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物語tips:テリチウム合金
超超硬質鋼。高い融点(ただし熱は通す)と高靱性のため恒星間航行船の外殻に使われる一般的な鋼材。かなり重くコストも掛かるので軍用船、調査船以外では多用されない。また断熱性は皆無なのでビーム兵器に対して空間装甲が必要。一方でそうすると質量兵器に対して脆弱になるという使い勝手の悪い物質。
人類がこの惑星に移住してきた頃は一般的だったが現在ではその製造方法はおろか原料さえわかっていない。ブレーメンの剣は大抵のものを切り裂くが、テリチウム合金だけは切ることができない。
ヨシギの武器は、オーランドの旧居住塔から発掘した構造体のひとつを再利用したもの。
速度計、姿勢制御、油圧、油温、反重力機構への電力供給──すべて正常。推進剤の残りは約60%。
地上から浮かぶのは反重力機構の作用によるもの。しかしそれだけでは歩くほどの速度でしか移動できないので機体の推力はそれとは別に推進機から得ていた。車のようなレシプロエンジンとは違う、大気をタービンブレードで圧縮し、推進剤と一緒に燃やして噴出させる発動機だった。推力は十分にあるがそのせいで燃費が悪い。戦闘機動でもしようものなら5分でメインタンクが空になる。そろそろ帰路につきたい頃合いだが、ヨシギからの指示はない。
2両の可変戦闘車は見渡す限りの瓦礫の町をひた走っていた。獣道のように、細かな瓦礫で覆われた道路を地上から3尺(約1m)を浮いて滑るように移動する。2両が通った後は砂埃が舞い視界が霞む。可変戦闘車の装甲は厚く、道を塞ぐ瓦礫はすべて砕いて進んだ。
身にまとう戦闘服は体にピッタリと張り付いているがそれでいて着ている感覚はなかった。股間がやや窮屈というくらい。背中は、脊椎に沿って高価な神経センサーが張り付いている。指のグローブ状のセンサーと背中の神経センサーで、可変戦闘車の機械の体を生身の体のように動かすことができる。そして、ブレーメンが操縦したら、可変戦闘車のの動きは本物のブレーメンのようだと言われた──だれも戦うブレーメンの姿なんて何百年も見ていないのに。
「今日から学校だったんですけど」
ソラはつい出た言葉を言い終わった後で、通信機がオープンチャンネルだったことに気がついた。
『模範的な生徒だ、ソラくん。私の教え方が良かったのかな』『学校は、そんなに楽しいことばかりじゃないんだけどなー』
すかさずニロとフェイフェイから返答がある。
『2番機! 3番機! 作戦中は私語は慎むように!』
ぴしゃり──今度の声はアヤカだった。そして通信が小隊のみに切り替わる。
『ま、そういうこともあるさ。仕事ってのは急に予定に入り込んでくるから、急用っていうんだぜ』
ヨシギから届く妙なオヤジギャク。たしかに連邦共通語では発音は似ているが笑えるものじゃない。
小隊編成は急遽入れ替えがあった。まだ新兵のソラはヨシギの2番機で、アヤカの分隊にニロとフェイフェイが就いた。この編成を言い渡されたときの2人の神妙な顔はおもしろかった。今、アヤカの小隊は見渡す限りでは姿が見えず、バイザーに投影される情報ではおおよそ4ブロック西側にいるはず。
「でも、緊急発進とはいえ本当に情報が信用できるんですか」
『ああ。第2師団の巡空艦は、手は貸さないが目だけは良い。上空からなら巨獣の動きが監視できる』
「戦力が足りない気が」
『そうか? 俺はそうは思わない──次の角を右だ。タラタラ減速してたら置いてくぞ』
事前情報通りなら、赤ヘルの巨獣が1匹と一般的なテウヘルが数体。多くても10匹程度。それにハウンドの群れが少々。こういう行動を“威力偵察”というらしい。敵に出会って鞘当てして、それで戦力や配置を図る。
