縄張りと交錯
村を中心とした範囲で、レイモンドは異形のモノの探索をしていた。
距離は有るものの、異形のモノが巣を作ること、また、別の種類が居ることが解ったためだ。
地上の蟻型だけなら、壁を作るだけでなんとか防ぐことも出来るだろう。しかし、地面の下から来られた場合、相当な基礎を地面の中に埋め込むか、岩の上に砦を作るしか無い。
今の村をそのまま使い、暮らしていくとすれば村を中心として防衛にまわるしか手がない。
そして、シュリアの一言で、レイモンドは遠方への攻略を諦めざる得ない状態にさせられいてた。
「もう、野宿、やだ」
レイモンドの家が大層気に入ったらしく、毎日楽しそうだ。
アスレイ家はいちおう元騎士ということで、ある程度の家を持っている。騎士だったというのは口外してはいないが、知識や剣術、立ち居振る舞いから村人には知られているのだろう。
農民として村に入れてもらってからは、しっかりと農民として働き、その人望もある。それゆえか、家にはある程度の家具調度品もあり、それらもシュリアを満足させたようだ。
家の部屋数は少ないが、シュリアはレイモンドの部屋を好き勝手に使っている。
水浴びではなく、湯で入る風呂も気に入ったらしい。
シュリアとリリはお互いに気に入ったのか、風呂や寝る時も一緒だ。まるで、ほんとに姉妹だ。
リリと仲良くなってくれたことは喜ばしいが、リリの中にもあったのか、シュリアに影響されたのか、レイモンドをからかう度合いがひどくなっている。
既に入浴を終わってのんびりしていた二人が、レイモンドが入浴をしてると乱入してきたり、ベッドで寝てると潜り込んできたりする。しかも「どーっちだ?」とシュリアとリリが同時に言うもんだから頭を抱える。
リリは甘えん坊だったのが、さらに、いたずら好きになったことで、手に負えない感じになっている。
他の人から見れば見間違えるだろうが、レイモンドが見間違えるはずもない。
それで、範囲を決めて防衛の偵察という理由をつけて、家を出ているわけだ。
昼間までからかわれては、身がもたない。
敵と戦ってる方が、何かと気が楽なのだ。
頭を使うより、体を動かしていた方がだいぶ楽だと感じている。
今までは地面上の敵を感じて向かっていた。
しかし今は地面の下の気配も、上空の気配も探らなければならない。
地面の下の気配は以外に簡単だ。足元から注意を逸らさなければいい。
振動は中心から均等の広がる。硬い岩や柔らかいドロなどで絶対ではないが、同じ地質ならば均等だ。
問題は空だ。
蛾型は未だにどんな攻撃をしてくるか、また、攻撃をしてくるかどうかもわからない。
風上に飛んでいるなら鱗粉が降ってくるだろう。しかし、風下からこられれば、音もせずに近寄られてしまう。
蛾型が人間の体液を、もし花の蜜の様に吸うというのであれば、それだけで脅威だ。
普通の人間でも、血液をわずか吸われれば貧血を起こす。レイモンドの血液ならば、敵を中から攻撃するかもしれない。しかし、小型の蟻型が持っていたような血液凝固阻害を持っていれば別だろう。
まだぶつかっていない敵には、どんな危険が潜んでいるか、わからない。
危険に飛び込むおは簡単だ。そして、その中から勝機をつかむこともある。
しかし、それは生き残れた場合にのみ、可能なこと。
危険に飛び込んで即死すれば、自分が守ろうと思った全てを、失うことになる。
危険に飛び込むでなく、危険に立ち向かうでもなく、危険を知る。
知ることで、危険は立ち向かうべき対象とだけなり、そして、倒すことが出来る。
今までレイモンドは全ての危険に飛び込み、ギリギリで生き残ってきた。
これからは、そうやって戦っていてはいけない。
守るべきものが、後ろにある限り。
守るべきもの。そう考えると家族や村人の顔が浮かぶ。
浮かぶのだが、シュリアとリリの顔が浮かぶと、またからかわれるのかと少し苦笑する。
シュリアは村にいても、探知範囲が凄い。
村中を歩きまわるだけ、それだけで村の周囲の様子を、探り当ててしまう。
どれだけ秘匿したい情報があっても、シュリアが知ろうと思えば無駄なあがきになるだろう。
口にした、行動に起こした時には、シュリアはそれを感じ、理解してしまう。
