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第一部 3

(3) 『幽霊と楽しむ夕べ?』


 今日は何事もなく終わった。そう、何事もなく。

 仕事は順調に運んだし、昨日一緒に群馬へ行った編集者から雑誌に載せるための原稿ができたら店に行くからとの連絡もあった。どうやら釣行自体がボツにならずに済んだようだった。

 楓も、約束通り大人しくしていた。ただし相当つまらなそうな様子ではあったが。一通り店内を散策して、生前やった事のなかった釣りというものがどんな物か興味を持った様子だった。

 特に興味を持ったのはブラックバスや虹鱒などを釣る時に使う『ルアー』という類の道具類。ルアーとは『魅了する・誘惑する』といった意味で、日本語で表せば『疑似餌』、つまりは見せかけの釣り餌ということになる。

 『スプーン』や『スピナー』と呼ばれる、キラキラとしたルアーはアクセサリーのようでもあり、生き餌を使わないので生臭いとか気持ち悪いとかいう事もないし、手軽でスポーティーなイメージが強い。だから最近はルアーを使った釣りが流行している。

 最近はあちこちに普段着でできるような釣りの施設ができていて、気軽にできる事から実際、多くの女性釣りファンが誕生している。 楓も、もし今でも生きていたら彼女もはまっていたかも知れないというほどの興味の持ちようだった。

 楓が今日最もお気に入りになったのが、ころころと可愛い姿をした黄色い小さな『クランクベイト』という種類のルアーだった。泳がせるとキビキビと左右に身体を振って、本物の小魚が泳いでいるよりも派手な動きをする。

 実際に釣り場でもよく釣れるので人気の高いルアーだ。

 弘人が楓の様子を見ていると、どうにもそれが欲しいような様子でいたので、店を閉めた後、小遣いを割いて買ってきた。

 割引価格で千二百六十円也。最近のルアーは以外と高い。安月給で給料前の弘人にはちょっと痛い出費だ。

「へへへ・・・・。」

 楓はルアーを弘人にパッケージから出して、テーブルの上に置いてもらっていた。針の部分はそのへんに転がしておくと弘人が危ないので取りはずしてある。

 触る事はできないが、楓は弘人にルアーを買って貰ってご機嫌の様子だ。

 さすが幽霊、テーブルにめり込んだ形になって反対側から見ている。

「なあ、そんなに気に入ったかそれ?」

「はい、とっても。可愛いですねぇ~。」

 弘人は夕飯を作るために台所に立っている。普段なら呑みに誘われて今頃は繁華街に居るかも知れない時間帯だ。実際今日も誘われたが、断腸の思いで断った。

 別に車は店の駐車場に置いておけば問題はない。それよりも重大な問題はそう、いまルアーを眺めてご満悦の楓だった。

 楓が自分に取り憑いた。そんな状態の中、昨日の今日で飲みに行く気にはまったくならなかった。

 夕飯の最後のおかずを拵えて(とは言ってもほとんど出来合の物だが。)、弘人が四畳半へと足を踏み入れる。

「ぶっ?!」

 そこにはテーブルに並んだおかずと、そのど真ん中に上半身だけ出ている楓の姿があった。

「何をやっとんじゃお前は!」

「へ?あ、ごめんなさい。」

 楓がそそくさとテーブルから退く。夕食の邪魔になると思ったのだろうが、弘人にはそれ以前の問題だった。

「あのな、確かにお前は幽霊だからどんな態勢でも構わないんだろうがな・・・・。ちょっとそこに座りなさい。」

「はい・・・・。」

 弘人は楓をテーブルの向かいに『ちゃんと座らせて』、懇々と説教を始める。

「大体、おかずが並んでるその中でテーブルに上半身だけ出ててみろ、変な想像して食事ができなくなるだろうが!」

「ひうっ?!ご、ごめんなさい・・・・。」

「まったく、常識的なのかそうでないのかわからん奴っちゃなあ。」

 『幽霊に対して説教たれる自分ってどうよ?』などと思いながら、まるで子供を叱る親のような弘人。第一、幽霊に向かって『そこに座りなさい』というのはいかがなものか。

 弘人は段々と虚しく思えてきて、適当なところで切り上げて食事を始めた。

「あの・・・・。」

 遠慮がちな楓の声に、視線をあげる。

「ん、どうした?」

 楓は楓でモジモジとテレビのリモコンを指差す。

「テレビ?」

 こくんと頷く楓を見て、弘人は思わず笑いだした。幽霊がテレビを見たがるなんて思いもしなかったからだ。

「あ、そんなに笑わないで下さい。自分でできればやりますよぉ。」

 弘人の笑いの原因を違うように受け止めた楓がむくれる。

「あ、いや、違う。幽霊がテレビを見たがるなんて思いもしなかったから。ゴメンゴメン、今つけるよ。」

 そう言ってテレビの電源をいれる弘人。チャンネルは今朝のままだったので、ちょうどバラエティー番組の真っ最中だった。もうそろそろ番組も終わりになろうとしているところだ。

