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継ぐ者  作者: 犬神弥太郎
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地を這うモノと、心のありかた


 恐ろしいまでの嫌悪感。


 悪寒を通り越しての、嫌悪感。


 小型蟻型は既に蹴散らし、そして、目の前には大型の蟻型。


 この大型も毒があるかどうか。


 もし、小型の蟻型よりも強い毒があるならば、レイモンドの甲殻は溶かされるかもしれない。


 大型故に、噛む力で相手を御するならば、レイモンドにも勝機はある。


 普通の昆虫から考えれば、小型の蟻は神経毒や血液凝固阻害、そう言った毒で相手を御する。だが、大型の蟻は、力で相手を屈服させるモノが多い。


 勝手な想像ではあるが、こいつら相手なら今までどおり行ける。


 ただ、硬い。だが、武器がある。右手に刺した、剣がある。


 右手に刺さったままの剣は痛みを持続させ、体力を限界まで絞り出したレイモンドに正気を保たせる。


 大きい分、継ぎ目は狙いやすい。体の継ぎ目を狙えば、甲殻の刃でもいけるかもしれない。


 しかし、レイモンドはなかなか進まない。


 悪寒の原因がわからないのもある。だが、大型の蟻型が動かない理由がわからない。


 悪寒は一体何が感じさせているのか。


 レイモンドがジリジリと動くも、大型の蟻型は動かない。


 相手に眼球は無く、視線はわからない。しかし、なにか違う。


 何が違うのか。


 体力がどんどん削れていくなかで、レイモンドは必死に考える。


 本能は周囲を策敵し、理性は前の敵を観察する。そして、レイモンド自身の意志は、戦う事を決めている。


 だが、本能と理性が、違うと知らせる。


 何が違うのか。


 大型の蟻型が、急に動いた。


 レイモンドは反応するも、本能と理性は違うと告げる。


 大型の蟻型が動いたのは、回避だった。


 何から回避したのかわからない。しかし、大型の蟻型が散開する。


 戦いの中心は、自分ではない。


 そう感じた瞬間、レイモンドが大きく飛び退る。


 回避は、小型の蟻型を避けるための行動。


 大型が居た場所は、巨大な巣穴だった。


 散開した今だから見える巨大な穴。


 そこに大型は群がっていたのだ。


 そして、そこから湧き出る大量の小型。


 そう、それは蟻型同士の戦いだった。


 異形のモノは、全てが共生はしていないらしい。


 小型の蟻型の巣を狙った大型の蟻型。その戦いの中に、レイモンドが現れて状況が膠着していたのだ。


 そして、地面上の小型が居なくなったことで、巣穴の中の兵隊蟻だろう、小型の蟻型が大量に出てきたのだ。


 そして、蟻型同士の獰猛な戦い。


 顎と顎のぶつかり合い、千切合い、そして、喰らい合う。


 バッタやトンボが落ちた後、蟻が巣に運んでいるのを見たことがある。


 そのまま運ぶのではなく、顎で食いちぎり、そして、兵隊蟻一匹で運べる大きさにして運ぶ。


 いま目の前で行われている戦いは、まさに、それだ。


 大型は餌として小型を狙い、小型は抵抗し、ともすれば、餌として大型を喰らう。


 空を飛ぶ蛾型は、どちらに味方しているのかわからない。ただ、蛾の鱗粉は蟻には効かないだろう。


 ただ、飛んでいるだけなのか?


 花や蜜を求めて、飛んでいるだけなのだろうか?


