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第一部 5

 群馬県のとある渓流で、弘人と楓は釣りをしていた。狙うは『渓流の女王・山女』。神経質で視力の良い山女は釣るのが難しい、玄人好みの魚といえるだろう。

 入漁券の販売所で『一人分』の入漁券を購入する。楓はある意味本当に『人数外』だから、買うのは一人分で済むわけだ。そして車でまたしばらく走る。弘人が車を停めたのは、舗装も既になくなり、ガタガタの細い砂利道を入って行った所だった。

 この先には古く寂れた小さな寺があるだけ。しかもそこに果たして人がいるのかすらも怪しい所だ。

 周りに人の気配は全くない。弘人も今までこの場所で他の釣り人に会った事が全くなかった。それ程までにここは来る人のない、秘密の釣り場なのだ。これなら普通に楓と話していても支障はないだろう。

 弘人は本当なら毛針を使う『フライフィッシング』で狙いたかったのだが、楓がどうしてもルアーで釣って欲しいとせがむので、仕方なく今日はルアーで頑張る事にした。

 因みにこの前弘人が楓に買ってやったクランクベイトでは大きすぎて山女は狙えない。そう弘人が話すと、楓は店内を物色してそれらしい物を持ってきた。

 店内は魚種や釣り方に応じて商品を分けて陳列してあるから、素人でも何を選んだらいいか大体見当がつくようになっている。もちろん、楓にもちゃんとわかった様子だった。

「じゃあ、はい。これで釣ってくださいね。頑張って、弘人。」

 そう言ってにこやかに楓は、自分が選んで弘人が買った、小さな『スプーン』というルアーを弘人に差し出した。その名の通り、食器のスプーンの円い部分だけで、柄の部分を切り取ったような形のルアーだ。色はメタリックのグリーン。

「ああ・・・・。それはいいんだけど・・・・その格好はどうした?」

 弘人が楓の格好を見て不思議そうに首をひねる。

 それもそのはず。さっき車を降りて、渓流に続く獣道を下っている時にはいつも通りのキャミソールにカーデガン、そして弘人が目のやり場に困るようなミニスカートという格好だったはずだ。

 それが渓流に降りた途端、帽子にサングラス、釣り用のジャケットに胸まであるウェーダー(入水して釣りをするための胴長靴。)という、弘人とまったく同じ服装に変わっていたのだ。色もまったく同じのペアルックになっていた。

「へへへ、似合うかな?」

 可愛い仕草でクルリと回って見せる楓。

「いや、似合うとかそういう問題じゃなくて・・・・。」

「変・・・・でしたか?やっぱり似合わない・・・・?」

 楓は弘人の言葉にしゅんとする。

「あっ、そうじゃなくて!似合ってる。結構、可愛く似合ってるよ!」

「ホントですか?良かったぁ!」

 慌ててフォローする弘人。

「そうじゃなくて、その格好は一体?」

「え?だって弘人がそういう格好になってるから、私もそうした方がいいかな~って。」

「あ、そうか・・・・じゃなくって!」

 一瞬納得しそうになった。

「その格好はどうやって着替えたかって事。まさか、本物の服を着てるワケでもあるまい?」

「あ、そういう事でしたか。なかなか鋭いですね。」

 果たして弘人が鋭いのかどうかはわからないが、ほんの二、三分前にまったく違う格好でいた楓の服装の違いに気付かないわけがなかった。

「私、部屋に上がる時にはちゃんと靴下になるでしょう?外に行く時にはちゃんと靴を履いているでしょう?でも、脱いだ靴はどこにもなかったですよね?つまりは・・・・そういうことです。」

「いや、まったく解らん・・・・。」

 弘人は素直に答える。

「あ、え~と、その・・・・つまり・・・・。」

「つまり?」

 弘人が楓に素直に疑問の表情を投げかけると、楓は両手の指をクルクルと絡ませて恥じらうようにモジモジとする。

「だ、だから、私は幽霊なんだから、本来の私である『素』の状態は・・・・その・・・・は、『裸』なのであってですね、服装は私のイメージで構成されているというか何というか・・・・とにかくそういうものなんですっ!」

