなかった星の一般人が、『来星者との事故・衝突に関する自賠責保険』に入っているとは思えない。連盟に立件されでもしたら、お尋ね者二人の懸賞金の額が増えるどころの騒ぎでなくなる。

 まずいことになったぞ、と冷や汗をかく二人の間で、白地に金の縦線のユニフォームを着た刺客B改め無辜の民Bは、よし! と腹を叩いた。

「しゃあねえ! アンタらどっちか代打やってくんねぇか!」

「だい──、お、おお⁉︎」

「わあっ!」

 決まりだあ! と腹の丸い黄金卿の民Bは左腕で仲間とライメイを、もう片方の腕でミケをまとめて抱き上げると、勢いよく立ち上がった。

「頼む! 星の命がかかった試合なんだ! バッターボックスでヘラヘラしてくれるだけで十分だからよ!」

 あーとで街まで送ってやっからよ〜!

 ガッハッハ! と笑いながら、黄金卿の民Bはミケとライメイと仲間を連れて、ドシドシと草原を走り出した。

「ま、待ってくれ! 代打ってなんだ⁉︎ バッターボックスって⁉︎」

「ああん? ンなもん決まってんだろい!」

 遠銀河の果ての星・《黄金卿》。

 名物は、麦と牛とおもてなし。それから、野球(ベースボール)




 ☑︎市にいく


 NEXT ◻球場にいく



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