 ただ、異形のモノの蛾だ。もしかしたら人間の体液や血液を吸うこともあるかもしれない。


 注意は怠れない。


 そして、大蟻型でも、小蟻型でも、蛾型でもない、何か別のもの。


 それだけは、レイモンドを狙っている。


 ソレは解る。


 蟻型の戦いの最中、巻き込まれないように散開したのか。


 なるほど、と、レイモンドは勝手に納得した。


 当面の敵は、悪寒の相手。


 蟻型はお互いにやらせておけばいい。無理に介入したから集中攻撃を受けたが、様子を見るように動いた結果、蟻型同士が戦い始めた。


 ならば、悪寒の正体を確かめる。


 すでに左手の握力は戻った。


 右手から、痛みを無視して剣を引き抜く。


 甲殻もベリベリと剥がれ、血が迸る。その血は、右手の甲からまるで棘のように尖る。


 すでに凝固阻害は無い。


 レイモンドは右利きだ。しかし、左手でも斬れると信じる。


 相手に先攻を取らせず、捕らえて仕留める。


 まずは左。


 地面を掘らず、滑るように走る。まるで異形の蜘蛛の様に。


 そして、草むらに飛び込むと、悪寒がする何かの頭らしき部分に剣を突き立てる。


 当たった。しかし、何かまずい。


 こいつは、触っちゃまずい。


 剣を引き抜くと、そのまま飛び退るの。


 頭を刺してもまだ生きている。姿形は巨大なムカデだ。


 毒は口からだが、体の表面と足の全てに毒が付いている。


 子供の頃、噛まれたことがある。


 俺はすぐに治った。しかし、リリは高熱を出した。


 こいつに噛まれて熱程度で済むのか?


