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上半身を直立させひた走る。耳もとでは風が吹き抜け視界がわずかに上下に揺れる。
ひなびた果物市場を通り過ぎ、線路を飛び越え路地裏へ。
ソラはひた走っていた。というより逃げていた。
普段、ここソリアは治安の悪い街だ。唯一大陸南部のソリドンブルグ州の片隅にあって、連邦の軍警察も“財団”の監視からも逃れられる無法地帯。マフィアのしのぎのひしめく繁華街、賭博場、賄賂の“分厚さ”次第でなんでも黙認する警察署長と州知事。街の秩序はマフィア同士がぎりぎりの力関係で均衡を維持していた。
その全てが外からきた力によって崩された。
街のいたるところから火の手が上がり、わずかながら存在している公共サービスの救急車やパトカーのサイレンが聞こえる。だがそれらを消し去るように、頭上を超音速で砲弾が飛び交い、ビルの屋上を粉砕した。敵とか味方とか関係ない。害を及ぼすすべてが悪だ。
「しつこいなぁ、もう」
ソラは走っていた。ふだんは逃げることなんてしない。喧嘩も恫喝も弱い“ヒト”相手なら逃げる必要はない。正面切って戦って、鼻をへし折り足の骨を砕く。そうやって悪い奴らを叩きのめせば街は平和になる。市場のおばちゃんや、酒屋の店主や、義侠心溢れたマフィアの親父が褒めてくれる。
屋根の下で寝られることは稀だけど、風来坊と呼ばれ頼られ畏れられる生活も悪くはなかった。
その生活が一気に瓦解した。
砲弾のひとつが迫ってくる──“ヒト”よりも鋭い聴覚で正しく距離を測れた。そしてソラの若草色の瞳が黄色に輝いた。
砲弾はビルの壁面に直撃し、組まれたまま放置されていた工事用の足場が崩れた。ソラの進路が絶たれる。そして背後──迫る敵。
ソラは足元に転がった単管パイプを蹴り上げてそれを掴んだ。そして、ブレーメンの力を持って思い切り背後に迫るソレへ振り抜いた。
巨大な漆黒の犬は背骨がぐにゃりと曲がって体が吹き飛び、くすんだ色のレンガの壁に突き刺さった。
なおも巨大な犬の群れが迫る。赤く小さい犬の瞳がギラギラと光っている。体の高さは子供の背丈ぐらいある。鋭い牙が並び、その足の速さはヒトより早く何時間でも走れる──らしい。連邦での呼称はハウンド。ソラ自身は個人通信端末を持っていないけれど、マフィアのみんながパルで調べた敵の情報を教えてくれた。
その情報通りなら──そう賢くない、でかいだけのただの犬だ。
にやり。ブレーメンの本能らしい闘争心で心が躍る。ソラは果敢に間合いを詰め、1匹目のハウンドを空中で蹴飛ばした。首が妙な方向に折れ曲がって地面に墜落する。
2匹目──空中で体を捻り頭上から鉄パイプを振り下ろす。鈍い金属音と共に犬の小さな頭蓋が割れ、目や耳から詰まっていた脳や体液が迸る。体液はどれも緑色で連邦に生きる生き物とはどれとも似つかない。
3匹目──鋭い牙がソラの首元を狙っていた。しかし風が吹くようにソラはブレーメン持ち前の体力でぎりぎりでかわすと、その無防備な横っ腹に鉄パイプを突き刺し、半ば生きている死体を地面に叩きつけた。
残り──ハウンドの群れはまだとどまっているが、ソラの反撃に本能的に怖気づいている。低い声でうなり興奮気味のよだれを垂らしているが襲ってこない。薄暗い路地でハウンドの赤い目が光る。
ソラはハウンドの頭を足で抑えながらパイプを引き抜いた。
「まだ、まだ僕を襲う気なのか」
調子良く戦ってきたけれど、これが限界だ。昔のブレーメンは剣を持ち、そのおかげで無限に力を振るえたらしい。でも今の僕には5分が限界だ。ギャングと戦うなら必要にして十分。1人を倒すのに10秒もかからない。
でもこれは、きっと戦争だ。朝、ただならぬ爆音で目が覚め、普段寝起きしている雑居ビルの屋上から降りてみれば、これだ。テウヘルの尖兵のハウンドがソリアの街の市民を食い殺していた。
どうする? 戦うか? 血の臭いでハウンドの新手が迫るかもしれない。もしこれが戦争だったら無限にやってくる敵となんて戦えない。
くるり。ソラは鉄パイプをハウンドの群れに投げ込むと踵を返して走った。マフィアどの親分の「命あっての物種だ」という言葉はよく覚えている。意味はよくわからないけど、無理して戦ったらだめだと理解している。