本来あてがわれるべきは可変戦闘車1個大隊なのだが、たった5機の編成で対応できるのか不安だった。
それ以上に、財団から届くはずの専用可変戦闘車と調整員の到着が遅れに遅れ、あの黒スーツが朝から謝罪に来ていた。そのせいでソラは一般兵用の汎用可変戦闘車に乗り込んでいる。訓練で使っていた機体なので癖は分かるが、補助AIのリミッターを解除して動かしてもヨシギ機に追いつくのが難しい。
ヨシギ機はテールスライド気味に、兵器やトラックの朽ちた残骸だらけの交差点を滑るようにターンした。ちらりとノーズアートの、蝶花に食らいついてる黒豹が見えた。ソラも負けじと食らいつくように追いすがる。両足のペダルを微調整して左右の推力をずらす。そして僅かな体重移動を神経センサーが感知して反重力機構の地上高を保つ。
ソラの車体は朽ちて折れ曲がった道路標識をぎりぎりで通過してヨシギ機と距離を詰めた。
『いい動きだ。どうだ? 実戦は楽しいだろ? な?』
「いいえ。別に」
すこし言い淀んでしまった。嘘を言ったことがバレただろうか。可変戦闘車の操縦桿を握ると同時に全身に湧き上がる高揚感と全能感は──本能的に立ちふさがる敵を叩き潰したいという攻撃的な欲求に呑まれそうになる。アヤカの言っていた通り、ジャガーはブレーメンの聖剣と同じ効力がある。戦いの高揚感が味わえるのならソリドンブルグから遠く離れた、連邦領域の東の辺境まで来た甲斐があった。
「殺風景ですね。敵がいません。ヒトも、ずっと誰も住んでいないみたいだ」
思い切り戦うことができる。シュミレーターと同じ光景。弾痕だらけの壁、焼け落ちたビル、砲弾でめくれ上がった道路、クレーター、燃え尽きた暮らしの残骸。雨が少ない乾燥した台地の廃墟だからか、生き物の気配が全くない。
『100年だ。一応、第3師団が管理しているが街が廃棄された後はここいらはテウヘルとの緩衝地帯だ。実弾演習で使うこともあるが大抵は無人だな。100年前の第3次テウヘル戦役でここは戦場になって大勢が死んだ』
初耳──いや、軍人にとっては常識の歴史なのだろう。町から色という色が全て褪せ、無彩色なコンクリートと、その隙間に風化した巨大な骸骨があった。
「巨獣、ですね」
『ああ、あいつらは容赦ってものを知らない。言葉の通じない野獣だ。見た目の通り。500年前の第1次テウヘル戦役じゃ、ヒトほどのサイズだったのに、第3次で現れたのは2.5間(8m)、今は5間(約15m)』
「まずい、ですよね?」
『デカけりゃ強いってものでもないが。軍や財団の上の連中は焦っているだろうよ』
「的が大きいんだったら僕が、この迫撃砲を全弾命中させてみせますよ」
ソラの機体は訓練用の機体をそのまま持ってきた。背面に背負っているのは長砲身の重迫撃砲──敵/的に迫真し射撃する滑空砲で、回転型シリンダーに砲弾を詰めてある。今回は榴弾、散弾、そしてハウンド用に矢弾も持ってきた。
『それが冗談に聞こえないんだよな、ブレーメンだから。俺が教えた戦闘機動を1時間で理解しやがって』
褒められている、のでいいのだろうか。指示のとおりに機体を動かしただけだったのだが。
バイザー越しに見える世界は、センサーやカメラが捉えた映像だったがまるで自分が巨人になったような錯覚があった。そして機械の内部で動くギアまでが自分の手足の延長のように感じ取れた。
バイザーに浮かび出る紫サイン──隊長機から全機へ向けた符牒“会敵予想地点に到達”
ソラは基本操作マニュアル通り、右の操縦桿近くのパネルを操作して榴弾を装填した。自動装填完了までおおよそ15秒。戦闘機動中なら22秒。
『もしもし、こちらニロ。5-5地点に到達。敵視認。数4。距離10町。相対速度から逆算して会敵までおよそ45秒』
廃墟のビルにウィンチで上ったニロ機から観測情報が届いた。