 そう考えながら、剣を持ち直す。右手で。


 刺すのは出来た、しかし、動きまわるこいつを斬るには左じゃ不十分。


 ウネウネと動き回るムカデ型。その気色悪い動きは、見えた後でも悪寒が走る。


 大きい。巨大だ。しかも、速い。


 毒を喰らえば、神経毒かもしれない。


 痺れたら死ぬ。


 地面を這ってくる敵は、レイモンドにとっては一番の強敵かもしれない。


 お互いに姿勢は低い。低い位置からの攻撃。


 レイモンドは剣先を降ろし、柄を持ち上がるような姿勢。


 誰かに習った姿勢ではない。だが、これが一番穿きやすいだろう姿勢だ。


 悪寒の正体はあと5。こいつも含めて6匹も居る。


 だが、相手が自分が知る虫の、大きいだけと解れば容易い。


 容易いが、侮ってはならない。焦って動けば仕留め損ない、結局死ぬ。


 足が多い虫だから、例え動き始めても、すぐに方向を変えられる。


 後手に回れば負ける。


 本能が先手を取らせる。そして理性が相手を見る。


 レイモンドの意志は、敵を倒すことのみ。


 ムカデ型が動く。しかし、その場所は蟻型の巣のうえではなく、硬い地面の上。


 掘り蹴り、高速での接近、そして移動。一気に頭の部分をなぎ払い、斬り落とす。


 一匹。


 あと五匹。どうすれば倒せるかは解った。そして、速度も狙いも解った。


 こいつは優先的に人を狙ってくる。


 蟻型同士の戦いから僅かに距離を取る。思惑道理、ムカデ型の気配は追ってくる。


 地面さえ硬ければ、つま先を突き立て蹴り進める。そして、高速での行動が可能。


 ムカデ型を一気に三匹仕留める。


 追ってきた事で集まった所を横薙ぎに。不気味な光景だが、それを横に回避し、同種の残骸を越えようとするムカデ型の頭に横からの穿き。そして、切り上げる。


 僅かな時間で五匹。後一匹。


 しかし、居ない。


 悪寒は消え、気配もない。


 蟻型同士の戦いは続いているが、どうやら小型の方が優勢らしい。


 小型の蟻型が大型を取り囲み、噛みちぎり巣へと引き込んで行く。


 さすがのレイモンドも、その巣に突撃する気にはなれない。


 柔らかい地面の下で、狭いだろうトンネルの中で、蟻型と戦うのは避けたい。


 何よりも、柔らかい地面がいつ崩落するかわからないのだ。


 レイモンドは討伐し切ることを一時的に諦め、いったん退く。


 地表で暴れる異形のモノならば、異界の武器と自分の甲殻をもってすれば倒せるだろう。


 だが、巣の中となれば話は別だ。


 圧倒的な力量差でもない限り、大量の相手を、相手の勝手知ったる場所で戦うのはごめんだ。


 埋まったら、自分から出てくる様な自信もない。


 レイモンドはシュリアと別れた場所まで戻ると、安全を確認した上で座り込んだ。


 馬鹿げた体力を得たレイモンドでさえも、凝固阻害の攻撃で血を失いすぎた。


 戦いから離れた瞬間から、既にめまいがしている。


 この場所の安全は確認した。しかし、悪寒の正体であるムカデ型を一匹逃がしてしまった。


 それが後悔。


 倒しきれれば良かったのだがと思うも、倒すまで自分の体力がもったかもわからない。


 倒しきれたとしても、巣の上で倒れ、そのまま喰われたかもしれない。


 ボロボロだ。


 ボロボロ過ぎる。


 誰かと一緒にいることに、甘えてしまっていた。


 自分は一人だ。


 化け物の相手は、化け物。


 俺だけが、戦えば良い。


 少し休めば、体力も多少戻るだろう。


 木の実や山菜で多少の栄養をとれば、戦えるはずだ。


 やらなくちゃいけない。


 巣を広げさせちゃいけない。


 巣を広げさせれば、影響は前に通った村にも及ぶ。


 それだけは、絶対にさせない。


 手近にあった草をむしり、強引に口に頬張る。


 食べられる野草かわからない。しかし、何か口にいれないと。


 草も、草の根も、口に頬張る。そして、無理にでも飲み込む。


 何でも良かった。胃の中に入れれば、化け物の自分なら消化して栄養にするだろう。


 味なんて構わない。


 ただ、守るための力を手に入れられるなら、なんでもしようと思った。


 そして数日が経った。


 レイモンドを見つけ、馬から荷物を下ろしてシュリアが近づいてくる。


 もちろんレイモンドは気づいていたが、殺気も何もないというのが気にかかった。


 今度はどんな要件だろうか、と。


「あ、さぼってる」


 レイモンドのところに戻って早々、シュリアの言葉がこれである。


「ひどい言い草だな……結構キツイんだぞ」


 何日もここに居て、地面の変化を感じていた。


 周りの草は食べきり、もう食べるものもない。


 ただ腰を下ろしていたわけでは無い。


 おろした腰と、地面に貼り付けた手のひらから地下の振動を探り続けていた。


 血を使いすぎ、体力も枯れ果て、普通の人間なら確実に死んでいるだろう状態。


 だが、レイモンドだからこそ、保っている。


 普通の体でも、レイモンドならば耐えたかもしれない。


 あの村を守る。


 その意志だけで、意識を保っていたのだ。


 そして、手や腰に感じた馬の足音。急いでは居るが、警戒は怠らず、いつでも止まれる速度なのは流石だ。


 しかし、開口一番がアレである。


「まったくもー、お兄ちゃんは、あたしが居ないとなにもできないんだねー」


 そう言いながら、馬から降りるとレイモンドをしげしげ見る。


「やっぱり、ボロボロだね」


 苦笑いしながら「ごめんね」と言った。


 そして「お兄ちゃんはやめて……」と言った。


 そしてそして、やっぱりスルーされる。


「それじゃあ、今からご飯つくりますねー」


 シュリアの感知能力は、化け物と自負するレイモンド以上。


 のんびりと食事準備等という言葉が出るということは、特に異常は感じられないのだろう。


「毒を持ってる異形のモノの蟻みたいなやつ。あれ、この先にある穴が巣の入口みたいだ。それと大きい蟻みたいなのと、小さいのが戦ってた。味方同士じゃないみたいだね。気持ち悪かったの