 そう言って、楓はプイッと弘人に背を向けてしまう。耳まで真っ赤になっている所を見ると恥ずかしがっているらしい。

「つまり服装は楓の自由に変えられるという事か?」

「そ、そういう事です。もうっ、恥ずかしいじゃないですかぁ。」

 最初からそう言えば良いのにと思った弘人ではあったが、楓の今の説明で逆に『裸の楓』をイメージしてしまって、思わずゴクリと咽が鳴ってしまった。

「あ~っ、いま弘人はえっちな事考えましたねぇ?!」

「いっ?!」

 楓が弘人の妄想を見透かした事を言うので、否定する事もできずに弘人は硬直する。

「さ、さあ~、釣りを始めようかぁ?」

「弘人・・・・、動きがギコチナイです・・・・。」

 楓のツッコミを聞かなかった事にして、弘人は竿を振り始める。

 小さなルアーは思いの外遠くへと飛び、弘人が狙ったのであろう小さな石の影へと綺麗に落ち込んだ。ルアーが水の中でキラリと光る。

 今二人がいる所は膝下くらいまでしか水深がなく、水も綺麗に澄んでいるので弘人のルアーの動きがよく見える。

 ひらりひらりと水中でルアーが舞うたびに、それがキラキラと日の光を反射して光る。

「わぁ、水の中で動かすと本当に綺麗・・・・。」

 楓が弘人の肩にぴったりとくっついて来る。本来ならとても危ないのだが、楓はルアーに引っかかる事がないので弘人は何も言わなかった。それどころか、そうやってくっついて来る楓を見て弘人は楓が堪らなく可愛く思えてしまった。

 できる事ならばそのまま抱きしめて頬擦りしたいくらいだとまで思った。

 二投目、弘人は隣りに大きな影のできている石に目を付けてルアーを投げ込む。

「あっ、あれ!魚が追いかけてる!」

「しぃっ、静かに・・・・。」

 楓の声はこの渓流には聞こえていない。だが弘人は集中しているのでごく普通に楓に注意を促していた。

 そう、ルアーが着水した途端に、目標にしていた石の影から魚の姿が現れて弘人のルアーを物凄い早さで追いかけてきたのだ。

 しかし水の流れが速いので、魚はルアーを見失ってしまったようだ。途中でぴたりと停まって、考え込んでいたようだったが、スッと元の石の影に戻っていった。

「ああん、残念~。」

「いやいや、次で捕ってやる。見てろぉ・・・・。」

 弘人は再び同じ所へルアーを投げ入れた。そして今度はただルアーを引いてくるのではなく、チョンチョンとルアーを弾くように動かしてみる。

 するとルアーは流れに乗って踊り、先程とはだいぶ速度が遅くなっていた。

 それを見つけたのか、先程の魚が再び飛び出してきて弘人のルアーを勢いよくさらっていった。

「よっしゃ!」

 瞬間的に小さく鋭く合わせて、魚に針をかける弘人。

 驚いた魚が針を外そうと水面を割ってジャンプする。狙い通りの山女の姿がそこにあった。

「わっ、釣れた?釣れたの?!」

「まあな、ちゃんと手元に寄せるまでは安心できないけど!」

 そう言いながら弘人は巧みな竿裁きであっと言う間に山女を網の中に取り込む。楓の想像もしなかった、美しい魚体がそこにあった。

「す、すごい・・・・。弘人、すごいです!」

 楓は弘人の技術と山女の美しさに関心一頻りである。

「上手いもんだろ?長年やってるからな。」

 そう言いながら弘人は胸を張る。本当のところは二、三投目で釣り上げた事に自分でも興奮していた。

 いつもならば魚を探してああでもない、こうでもない、と試行錯誤をしながら渓流を上って行くのだが。今回は見事、楓に良い所を見せる事ができたようだ。

「でも、こんなに早く魚が見つかるなんて珍しいんだぞ?」

「そうなんですか?私は弘人が上手だからすぐに釣れたんだと・・・・・。」

「まあ、腕には自信あるけれどね。」

「ふうん?」

 確かに弘人は腕には自信がある。難しいのは山女がどこにいるのかを見極める事と、その時に如何に上手く魚を掛けられるかということだ。しくじれば魚に疑似餌を見破られる。そうしたらもう終わり、そこの魚はもうそのルアーを追わなくなる。言うなれば魚と釣り人の知恵比べだ。だからこの釣りは面白い。奥が深いからやめられなくなる。