『こちら第1分隊、了解』
むくり。ヨシギの機体が、走行姿勢から格闘姿勢へ変形した。そして背中から長大な棍棒を引き抜いた。むき出しの油圧系統に電気系統。防御を無視して攻撃に集中する戦い方はまるでブレーメンの戦士のようだった。
バイザーの符牒が赤──戦闘中に切り替わる。アヤカの第2小隊のアイコンが全て赤く点滅している。
『こっちも始めるぞ』
緊張より期待のほうが高かった。操縦桿をソケットから引き抜いて、ソラの機体が持ち上がる/走行姿勢から格闘姿勢へ。砲塔が旋回してテウヘルの襲来に備えた。
『いいか、落ちついて訓練どおりにやればいい。お前はブレーメンなんだ』
「ええ、テウヘルなんてぶち殺がしてやります」
『──んっと、気負いすぎるな。落ち着いてやればいい』
落ち着く? もう落ち着いている。この操縦席に座った瞬間から、血は煮えたぎるが頭はどこまでもクリアだった。
『狙いは赤ヘルだ。この短期間で2匹目も狩れれば針部隊の名声も上々。雑魚の処理はお前に任せた。俺は赤ヘルを殺る』
ヨシギは冗談のひとつでも言うと思ったが、声は低く人格が変わったように真面目だった。そしてそれはどこか遺言のようにも感じた。
「死なないでくださいね」
通信終了。敵前だから符牒以外は盗聴されないよう無線通信を閉じた。
大通りからそれた裏路地。駐車場は大昔の瓦礫が積み上がり、燃えて骨組みだけ残っている低層アパート。その狭い道に巨獣が3匹いた──しかも珍しい。全員が大口径の機関砲を備えている。テウヘルたちは背を向けていたが、棍棒を振りかざし接近するヨシギ機に気がついた。推進機の爆音じゃ嫌でもバレる。
やや形勢不利か。
ソラは迫撃砲の砲身をテウヘルに向けた。ちょうどよく固まって立っている。
射撃──鈍い衝撃が車内に伝わる。耳栓を兼ねているバイザー越しに射撃音が聞こえた。榴弾が真ん中の1匹に命中/黒煙が広がり肉片が飛び散った。残り2匹は手負いにし、とどめはヨシギがしてくれる。訓練で何度も繰り返した模擬戦闘と同じだ。
真ん中のテウヘルは上半身が吹き飛んだまま立っていた。
次弾装填──その間にヨシギ機が敵に急接近した。機械とは思えない、生身の戦士の動きで右側の1匹の脳天へ棍棒を振り下ろす。
「装填完了です!」
しかし発射ボタンを押すより以前にヨシギ機が棍棒を盛大にフルスイングした。背骨が折れる鈍い音の後でテウヘルは倒れた。
「新手です!」
ほとんど反射だった。操縦桿をソケットに戻して可変戦闘車の車体を走行状態に戻す。そのすぐ頭上を投げ斧が通り過ぎ朽ちたホテルの看板を真っ二つにする。
標的は2。
砲身を微調整し発射──しかし寸前で回避された。爆轟でもうもうと砂埃が舞い上がる。
戦闘支援AIの介入──カメラを赤外線探知モードへ。負傷しビルの影に隠れているテウヘルを見つけた。
両足のペダルを踏み込んで急発進。弾種変更/散弾。シリンダーが目的の弾種まで回転し自動で交換され、砲身の尾部から迫撃砲弾が装填される。右腕に短刀も握った。
そういえば剣術は習っていなかったっけか。それでもブレーメンの動体視力を行使した。無限に沸き起こるブレーメンの能力。戦いが楽しい楽しい楽しいぃ。
1匹目。散弾を発射。回避されるがそれも織り込み済み。狭い路地に追い込む。
操縦桿を一気に引き抜く/格闘姿勢へ変形した。テウヘルは不器用な手付きで手斧を振り下ろすがそれよりも遥かに速い動きで、短刀を振るいテウヘルの指ごと斧を叩き落とす。
次弾装填完了──極至近距離で散弾を発射/テウヘルの頭部が消し飛ぶ。
後ろ/敵の殺意。戦闘支援AIが警告を発するより遥かに早くソラは後ろに迫る敵の膝を蹴りつける──そして短刀を首へ素早く突き刺す。ストリートファイトで学んだ戦法/しかしAIからの警告文「反重力機構一部損傷」