レイモンドに説明した限りは、範囲にはある程度限度があるらしいということだったが、本人にもその範囲の限界はわからないらしい。ただ、自分に危険が及ぶことである場合、驚くくらい遠くからの危険も察知してしまい、逆に逃げるのが一番速いと感じることもあるらしい。
そのシュリアが村に居てくれる。だからレイモンドは村の外で探索できるのだ。
シュリアも戦闘になれば強い。その強さを村人に見せるかどうかは別として、村に居る限りは安心できると感じる。シュリアとレイモンドが居るだけで、この村は要塞の様な強固さを手に入れていた。
レイモンドが周囲を警戒すると同時に足元にも警戒をする理由は、蟻型の巣だ。
柔らかい地面に掘られた穴。大型が攻撃していたあそこは、多分巣だろう。
そうであるなら、小型も大型も巣を作るはずだ。
この近くで、わざわざ掘らなくても済む穴といえば、妙薬の取れる洞窟。
レイモンドはガインにある程度の事情を話し、洞窟も定期的に確認させてもらえるようにしていた。
もし妙薬に異形のモノの嫌う匂いがあったとしたら、入口から地底湖までの道筋は安全だろう。しかし、他の穴には妙薬の匂いはあまりついていないはず。そこに巣食われていたらと思うと背筋が凍る。
腰には、石灰を詰めた袋と、妙薬を入れた瓶がある。
どちらを使っても撃退まではいたらないだろう。
しかし、退かせたり、混乱させることが出来れば、それは有効だ。
異形のモノを倒せる力を持っているレイモンドや、倒す武器と技量をもっているシュリアにしても、相手の注意をそらすことが出来る物を見つけられるというのは便利ではある。
さすがのレイモンドといえど、全く光のないところでは目は見えない。しかし、小皿の上に根本から掘り出した妙薬の苔を載せて、うっすらとした灯りを作ることで、視認可能な物はだいぶ増える。
僅かな間は妙薬の光に頼るが、すぐに闇に目が慣れる。
以前は片目を閉じて瞳孔を開き、洞窟に入る瞬間に目を開いた。
しかしあれは、洞窟に有る灯りが全て消されていたためだ。
人がいる気配をけすためか、領主代行のジグルが全て消させていたのだろう。
敵が蟻型で有ることなど知らず、灯りを消しても無意味であることなど知らずに。
地底湖には妙薬の原料となる苔が生えている。しかし、そのままでは匂いは薄く、効果は薄い。
精製することで効能と匂いが発せられ、人の傷に効く薬となる。
妙薬は精製されることで粘り気を持った液状になり、それで傷を覆うことで傷の治りを早める。
痛みは緩和され、傷の治りも速い。となれば、その薬を求める人は多い。
特に戦場で戦う人たちだ。
僅かな切り傷でも放っておけば失血しかねない場所もある。また、痛みに気を取られれば相手の剣技に追いつけない。そういう場合に妙薬が重宝されるのだ。
それらの匂いは妙薬を扱う人間には染み付いている。
それでだろうか、あの時地底湖で2匹を見つけた時には人は襲われず、異形のモノは困惑していた。
獲物の匂いに混じる妙薬の香り。それらが、敵を困惑させていたのなら納得もできる。
しかし、ほかの洞窟には匂いは届かない。
倉庫代わりな枝道には、灯りがある。しかし、探索もされていない枝道には灯りもなく、また、足元も慣らされていない。
幾つもある枝道のどれかが地上に達していて、もしそこから異形のモノが入ったりすれば悲劇は必至。
単に崩せば良いという考えもあるが、蟻型という蟻の特性を考えれば、埋めても掘って出てくるだろう。
ならば、倒さねばならない。
レイモンドの手には、シュリアから再度渡された一対の武器。
一時的にレイモンドが使っていた剣は、レイモンドの父に渡された。
ガインでもジグルでも良かったが、異形のモノを斬れるという武器は騎士であった者が持つ方が良いと考えたのだ。異形のモノを斬れるとなれば、邪念を抱くものもいるだろうし、また、剣技も必要だ。
衰え、体を弱くしてはいても元騎士。剣を握れば、他の村民よりは腕は立つ。
シュリアも武器を隠し持ち続けているし、2人も異形のモノの倒せる武器を持つものがいれば、村は安全だろう。
レイモンドの手にある武器は、近接戦用である。しかし、同時に狭い場所で振るうにも最適。
父との稽古で身につけた地力と、実戦で身につけた技量。そして不気味ではあるが、そう簡単に死なせてくれない体。