 そんな事を楓に説明したところで解ってもらえるかどうかは疑問だが。

「弘人、私もやってみたいです。」

 不意に楓がそんな事を言う。

「いいけど・・・・。できるのか?」

「やってみます。」

 最近ようやく物に触れる事ができるようになったばかりの楓に竿を振る、リールを巻く、ルアーを操るといった同時並行的な作業ができるのだろうか。幽霊である楓に。

「じゃあまず竿を振る練習をしようか。」

 弘人が竿を楓に差し出す。楓は差し出された竿を恐る恐る手に取る。

「ど、どうやって持つんですか?」

「中指と薬指の間にリールの『足』を挟むようにして・・・・そうそう。軽く振りかぶって、自分の額の前くらいまで振り抜くんだ。力まなくていい・・・・いや、力むとかじゃないか、楓の場合。」

 弘人は初心者に教えるのと同じく、楓に優しく教えていく。楓の場合は生身の人間に教えるのとは違って、『竿を振る』事を教えても仕方がない。『竿を動かす』事を教えてやらなければいけないのだ。

 楓も一生懸命になって弘人の言う通りに竿を動かそうとする。

 しばらくの練習の後、ぎこちなくではあるが竿が弘人の手を放れてひとりでに動き出すようになった。つまりは楓がちゃんと竿を振れるようになった。

 それを見て満足そうに頷いて、弘人は次にリールの操作を教えていく。これも、時間は掛かったが楓はどうにかマスターした。

「あ、何となく『物に触れる』というのと『物を動かす』っていう事の違いが解った気がします。」

 そう言って楓はリールの操作をして、竿を振ってみた。ルアーがひょろんと飛んでいく。

「わっ、できた!」

 物に触れて、それを動かすという道理が解った楓にとっては後は簡単だった。生前にやっていたように振る舞えばいいと理解したようである。

 弘人もそれを見て驚きつつも、何故か無性に嬉しくなっていた。楓がどんどんと普通の人間と同じ生活ができる様になっていくと感じたからだ。

 それからたっぷりと時間を掛けて、楓が弘人と共に釣りをする様になっていった。

 無意識のうちに楓の身体は弘人の身体と溶け合うようにして二人は重なり合い、初めて味わう二人の充実した時間を過ごした。

 だがこの時、木陰から『二人』を見つめる人影があった事に、弘人も楓も気付かずにいたのだった。

 

 昼を過ぎて、木陰の河原で昼食を採る。もちろん、食べるのは弘人だけだが。

 談笑しながらもコンビニのサンドウィッチをパクつく弘人をじっと見ていた楓。弘人の脇に置いてある唐揚げの容器をみて、残っている唐揚げに爪楊枝を刺して持ち上げてみた。そしてそのまま自分が口に運んでも仕方ないと考えて、唐揚げを弘人に差し出す。

「弘人、はい、あ~ん♪」

「ぶっ!な、なに?!」

 頬張っていたサンドウィッチを吹き出しそうになり、弘人は咳き込んだ。

「なにって・・・・食べさせてあげるんです。ほら、あ~んして。」

 ただでさえそんな事をしてもらうのも恥ずかしいのに、幽霊である楓が弘人にそんな事をしてくれるとは思いもかけない事だった。

 だが、弘人は楓が幽霊だからとかそんな事よりも、ただ純粋に照れくさいだけだった。

「あ・・・・やっぱりイヤでしたか?」

 ちょっと悲しそうな楓を見て、弘人は我に返って慌てて楓の持つ唐揚げに飛びついた。

「ふ、普通恥ずかしいだろうがこんな事・・・・。」

「え、あ・・・・。やだぁ、照れてるんですかぁ?」

 パッと嬉しそうな表情になる楓。それを見て弘人は真っ赤になる。

 モジモジとする楓は、幽霊である事を気にしなければ本当にもう、ごく普通の女の子でしかなかった。少なくとも弘人はそう考えるようになっていた。

 だが、その時・・・・。

「いけません!それ以上深入りしては危険です!!」

 突然渓流に響き渡る、凛とした声。

 その声に弘人も楓もビクリとする。

「だっ、誰だ!!」

 立ち上がって辺りを見回す弘人。その背中に楓が隠れるようにすがりつく。

「その様に、霊に深入りしてはいけません!!」

 再び声がしたかと思うと、目の前の木陰から人影が飛び出してきた。いや、本当に高い所にある木の枝の中から飛び出し、鮮やかに渓流の浅瀬に着地した。

 派手な水飛沫が太陽の光を受けて輝く。

 そして次の瞬間に弘人と楓の目の前にいたのは、紫色の法衣に身を包み、手には『錫杖(しゃくじょう)』と『鈷杵(こしょ)』を持った僧侶だった。年の頃は弘人とあまり変わらない、濃い眉をキリッと揃えた美青年。