「なるほど。次からはやめておこう」
崩れ落ちたテウヘルからやや距離を取る。そしてその巨体に散弾を放ち吹き飛ばした。
『容赦ねえな、お前。普段は虫も殺せねぇって顔をしてんのによ』
出力を絞った短距離通信がヨシギ機から届いた。その通信を示す点滅の横で、すでに榴弾が装填されたことを知った。
「次行きましょう」
『目標は赤ヘルだ。落ち着いていけ。あと、推進機の残量に気をつけろ。激しく動きすぎるから燃料の消費が多い』
「ええ、知ってます」
『そうか? 楽しんでいると肝心なことは忘れるのが世の常だろ』
確かに。燃料の残りは40%。補給地点には届かない。荒野の真ん中で立ち往生したら、敵の襲来に怯えながら救助を待たなくちゃならない=嫌だ。
『各機へ通達。118地区へ進出。第2分隊は“右へ回り込め”』
一条の砂埃を残してヨシギ機が走り去る。巨大な金属製の可変戦闘車が路地裏のネズミのように素早く動き回る。
朽ちた公園には乾燥気候を好む、トゲトゲした枝葉の太い木が錆びた遊具を押しのけて生えている。今どき、砂漠は街を飲み込まんとする勢いで広がっている。しかし財団管理下の都市はどこも緑化され人工森林が作られている。
『2番機より小隊長へ。攻略目標は旧99号線上に確認。負傷している模様』
ニロ機からの通信だった。
『ほう、よくやった』
『いえ、私じゃなくて。テウヘル同士で仲違いしているみたいで』
通信に発砲音が交じる。戦いながら通信を維持しているのか。
『へへ、ニロはよくやるだろ』通信が分隊のチャンネルに変わった『アヤカの分隊は交戦中だ。なら赤ヘルは俺たちが殺るしか無い。仲間割れしてるのなら、俺たちに理がある。“酒樽に塩”。ブレーメンのことわざ』
「殺せれたら、いいんでしょ?」
他人が争っている間に第三者が利益をぶんどる、という意味だったか。そんなの知らない。高尚な会話なんてストリートで生きていくうえで必要がない。虚勢と脅しと暴力。必要なのはたったそれだけ。それを理解しているから生きてこれた。
旧99号線は、かつての連邦の辺境を南北に走る幹線道路だった。地平線の先までまっすぐな巨大な国道がはるか北、アレンブルグまで続いている。しかし今はどこも丹念に砲撃で地面が掘り起こされて建物の基礎しか残っていない。
その道路脇のモーテルの壁に隠れるようにして停車した。赤ヘルのテウヘルが、別のテウヘルの群れと対峙しているのはもう少し先の交差点/ロータリーのところ。途中まで遮蔽物がないから、戦うとなると正面切って突っ込まなければならない。
「どっちの味方、します?」
『ばかいえ。お互いがやりあって消耗したときにとどめを刺すんだよ』
「卑怯だと思います。僕らなら割って入って乱戦の中で勝てますよ」
『戦いってのは勝てば良いんだ。いいか?』
「わかりました。榴弾を空中炸裂モードで。信管はモード5で設定」
『いい判断だ、さすが聡明なブレーメン。よし、俺の合図をまて』
人間らしい動きでヨシギ機の機械手が指を折って時間を数える。そして全ての指が閉じられた。
重迫撃砲を発射──しなかった。それよりもコンマ数秒先に、3匹のテウヘルの頭がはね飛んだ。巨大な犬頭が地面に3つころがり、頭を失った巨体は緑の鮮血を吹き出しながら、道路脇の廃ビルの壁にもたれながら倒れた。
ヨシギ機が棍棒を構える/ソラも左の操縦桿でさらに砲身を微調整した。
赤いヘルメットを被ったテウヘルは、両手には巨大な戦斧を持っていた。普通のテウヘルより細身の下半身だったが上半身は剛い骨格と筋肉がむき出しだった。巨体のくせにその動きは普通サイズの人間と変わりない。
「こいつあのときの! ニロの狙撃を斬った」
ただのテウヘルじゃない。ヨシギは──わかっているのだろうか。しかしさらに不可解なことはなぜ味方のテウヘルの頭を3つも跳ね飛ばしたんだ?