は、巨大なムカデかな。一匹仕留め損なったから、ここで見張ってたんだ」


 シュリアの反応は「へぇ~」だけ。


 そんだけかい。とツッコミしたいところだが、体も動かない。


「それで、お兄ちゃんはやめて欲しいんだけど……あのー……シュリアさ~ん?聞いてます~?」


 聞いてない。


 嬉しそうに料理を始めてるシュリアは、お構いなしの様子だ。


 なんで嬉しそうなんだろうかと思うが、色々事情でもあるんだろうとレイモンドは諦めた。


 下手に聞かない方が良いと感じながら、また、誰かと会話できる安堵を感じてしまっている。


 誰かと話す。


 それだけで気が紛れる。しかも相手は、妹のリリを大人にしたらそっくりだろう少女。


 自分に対して「お兄ちゃん」という言葉は胸が痛い。しかし、それと同時に懐かしく温かい。


 自分がもう、感じてはいけないだろう感情。


 誰かと居たいという気持ちさえも、否定しなければならない。


「えっとですねー、シュリアの話なんですけど、聞いてもらえます?」


 馬に載せたカバンから取り出した食材で、料理を作り終えたシュリアが聞いてきた。


 レイモンドはもちろん「うん」と答えるが、多分聞いてもいい助言は出来ないだろうと思う。


「その前にご飯食べて、その色っぽい格好をなんとかしましょう」


 前にシュリアが作ってくれた服は、既に原型をとどめていない。


 肩でなんとか引っかかってはいるが、まるで穴だらけの麻袋を被ったみたいな感じになっている。


「しっかり!作ってきました!」


 レイモンドが受け取り、着替えようとする。


 それをガン見してるシュリア。流石に恥ずかしくて「他を向いててくれるかな?」と聞いた。


 しかしシュリアは「大丈夫です! もう隅々まで見てます!」と答える。


 これは恥ずかしい。


 どう反応すれば良いか解らないほど恥ずかしい。


 僅かな沈黙のあと、仕方なくその状態で着替える。


 レイモンドの顔は真っ赤だ。


 健全過ぎる青少年にとって、思いっきりトラウマになりそうな出来事だろう。


「それで、話っていうのは?」


 食事を終えると、スルーされるかとも思ったが、シュリアは真面目な顔で話しはじめた。


 凄惨すぎるシュリアの過去の話。


 まず、シュリアも異界の人間かもしれない事。


 そして、流れ着いてからの人殺しの日々。


 レイモンドに近寄った理由。


 すべて、洗いざらい話した。これでもかというくらいに、何も隠さずに。


 シュリアは覚悟を決めていた。


 嫌われる覚悟を。


 突き放される覚悟を。


 二度と会えなくなる覚悟を。


 だがそれでも、レイモンドにはすべてを話しておきたかった。


 嫌われて離れることになったとしても。


 だが、レイモンドの答えは、シュリアの予想したものを軽く超えた。


「俺は、役に立てたかい?」


 レイモンドの言葉に「気づいてたんですか?」と逆に問いかける。


「一緒にいてくれるだけで、ありがたかったからね……」


 寂しい笑顔はそのままに、しかし、寂しい部分が少し減っている気がする。


 シュリアが全てを話してくれたと思ったからだろうか。


 そして、シュリアは村人が見れば誰もが驚くだろう、泣き出してしまった。


「ありがとう」


 レイモンドの言葉が胸に突き刺さる。


 罵倒され、嫌われ、そして、呪われる。


 そういう人生を覚悟していた。そういう言葉を、レイモンドからも聞くと思っていた。


 いや、レイモンドならもしかしたら、違うかもと思ったのも確かだ。


 金で請け負った殺人など、怨嗟の声しか残らない。


 たとえ僅かな金額で受けた復讐だとしても、依頼者もその時点で罪人だ。


 人の命とお金を、天秤に載せたのだから。


 そして、一番の罪人は、お金で人の命を奪う自分達。


 罪人の末路は死刑。そして、待つのは地獄。永遠に終わらない苦しみが待つ。


 何かの本で読んだ内容。


 落ち込んでいるのか、下を向いたまま涙を流し続けるシュリア。


「人殺しは、確かに良くはないね」


 レイモンドの言葉に「うん」とだけ答えるシュリア。


「わかってるなら――」