路地から表通りへの出口は建築現場の足場が崩れて単管パイプが高く積み上がっていた。ソラはぐっと足に力を集め、屈伸すると高く飛び上がって障害物を超えた。ハウンドは不安定なパイプの山を乗り越えられず隙間も通れず、檻で喚く猛獣のように、障害物越しにソラを威嚇していた。
しばらくどこかに身を隠そう。このあたり通りは縄張りみたいなものだ。たしか密輸品を隠す地下倉庫があったはず。そこなら砲弾や火の手から逃れられる。入口が狭いからハウンドだって入ってこれない。
ソラは路地から出て大通りを横切ろうとした。しかし途端に日光が遮られれ、巨大な陰に覆われた。
「巨獣!」
身長は4間(15m)ほどもある。体こそヒトのようではあるが、4本の指に鋭い爪が生えている。体毛は黒い短い毛がびっしりと生え、頭は小さい犬の顔があった。ピンと立った細い耳が周囲をぐるぐると警戒したが、同時にソラの方を向き、赤い目がソラを捕らえた。
巨獣なんてもっと東の荒野にしか出ないものと思っていたのに。そんなはずがない。戦争が始まった? 州のはずれの街とはいえ軍は一体何をしていたんだ。
走って逃げるか──巨獣の握る巨大な戦斧が目に入った。ブレーメンの力はあと1回行使できるかどうか。巨獣は巨体の割に身動きが速いらしい。
どうする──全力で路地裏に逃げれば、まだ好機がある。
巨獣が戦斧を振り上げた。迷っている暇はない。
パシン。
突如テウヘルの頭部が弾けた。左から右へ、頭が傾いだ。鮮やかな緑色の血が脳髄と一緒に飛び散る。やや遅れて砲撃というより巨大な銃声が古ぼけたビルとビルのあいだで反響して聞こえた。
「何が、いったい?」
ぐらり、とテウヘルの巨体が傾く。そこへ甲高い推進機の排気音とともに軍の戦闘車輌が到来した。青い輝きの反重力機構は高級車でも見たことはあるが──巨大な車体が地上2尺(60cm)ほどで浮かび、2基の推進機が吐き出す青い炎の推力で、低空を滑るようにして進む。
通りの反対側からさらにテウヘルの歩兵が殺到する。戦斧だけではない。機関砲を持った兵士が引き金を絞る。爆発的な銃声でビルの窓窓が弾け、ぼろぼろとこぼれ落ちる空薬莢が地面に刺さった。
ソラはわずかにのこったブレーメンの力で、空中を横切る1発の砲弾/銃弾を見きった。それがまっすぐ機関砲兵士の胸に命中し、辺り一面に緑の鮮血をぶちまける。
そして眼の前に来た戦闘車両が──ぐわりと体を起こした。テウヘルと対峙するのはヒト形に変形した戦闘車両。よく見える位置に黒豹が蝶花に食らいついたノーズアートが見える。ヒト型の先頭車両は5本の機械指の手で、背中に持つ鈍重な棍棒を振り回した。
戦闘車両は両足が浮いたまま滑るようにそして巨獣よりも機敏に動いた。たちどころに1匹目のテウヘルの頭を潰し、2匹目のテウヘルに向けて棍棒を振り上げた。巨獣その戦斧で棍棒の攻撃を受け止めようとしたが柄がへし折れ、肩口から腰に至るまで、棍棒が縦向きに貫通した。
酷い臭いの緑の鮮血がぶち撒かれ、巨大なサイズの内臓が転げ出る。後ろに控えていた巨獣たちはじりじりと下がりそして逃げ出した。
その先──丁字路に差し掛かった瞬間、機関砲弾の嵐でテウヘルの残党は上半身の肉という肉が粉微塵に吹き飛び、倒れた。敵を迂回して現れたのは別の軍の戦闘車両でヒトのような両腕に連装機関砲が2基、備わっている。機体の表面にはレンガブロックのような爆発反応装甲が所狭しと並んでいる。ちらりと見えたノーズアートは向日葵だった。ひまわり畑の中で黒豹が寝ている。
ほんの数回瞬きするだけの時間で決着がついてしまった。“軍にしては”強い。テウヘル1匹に何両もの戦闘車両で対応するのが軍の戦力と思っていたのに。
「逃げなきゃ」
ソラはあたりをくるくると見渡した。軍の兵士が来ているかもしれない。テウヘルは恐ろしい存在だがアウトローに生きてきた自分にとって軍人も味方というわけじゃない。
踵を返したときだった。ぐわりとスピーカーのハウリング音が響き、低い抑揚のない男性の声が響いた。
『あーテステス。避難誘導用にスピーカーを付けといて正解だったぜ。おい、お前。そうそこの少年。安全なところまで連れて行くから、乗れ』
「大丈夫! 僕一人で逃げられるから」
なるべく大きな声で叫んでみたけれど、聞こえているのか、これ?