ヨシギは猛獣のように襲いかかるか──と思ったが、赤ヘルのテウヘルはその場で2つの巨大な戦斧を落とすと膝から崩れ落ちた。背中には傷口から緑の鮮血が流れ、電柱のような太い槍も深々と刺さっていた。
「これは……隊長、どうしましょう! ぼ、僕がとどめを刺しますか? それとも隊長が殴って頭を潰します?」
焦ってべらべら喋っていたが無線は封止中だったことに後から気づいた。
訓練でやったように背後に警戒する。機体をくるりと回転させて砲身で崩れかかっている廃墟の通りを睨む。敵は来ない。しかしニロの観測と戦術データリンクでは複数の生体反応を捉えていた。
同士討ち──なぜ、という疑問が湧き起こるがきっと誰も答えてくれない。
『ソラ! 今の見たか?』
隊長機から無線が解除された。今の、と呼ばれソラはつい首を後ろへ回す。バイザーの映像が正面のカメラ映像からシームレスに後方用のカメラへ切り替わる。AIが瞳孔の収縮を感知して、その焦点部分だけ映像を3倍に拡大した。
毛むくじゃらの黒い巨獣、その体がするすると縮んでいく。そして流れ出た緑の鮮血の血溜まりだけが残され、その中心に小さな人影があった。
「隊長! テウヘルが……こういうのなんていうんだろう。変身しましたよ! 隊長! 見ましたか?」
『見たからそうでかい声で叫ぶな』
「どうするんです、隊長。あれはテウヘルですか、ヒトですか」
しかしヨシギの返答がない。指を空中で動かしてバイザーの映像を拡大した。朽ちかけたアスファルトの上にべっとりとした緑の鮮血が広がっている。その中心にいるのは長い黒髪の女の子? しかし一糸まとわぬヒトの姿だったが、肌はテウヘルの血の緑色とも違う深い藍色だった。
『ソラ! ぼさっとするな!』
ヨシギから激が飛ぶ。符牒はパターン黒3──第3地点へ撤退の信号だった。
『お前があの元テウヘルを回収しろ』
「僕が、ですか。車外は危険じゃないですか」
『命令だ!』
厳しい軍人のいらえ。いつも飄々としている隊長の姿からは想像できなかった。遠くでは瓦礫の隙間を縫うように新手のテウヘルの巨体が見え隠れしている。事前情報よりもずっと敵の数が多い。まるで本当の戦争のようだ。
血の臭いで引きつけられたか、あるいは赤ヘルと戦うために向かって来ていたのか。
アヤカの分隊とはまだ距離がある。支援には来られそうにないだろう。
ソラは操縦桿をソケットに差し込んで可変戦闘車を走行姿勢に変えた。座席横から自衛用の三三式ライフルを引き抜いて負革を首にかけた。まさかこうもすぐ銃を実戦でつかうことになるとは。
ハッチを開けるとすえた血の臭いと獣臭、そして乾いた砂埃の臭いに包まれた。軽い身のこなしで地上へ飛び降り、巨大なテウヘルの頭部を横目に倒れている少女へ近づいた。
長い黒髪に藍色の肌。身長はたぶん僕より高い。額の前髪を払うと光のともっていないつぶらな瞳が見えた。
「息は、している。脈も、安定している。ケガはしているのか?」
アヤカと一対一で丸暗記した、戦場での応急処置法を思い出す。頭の中で教本のページがめくられ止血、輸血、鎮痛剤の投与量を思い出す。心臓圧迫は左側を=ブレーメンと心臓の位置は逆方向。
藍色のなめらかな肌をざっと観察した。血──テウヘルの鮮やかな緑の血がこびりついているが裂傷はない。内出血らしい痣もない。そして、半透明の緑色の液体が少女の腹の上で動いていた。
「なにこれ。虫? 寄生虫とかかな」
ソラはすっと手を伸ばした。すると液体だったそれが凝固しプルプル震える固体に変わった。ふたつの黒い点が生き物の目のようにソラをじっと見た。そして──スライム状のそれが大きく口を開けてソラの指に噛みつこうとした。