 楓は弘人の言葉にやはりちょっとムッとした様子ではあったが、にぎやかな番組の様子を見てすぐに機嫌を直した。

「あ、私この人知ってます!この人も!『田所ジョー』と『北原ただし』だぁ。まだやってるんですね、この番組。懐かしいなぁ、みんなちょっと歳をとりましたね・・・・。」

 楓の声に少し感慨深い響きが混じったが、それは単に昔を思い出しての事であった。

 十年間、何の情報もなければ誰だって同じ事を言っただろう。至極当然の事だ。

「なんかお前、本当にただの女の子みたいだな。」

「へ?何でですか?」

 テーブルに頬杖をついていた楓が意外な事を言われたように反応する。弘人にとってはその言葉は当然の一言だった。

「だって、お前って全然幽霊って感じがしないからさぁ。さっきみたいな事がなければまったく幽霊とは思えないんだよなあ。今だってテーブルに頬杖ついてたろ?物に触れないのにそんな格好してるなんて、俺から見れば不思議なんだけどなぁ。あ、嫌味とかじゃなくてな。うん、素朴な疑問。」

「そういえば、そうですね。何で私、頬杖なんてついてられたんだろう?」

「おい・・・・。」

 不思議なのは弘人の方なのに、楓にとってもまた、さっきの自分の姿勢が不思議で堪らない様子でいた。

 まったくもって不思議な奴だと弘人は思った。まったくもっておかしな幽霊である。

 弘人は今朝疑問に思ってそのままにしていた事を思いだしていた。楓が寄って来て弘人の袖を掴んだ時の事を。

「なあ、お前もしかして物には触れられるんじゃないか?」

「はい?」

 突然の弘人の言葉に、訳が解らないと言いたそうな楓の表情。弘人は今朝、楓が弘人の袖をつかんだときのことを話した。

「え、うそっ。本当にですか?!私が弘人さんの袖をちゃんと引っ張っていたの?!」

 自分でも意外そうな楓。

「なら聞くけど、今こうやって俺の家の床に座ってるお前は何だ?ちゃんと床を認識しているから座ってるんだよな?」

「そう・・・・ですね?でもほら、意識すればすり抜けられますよ?」

 そう言って音もなく、座ったままの状態で床に沈んでいく楓。まるでとんでもなく精巧なホログラムを目の前にしているような光景だ。

「いや、それはいいから。」

 やめろという弘人の言葉に、楓が元の状態に返ってくる。

「つまりだ。物に触ろうと思えば触れるんじゃないか?今までやった事がなかったから知らなかっただけで。」

 実際は幽霊の事など知りもしないので、弘人は漠然としたイメージでものを言う。だがそれが逆に真を突いているとは想像もしない事であった。

「えと、じゃあこのお皿を持ってみます。」

 そう言って楓は緊張した面持ちで目の前の更を持ち上げようとする。それは端から見ると、ある有名マジシャンのショーを見ているようだった。

「おっ?浮いた!いや、持てた?!」

 そっと手を添えた楓の両手が、その皿を持ち上げた。

「あ、持てた!」

 そう言って楓が喜んだ瞬間、皿がゴトンとテーブルに落ちる。

「あれ?」

 大した高さではなかったので皿は割れなかったが、乗っていたおかずが少し飛び散った。だがそれは二人にとってどうでもいい事だった。

「弘人さん・・・・。」

「楓・・・・。」

 少しの間見つめ合った後・・・・。

「やったー!!」

 二人同時にバンザイをする。そして楓が勢いよく弘人の元に飛び込んでくる。テーブルをすり抜けて、だ。

 だが、今度は楓は弘人をすり抜けることなく、しっかりと弘人に抱きついていた。その勢いで弘人が後ろに転げる。

「わっ、わっ、楓?!」

 突然の柔らかな女の子の感触に弘人は戸惑った。あるはずがないと思っていた楓の身体の感触が確かにあったのだ。

「なんですか、弘人さん?」

 潤んだ瞳の楓が目の前十数センチのところにある。弘人はそれにも戸惑い、言葉を失う。

 しばらく経って、ようやく絞り出す一言。

「か、楓。お前、身体が・・・・。」

「へ?あれっ?」

 弘人の言葉に楓が気が付いた途端、楓の身体の重みも柔らかな感触も無くなってしまっていた。

 楓の腕がスカッと弘人の身体をすり抜ける。

「あ、あっれ~?!何だったの、今の?!」

 男性に抱きついた事よりも、今あった自分の身体の感触に驚く楓。しきりに自分の手や足を見回している。弘人も呆然となるだけだった。

「と、とにかく離れなさい。め、メシが食えない。」

 エンジンのアイドリングのように激しく鼓動する心臓を抑えようと、弘人は務めて平静を装う。楓も真っ赤な弘人の顔を見て察したようだった。慌てて弘人から離れてテーブルの向かい側に座る。

