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ブレーメンの聖剣 第2章 慟哭 7
「ざけんじゃねぇ!」
ヨシギの怒号で応接室のテーブルが踏み抜かれ真っ二つに裂けた。ヒトの力じゃない、ブレーメンの力の瞬間的な発露だった。普段は昼行灯というふうに女物のタバコを咥えているが、いざとなればやはり軍人らしく怖い怒号が出せる。
応接室で対峙しているのは財団から来た黒スーツの男、そして今回の作戦の責任者たるヨシギ、そして当事者のソラ。
黒スーツは以前も、ソラが蹴り上げたテーブルが頭をかすめているせいか、ヨシギの威嚇も凛として表情を変えなかった。
「このテーブルは、あなたの月給と同じぐらい高いんですよ、大尉」
「俺たちがさんざん殺してきたテウヘルは、元はヒトだってことか」
「ええ、ですが──」
「ですがですがって、すましてんじゃねぇぞボケが!」
「私が財団の者で良かったですねぇ。もし私が軍人であなたの上司だったら、あなたは懲罰ですよ」
「いけしゃあしゃと言わせておけば」
ソラは反射的に、獲物に飛びつこうとするヨシギの服を引っ張った。ソラの瞳が黄色に輝きブレーメンの力を持ってしてヨシギの暴行を未然に防ぐ。
「わかっていると思いますが、大尉。このことは他言無用で。兵士たちの士気に関わります。軍の高官もその一部にしか知らされていない事情ですので」
「テメェらの事情なんて知ったこっちゃねぇ。いいか黒スーツ野郎。俺がテメェを締め上げないのはその胸に輝いている財団のバッジのおかげだ」
違う──ソラがヨシギの手綱をがっちり掴んでいるからである。
「相変わらず乱暴者なのね、ヨシギ・コウ」
アルト歌手のような女声が聞こえた。応接室の戸口に、もたれかかるように長身で妙齢の女性が立っていた。軍の制服に袖を通し、長いブロンドの髪を規律に従って結い、サイドアップに束ねている。
「誰ですか?」
階級章は少佐を示していた。しかしこの基地でこの士官を見るのは初めてだった。
「あら、あなたが例の純血のブレーメンね。はじめまして。ヨシギが拾ったっていう。フフ、おもしろい。もちろん話は聞いているわ。師団全体であなたはすごく有名なの」少佐は軍人らしくない妙に優しい声音で、握手を求めた「私は寿。少佐殿か寿さんって呼んでね。あなたの上司の上司よ。よろしくね」
ソラはぼんやりと寿の冷たい手を握り返した。が、すぐ思い出したかのように軍隊式の敬礼を返した。
「すみません」
「いいのよ。さすがブレーメンね。本物に会うのは初めて。昔話で聞いたブレーメンより礼儀正しいのね。それなのに何? ヨシギ・コウ、あなたはもう少し大人らしく振る舞ったらどうなの?」
ヨシギは不満げに鼻を鳴らすと、ギシギシとパイプ椅子に深く座って足を組んだ。タバコを吸うと思ったが、それが入っている胸ポケットを撫でるだけだった。
「寿少佐……殿」
「あら何かしら? 遠慮しないでなんでも言ってちょうだい」
「ヨシギ隊長と同じ香りがします。タバコ吸いますか?」
「フフフ、そう」
すべてを察した、という大人の笑みだった。寿は軍人らしくまっすぐ背筋を伸ばしてヨシギを見下ろした。
「このテーブル、あなたが壊したんでしょ。さっきそこの窓から見えたわ。大丈夫。修繕費はちゃんとあなたの給料から差し引くよう、手配しておくから安心してね、ヨシギ・コウ」
「どうしてお前が」
「フフフ、上司に向かって随分な口の聞き方ね。中隊長の私が駐屯地を訪れるのがそんなに不思議?」
「昇進試験の勉強とコネづくりにしか興味がないと思っていたがな」
「あら心外ね。可変戦闘車が大規模な敵部隊と交戦して戦果を上げつつも機体は廃棄処分。私が連隊本部からソリドンブルグまで、事後処理にあちこち走り回るのは特段珍しいことじゃないでしょ」
