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物語tips:復興財団
綴りが複雑なのでふつうは「財団」と呼ばれている。500年前の第1次テウヘル戦役の戦後処理で人材、資材、資金の融通を円滑にするために組織された。
現在では、東部、中部の州や軍に出資を行う巨大組織で、独自の兵器販売経路もある。ロゴは3対の逆三角形。
軍隊とはもう少し華やかな場所だと思っていた。それなのに小一時間待たされているこの会議室は、辞書に載っている清貧ということばをそのまま再現したような質素さだった。合板の長方形のテーブルに重ねて収納できるタイプのパイプ椅子が並んでいる。座面はプラスチックで角度も妙に上を向いているせいかお世辞にも座り心地がいいとは言えない。床のタイルは清掃は行き届いているがひび割れていて黒ずんでいる。そして客人というわけでもないのでお茶や水さえ無い。
昨晩、眠れぬ夜を誰もいない宿直室で過ごし、一言も言葉を発しない無愛想な憲兵に連れられてここへ来た。それでも、その兵士は無表情で壁掛けのテレビのスイッチを入れて部屋を後にした。操作するにはパルが必要だがあいにく持っていない。
どこか建物内の遠いところで話し声が聞こえる。それも意味のない騒音と混じり合って右から左へ抜けていく。
「昨日 テウヘルの襲撃がありました」落ち着き払ったニュースキャスターがテレビの中で話している「襲撃を受けたのは東部を中心とした次の州です。ラーヤタイ州、ロータス州、ケプト=シアン州、アレンブルグ州、一部敵部隊はソリドンブルグ州 州都ソリドンブルグ近郊まで侵攻し現地部隊と交戦したと未確認情報があります。このテウヘルの侵入は公表されているだけで今年に入って5度目で──」まるで天気予報のように、統計情報を事細かに報道している「連邦政府の公式発表に先立ち、軍務省報道官は、全て敵部隊は撃破されたと強調しました。また復興財団は今回の被害に対し、被害者への支援を行うと発表しました」
復興財団の支援なんて大都市部だけだろうに。マフィアが牛耳る東部の小都市は彼らにとっては存在していないに等しい。50億も連邦にヒトがいるのだから、彼らににとってテウヘルに殺されることは、雷に打たれて死んでしまった、ぐらいに済まされてしまう。
ソラはテレビの電源を、コンセントを抜いて消して椅子に深く腰掛けた。
逃げ出してしまおうか──窓の鉄格子は、力をいれれば外れてしまいそうなほど細く錆びていた。ヒトは無理でもブレーメンなら。しかし可変戦闘車を操ったときの恍惚感が忘れられない。乗り物を操る楽しさ、とかそういうのじゃない。体の内から沸き起こる闘志が気持ちを燃え上がらせて、無限にブレーメンの力を行使できる。楽しい。危険な死地にいたはずなのに、人格が変わったかのように戦闘を楽しんでいた。これがブレーメンの本当の姿なのか。
足音が近づいてくる──ブレーメンの聴力で捉えられたのは3つ。まず最初に部屋に入ってきたのはヨシギだった。操縦士用のスーツではなく、作業着兼戦闘服の軍服でドアの横に立つ憲兵と比べるとどこかくたびれていて規律がない。
続いて現れたのは重そうな階級章の基地司令と、黒いスーツの男だった。基地司令はジャガイモのようなツルツル頭で、逆に黒スーツの男は鬱蒼と黒髪が生えていた。
ヨシギががらがらと椅子を引いてソラの横へ無言のまま座り、テーブルの対面が黒スーツと基地司令だった。
「はじめまして」黒スーツが慇懃な自己紹介を始めた。「財団の方から来ました。ソリドンブルグ駐屯地の担当官です」
「財団?」
「ええ。“復興財団”……綴りがやたら長いですから、単に財団、と」
「いやそうじゃなくて。なぜ軍に?」
「500年前の第1次テウヘル戦役後、人材と物資の融通を円滑にする目的で財団が設立されました。ですので、それ以来、軍で必要な物資や人員の手配も私どもで担わせていただいております」
「じゃ、あんたは人材担当ってことか」
黒スーツは柔和な笑みを浮かべて肯定した。
「ブレーメンの力を貸してほしいのです」