 頭もしっかりと剃って、誰が何といおうが典型的な『お坊さん』スタイルである。

 その青年が立ち上がるなり、二人に向かって鈷杵を突きつける。弘人も楓も唖然として立ちすくむ。

「その霊は未成仏霊です。普通の女の子ではありません、あなたに取り憑いているのです。お解りになっていますか?!」

 目の前に突然現れた僧侶。しかも時代劇にでも出てきそうな程古くさいイメージの僧侶の出現に、弘人も楓も何も言う事ができなかった。

「拙僧が今祓って差し上げます。そこを動かないで!南無、妙法・・・・。」

「きゃぁ!あれ、身体が・・・・?!」

 僧侶が読経のようなものを始めると、弘人の背後にすがりついていた楓がびくんと硬直する。

「さあ、今のうちにその霊から離れるのです。」

 弘人は瞬間的に楓が危険だと察知した。この僧侶には楓が見えているのだ。

 弘人は慌てて僧侶の元へと駆け寄る。

「あ、弘人、行っちゃやだ・・・・。」

 楓が切ない声を出す。それを見て僧侶の表情が緩む。弘人が霊に取り憑かれている事を理解したと思ったのだ。

 しかし、弘人も楓もそんな事はとうに解っている。

 そして・・・・。

「くぉら、やめんかい!」

 弘人は駆け寄っていた先でいきなり僧侶の剃り整えた頭を平手で叩く。

 ペチン、と乾いた音がして、驚いた僧侶の読経が止む。それと共に楓の硬直も解けた。

「なっ、何をなさる?!」

「それはこっちのセリフだ、アホゥ!楓に何しやがった?!」

「かっ・・・・楓?!いや、その女の子は未成仏霊で、あなたに取り憑いているのですよ?!強力なあなたへの執着が感じられます!」

 叩かれた頭を押さえながら、僧侶は驚いた表情で弘人を見る。だが弘人と楓には大きなお世話だった。

「幽霊なんてそんな事とっくに知っとるわ!いきなり出てきて何さらすんだお前!」

「なっ・・・・はぁっ?!」

 怒りを顕わにする弘人を見て、今度は僧侶があっけにとられる番になった。

 昼下がりの渓流で、何かおかしな事が始まっていた。


「いやはや・・・・。知らぬ事とはいえ、失礼いたしました。拙僧もまだ未熟ですので、このように稀な事は初めてでございまして、楓さんを怖い目に遭わせてしまったようですね。」

 そう言って若い僧侶、桐生院(きりゅういん)源抄(げんしょう)|は弘人と楓に茶を煎れて振る舞ってくれた。

「あ、わたしは飲めませんからお構いなく・・・・。」

 弘人の隣りに正座している楓が恐縮する。

「いえ、二人とも私にとってはお客人ですから。」

 自分の茶を持ってきて、弘人達の前にドカリと胡座をかく。別にぞんざいなのではなく、源抄の服装が弘人達のように正座するのに不向きなだけだ。

 紫色の法衣に目を奪われていて最初は気付かなかったのだが、源抄は金属製の小手と脛当てを着けていた。まるで日本史の教科書に出てくる高野山の僧兵の様な出で立ちである。

 ここは先程弘人達のいた渓流から少し上がった所にある小さな寺。

 弘人はここに人がいるなどとは知りもしなかった。寂れた雰囲気であったし、いつも門は固く閉じられているのだ。『慈恵寺』と書かれた手書きの看板がこの寺に至る少し前にあったので、弘人達釣り人はここを寺だと知っていたようなものだ。

 そんな釣り人さえ、片手で数えられるくらいしかいない。

「しかし何ともはや・・・・。これほどまでにはっきりとした霊体を拙僧は今まで見た事がありません。楓さんの身体が幽霊独特の霊波動を発していなければ、拙僧も霊体とは気付かなかったでしょう。」