「何だったんだ一体・・・・。」

「わかりません。たださっきは嬉しくて、夢中だったから・・・・。」

 モジモジと恥じらう楓。頬が赤くなってるのは血管が開いたとかいう問題ではなくて、生きていた頃の経験からくる反射的なものだろう。

 ようやく落ち着いてきた心臓を抑えて、弘人はどうにか箸を取り直す。楓は弘人の正面に座ったまま真っ赤になっている。

 普通ならこれは男性にとって嬉しいハプニングだったのだろう。だが状況が状況だけに上手く飲み込めないでいた。

「なあ・・・・。」

「はっ、はひ!」

 過剰とも言える楓の反応。それを見て弘人も、また恥ずかしさがこみ上げてきた。

「と、とにかく物に触れる事ができるというのはこれでハッキリしたよな。今度からは自分でテレビくらいつけろよ?」

「う、うん・・・・。」

 弘人は幽霊相手に何を動揺しているのかと、無理矢理素っ気なく対応してみる。しかし楓の方はそれどころではないらしく、普通の女の子よろしくドギマギしている。

 弘人はこれ以上座っていても恥ずかしくなるだけだと、食器の片づけに入る。

「あ、私も手伝います。」

 そう言って楓も立ち上がり、目の前にある先程の皿を持ち上げようと試みる。すると今度は以外とすんなり持ち上げる事ができた。

「お?なんだ、もう物に触れられるようになったじゃないか。」

「何となく解ったような気がします。・・・・はうぁ!」

 そう言って笑った瞬間に、楓の手から皿がすり抜けて落ちる。今度は皿が割れるには十分すぎる高さまで持ち上がっていたので、轟音と共に残っていたおかずが床に飛び散る。

「きゃう~ん!」

「わぁ!何やっとんじゃお前はー?!」

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

「もういいから、とりあえずテレビでも見とけ。」

「はい~・・・・。」

 肩を落として回れ右をする楓。それを見て、割れた皿を回収する弘人の表情が穏やかに微笑んでいた。

 それからしばらくの間、弘人の背後では楓がチャンネルを変えようと一生懸命になって格闘している姿があった。

 「あ、変わった!」だの「あれ~?」だのと、弘人には頬笑ましい騒々しさだった。

 もしこの場に誰か来ても楓の姿は見えないし、声も聞こえないだろう。きっとポンコツテレビのチャンネルが勝手に変わる事があるくらいにしか思わないに違いない。

 片付けを終えて、見たい番組のある弘人が楓からリモコンを取り上げるまで、テレビのチャンネルは時々勝手に変わり続けたのだった。


「あの、弘人さん。」

「ん?」

 弘人が床に敷いた来客用の布団に寝そべった時、横の弘人のベッドから楓が覗き込んでいた。

 弘人が女の子を下に寝かせたくないと言うので、楓がベッドを使う事になったのだ。

「もし何ならそのへんに浮遊しててもいいんだけど・・・・。」

「それだけはやめなさい。」

 楓の一言に強烈なダメ出しをする弘人。そんな状態でなんか弘人は眠れるわけがない。

「えへへ。あの・・・・さっきは嬉しかった。」

「別にいいって。何となくポルターガイスト現象の原因が解った事だし。」

 今日弘人は世界中で霊能者の頭を悩ます問題の真相を見た気がしていた。こんな簡単な事だと教えてやれば、今後一切彼等も頭を抱えなくて済むだろうに。

「あ、ううん、それもそうなんだけど・・・・。」

 ベッドに横になって、楓は恥じらうような仕草をする。弘人はその仕草が誘惑しているように思えて一瞬ドキリとした。

 楓が本当に生きて今この部屋にいたら、もしかしたらとんでもない事になっているかも知れなかった。

「あのね、さっき初めて・・・・その・・・・名前、呼んでくれた・・・・。」

「え?あ、そういえば・・・・。」

 さっきのどさくさで意識していなかったが、弘人は確かに楓の名を呼んでいた。

「いままでは『馬鹿』とか『アホ』とか『お前』とかしか言わなかったのに、さっき初めて私のことちゃんと『楓』って呼んでくれた・・・・。」

 弘人は今までの事を振り返って、正直罪悪感を感じた。そうだ、さっきまで楓の名を知っているのに楓と呼んだ事は無かった。

「そうだな、確かにちゃんと名前呼んでなかったなぁ。・・・・ゴメン。」

「あ、ううん、いいの。それでね、これからはちゃんと私の名前呼んでくれる?」

「ああ、そうするよ。」

「ほんとうに?!」

「ああ、本当に。だからあまり騒ぐなって。」

「はい・・・・。お休みなさい、弘人さん。」

 楓の嬉しそうな声が暗くなった部屋に響いた。

「あ、楓。俺も『さん』なんて付けないでくれ。弘人でいいから。」

「・・・・うん・・・・。じゃあ・・・・お休みなさい、弘人・・・・。」

「お休み、楓・・・・。」

 しばらくして、弘人も楓も眠りに落ちた。聞こえる寝息は一人分だが、穏やかな寝顔はしっかりと二人分あった。

 この夜は気温も下がり、窓を開けていれば心地よい風が吹き込んでくる。

 一つの季節が終わり、次の季節へと移り変わるように、弘人と楓の関係にも少しずつ変化が現れ始めていた。

 二人が出逢った、たった二日間のこの出来事で・・・・。


つづく


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