想定内のオファーだ。黒スーツがアタッシュケースから書類の束を差し出した。細かな文字が書き連ねてあるが、表題の「契約書」の文字がはっきり見えた。またジャガーに乗れる。しかし何年もストリートで生きてきた反面、財団や軍の世話になるのも、気が引ける。
「戦争が始まったんですか。昨日から」
「戦争? いやいやまさか。よくあることですよ。東の荒野にテウヘルが現れ、軍がそれを撃退。はいおしまい。今回は敵の規模が大きくしかも発見が遅れ、ソリドンブルグ近郊まで侵入を許しましたが、安心してください」
テレビのコマーシャルと同じ文言。どう言葉を重ねても事の真相は明かされなさそう。財団の黒スーツも、柔和な笑みの下に鉄仮面を隠し持っている。
「そう、十分な備えと訓練をしている。我が軍は。少なくとも第3師団は」ジャガイモ頭の基地司令が口を開いた。「ソラ君、20年前のヤオサン事件は悲劇だった」
「事件じゃない。あれは虐殺だ。そのせいでブレーメンは絶滅した!」
ソラははっと気づいて口を閉じた。しかし隣りに座っているヨシギは締まりの無い笑みを浮かべている。
基地司令は、階級と歳の割には柔らかい物腰で、
「もちろんワシも心を痛めている。ソラ君はそれからずっと路上生活だったのか? 財団にも連邦にも君の住民記録がなかった。苦労が多かったんだろう。だがこの基地に、ああ、いわゆる“反亜人”感情というものはない。みな仲間だ。それに学校に行っていないのなら学業と兵役を両立できるよう手配しよう」
ソラはジャガイモ頭の基地司令の言葉に、生返事をしながらペンを握った。契約書にざっと目を通した感じ、そう悪いものでもなかった。雇い主は財団で、財団に所属する可変戦闘車の操縦士で、財団から軍に人材を貸すという建前らしい。学校へ行きながら訓練を受けて給料も危険手当も十分に出る。
「すごい。これ、ソリドンブグルへの居住許可証?」
「もちろんだよ。ただ操縦士としての訓練や緊急出動があるから基地内の寮に住んでもらうことになるが、いずれ兵役が終わればソリドンブルグで家を買って住むことができる」
「これも、財団のコネですか。ソリアじゃ、みんな何百年も前の古いビルと砂埃の混じった部屋で暮らしていたのに」
貧民にとって、清潔で安全なソリドンブルグの居住許可証は高嶺の花でそもそも抽選に受からない。そのせいで不法居住して密輸で生計を立てる者に何人も会ってきた。
「最低限、軍務はこなしてもらうが、だがここではこれまでの苦労はしなくていい。それに財団は大学を卒業するまでの学費を出す。仕事柄、第3師団の基地に近い大学に進学してもらいたいものだね。ハハハハ」
ジャガイモ頭の基地司令は樽のような腹を揺らした。マフィアに負けない悪人面だが気は優しい人物だった。
「他に、何か必要なものがあるかい? 財団の方で手配しよう。大抵のものなら準備できる」
ぴたり。黒スーツが柔和な笑みを浮かべると、ソラは契約書を書く手を止めた。
「そんなにブレーメンの力がほしいんですか。こうやって騙された人を何人も見てきた。高い報酬をちらつかせて浮浪者に武器を持たせて、使い捨てにするマフィアがいるんです」
「ほう、そんな映画みたいな世界が」
「豊かな暮らしをする人たちにはわかりませんよ。この契約書も条件が良すぎる。ただブレーメンの力のためでしょう?」
黒スーツは膝の上で手を組んで、
「力。あはは、それもそうだが、財団はブレーメンの絶滅に心を痛めている。公式見解だよ。サイバーネットの公式サイトで宣言書が見られる。財団はヒトとして、罪の償いもしたいんだよ。そのためなら何でもすると約束しよう」
「なんでも?」
「もちろん、できることに限りはあるが、財団は唯一大陸で最大の組織だ。大抵のことはできる」
普通のブレーメンにとって必要なこと──わからない。他のブレーメンに会ったことがないのだから。しかし自分の願いなら、ひとつしかない。昨日、可変戦闘車に乗って思い出したあの感覚。ブレーメンの聖剣を握ったときにしか感じ得ない高揚感。
僕の願いはひとつしかない
「ブレーメンの誇りを返してほしい」
しん、と会議室の空気が固まった。黒スーツも、柔和な笑みのまま返すべき言葉を探している。