どれもがレイモンドの後押しをする。
洞窟はどれも、自然な行き止まりばかりだった。崩落で通れない場所もある。
1日に確認できる枝道は2,3本。それ以外は、村の外にも気を配らないといけない。
シュリアが感知出来るとは言っても、いつも気をはらせていては申し訳ないからだ。
地面がゆるい場所は、特に気を使う。
穴をほっての巣作りは出来ないとしても、振動が伝わりづらい。
シュリアがどう感知してるかはわからないが、やはり振動もそうだろう。
こういう場所の向こう側という場所柄なら、敵が居てもわかりづらい。
武器は、洞窟では手にしていたが、地上では戦う直前までは手にしない。
聞いた事情のなかで、武器をめぐる争奪戦に暗躍する者も居ると聞いた。だから、おおっぴらに使っているところを見せる訳にはいかない。
村の中や近くではそうでもない。ジグルが陣頭に立ち、自警団が周囲を監視しているからだ。
賑わう村には異形のモノも興味を示すだろうが、野党もその利を狙う。
自警団自体が、村人よりも流れ者の方が多いのは、多少気になる。
賑わう村に流れ着き、力自慢や技量自慢が居座り、俺達が守ってやると言いながら自警団に入る。
俺たちがまもってやっているんだと、自警団の威を示す。
自警団ということで、我が物顔で村を闊歩してるわけだ。
だが、人間相手なら、多少は役立つ。
ある程度の報酬を与え続けていれば、村に牙を剥くことも滅多に無い。
村が廃れていけば報酬は少なくなる。しかし、村が衰退していく状態をみればどうせ流れ者、また流れて行くだろう。
沼地を回り込みながら探索し、やはり、周辺に異形のモノの気配はない。
しかし、一人の兵士が倒れているのを見つけた。
レイモンドはしらない。その男はレヴィアスの腹心の部下だった男だ。
異形のモノの攻撃による傷ではなく、人と斬り合って出来た傷がそこかしこにある。
何人もの敵と戦ったのだろうが、流石に傷は多く、体力もだいぶ消耗しているようだ。
レイモンドは近寄り、斬りかかられても大丈夫な距離から「大丈夫ですか?」と声をかけた。
自分が敵と認識されれば、寝たふりをして近づかせ、斬る事もありえるだろう。
「君……は……?」
本当に力尽きかけている。
異形のモノに投げるける予定だった妙薬を取り出し、兵士に近寄って傷に塗る。
見える場所だけでも、多少の効果はあるだろう。
「近くの村の者でレイモンドと言います」
近くに狩猟用の小屋があり、休めることを伝え、兵士に肩を貸す。
「君は……力持ち……だな……」
息も絶え絶えな感じだ。
兵士を連れて狩猟小屋に着くと、だいぶ前から使われていなかった感じがする。
小屋には妙薬の匂いも結構する。
動物相手の狩猟でもケガはする。
動物に反撃されたりもするが、歩いてる最中に木々で肌を怪我したりもするからだ。
その治療に妙薬。
村人以外にも多く使われる。それは、宣伝効果だ。
良い薬がある村と知られれば、当然狙われる。しかし、それが売り物であると分かり、また、村人以外作れないとすれば、奪うではなく、買うになる。
ガインを含め屈強な者達が元締めで有ることも、奪うから買うに変わらせる理由の一つ。
良い薬であろうと、麻薬のような中毒性は無い。ただ傷によく効くだけの薬だ。
売値も高価ではあるが、農民でも手が出ないほどではない。
傷薬の奪いあいで命をかけてまで、という連中は少なく、また、居てもガイン達が蹴散らしている。
狩猟小屋の簡易ベッドに兵士を寝かせるも、兵士は体に括りつけた箱だけは手放さない。
「それは、そのままでいいんですね?」
確認のように聞く。
「ああ……すまない。これ……は……手放せな……」
そして、兵士は意識を失った。
まだ生きているが、危険な状態だ。
「村から医者を連れてきたほうが良いかな」
小屋を出ると、そこにはシュリアが居た。
レイモンドが唖然とするような格好をしている。
「なによ?」
困惑するレイモンドの顔を見ながら、少し恥ずかしそうにしている。
「食堂で人手が足りないっていうから、リリと一緒に手伝ってるの」
リリは母親と一緒に、ガインの作業場で妙薬作りの仕事をしていたはず。
ウェイトレス姿のシュリアは、今までの様な軽装ではなく、まるで動きやすいドレスの様な格好。