 そして頭を撫でながら続けて、「誰かがやらないといけない仕事、って言われたんでしょ?」と。


 シュリアは「え?」とレイモンドの顔を見る。


 シュリア顔は涙でぐしょぐしょだ。


「誰もやらなくても良かったかもしれない。けど、誰かがやったかもしれない。やらされたかも知れない」


 遠くを見つめながら「死んだ人は戻らない。だから、死なないように俺は守ってる」と。


「俺のせいで死んだ人もいる。俺が殺したようなもんだ。だから、これ以上誰も死なせない」


 もちろん浜辺で数百人の兵を殺した事も話してある。


 だが、レイモンドの目は優しい。そして、寂しい。


「しかたないって言葉は使いたくないんだけどね。けど、おかげで村人と、後からくる軍勢は鉢合わせしない。だから、その人達の命は守れたんだ」


 シュリアの頭を撫でながら、まるで、妹を諭すように。


「犠牲はもちろん、無いほうが良いに決まってる。けど最小限で抑えようとしたんだよね? それにそれは襲ってきた方が悪いし」


 シュリアは段々と顔を赤くしていく。


 もっと、怒られると思った。


 もっと、突き放されるかと思った。


 もっと、嫌われるかと思った。


 だから先に料理や服を渡したのだ。


 そのまま去られても良いように。


 なのに、優しい。


 だから、なんとなく、悔しい。


「優しいな……」


 とどめである。シュリアは涙を浮かべ始めていた。


「優しいと思うなら、ちゃんとお嫁さんにしてくださいね!」


 突拍子もない事を言い出した。


 流石に「え? え?」と反応に困ってると、追い打ちのように「全部見ちゃってるんですし」と付け加えた。


 全裸の事か、それとも、甲殻化等の変異の事か。とにかく全部見られてるのは確かだ。


 とにかく返事に窮したレイモンドは、なんとか話を変えようと考えを巡らす。


「はい。か、うん。で返事してください」


 どれも同じじゃないかとツッコミたかったが、これ以上話が進んでも困る。


「えっと、シュリアの感覚が凄いのも異界の人間だからってこと?」


「それは、はい。で良いんですね?」


 どうしても話を戻したいらしい。


「全部聞いたんですから、当然責任取ってくれますよね?」


 すっごい笑顔だ。


 どうしても話を戻したいか、それとも、感覚のことは聞かれたくないんだろうか。


 というか、全部聞いたというが、感覚のことはまだだ。


「えっと、感覚の話をね……」


「逃げても、地の果てまで追いかけますからね」


 ものすごい笑顔で言われると、逆に怖い。


 一人で戦うと決めた。


 誰も犠牲にセず、誰も背負わせず、自分が、化け物である自分が戦えばいい、と。


 しかし、この調子だと、何処までもついてきそうだ。


 この先は一人で行くとか言ったら、後ろから何をされるかわからない気がする。


「ちなみに、感覚はわかるだけです。なんでかはわかりません」


 いきなりの回答に「あ、そうなんだ」としか言えなかった。


「よく居るじゃないですか。遠くがよく見える人とか、耳がいい人とか。あんな感じです」


 よく居るのか? とも思うが、そう言われると、それ以上聞きようがない。


 確かに自分の甲殻化も理由を聞かれればわからない。


 シュリアの感覚も、それと同じようなものなんだろう。


 ならば簡単だ。


 シュリアに後衛をしてもらい、自分が前衛をすればいい。


 常に安全な場所からシュリアに感じてもらって、それで俺が戦えば良い。


 それならシュリアが傷をおうことはない。


「シュリア、ダメだよ」


 レイモンドは覚悟を決めて立ち上がった。


 何かを決めたという表情に、シュリアの表情が曇る。


「立ってくれるかい?」


 何を言われるのか、何をされるのか。やはり、別れが待っていたのだろうか。


 シュリアの表情は曇るどころか、涙目だ。


 先ほどの嬉し涙では無く、悲しい涙。


 シュリアを立たせると、レイモンドはシュリアの前に片膝を付いた。


「こういうのは、男から言うものだよ……俺と、俺で良いなら……結婚して、一生一緒に居てください」


 そういうと、右手を差し出した。


「こんな俺で良ければ、結婚して下さい」