『今、ハッチを開けた。さ、登ってこい』
戦闘車両は、さっきのヒト形から元の車両形態に戻っていた。その上部ハッチが自動で開き、中から手招きしているのが見えた。
どうする──もうブレーメンの力は行使できない。心臓がきりきりと痛い。「命あっての物種」=やはりあの言葉が頭をよぎる。まあ、いい。相手はヒトだ。仮に捕まったとしても拘束を振りほどいて逃げることができる。銃は──痛いが1、2発くらいなら食らったところで大した怪我じゃない。
戦闘車両のハッチは見上げるほど高い位置にあったが、ソラはひょいと飛び乗り足から中へ入った。中は暗く、両手が伸ばせないほど狭い。乗り込むべき場所も操縦席の背もたれの裏側で、ヒトが座るようにはできていない、ただのデッドスペースだった。赤や青色に塗られたパイプが壁から床へ這っている。余計なものを踏まないように床に降りた。
「ほほぅ、やっぱり」
操縦席にうつ伏せになって計器類をチェックしていた男がくるりと振り返った。短い金髪のくせっ毛に髭面の男、若く見えるがしかしどこかくたびれている。それでもがっしりした体つきはさすが軍人というべきで、操縦手用のピッチリとしたスーツから逆三角形の背中が浮き出ていた。ほのかに女物のタバコの匂いがする男。
ソラが収まり悪く、男の操縦席の後ろに座った。そうじろじろ見られるのに慣れていない。
「何か、僕に用ですか?」
「お前、ブレーメンだろ? その若草色の瞳と独特な虹彩。うん、まちがいない。ブレーメンだ」
大きな男の少年のような笑顔/しかし嫌な予感──この軍人の試すような視線。
「僕、やっぱりいいです。自分で逃げられますから」
配線を踏まないよう立ち上がり、操縦席のハッチに手をかけた。しかしドアノブらしい取手が見当たらない。
「おっと、その赤いボタン、そうカバーが付いてるやつには触るなよ。緊急脱出用の爆砕ボルトだからよ。天井ごと吹っ飛ぶぞ。ついでにその位置じゃお前の頭も吹き飛ぶ」
「僕を、僕を拉致監禁するってことですか!」
「おまえなぁ。軍をなんだと思ってるんだよ」
「マフィアと同じ。地下室に監禁して、情報を聞き出したり身代金を要求したり。もちろん拷問だってためらいがない。連邦政府だって“財団”だって、それに軍だってどのみち同じでしょ」
「んなことするわけないだろ。こちとらただの地方公務員なんだ」
しかしソラの耳には入らず、ソラは力任せに天井のハッチを押したり引いたりした。
「まあ、待てって。俺もブレーメンだ。っても混血だけどよ。いやぁ、驚いたぜ。おふくろと同じ目の色をしている。純血のブレーメンなんざてっきり何年も前に絶滅したと思ってたのによ。しかもこんなドヤ街で生き残っていたなんて」
「だからなんだって言うんですか」
男の返答を遮るように、ノイズだらけの無線連絡が入った。ガーガーとスピーカーの向こう側で鳴っている。
「連邦は力を欲している。なにせ第2次テウヘル戦役以降、400年間ずっと戦い続きだ」
「それはヒトが勝手にやってる戦争でしょう」
「戦争じゃねぇ。戦争じゃねぇが敵は常に存在している。20年前の“ヤオサン事件”はたしかに悲劇だったが、軍はブレーメンの協力が必要だ。お前だって生きていくために金が必要だろう。どうだ?」
「どうって?」
事件じゃない。あれは虐殺だった。
「話のわかんねーやつだな。軍に入っていっしょに戦おうぜ、って言っているんだ。その身なりからしてどのみちストリートキッドってところだろ? 軍はいいぞ。ジャガーの操縦手なら個室にベッド3食付き。給料も悪くない。それにお前……いくつだ? ちんこに毛が生えてない歳に見えるが、純血のブレーメンってのは成長が遅いんだろ?」
「は、生えてますよ! それに2じゅう……6歳くらいだと思います」