「か……可愛い……な……」
思わず口から言葉が漏れる。
戦うために作られた服。そういったものばかりを目にしていたので、レイモンドには随分新鮮に見えていた。
「――あんまり見ないでよ。なんか恥ずかしいし」
ごめんごめんと言いながら「けど、なんでここに?」と聞いた。
「けが人連れて歩いてたでしょ? だからほら、食事と薬」
一体何処まで、何を感知出来るのだろう。
ほんとに隠し事は無理だろうなと、レイモンドは思った。
「ほかに必要そうなものはある?」
中を覗きこむも、兵士がベッドで寝ているだけ。しかし、シュリアには箱が気になるらしい。
「村に戻って、医者に伝えてもらえるかな。あと、一応他の人には気づかれないように。狙われてるらしいから、俺はここに残るよ」
シュリアはいつもの様に「はーい」と返事して帰っていく。
「それと可愛いって言われるのは嬉しいけど……驚くような顔しないでよ。いつもは可愛くないみたいじゃない」
帰り際に釘を差された。
どの時点から、レイモンドの動きを察知して用意しだしたのだろうか、食べ物も固形物でなくスープ状の物だし、薬も妙薬以外にも熱さまし等も入っている。
「ほんと、凄いな……」
呆れるほどの感覚に、逆に心配かけてるんだなと反省する。
アレほど解ってしまうと、自分が無理をしてもすぐに看過されるだろう。
無理をすればするほど、自分の体は強くなる。しかし、同時に心配をかける。
今までもだいぶ心配をかけてたんだなと思うと、心が痛くなる。
とりあえず出来る限りの治療をし、床に腰を下ろす。
他人の心配をすることで、レイモンドは今まで自分がかけていた心配を実感してため息をつた。
数日後、目を覚ました兵士はわずかながら事情を口にした。
兵士はレヴィアスの腹心であり、ニアスという名前らしい。
一応自己紹介はされたが、何か任務を帯びて活動しているなら、名前を偽る可能性もある。
なんとか起きて食事を取りつつ、しかし、村に行って医師に診てもらう事は拒否された。
シュリアに医師を頼んだが、ここまで来るには時間がかかるだろう。
また、村の外に出るのにも、拒否されるかもしれない。
村の外は危険、と考えるものは、まだ多い。
行軍の一人として参加するのならばまだしも、少女と二人で来るというのは怖いだろう。
シュリアの実力は、村人の誰も知らない。
どう見ても、リリを少し大人にしただけの少女。
リリの成長がはやければ、双子に見えるかも知れない。
しかも、戦うための姿をしていればまだしも、ウェイトレスの姿だろう。
傍目に見ては、とても心強いとは言えない。
医者を連れてくるのを半ば諦めていた。
諦めた上で少しでも傷を癒やそうと、装備を外して傷薬の妙薬を塗ることを提案する。しかし、装備を外すことは箱も手放す事になる。
兵士は大丈夫と拒否し、しかし、その苦悶の表情は大丈夫でないことを表している。
レイモンドは自分の様な能力がない人間の弱さを、久しぶりに見た気がする。
自分なら、すぐにでも回復してしまう。
回復どころか、傷口から流れ出た血が甲殻を作り、そして、攻撃を防ぐ。そして、強くなる。
防具にもなり武器にもなる甲殻は時間が経てば剥がれ、そして、その部分は完治している。
腕や足を切り落とされたことはない。だから、そうなった場合はどうなるかはわからない。
しかし、何故か大丈夫だろうと思っている。
そして目の前で苦悶の表情を浮かべる兵士を見て、やはり、自分は人外の存在になっていることに気付かされる。
僅かな傷口から化膿し、それが壊死になる。そうなると、腕や足を切り落とさなければ体全身を蝕む。
出来れば、人に刃を向けたくはない。
それが命を救う処置であろうと、やはり辛い。
そうすることで命をとりとめても、その人のその後を考えてしまうと、切り落とさずに治せれば一番だ。
兵士として生きてきた人の手足を奪うということは、兵士としての生命を奪うことになる。
人を簡単に気絶させたり、意識を失わせる術を、レイモンドは持たない。
もし出来て、装備を外して傷口を治療したとしても、治癒しきるだろうか。
「その箱がなければ、村に行けるんですか? 見ませんから、どこかに埋めておくとか……」