 そう言って一口茶を啜る源抄。楓の事をさも珍しそうに見ている。

 弘人は釣りの服装を車の中に置き、源抄の誘いで寺にやってきた。楓もいつの間にか普通の服装に、いや、また弘人と同じペアルックになっている。

 弘人は幽霊とは便利なものだなと思ってしまった。

「今朝方より強い霊波動を感じて山中を巡っておりましたが、まさか寺のすぐ下で釣りをなさっていたあなた方とは思いもしませんでしたよ。」

 腕を組んで、感慨深げに頷く源抄を見て、弘人も楓も正座をしたままその様子を見ているしかなかった。というよりも、何を言って良いのか分からないでいたのである。

 弘人は自分以外のものに楓が見えている事に、楓も弘人以外のものに自分が見えていて話までできるという事に驚きを隠せないでいた。

 確かに、相手が僧侶であるならば納得がいくといえば納得がいくのだが、僧侶であればみんながみんな霊を見る事ができるとは聞いた事もなかった。

「何故拙僧が楓さんを見る事ができるか不思議なようですね。」

 二人の困惑を見透かしたような事を言う源抄。その表情は先程の厳しいものとはうって変わって穏やかだ。

「拙僧は元より『霊感』が強くありまして、楓さんだけでなく他の霊も見る事ができます故、幼少より『法尉(ほうじょう)』として修行を積んできたのです。」

「ホウジョウ?なんですかそれは?楓と何か関わりがあるんですか?」

「法尉とは鎌倉幕府が興ってより、古来から『怪』などを退治し、民草の安息を守るために集った集団です。『退魔師』と言った方が世間様には解りやすいのでしょうか。拙僧はその末裔にあたります。」

 弘人の問いに流れるように答える源抄。

 なるほど、源抄の話を聞けば楓を認識できてもおかしくはないと思った。しかしその末裔といって目の前にいる源抄は、現代的な目で見るととてもアナクロに感じる。

 しかも退魔師などという、普通なら映画くらいにしか出てこないようなファンタジックなヤツが目の前にいるとは、にわかには信じられない事だった。しかし、幽霊である楓が隣にいて、その楓を見る事ができる人物が自分の他にもいるとなると、これは信じるしかないだろう。

 そして実は密かに弘人が心の中で燻らせていた『俺ってもしかして幻覚でも見てるんじゃないか?』という思いも払拭されたのである。

 コイツもまた実は幽霊だったとか言い出さない限りは。

 そんな事を考えていると、楓がチョンチョンと弘人の袖を引っ張る。

「ねえ、弘人。鎌倉って『イイクニツクロウ』って習ったヤツですか?」

 がくっとずっこける弘人と源抄。

「な、なかなか面白い事を言うな、お前・・・・。」

「ん?違ってましたっけ?」

「いや、あってるんだが・・・・。」

 この状況でそんな事を考えていたのか。弘人はできる事ならこのアホな幽霊の頬をつねってやりたかった。

「元来、憑依霊というのは憑依された者に悪い影響を与えるものですから、弘人さんに楓さんが取り憑いているとわかった時点で排除しなければと思ったのです。ですが楓さんの場合、弘人さんに何の霊障も与えていない。こうして見る限り、むしろ『活力』を与えているように感じられます。そして楓さんも弘人さんが活力を得る事によってしっかりと自身を保っているように感じられます。」

 まったくもって不思議な事だと源抄は言う。弘人も楓も源抄の言葉を聞いて非常に安堵した。特に楓は自分の存在が弘人に害を与えていないとわかってホッと胸を撫で下ろしている。

「それよりも楓さん、あなたはどう思ってらっしゃるのです?見知らぬ男性に取り憑いて、あまつさえ一緒に暮らしているなどとは・・・・。拙僧聞いた事もありませんよ?」

 『一緒に暮らす』というところに微妙に反応した弘人と楓ではあったが、源抄の真面目な表情に姿勢を正す。

「あの、実はですね・・・・。」

 楓が弘人と出会ってからのいきさつを説明し始めた。あの日、交差点で起きた出来事。十年来孤独の内にいた楓を弘人が認識してくれた事。弘人から離れる術が見あたらない事。弘人がどれほどそんな楓に優しく、大切に向き合ってくれたかという事。

 上手く説明できなくて、何度も何度も言い直したり、説明し直したり。随分と長い時間がかかってしまった。

 それでも源抄はちゃんと聞いてくれた。弘人は恥ずかしそうに照れていた。

「なるほど・・・・。随分と興味深い話ですねぇ。拙僧が思うに、弘人さんと楓さんは何か深い因縁が有ったのではないでしょうか。それは楓さんが生きている頃の話ではなくて、もっと昔の・・・・たとえば前世での深い繋がりがあったのではないかと思えます。何の『縁』もない者同士がこのように惹き付け合う事など考えられませんから。」