ちらり──寿の視線を感じてソラは、すみません、と小さく付け加えた。結局、練習用の汎用機を無茶に戦闘機動で操縦したせいでシャシーが折れていたらしい。つまりは可変戦闘車1台がスクラップになった。生涯年収10人分、というヨシギの言葉が蘇った。
「あとは私の個人的な興味ね。赤ヘルは可変戦闘車乗りにとっては天敵であり好敵手だった。それを倒すばかりか捕虜を取って来るなんて驚きね」
「お前も知っていたのか。テウヘルがヒトだったってのは」
寿の唇が薄く伸び、ピンク色の口紅が艶やかに光った。
「財団からの通達は以上になります」黒スーツが癖のようにネクタイの曲がりを調整した「機密事項については、別途 軍の情報部と近衛大隊から宣誓書の記入が求められると思いますが」
「あーわかったよわかった。言いふらしたりしねーよ。言ったところで誰も信じないだろうし」
「結構。あーソラさんは大丈夫です。『口外しない』という約束をしましたから。ブレーメンは約束を違えないのでしょう。常識です」
寿にも肩を掴まれて、
「だからあなたはもう退席していいわよ、ソラくん。後は大人同士、濃いお話があるの」
確かに居心地が悪い。軍にいるのは戦いの爽快感を味わうのと三食のご飯と屋根と壁のある寝床のため。こういう駆け引きはヒト同士でやっててほしい。
「そうそうソラくん」
寿が呼び止めた。部屋の外では憲兵が待っていた。
「まだ、何かあるんですか」
「そう怯えないで。お姉さん、悲しいわ。これもヨシギの影響なのかしら」
寿が得意げに言うせいで、ヨシギが鼻を鳴らした。
「いえ、そういうわけでは。少佐殿」
「フフ、ならよかった。ひとつお願いがあってね。あの捕虜の女の子と面会してもらえるかしら」
「どうして自分が」
「あなた以外に話そうとしないの。名前すらね。といっても拷問訓練を受けているようにも見えないし、単に女の子が意地を張っているだけ。私の見た感じだと、そう恋ね」
ソラが怪訝な表情で返すと寿はあっけらかんと笑っていた。
「冗談よ。まじめなのね、あなた。ヒトやヨシギのような混血と違って、あなたはブレーメン。だからそれだけ信用に足るということじゃないかしら。私も情報部もそう。きっとテウヘル側もね。ブレーメンだけは信じるべきだと思っている」
「でも──」
「だから、あなたも、私達を信用してね」
部屋の外で待機している憲兵は無言の圧力を加えてきた。なかば連行されるように武装した憲兵に連れられ、基地の中央に位置する半地下の営倉まで歩いた。入り口から三重の電子錠を開けると10ほどの鉄格子の小部屋が並んでいた。ひとつあたりが随分狭い。折りたたみ式のベッドが壁にチェーンで掛かっている。
藍色の肌の少女が拘束されているのはその中央付近だった。
オレンジ色のツナギを着て、吊り下げられた簡易ベッドに腰掛けている。地上からの光が手紙サイズの小窓から彼女の顔に降り注いでいる。彼女の手の上には可変戦闘車の操縦席で見た緑色で半透明な軟体動物がぷるぷると揺れている。言葉とか鳴き声とか、音のたぐいは聞こえないが言葉に頼らないコミュニケーションを取っているようだった。
「やぁ。あの、ひさしぶり。僕の名前はソラ。自己紹介がまだだったね」
藍色の少女はベッドから立ち上がって、鉄格子のそばでぺたんと座った。どこか眠たげな表情だったが、昨日見たときより顔色は──藍色だから良し悪しはわからないけれど──良くなったように思える。
「むぅ。うん、ブレーメンのソラ。よろしく。わたしは、わたしの名前はアーシャ。ほんとは藍沙だけど、みんなからアーシャって呼ばれてた」
彼女の手の上から肩へ飛び移った軟体動物も、どこか嬉しそうに揺れていた。
「よろしく、アーシャ。ずっと気になってたんだけど、それは、何?」
「こっちはね、ポポだよ。ポポもね、ソラくんが助けてくれて感謝してるってさ」