ニアスは首を振り「決して、手放す事は出来ないんだ。」と拒否した。
誰から預かったのかも、何処へ届けるのかも口にはしない。
決して、口外してはならないらしいとレイモンドは感じた。
それだけ、重要な物が入ってるというのは、その態度を見れば解る。
本来、重要な物を持ち歩いているという事も、知られてはならないんだろう。
しかし、レイモンドに助けられ、治療され、少しは信用しただろう事で、手放せない事を口にしている様だ。
普通に会話できるほどに回復できているのは、シュリアが持ってきた料理を口にしたおかげだろう。
食堂で作られた料理に何かを入れたのか、それともシュリアが作ったのか、回復に効果がある何かを入れてあったのはわかる。
シュリアなら抜け目なく、そういう物を入れてくるはずだ、と。
聞いても教えてはくれないだろうが、シュリアが弱った時に自分が出来ることが少ないだろと思ってしまう。
しばらくして狩猟小屋に戻ってきたのは、やはりシュリアだけだった。
医師は、村から出ることを拒んだらしい。
また、南の城塞での戦いは既に終わってるが、村が賑わったおかげで怪我人も多いらしい。
村の医者はひとりきり。だから、手が回らないというのもある。
そしてシュリアは、医療道具が入ったカバンを持ってやって来た。
格好はウェイトレスのまま。
「えっと、その……うん、似合ってるよ」
シュリアはじろりと睨んで「言いづらそうにしないでよ。こっちが照れちゃうわ」と文句を言う。
文句を言いつつ、カバンを開けて様々な医療道具と薬を取り出していく。
「医術出来るの……?」
レイモンドは感嘆した。
シュリアは当たり前のように「自分の怪我くらい治せないとダメだったから」と。
火を炊き、お湯を沸かし、医療道具を手際よく並べていく。
そして、言いくるめて横にさせたニアスの傷口を確認する。
傷を切開し、化膿した部分を取り除き、そして縫合。
神経や血管を傷つけない様にしていることは、レイモンドにはわからない。
ただ、切っては縫って、切っては縫ってと見えるだけだ。
幸いにも深い傷は無く、傷の化膿や打撲による打ち身などが多く、シュリアの手際で殆どの傷は縫合され、打撲の場所には薬が塗られた。
もちろんそれは防具から出ている場所だけだ。
遠慮無く服の部分を切り、傷部分を露出させていったので、ニアスは防具とズボンだけの状態になっている。そして、体に括りつけた箱。
近くで箱を一瞥しただけで「ふ~ん」と言い、レイモンドに耳打ちする。
「……あんまり関わらないほうが良いかも」
どういう意味で言ったのか、それだけ言うと熱さましの薬と、食料を置いて帰っていく。
「まだ食堂の仕事あるから、またあとでね」
しかし凄い技術だ。ほとんど痛みを感じさせずに、切り、縫う。
シュリアが麻酔を使ってる様子は無かった。麻酔無しでの切開など、激痛が伴うはず。
痛みに強い体質だとしても、それなりに痛いはずだ。
この世界に痛みを緩和する方法は、塗り薬としての麻酔。
虫の毒から取れる物と、植物から取れる物がある。
塗ってからしばらくして、針などで痛覚が麻痺したかを確認して、それから処置をするのが普通。
虫の毒も、植物からのものも、どちらも貴重品として用いられている。また、飲むと中毒症状や幻覚作用を起こす物も多い。
鎮痛作用の強い薬草などは、麻薬としても扱われているが、取り締まるような決まりはない。
鎮痛作用は重宝されるが、麻薬として使う量は知られておらず、また、摂取しすぎれば神経疾患で死ぬ。麻薬として使用するような、適切な調合量を知ってるものが居ないのだ。
また、麻薬に溺れるような事があれば、仕事を失う。また、そんなものを買うくらいなら、酒を飲んで騒ぐ。それが、この世界の人間たちだ。
食事と飲み薬に鎮静作用が会ったかもしれないが、レイモンドははニアスに全て与えたために確認はしていない。もしあったとしても、タイミングよく効いてる最中に来て、処置していくなど出来るだろうか。
レイモンドはシュリアを見送ると狩猟小屋に戻る。
ニアスは立ち上がろうとしていた。
傷は膿を取り出し縫合したと言っても、まだ癒着もしていない。
無理をしないでと言っても、行くべきところがあると言って聞かない。