 源抄の言葉に思い当たる節もなく、弘人も楓も考え込んだ。しかし考えたところで身に覚えがないのだからどうしようもない。

「もし源抄さんの言う事が正しいとして、俺達はこれからどうすれば良いんですか?」

 それを聞いて腕を組み直し、考え込む源抄。

「弘人さんは楓さんと暮らしていく事に不安があるわけですね?」

「はい。」

 正直に答える弘人を見て、楓が堪らなくなりそうな顔をする。

「正直、楓をこのまま自分の所に引き留めておいて、果たしてそれで楓が幸せなのかと心配なんです。」

「弘人?」

 てっきり自分は弘人にとって邪魔者だと言われると思っていた楓は驚きを隠せないでいる。

「俺は実を言うと、このまま楓がずっと側にいてくれたら良いと思っています。でもそれは幽霊である楓にとってはどうなのかと、不安になるんです。さっき、源抄さんは楓の事を未成仏霊だと言いましたよね。」

「ええ、確かに。彼女はまだ現世に何か強い未練があるようですから。それを取り除いてやれば成仏して弘人さんの元を離れていくでしょう。」

「やっぱり・・・・俺といるって事は、つまり楓は不幸なままだって事ですよね。」

「・・・・そういう事になります・・・・。」

 弘人と源抄がそんな会話に発展した時、突然楓が叫んだ。

「やだっ!絶対やだ、成仏なんかしない。弘人とずっと一緒にいます!!」

 その勢いに弘人も源抄も驚いて楓を見る。

「やだぁ、やだよぅ・・・・。そんな話しないで・・・・弘人と離れたくないよぅ・・・・うぇ・・・・うぇえええん・・・・。」

 そう言ったきり、楓は弘人にしがみついて泣き出してしまった。

 弘人も源抄も、楓の様子を見て何とも言えなくなってしまった。

 そして弘人はとてつもない罪悪感を感じていた。今まで、自分は一体何をしてきたのかと。楓のために何かしてやろうと思ったのではなかったのか?実際、自分が楓を許容する事で、楓は安心していられた。だがそれはただそれだけの事。

 楓は他に行く所がないから弘人と一緒にいると、そう思っていた。弘人は楓が自分に対してどう思っているかなどを考えた事は無かったのだ。楓を一人の女性として尊重するなどと格好の良い事を約束したのに、実際は犬や猫を飼うのと同じようにしか感じていなかった自分がいたのだ。

 楓の涙はそんな自分に気付かせてくれた。

「ごめん、楓。」

「やあっ、ばかばかばか!」

 パタパタと楓が弘人の胸を叩く。それはしっかりと弘人の胸に伝わって響いていた。

 そして弘人は思わず楓をギュッと抱きしめていた。

「弘・・・・人・・・・?」

「ごめん、楓。俺、お前がどんな気持ちでいたのか考えもしなかった。ただ、自己満足のために一緒にいた気がする。」

 弘人は楓を抱きしめる腕に力を込める。

「でも今解ったよ。俺は楓にずっと一緒にいて欲しい。幽霊だってかまうもんか。楓がうんと言ってくれるなら、ずっと一緒にいたい!」

「うん・・・・うん!うん!ずっと一緒だよ。ずっと・・・・一緒に・・・・いさせてください、弘人。」

 見つめ合う二人を、真っ赤な顔で見ている源抄が咳払いをする。

「あ~、その・・・・。そろそろ良いですか?」

「え?あ・・・・。」

「あ、あれ?私達抱き合っ・・・・。きゃうっ!」

 弘人が楓の柔らかな感触に気が付いた途端、お互いの身体がすり抜けて転ぶ。慌てて手を付いて、×の字に重なった間抜けな二人がそこにいた。

 慌てて正座に座り直す弘人と楓。二人とも耳まで真っ赤にして俯く。

「オホン!そ、それで・・・・。どうしますか弘人さん、楓さん。」

 源抄のその問いかけは、これから二人がどうしたいのかを問うものだった。

 楓はそう言われてどうして良いかわからない様子だったが、弘人はキッパリとこう言い放った。

「あの、俺はこれからも楓と一緒にいます。でも楓をちゃんと成仏もさせてあげたい。だから、楓がちゃんと成仏して、それでも俺と一緒にいられる方法っていうのはないんでしょうか?」