「ぐ、具体的にどんなものなのかな」
「20年前、あんたたちの言う“反亜人主義”のせいで、最後のブレーメンたちが殺された。なくしてしまったそれを取り返してください──聖剣。ブレーメンの剣」
「ふむ、しかしだね。財団も探している貴重な品だが、未だ見つかっていない」
「では新しい刀を打ち直して──」
記憶の奥底にある2振りの刀。昨日可変戦闘車を乗り回して蓋をしていた記憶を思い出した。それにどんな謂れがあるのか、老人たちも言葉をはっきりと教えてくれてくれなかった。記憶にあるのは、その刀を握った感触──襲ってくる暴徒を一方的に切り結んだこと。そのときの感覚が可変戦闘車を操縦したときとかなり似ていた。
「──僕ははっきり覚えている。まだ小さい子供だったけど、あの2振りの刀を握って襲ってくる暴徒をつぎつぎに血祭りにあげた。そして、あれ? そのあとどうなったか。覚えてないけれど。あれはブレーメンの象徴。剣なしにブレーメンの復興なんてありえない」
黒スーツの動きが止まった。それもそうだ。できない約束なんてできやしない。隣の基地司令だってバツが悪そうに視線をそらしている。なんなんだこいつらは。やっぱり/いつもそうだ。ヒトってのは、嫌いだ。
「またそうやって、僕たちを、ブレーメンをいいように使い捨てる気だろう!」
ソラは立ち上がって軽くテーブルを蹴飛ばした。しかしテーブルは宙を舞い、黒スーツと基地司令の頭上を飛び越えて壁にぶち当たって真ん中から2つに折れた。息が揚がっているソラの瞳は黄色に光っていた。
「まぁ、落ち着けって、若けーの」初めてヨシギが口を開いた「お前1人で俺たち3人の首を、文字通り引っこ抜けるだろ。だったらまずは話を聞いたらどうだ。ん?」
縮こまっている黒スーツと基地司令とは対象的に、ヨシギは背もたれに体を預け、大股に足を広げている。そしていつの間にかタバコに火を点けくつろいでいた。細くて長い巻きたばこで、妙に甘い香りの煙がゆらゆらと漂っている。ヨシギが顎で示すと、黒スーツは咳払いをして、
「100年前の第3次テウヘル戦役以降、確かに軍と連邦政府は武装蜂起したブレーメンを強制居住区に押し込め管理をした。文化や剣の製造技術を奪った。だが、しかしね。財団は深く後悔している」
真面目な黒スーツをよそに、ヨシギは笑いながら、
「ふざけた話だよな。100年前の獣人はほんの3間(約8m)だった。新開発の電磁ライフルに昔ながらの戦車でなんとか凌げていた。なーのに今じゃ5間(約15m)。そのうち7間までデカくなるだろう。だからって慌てて作った可変戦闘車も、操作が複雑すぎて並のヒトじゃ扱えねぇ。混血のブレーメンでそこそこ。噂じゃ純血のブレーメンが乗ってこそ効果を発揮するって話だが、それがわかったのが20年前のブレーメンの絶滅以降だ。お前からしたら虫の良い話だってブチギレるのはわかる。だけどよ、財団ってのはいまや連邦を束ねているオーランド政府をしのぐ規模だ。金も人材も、な。お前の要求だってきっと通るし、お前が活躍すればまた純血のブレーメンがひょっこり出てくる。大陸は広いからどこかに隠れ住んでるかもしれないだろう? どうだいい話じゃないか」
ヨシギはお行儀よく、携帯灰皿でタバコの火を消した。
「いい話、とは?」
「繁殖相手が見つかるってことさ」ヨシギは両手で卑猥な仕草をしてみせた「番が見つかればブレーメンだって再興できるかもしれない。基地司令が言う通り、いまじゃ“反亜人主義”なんて掲げているやつはとんだトンチキさ。ま、ヒトは昔のように極端な破壊妄想に興味ないっていうほうが正しいかも知れないが。ヒトはお前が思ってるよりマトモなのさ」
「そう、ブレーメンの再興」黒スーツも思い出したかのように立ち上がった「財団は全面協力しよう。テウヘルを一掃した暁には、再びブレーメンが唯一大陸の一員として生活できるように。これは嘘じゃない。ブレーメンなら、私の目を見て、それが真意だとわかるはずだ」
そして黒スーツは、破れてしまった契約書代わりに握手を求めた。ソラも、ゆっくりだったが手を差し出し、黒スーツの大きい手を握った。