今動いても途中で倒れて、結局たどり着けないと言っても聞いてもらえない。
ニアスは任務に忠実であろうとしている。しかし、体が追いついていない。
「ところで……ここは、なんていう村なんだ。逃げまわっていて、何処に居るのか……」
ニアスの質問にレイモンドは「ラースニアです」と答え、ニアスは納得した。
「なるほど、それでこの匂いか」
軍人ならば、妙薬のお得意様でもあるだろう。軍で妙薬がなんと呼ばれているかわからないが、生産地は皆知っているだろうし、生産地で薬の名前をいう人もいる。妙薬以外でも、北の方で取れる独特な薬草が解毒に効くということで、北の薬というのも売られているほどだ。
「ここは人がよく使うのかい? だったら、やはりもう行かねば」
立ち上がろうとしているが、やはり力が入らない様子だ。
傷口も閉じていない状況で、過度な動きは危ない。
シュリアの縫合は凄い。少し動いたくらいでは傷口が開かない様にしてある。
恐らくは、自分がケガをした時にしている縫合だろう。出血を止め、すぐにも動けるようにと縫合して戦いに備える。そういう姿が想像できる。
しかしそれも、体力をしっかり管理していればこそだろう。
ニアスの体力は限界に近かった。死にかけていた所をレイモンドに発見されたのだ。
レイモンドの一緒に行くという提案も断り、自分だけで行かねばならないと頑固だ。
行く場所も秘密にしているのは解っているが、途中まででもというのも断られる。
誰かと一緒にいると、それだけ発見される率が上がるそうだ。
そして、これは自分が受けた最後の任務だとも言う。
ある程度はレイモンドに気を許してはいるが、箱は手放そうとしない。
レイモンドは、もう聞かなかった。
「狩猟小屋なので、今の季節は誰も来ないと思います。森のなかでも結構深い場所なので、見つかることも無いと思います。出て行くのはもう止めませんが、傷口がもう少し塞がってからでお願いします。次に外で倒れてたら、無理にでも村に連れて行きますよ」
シュリアは関わらないほうがいい、と言っていた。
恐らくは異界の何かが入った箱なのだろうと、レイモンドは推測する。
たしかに、聖鎧の入った箱などとは誰も予想しない。
聖鎧自体が、最初はああいう姿であることも知る者は僅かだ。
そして、姿は知っている者でも、今の大きさは知らない。
北の城に有った時は巨大な台座の様な大きさであったのに、今では小箱に入るほど小さい。
どういう理由かなど、わかる者はいないだろう。そして、中を見ても、聖鎧と解る者も居ない。
しかし、ニアスは関係ないことなのだろう。レヴィアスの最後の命令を遂行する。
それだけが彼を突き動かしていた。
ニアスの心にはレヴィアスの命令が刻まれている。
王へ届けよ、と。
反乱軍の騒乱は収まらず、第三勢力は姿を見せない。
第三勢力の本体は姿を見せていないが、その影響は大きくなっている。
第三勢力を名乗る賊も出始め、それらが反乱軍の輸送部隊を襲っては物資を奪う。
反乱軍の名を騙る賊も出ている。
村に乗り込んでは反乱軍を名乗り、物資を、金品を徴収する。
女と見れば、誰かれ構わず襲う者たちも居て、どちらの評判も地に落ちている。
第三勢力は何故に姿を表さないのかと、本当に居るのかと噂にもあがる。
本当にいるのならば、反乱軍を駆逐してくれるはず。
反乱軍が行う暴虐非道をなんとかしてくれるはずと、他力本願に願う。
だが、現れるのは賊ばかり。
反乱軍の中でも下に見られているものは、賊に見を落としているものも居る。
本当に反乱軍に属しておきながら、賊を手下にし、そして、村を襲う。
賊であれば村も、自警団で多少の抵抗は出来る。しかし、本当の反乱軍が後ろ盾についた賊には、手が出せない。
手を出せば、反乱軍への翻意だと思われるからだ。
村の中で誰かが翻意を口にすれば、村の中で処分しなければならない。
そうしなければ、村自体の意志と取られるからだ。
身内が身内を殺す。
翻意を誰かが口にしていないとしても、誰かが言ったとされれば、誰かが犠牲にならなければならない。
誰かを差し出さねば、村全体が反乱軍に攻めこまれてしまう。
反乱軍自体に、そんな組織体制は既に無い。しかし、反乱軍は王軍を倒したという事実が、民衆に恐怖を与え続けている。