顔というべき場所に黒の点が2つあるだけで感情は読み取れないが、ぷるぷると揺れているのが“感謝”なのか。
「ペット、みたいな?」
「むぅ、兵役をはじめたときからポポとずっといっしょで。何ていうんだっけ?」
「僕は知らないよ」
「スイリョ……リョクシュ? たしかそんな感じ。わたし、頭があまり良くないからわからない。テムさんはいろいろ説明してくれたけど」
これは、機密情報なのだろうか。直ぐそばには憲兵が立っている以外、人影が見えない。情報部の兵士も役人も姿がない。どのみち監視カメラで観察しているんだろうが────。
アーシャの手が伸び/しかし手錠のせいで格子に引っかかってしまい盛大な音を立てて鉄越しが揺れる。憲兵がとっさに電撃警棒を抜いたが、ソラは手を振って静止した。伸びた手に触れると、細く冷たく、さっきの寿少佐よりも薄い、皮と骨ばかりの手だった。そして藍色の肌。
「むぅ温かい手」
「僕、ブレーメンだから。ヒトより体温が高い。たぶん。アーシャは元気になったみたいだね」
「うん。ここのご飯はおいしい。ブレーメンのソラも、おいしそうな匂いがする」
鉄格子の間から腕が伸び、背中に回されて抱きしめられた。ヒトより強い力/それでもブレーメンの力よりはるかに弱い。冷たい手が背中を這うのを感じた。
「お願い。わたしたちを助けて」
「それは、もう聞いたよ。君の身は安全だ。だれも傷つけようとはしないさ、たぶん。それよりどうやってテウヘルに、ええと、変身? するんだい」
「わたし、あなたの機体の動きを見た。普通の兵士じゃない。普通の兵士はもっと遅いし鈍重だし、カカシみたい。でもあなたは違った。テムさんとカールスバーグ隊長が、あの機体にブレーメンが乗っているんだって言ってた。だからわかった。ブレーメンならわたしたちを助けてくれる。だからわたしは逃げてきた」
「そんな不確実なことで。無鉄砲すぎやしない?」
「むぅ。よく言われる。でもガマンできなかったの」
「やっぱり、君は逃亡してきたんだね」
「“お仕事”のとき、連邦の暮らしを見た。みんな豊かに暮らしてる。でもわたしたちは違う。国家ではみんなすごく貧しい。灰色の荒野と汚染された水と食べ物。それなのに20年の兵役や重税や死なないぎりぎりの生活なの。お願い、たすけて」
頬に着いた温かい水……ソラは鉄格子越しにアーシャの頭を撫でて落ち着かせた。
知らない世界。巨獣とは、東の地平線の果てに住む野獣のはずだ。連邦の人々は少なくとも、皆そう思っている。時折 荒野を越えて襲来するテウヘルを退治するのが軍の役目だった。
その程度。それなのに、地の果てには藍色の肌の人々が暮らしている。国家? どういう意味だ? わからない。
「でも、でも僕は何も権限のないただの操縦手だ。戦いは、えっと好きだけどさ。きっと何もしてあげられないと思う」
「むぅ、違うよ、美味しそうな匂いのブレーメンのソラ。わたし、誠意を見せる。ちゃんとするから──軍人さん、どうせそこで聞いてるんでしょ。あなた達が知りたがってたコトを教えてあげる。だからお願い。国家のみんなを助けてちょうだい」
しん、と営倉は静まったまま。たぶん、どこかマイクかカメラでこちらの様子を見ている。
「彼らは連邦へ本格的な侵攻を計画しています!」
アーシャは涙を流しながら、ぎりぎりと歯を噛み、同胞を討つように懇願した。
物語tips:テウヘル
人類の敵。倒すべき悪。巨獣と認識され唯一大陸東側にいる怪物、というのが一般認識。
体長は、100年前のファーストコンタクト時は8mだったが現在は15mの巨体が襲いかかる。巨体でありながら動きは俊敏で1個体だけでもかなり強い。武装は少数の機関銃と肉弾戦が主。巨大な銃はコストがかかる模様。
その正体は500年前の第1次テウヘル戦役後に大陸の東側へ移民した人々の子孫。藍色の肌と紺色の瞳を持つヒト。