「よし、契約成立だ。すぐに君の専用機と調整員を財団から手配させてもらう。3日ほど待ってください」
「わかりました」
続いてソラは引きつった笑みを浮かべている基地司令と握手した。
「俺も握手? いいってそういうのは。宿舎を案内するからついてこい」
ヨシギは新しいタバコに火をつけつつ、会議室を出た。
基地の本部棟を出て訓練場を横に見ながら射撃場と武器庫の間を抜ける。建物は壊され焼け落ちているものもある。民間の大型トラックが早速出入りし、昨日の攻撃の復旧作業を行っていた。
「やっぱり戦争が始まったんじゃ」
「おめー、戦争がどんなものかわかってないだろ。果てのない殺し合い。こんなもんじゃ済まない。第3次テウヘル戦役は、まあ俺の生まれる前だがよ、それでも100年前の戦争じゃ数万人が死んだ上に東の州はことごとく焼け野原になった。500年前の第1次テウヘル戦役の死者数に比べれば、数万なんて数字は微々たる数かもしれないが。第1次のときの犠牲者は数億、だったか? 確か」
「じゃあ、昨日のはほんとうによくある小競り合い?」
「そうだ。カツラの黒スーツだってそう言ってただろう」
「どうしてテウヘルは、この基地を襲ったんでしょうか」
「そりゃ、俺たちが優秀だからさ」
ヨシギの返事は、ふざけているのかまじめなのか、よくわからない。
「ヨシギは昨日どこに?」
「おっと、お前はもう俺の部下なんだ。俺のことは“隊長”か“ヨシギさん”って呼べよな。こう見えて軍歴は長げーんだ。基地を出てここからまっすぐ西へ行くとソリドンブルグがある。俺たちはその間の荒野でテウヘルどもを狩っていた。すると基地に赤ヘルが現れたっていうじゃねぇか。だから急いで戻ってきたんだ」
「赤ヘル?」
「ああ、赤ヘル。ヘルメットを赤く塗っているテウヘル共だ。昔っからの強敵。実際強い。普通のテウヘル1匹相手で必要な可変戦闘車は一般兵なら10機、戦力比は1:10。だけど赤ヘル相手じゃ一般兵が何機が束になっても勝てねぇ。あの図体でヒトみたいにすばしっこい」
「僕、そんなのと戦ったんですか」
「そーだよ。もっとも、赤ヘル連中もまさかブレーメンが乗っているなんて思わなかっただろうし大方油断していたんだろうけど」
「じゃ、普段はどうしていたんですか?」
「尻尾まいて逃げるか、俺たちみたいな混血のブレーメンの部隊に対応させるか。その2択だな」
「やっぱり軍隊は弱いじゃないですか」
「へへっ、違ぇねぇ。だから財団も軍もブレーメンの混血児をかき集めてんだよ。ヒトよりなにかと強いからな。純血のブレーメンが乗るとジャガーはあそこまで速く動けるとは知らなかった。記録を見たぜ。シュシュシュって残像を残して動いてたぜ。俺んとこの調整員が言うにはあれは量産機だからあと少しでシャーシが折れてたんだと。やっぱやべぇよ、純血は。戦力としてどの師団もどの中隊も欲しいだろうよ。とはいえ、俺はお前が不憫でな。仲間になってくれて嬉しいよ、正直なところ。だから声をかけたんだ」
その真意をもう少し聞いていたかったが、それより先に宿舎へ到着してしまった。3階建てのみすぼらしい建物だった。壁のコンクリートはシミだらけだし、改修につぐ改修で壁から配管が生えている。
「少し古いが、まだ使えている」
「少しって、どう見ても500年は経ってますよね、建ててから」
「うんにゃ、駐屯地は戦後に建てられたから、2,300年といったところだろう。改装しているし使えるぜ、ちゃんと。うちの隊員たちは2階を使っている。ま、俺は実費でソリドンブルグのマンションに住んでるけどな」
ヨシギは鍵を開け、そのままソラに渡した。今どき珍しい金属製の錠前だった。1つが入り口の、もう1つが個室の鍵だった。
「ここがお前の部屋。うへ、埃っぽいな。ベッド、机、衣装棚。布団は自分で干せよ。あと洗濯機、トイレとシャワーは共同だから気を遣うように」
「共同?」
「ああ、そこ。廊下にあるだろ。俺は自宅住まいだから、ここに住んでいるのはニロとフェイと……ほら噂をすればかしまし娘たちの登場だ」
宿舎の共通階段の方からよく聞き覚えのある声が2つ聞こえた。鍵が開いているとかなんとか。そしてドアが開かれた。よく見知った顔が見知らぬ服装で現れた。