暴力による反乱は、しかし、知的な指導者の下で行われなければならい。
そうでなければ、暴力にだけ支配される世界になる。
振るわれる力は、意味がなければならない。
意味が無い力は、ただの暴力でしか無く、それは、人間が人間で有ることを捨てること。
人間が人間であることを捨てた時、それはただの獣になる。
獣に襲われ、抵抗する術を失っている人間は、ただされるがまま、絶望するしか無い。
それらの絶望からの救いが第三勢力であり、王政の復活なのだ。
誰もが王政の復活を願う。
ヴィータスの謳は聞こえは良いが、すべて建前でしか無い。
そして、それは聞こえたとしても、ヴィータスが通りすがった町や村、今では王都でしか響かない。
王都を占領してからの期間で、民衆は知った。
反乱軍は、ただ武力で突き進んだだけの暴徒と。
上下関係も身分もない世界は、すなわち平等。しかし、それは建前。
平等というのは、聞こえは良い。しかし、誰もが生死の堺に居るということでも有る。
この世界では、今、食うか食われるかになっているのだ。
一部の村や町では、反乱軍もおとなしい。
それは蹂躙する相手がいないということではなく、反乱軍が手を出せない相手がいる場所という意味。
もともと不満をもった下級騎士や兵士たちが集まり、作り上げられた反乱軍。
それらは平等とは名ばかりの自分の縄張りとして、村や町を支配している。
そういった場所では、偽りの平和がある。
下級騎士だったものが領主の様に振る舞い、村や町を私物化しているのだ。
反乱軍は平等という嘘。
それらは、誰にでもわかるものであろうが、しかし、平等という言葉の甘美さに目がくらむ。
目がくらんだ者たちは、平等という理想に飛びつき、王政にヒビを入れた。
そして今、王政は無くなり、暴徒が支配する世界。
人は希望を削がれ、夢を断たれても、何かにすがる。
王政の中で階級をあげる夢、金持ちになる理想を断たれて反乱軍にすがったように、反乱軍の圧政の中で、第三勢力にすがる。しかし、第三勢力は動かず、希望を絶たれる。
第三勢力の者たちは、苦虫を噛み潰したような我慢を強いられている。
体制はいまだ整わず、そして、状況も時はまだ至らずとしている。
第三勢力は、王政を復活させるためのもの。
つまりは、第二の王軍であるべきなのだ。
旗揚げのタイミングは重要だ。
王軍の残党と言える者たちも集まり始めているが、王への信頼は薄い。
既に王政を諦めている者もいるが、しかし、反乱軍に属したくはないという者も居る。
全ての意志を統率し、そして、旗揚げしなくてはならない。
そうでなければ、王政復活とはならないだろう。
王の血族はほとんどが処刑され、王以外は血縁者はいない。
王の血縁であれば、領主や上位の騎士として暮らしていたはずだからだ。
そういう者達はみな処刑され、生き残ってる者たちは奴隷の扱いか、投獄だ。
利用価値があれば生き残っているだろう、また、反乱軍に身をおくならば生きながらえてもいるだろう。しかし、王の血縁であることは口外しないはずだ。
反乱軍にとって王の血縁であることは、敵であることだから。
だが、隠し通せるものでもなく、それらはいつしか表面にでる。
表面に出るまでに、王とは意趣を違うものとして表明し理解を得ておくか、もしくは得たものを抱えて逃げ出すか。
王の遠い血縁であろうと、王政の復活の際には利用できる。
だから、それらの者を第三勢力に引き入れ、各部隊の旗印とする。
そういった活動が続けられいる。
表面上は、表には出せない行動だ。
だから、姿を見せてはならず、そして、交渉が成功した者達から反乱軍の情報を得て、逆に、交渉に失敗した者達から、そう言った抱き込みの情報が流れ出る。
交渉に失敗した相手は、大体が第三勢力が殺す。情報が漏洩しないためだ。
しかし、殺すと言っても王の血筋で、側近等も多い。交渉事には側近たちも連なる。
そういった相手を皆殺しにすることばかりをしていれば、また、良からぬ噂を呼ぶ。
側近たちも命からがら逃げ延びる者もいる。
それゆえ、情報は常に流動していく。
一度交渉に成功しても、失敗した者の情報を得て、反乱軍に翻意が無いことを表明する者もいる。
状況は常に流転し、変わっていく。