「弘人・・・・。」

 弘人が源抄にそう言い切った時の楓の表情は、今までで最高に幸せそうなものだった。

 それを見て、源抄は困ったように腕を組む。

「さてさて、難しい事を言いますね・・・・。」

「無理だったら私はゼッッッ・・・・タイに成仏なんてしません!!」

「そう言われましても・・・・。」

 源抄を困らせる楓のその一言は、弘人にとっては嬉しくも辛いものだった。

「今ここで答えを見つけだすのは無理ですね。拙僧に・・・・しばらくお時間をいただけませんか?」

 目を閉じて、瞑想するように源抄が二人に答える。

「協力してもらえるんですか?」

「これも法尉の務め。喜んで。」

「ありがとうございます!」

 源抄の答えに弘人と楓の言葉が重なる。

 それを聞いて、源抄は苦笑いを浮かべるしかなかった。


 弘人達が境内を出たのは夕方近くになってからだった。赤く色を変え始めた太陽に照らされて、世界が茜色に変わりつつある。

「それでは、近い内にまたお会いしましょう。拙僧、必ずお役に立てるように務めますので。」

「お願いします。」

 弘人が車の前で源抄に頭を下げる。

 先日楓と話した、両親のところへ行くという件は、源抄がまだ控えた方がよろしいというので見送りする事になった。

「大丈夫です、弘人。きっと源抄さんは私達を助けてくれますって!」

 先程までは源抄を少し怖がっていた楓がにこやかにそう言う。

「幽霊のお嬢さんにそう言われたら、頑張るしかないですねぇ。」

「はい。鎌倉時代からいるお坊さんならきっと大丈夫です!」

 幽霊らしからぬ、元気な声の楓。

「ん?ちょっと待て、今お前何て言った?!」

 弘人が引っかかったのは楓の言い方。

 源抄も楓の言葉に違和感を感じている様子で首を傾げていた。

「え?だってさっき源抄さんは鎌倉時代から営業してるって・・・・。」

「アホか~い!!」

「ひゃうっ?!」

 楓の言葉から察するに、どうやら源抄は鎌倉時代からずっとこの寺にいると勘違いしていたらしい。源抄も何も言えずに頭を抱える。

「楓さん、拙僧はまだ26歳でして、鎌倉時代からというのは祖先の話。・・・・それに『営業』しているわけではありません・・・・。」

「ちょっと考えれば解るだろっ、このアホ幽霊!お前なんか自縛霊じゃねぇ、『縛る』じゃなくて、爆発の『爆』だ、この『自爆霊』!!」

「あうう~、ひど~い~・・・・(泣)。」


 散々騒いだ後、帰りの車の中も弘人と楓は今日の出来事ではしゃいでいた。

「弘人、さっきはビックリしました。」

 突然、楓がそんな事を言う。

「え?」

 何事かと弘人が楓を見ると、そこにはとても幸せそうな楓の笑顔があった。

 それを見てドキリとする。

「さっき、弘人はしっかりと私を抱きしめてくれました。とても嬉しかったです。」

「あ・・・・あ~、あれは・・・・。でもさあ、何で俺、あんなにしっかり楓を抱きしめられたのかなぁ?」

「さあ、それは解りません。でも、弘人はいつでも私を抱きしめてくれてますよ。」

「えぇ?」

 覚えがないという顔をする弘人を見て、楓はぺろっと舌を出す。

「あのね、弘人の心がね、私をいつでもぎゅって抱きしめてくれてるの。感じます、弘人の暖かい優しさ。水の冷たさや、お日様の暖かさは感じる事ができないけれど・・・・。私、弘人の心の暖かさをたくさん、た~っくさん感じます。私はいま、とても幸せなんですね。」

 両手を胸の前で組み、祈るような楓の姿。それを見て弘人は思った。

 こうして隣にいて、自分を幸せな気分にしてくれるこの幽霊の少女は、『憑依霊』とか『自縛霊』などではなく、もしかしたらもう自分の『守護霊』なのではないかと。

 そう思えると、楓と過ごす日々がとても大切で、一時たりとも無駄にできない時間をもらっているような気がした。


つづく

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