「あら、あらあら。やっぱり入隊したんだね」
背の高い赤毛がニヨニヨ顔でソラを見下ろした。
「なんであたしたちと同じところなわけ」
背の低いプリン頭が上を向いてわめいた。おでこには熱冷ましシートが貼ってあった。
「その服、えっと、何?」
ソラは2人がおそろいの服であることを指摘した。白い襦袢に紺の袴。そして緑色の縁の襷をかけている。
「何って、学校の制服よ」ニロが応えてくれた。「華の高校2年生。どう?」
どう、と問われてもどう答えていいかわからない。昨日あれだけドンパチしておきながら平然と学校に通えることのほうが驚きだ。そういえば基地司令が言っていたっけか。学業の支援もする、と。
「俺から見ればどのみちはなたれ小僧だ」ヨシギが笑った。「その色仕掛けは無駄だぞ、ニロ。ブレーメンはヒトに欲情しない」
「そうでしょうか、隊長。ほらほらーソラ君。どう?」
ニロが乳を寄せてポーズを取った。ヒトがそういうのが好きなのは知っている。ギャングの構成員たちがよくそういう雑誌を読んでいた。
「とても魅力的」
「なー! どーして棒読みなわけ? それともソラ君はこういうのが好み?」
ニロはによによ笑ったまま隣りにいたフェイフェイをひょいと持ち上げた。その既視感:猫を持ち上げて遊ぶ子どもたち。ニロのその細くて長い腕の見た目の割に筋力はヒト以上に強かった。これがブレーメンの混血、ということか。
「ちょーぁっと、おろしなさいよ」
フェイフェイが喚くが、
「どう? ソラ君。こう見えてもフェイは学校で人気なんだよ。告白されてことがあるもんねー♪」
「うっさい、だまーれ!」
トンチキなやり取りに、ソラはぽつりと、
「ふたりとも、いい人格だし、いい戦士だ。昨日、見たけど可変戦闘車の操縦が上手かった」
ソラの隣でヨシギは吹き出して笑うのをこらえていた。
「あ、そうそう。あとはこれ。俺からの餞別。支度金だ。服だってその1着しか無いんだろ? 基地の売店で色々買えるから」ヨシギは封筒に入った現金を渡してくれた「あと必要なのはパル、だな。おい、ふたりでいっしょに買いに行ってやれ。ソリドンブルグのモールに行きゃショップもあるだろ」
「えーデートですか」「えー命令ですか」
パル──そういえば持ったことがなかった。連絡する相手もいないし知るべき情報もそうないし。時間さえ知る必要のない日々だった。
「じゃ、俺は先に帰るわ。まだ昨日の件で事務処理が残っているんだ。ソラが乗って壊したジャガーの始末書も書かなきゃならん。あれ、結構高いんだぜ。1機で庶民の生涯年収の10人分。カカカ」
ヨシギは急ぎ足で寮を後にしたが、出入り口のドアノブをつかもうとした瞬間、ドアが手前に開かれた。戸口に立っていたのは、ジト目でヨシギを睨む女の子。身長はソラと同じぐらい。しかしなまじ顔が良いせいか彼女が睨むと迫力があって空気にぴりりと電気が走った。
「ヨシギ・コウ! これはどういうことです!」
口調も怖かった。というか、ヨシギは名字だったのか。
「そうすごむなよ、アヤカ」
「あれだけのことがあってどうして私に連絡のひとつもよこさないんです?」
「軍事機密じゃん、一応」
「ソリドンブルグに到着する寸前のリニアレールの車内で、やっと、襲撃事件をチャンネル3のニュースで聞いたんですよ」
「いいじゃねーか。お前の機体はメーカー点検に出してて無事だし調整員だってケガひとつしてない」
ヨシギは視線も合わせずおずおずと言い訳をするが、どちらも水掛け論で結論には至らない。
「ね、ニロ。あの子は?」
「ん、気になる? ああいうド真面目なのが好み?」
「いや好みとかそういうのじゃなくて」
「あの子はアヤカ。針部隊の第2小隊の隊長。ブレーメンの混血。お父さんがブレーメンらしいよ、詳しいことは知らないけどさ。ここんとこ1週間、数学の試験でオーランドに行ってたの。私たちよりずっと頭がいいから」
「隊長? ヨシギは?」
「ヨシギ隊長は第1小隊の隊長。んーよくわからない? 可変戦闘車の部隊は2両で分隊なの。4両で小隊。だから3小隊12両で1中隊。1つの駐屯地に1つの中隊。うちの中隊長は寿少佐っていうおっかない人。で中隊を3つか4つ 束ねて大隊。大隊長は、あんま見たことないなぁ。司令部勤めじゃないかな、たぶん?」