情報は常に混沌としている。
噂として、嘘として、真実として。
第三勢力の噂、反乱軍の真実の噂、そして、王政復活の噂。
様々な噂が流れている。
その中で、まるで英雄譚の様な噂があった。
一人の少年が、次々に異形のモノを倒す旅をしているという噂だ。
武器は遠目に普通に見えて、ただ色が黒い。
そして、すさまじい体術と剣技で異形のモノを倒している。
幾つもの村が、幾つもの町が救われ、そしてしかし、少年は何も対価を求めずに去る。
異形のモノを倒せるのだから、勇者だろう。
もしかしたら王が遣わした戦士かもしれない。
この世界にも、創作された物語は多い。
童話や神話、また、英雄譚などがそれだ。しかし、この世界には文字を読み書きできる者は少なく、また、書籍等といった物は高価で、富裕層でもなければ手が出せない。
だから吟遊詩人が謳うような、口伝となる。
人は自分の都合のいいように話を変え、そして伝えていく。
噂も多くは、語り継がれるだろう。
事実でも、事実無根でも、人の興味を集めるほど、後の世に残る。
英雄譚の様に誰かを崇める話は危険。そう感じる者も多い。
最初に国を統一した英雄が王となり、そして、今の王と繋がっているとされたからだ。
英雄譚はつまり、新たなる王が生まれるという希望を、理想を形にしたもの。
王軍が復活するでもなく、反乱軍が議会制を作ったでもなく、また第三勢力が生まれるでもなく、新たなる王が生まれる希望。
ただ、異形のモノを倒してまわってる少年の話は、そこまで大きくなる。
その少年とは、もちろんレイモンドである。
しかし、当のレイモンドは噂になってることすら知らない。
海岸線を伝い、ただ、自分に宿った力を使って倒せる敵を倒す。それをしていただけだ。
誰かが助けを求めていれば、その手をとり、力を貸す。そして、助ける。
人として当たり前の事として教えられ、育てられた騎士の息子。
しかし、その真の姿を誰も知らず、ただ、噂になる。
レイモンド達は秘密にしてるつもりでも、何処で誰が見ているかわからない。
シュリアの感覚もまた、取りこぼしもあるのだろうか。
それ以前に、見られたからと言っても、どうこうするというものでも無かったかもしれない。
レイモンドも、村人を守るために自ら戦いに行く姿を見せたことも有る。
騎士として心を磨かれた少年が行った、正しいとしてした行為。
英雄譚の素としては上出来だ。
もちろん、それを利用しようとする者もいれば、否定する者も居る。
有名な騎士達が太刀打ち出来なかった、異形のモノを倒せる者など居ないと言う者。
それこそ、反乱軍が使うおかしな武器の宣伝だ、と言うものも居る。
英雄譚で使われている武器として、妙な武器を売り始める者も居る。
もちろん、異界の武器ではなく、人間世界の武器だ。しかし、英雄譚で語られる少年に憧れ売れる。
たとえもし、異形のモノに出会い、その武器を使ったとしても斬ることは叶わないだろう。だが、それは少年たちも知っている。そして、解っている。ただ、英雄譚の少年の様になりきりたいだけ。
英雄譚は反乱軍の批判にも繋がるが、逆に、英雄の噂が広がる事により、反乱軍の噂が沈静化することも狙われた。
人は興味が湧く方に惹かれる。そして、嫌なことを口にして愚痴を言うにしても、それで嫌な気分にはなりたくはない。嫌な気分どころか、下手をしたら捕まるような噂より、英雄譚の方がとなる。
第三勢力はいまだ動かず、英雄譚の噂の方が大きくなるのも歓迎だ。
実際には第三勢力など無く、協力者の有無も、交渉の有無も、噂でしかないとしたほうが動きやすい。
強大な協力者と多数の味方を得て、第二の王軍としての形を成してから、本来の王軍を盛り上げる。
王を第三勢力の首謀者としてはならない。あくまでもルナが首謀であり、それは王を盛りたてるためのものとする。それこそが、第三勢力の目的だ。
英雄譚では英雄は空まで飛ぶとされ、いつしか王都の空でも見たことがあるという噂まで出る。
ありえない事までが噂となり、人々の心を掴む。
だが、王都の荒廃はとどまることを知らず、また、近隣の町や村でも荒廃は進む。
一部の村や町を残し、人間世界は夢うつつに未だに現実逃避しようとしている。