背後ではヨシギ機がテウヘルと格闘戦を繰り広げていた。赤ヘルほど俊敏な敵ではないが各個が連携し単機のヨシギを翻弄していた。巨体同士の戦いの足元では、小さい赤い目が光っていた。テウヘルといっしょにハウンドの群れも襲いかかってきた。
「くそ、こんな時に!」
ソラはライフルの銃床を展開し、安全装置を解除/引き金に指をかけた。
ハウンドはこちらが銃を取ったと見るやいなや、その駆け足を直線的なものから左右へのステップをあせてにじり寄ってくる。銃撃しづらい、よく調教されている。
ソラの瞳が黄色に光った。ブレーメンらしい思考能力と判断力をもって引き金を絞る。単発で放たれた弾丸のうち一発がハウンドの側頭部に当たり、小さな頭を粉砕する。それに怖気づいた一匹の胴体に3発を食らわせる。
殺気──ハウンドの左右からの挟撃だった。ライフルのセレクターを連射に/左のハウンドへ銃弾を浴びせかけ、振り向きざまに右のハウンドへブレーメンの力を発揮して左拳のストレートパンチを食らわせた。ぐにゃりとハウンドの首が折れ曲がり、吹っ飛んでいった。
訓練通り、素早く新しい弾倉を銃に装填する。そして構えた。しかしハウンドはこちらを警戒して瓦礫の隙間から様子を伺っていた。犬の本能で、簡単な獲物じゃないと理解したらしい。
「いいか、僕はお前を助けに来てやったんだ。それなのにどうして噛みつこうとするんだ!」
戦場の騒音の中、ソラは叫んでいた。藍色の体の上で緑色のスライムがたゆたう。言い終わって気づいた──馬鹿みたいだな。
その時、弱々しい手が足首に触れた。藍色の肌の少女が意識を取り戻した。
「大丈夫だ! 問題ない。すぐ良くなる。名前は何だ!」
ソラは応急処置法のマニュアル通り叫んだ。すると薄い唇の間から空気が漏れ出るように力のない声が返ってきた。
「たすけて」
ソラは右手で銃を保持したまま、救命道具が入っているポシェットから保温用のブランケットを広げた。それで藍色の肌の少女の体を包んだ。まるで銀紙に包まれた巨大なブリトー。体温を下げないように──すべて教本通り。スライム状のナニカとは意思疎通ができそうにないと思ったが、銀色のブランケットで体を包む間、脇に避けて静かにソラと藍色の少女を黒い点の目で交互に見比べていた。
女の子とはいえ自分より背が高い。周囲には銃の射程の外から様子を伺うハウンド。数は10か15くらい。左の肩に少女の体を乗せ、右手で銃口をハウンドに向ける。緑色のスライムは少女を守るように体から離れない。途端に足元がふらつき動悸も激しくなる。ブレーメンの力を行使しているが、もう限界に近い。
最後の最後の力を振り絞り、可変戦闘車のハッチまで少女の体を抱えたまま飛び上がった。内臓が飛び出そうなくらい疲労が溜まっている。
「ここに座るんだ。一人で座れる?」
「……うん」
ぐったりしてる少女に緑色のスライムが寄り添う。知性をまるで感じなかったがまるでペットのように気遣っているのがわかる。
『ソラ! 回収したか? さっさとずらかるぞ』
ヨシギ機が棍棒をフルスイング──テウヘルの上半身がちぎれ、廃車が積み重なっている駐車場へ肉塊と内臓と緑の鮮血がどさっと落ちる。まるで安物のスプラッタ映画の一場面だった。
可変戦闘車の操縦桿に触れると途端に体力が回復し火照った思考もクリアに戻った。手早く少女の体をラチェットベルトで固定した。すぐに操縦席に戻って投影バイザーを装着すると、背後に潜むテウヘルへ榴弾を連射しつつ、ヨシギ機の後ろで位置についた。