算数はわかるが、戦力の形として理解が難しい。
「ニロとフェイフェイとヨシギ隊長とアヤカで4人。つまりもっとメンバーがいるってこと?」
「本来ならね。でもブレーメンの混血って少ないし軍に志願するとなるともっと少ない。だから針部隊は数が揃ってないの。だから私達は4人で2小隊だけ。アヤカちゃんが1人で小隊長。といっても一般兵の可変戦闘車よりずっと強いしヨシギ隊長に負けないくらい強いんだから」
なるほど。ふとアヤカに視線を戻すとばっちり目が合ってしまった。なんだろこの眼力は。なんでも思い通りにならなきゃぶん殴るという感じ。マフィアの下っ端にもこういう“鉄砲玉”はいたような。
するとアヤカは旅行道具が入っているであろうキャリーケースを投げ捨てると、ソラを壁際に追い詰めた。
「あんた、ブレーメンってホント?」
「う、うん」
すごみ──思ったよりハスキィーな声音だった。
「赤ヘルを倒したって本当?」
「う、うん」
「じゃあ受け継いでる剣技は? どの家系? 始祖の名前は?」
「そういうのは、全然覚えてない。多分知らないかも」
答えに困るソラに、アヤカはすっとほっそりした腕を伸ばした。それはまっすぐソラの首へ伸びて首を絞め上げた。
「どう? ブレーメンなんでしょ? ブレーメンだったら振りほどいてみなさいよ」
ぎゅっと首が窮屈に感じた。とっさにアヤカの両手に触れてみたが思いの外薄くて細い。ヒトと同じ程度の力に、命の危うさは覚えなかった。
「でも、力ずくで振りほどいたら、君が怪我してしまう」
キッと尖っていたアヤカの目じりもふと、力が抜けてたおやかになった。
「ごめん、ちょっと興奮してたみたい。でもあんたみたいなのをブレーメンだって認めないから」
「僕は正真正銘、ブレーメンなんだけど。ほら、そこの窓から飛び降りても怪我しないし」
1回くらいならできる。
「ちがう。違うの。ブレーメンはもっとこう。強くて堂々としていて、誰にも染められない孤高の誇りがあるの」
「そんな事言われても困る。僕はずっと1人で生きてきたんだ」
アヤカはとぼとぼと放おり投げていた荷物を拾い上げ、自室に閉じこもった。
「ちょっと熱いところがあるのよね、あの子」
フェイフェイはつんと言い放った。
「君はアヤカが嫌いなの?」
「そーじゃないけどさ。あたしたちよりひとつ学年が上で、学校でも友達いないし、ずっとひとりだし。ご飯に誘っても無視するしサ。ヨシギ隊長にだけ部下がいるの、隊長は幹部養成課程を卒業したというのもあるんだけどサ。アヤカは、何でもかんでも真面目すぎて、当たりが強くて部下が長続きしないの、精神的にサ」
フェイフェイのプリン頭越しに、ニロは"察しろ"というふうに目をしばたかせた。
「フェイは、優しいんだな」
「チョッ何よ、いきなり」
「見た目によらず」
「それ、よけーな一言!」
「ツンツンと言い放ってるけどアヤカのこと心配してあげている」
「あたしは……べつに。知らない! 知らないんだから聞かないで! あたし、部屋でゲームするんだから邪魔しないで」
嫌われただろうか。女の子の扱いはよくわからない。
「ま、うちは個性派揃いだからね」ニロはまんざらでもなようにソラの肩を揉むと「はいこれ。隊長、もう帰っちゃったから代わりに渡してくれ、だって。このメモリに可変戦闘車の操縦マニュアルがあるから訓練日までに丸暗記してこい、だって」
「メモリって、僕まだパル持ってないよ」
「んーじゃあ私ので一緒に見る」
そして背後からの唐突な頬ずり。
「ありがとう。でもあまりくっつきすぎないほうが、いい。世間体的にも」
「そ。あっそ。脈なしね。じゃ、私はシャワー浴びてくるから1時間後にね」
まるで買ってもらったおもちゃに飽きた子供のように、ニロはてくてくと歩きながら学校の袴を脱ぎ始めた。角の生えたカバ、という奇怪なキャラクターがパンツの尻全部に描かれているのが見える。意外と横着な一面もあるんだな。
新しい家、新しい仲間、新しい仕事。不安はあるけど悪くないかもしれない。