「“くらい”ってお前、手前の歳がわからないわけ無いだろう」
「そんな悠長に誕生日をお祝いする余裕なんてありませんよ。この20年間、あの虐殺事件から必死で生きてきた。腹が減れば食べ物を探して、金ならマフィアの、なるべく義賊のような仕事をすれば十分にもらえた。モーテルにだってたまには住める。そうやって生きてきたんです」
「古臭いギャング映画みたいだ」
「それがこの街の暮らしです」
「ま、とにかくだ」男は手を差し出して握手を求めた。「俺はヨシギだ。よろしくな。第3師団ソリドンブルグ駐屯地所属、通称 “針”部隊の隊長。しがない可変戦闘車両乗りさ」
たぶん悪人じゃない──ソラも握手を返した。
「僕はソラです。みんなからもソラって呼ばれています」
「ほぉん。平凡な名前」
口が軽い男だなぁ。
ヨシギは正面を向いて、前傾姿勢で操縦桿を握った。垂れ角が30°くらい。よくよく見てみると両手のグローブから配線が伸びていた。
「そうそう、俺のジャガー、変形機構があるから。戦闘時はしっかりしがみついておくんだ」
「ジャガー?」
「お前が今乗ってる機械だよ。可変戦闘車、通称ジャガー。男の子はこういうの、みんな好きだろ? 俺は今までの歩兵戦闘車6世代全部のプラモを作ったことがある」
「いえ、僕は別にそういうのは好きじゃ」
操縦桿の周りには計器類がならび、2つの小さいスクリーンは緑と白黒の映像が写っている。赤外線の映像だろうか。しかしヨシギはそれらに一切気を配ること無く、頭を左右に振る。いつの間にか画像投影式のバイザーを頭に付けていた。
「──セクター6から9をクリア。あとはそっちの仕事だぜ」
ヨシギが突然、脈絡もなしに話すのでびっくりしてしまった。ややあってから、ヨシギは通信機に返答しているのだとわかった。
「あの、安全そうならもう解放してもらえないですか」
「おーそういや、返事がまだだったな。軍に入っていっしょに戦ってくれるか?」
「いやだから! そういうのに興味はないですって。敵がいないならもう解放してくださいよ」
「別に捕まえてるわけじゃねーけどよ。まだ路地裏にハウンドが潜んでいるかもしれねーぜ。いくらブレーメンっていっても“剣”なしじゃ5分と戦えないだろう」
ヨシギは、自分自身を混血だと言っていたが、本当らしい。ブレーメンの特性をよく知っている。
「でも、すぐ軍隊が来るでしょう。もっとたくさん」
「連邦軍の都市防衛隊のことか? 来るには来るがスラムやらダウンタウンなんてずっと後回しだぜ。ここらへんは犯罪者しかいないって思ってる。治安維持ってマフィアやらギャングやらもついでに捕まえて回るかもしれない。お前だって現に軍を嫌ってたじゃないか」
「それは……そうですけど」
「ま、いいじゃねぇの。いっしょに来いよ。ここで会ったのもなにかの縁だ。飯ぐらいおごってやる。それから入隊するなり元のスラムに戻るなり考えても遅くないだろ。な?」
バイザー越しに、ニタニタ笑うヨシギと目があった。混血だがその瞳はヒトの茶色い色だった。
「わかりました。少しだけです」
いやいや、という顔を作ってみたが、少しだけ気が楽になった。よく見知ったような知らないようなそんな町が破壊され殺され燃やされ。その惨状が20年前のアレとつい重なって見えてしまう。そして自分のアイデンティティを否応なく思い知らされる──絶滅したブレーメンとその唯一の生き残りとして。
物語tips:巨獣
言葉の通じない敵。ときおり大陸の東側からやってきては村や町を破壊する。2足歩行で足から頭までの高さは4間(約15m)。大きさの割には俊敏に動く。しかし精密な動きは苦手なようで、銃器よりも斧や剣などの鈍器をよく用いている。
その中で、ヘルメットを赤く塗った強力な部隊が存在し「赤ヘル」と名前がついている。