「何してるんですか」
ソラが通信機越しにヨシギに問いかけた。ヨシギ機の5本指のマニピュレーターがテウヘルが落とした機関砲をガシリと掴んだ。そしてテウヘルの指に合わせて巨大なトリガーを引くと、爆発的な閃光と爆轟が空気を揺らし、白煙が路地や廃ビルを包んだ。
『可変戦闘車のマニュピレーターがどうしてついているか。その理由がこれだ』
「銃、嫌いなんじゃ」
『ん? そんなこと言った覚えはねぇけどな。格闘戦ばかりだと血だの肉片だの掃除が大変だからこれはこれで役に立つ。お前だってもう残弾は少ないんだろ?』
ふと地面に突き刺さった2本の分厚い戦斧を見た。後席でぐったりしている少女が、テウヘルに変身して振るっていたものだ。鋳造した粗雑な品と思っていが細部は装飾が施され、手入れもきちんとされている。剣術というものは習ったことがないが可変戦闘車の腕に内蔵された短剣よりは頼もしい。
可変戦闘車のマニュピレーターは、グローブ状のセンサーと連動して本当に自分の手が戦斧を掴んでいる感覚があった。しかし2本の戦斧を持ち上げるとバイザーに警告表示が出た──重量過多/そこに戦闘支援AIの介入“ブレーメンなので問題なし”
何が問題で何が問題ないのだろうか。正式に可変戦闘車の調整員が配属されたら聞いてみよう。
『ソラ、急ぐぞ。アヤカたちはもう撤退している。大通りを行こう。敵に狙われやすいがニロの支援射撃も受けられる』
「わかりました」
ヨシギ機は一筋の砂埃を残して駆け出した。ソラもそれに続く。機体は起立したまま、両手には戦斧、背面の重迫撃砲には散弾を装填済み/しかし残り3発。
会敵──ヨシギ機が機関砲でテウヘルを押しのけ、枯れた水路の堤の上に固まっている敵へまとめて掃射を食らわせる。
会敵──反対側に新手/散弾を発射/効果は薄い。次弾を自動装填しながら戦斧を振り回しテウヘルに傷を負わせる。
しかし今は撤退が最優先。地を滑るように瓦礫の街を後にする。
『こちらニロ。隊長、そちらが支援射程に入りました。戦術データリンクを開始します』
とたんにバイザーの戦況表示がアップデートされた。射程範囲/視認距離の障害物や優先目標が立体映像で浮かび上がる。
『8時方向、13時方向に敵 数9。追撃がしつこいですね』
「後ろのは自分がヤります」
足のペダルで推進方向を調整/推進機の出力をアイドリングモードに絞る/ソラの機体は慣性で前方へ進みながらクルリと反転した。
『いつの間に俺の十八番の戦術機動を覚えたんだ──』
ビル越しに敵の位置が見える。敵の出現=ほぼ勘で射撃スイッチを押す。
重迫撃砲から放たれた散弾は瞬時に古びたビルの壁面を穴だらけに/粉塵が舞う。
推進機の出力を全開=進行方向を急転換/突貫。敵から回収した戦斧を振るいテウヘルの脳天を叩き割る。
新手──機関砲装備の射手──機体を横に平行移動/機体に当たりそうな弾丸は角度を付けた戦斧の斧頭で弾き返す。
路地から路地へ機体を滑らせる。錆びた標識をなぎ倒しながら1ブロック分を迂回する。
「あはっ、遅い遅い!」
射手の両脇を戦斧を持つ護衛が2匹。2匹の振るう斧は腕ごと、ソラ機の振るう2つの戦斧で腕ごと切り飛ばされる。
標的=射手の背後に周った/しかしバイザーに警告“油圧系統:両腕マニュピレーター不調”
つまらない/もっと戦いたい。機械の体なんて所詮こんな物。
射撃スイッチ──重迫撃砲の砲口の前に射手/発射と同時に散弾がテウヘルの上半身をずたずたに引き裂く。
『ソラ君、動かないでね』
ニロからの上位通信──ほぼ一連なりの2発の狙撃/砲撃が両腕を失いさまようテウヘルの胸を弾け飛ばした。
終わったのか? 胸の高鳴りが止まらない。もっと戦いたいのに/もっと戦えるのに。ブレーメンの力の発露はこんなもんじゃないのに。
『隊長機から全機へ。予定地点まで撤収だ。赤ヘルの無力化はできた。アヤカ、補給部隊を護衛してこっちまで来れるか? ソラが張り切りすぎてガス欠だ』
『了解』
アヤカの返答はふてぐされ気味だが、いつも通りか。
ソラは操縦桿をソケットへ押し込んで格闘姿勢から射撃姿勢に戻した。上半身だけが起立したまま、鹵獲した戦斧を両手に持っている。こういうのを鹵獲というと教本に書いてあったのを覚えているが、ただの鉄の塊を回収したところで意味はないと思うが、せっかく掴んだものを捨てるのも忍ばれた。
そして一番の問題は──後ろを振り返ると、緑色で半透明な生き物と目があった。目……黒い2つの点が本当に目かどうかは判然としないが、少なくとも耳に噛みつかれるとかそういうのはなさそうだった。そして藍色の肌の少女は、銀シートとラチェットベルトで縛られたまま揺れている。疲れてはてて寝ているだけのようだったが。こういう場合、水でも飲まるべきだと教本にはあった。
機体は反重力機構と出力を絞った推進機でだだっ広い砂漠の荒野を直進している。しばらくは操縦の必要もない。
「なぁ、おい、寝てるだけか? 水、飲まないか?」
サバイバルポーチから水筒を取り出して、眠る藍色の少女の肩をたたいてみた。ひんやりした頬がグローブ越しにわかった。あの赤いヘルメットのテウヘルがこの子だった、なんて想像がつかない。そもそも体積とかどうなっているのだろうか。ニロとフェイフェイに教えてもらった数学を思い出す。
「お前も水を飲むのか?」
水筒の水音を聞きつけて緑色の軟体動物が口を開けた。そこへ数滴ずつ水を垂らすと、それで満足気に口を閉じた。
「餌というか、何か食べるのかな」
軟体動物はふるふる震えた。言葉を理解したのだろうか。サバイバルポーチの不味そうな色の携帯食を砕いて口元に持っていくと、それを美味しそうに食べていた。
「まったく。僕には理解できないことばかりだ。ヒトの社会に軍隊の仕事に、テウヘルから変身した少女と緑の何か」
バイザーの表示は、しきりに燃料不足を告げ、アヤカと補給部隊は索敵範囲に入った。そして戦闘支援AIはたどり着く以前に推進剤がなくなると告げている。
「初めての戦いにしてはうまくできたじゃないか。それに、かつてのブレーメンもこうだったんだろうか。戦いの楽しさ。力を発揮する爽快感。軍を続ける理由がひとつ増えてしまったな」
緑色の軟体動物は、言葉を理解したようでぼんやりと見つめてくる。反対しているということだろうか。緑色のそれはぴょんぴょんと飛び跳ね飼い主のところへ戻った。藍色の少女は、うっすらと目を開け、白い目と鮮やかな虹彩が光った。
「……ありがと」
思ったよりもハスキーな声音だった。少女に水を差し出したが、首をふるふると振った。
「こういうとき、なんて言えば良いんだっけ。そう、僕はソラ。よろしく」
言ったあとで気づく──敵にこう礼儀正しくする必要なんてないだろうに。マフィア同士の抗争なら捕まえた敵を厳しく叱責する役と優しく懐柔する役に分かれる。敵とわかっていても目の前の少女は敵に思えなかった。傷ついていたし、他のテウヘルと対峙していたし。
「たすけて」
「ああ、助けたよ。捕虜だけど、酷いことはされないと思う。たぶん」
「むぅ、ちがう。わたしたちみんなを助けて、ブレーメン」
少女はそこまで言葉を絞り切ると再び静かに寝息を立てて眠りに落ちた。