 レイモンドははっきりと、心の内を言葉にした。


 シュリアは返事をするどころか、驚きの涙で声も出ない。


 レイモンドの手を取ろうにも、涙で曇って見えない。


 無理だと思っていた。


 自分に”家族”が出来るなどと。


 だから、理由が欲しかった。


 そう、言い訳が欲しかっただけ。


 レイモンドと一緒に居る理由が、欲しかっただけ。


 結婚を言い訳にして、無理にでもレイモンドに付いていこうと思った。


 邪魔だと思われても、結婚を言い訳にしがみついて行こうと思っていた。


 誰かからの中傷も誹謗も、妻であることで、自分がレイモンドを守ろうと思っていた。


 しかし、ちゃんとしたプロポーズを受けるなんて、思っても見なかった。


「え? ほんとに……? あたしで……良いの……?」


 思わず、言葉がこぼれた。


 自分から婚姻を迫っていたが、本当に望まれるとは思っていなかった。


 シュリアの胸に痛み。ものすご痛み。悲しさでは無く嬉しさのあまり、息が苦しい。


「うん。シュリアと結婚したいんだ」


 レイモンドは笑顔のまま、少し照れくさそうだが待っていた。


 シュリアがレイモンドの手を取るのを――。







 王都は騒然としていた。


 王が誰かの手引で、逃げたのだ。


 そして、ヴィータスの所業が、何故か噂になっている。


 側近の誰も口にはしていないと言い、しかし、嫌疑は晴れずに投獄されている。


 ヴィータスは今、一人で王の居城にいる。


 誰もが欲する理想を謳うことも無く、テラスに出てくる事もない。


 恐らくは誰かの口から漏れ、それが流れ流れて噂に成ったというものだろうと言われた。


 しかし、反乱軍の独裁に反抗する、元王を支持する組織の動きという噂もある。


 どちらも信ぴょう性に欠け、しかし、ありえるかもしれないと思わせるもの。


 側近は地位に甘え、口を滑らすことは無いだろう。


 町の酒場等にも顔を出さず、色街にも行くことはない。


 ヴィータスが取り仕切り、全て城の中で済ませさせていたのだ。


 側近はヴィータスの用事でもなければ、外に出ることは無いのだ。


 王宮自体が、側近たちの牢獄。


 絢爛豪華な装飾を施した、しかし、何一つ触ることの許されない牢獄。


 ヴィータスの指示があって、やっと動けるという、ただの人形。


 それが、側近に与えられた命だ。


 だが、城の中と言っても様々な人間が出入りする。だから、側近が愚痴った事を誰かが聞いた等も否定しきれない。


 そして、王の逃亡。


 王は、王たる使命を全うして王として終わる。


 そういう決意で北の城を崩落させて王都に出向いてきた王。


 王は自らの責務として、王位をヴィータスに渡した。


 それは、反乱が既に成功していたためだ。それ以上の血を無駄に流さない為に、王は自らの地位を譲った。


 そして、死刑執行人の役も甘んじて引き受けた。


 自らの今までが民衆に反乱を生ませ、そして、国を王として維持できなかった責任として。


 そんな王が逃亡するとは、誰が想像しただろう。


 ヴィータスは民衆に謳いかけるときに、前王は圧政を行ったが、良い事も確かにあったと謳いあげた。もちろん、自らはそんなことは微塵も思っていない。王政自体に反感を持たせないための口実だ。民主主義を行い、そして、議会の頂点として王がいる世界。その王はヴィータス。


 だが、新たなる王が居ることは民衆には知られてはならない。


 ヴィータスはあくまでも何の責任もとる気はなく、また、全ての事を牛耳るつもりだった。


 だから、議会の中でしか知られないはずの王。


 その存在までも、噂の中にある。


 一体誰が事実を漏らしたのか。


 議員も、側近も、ヴィータスには逆らわない。逆らえない。


 そうなれば、聞き耳を立てて何かを知った宮中の使用人か、はたまた、何者かが探っているのか。


 王の逃亡から、王に忠誠を誓う誰かの策略で有るとも考えられた。しかし、それにしては噂の広がりが速く、反乱軍が沈静化に動いても、噂は消えること無く、ヴィータスの地位を脅かす。


 噂を口にした者は逮捕される。


 しかし、その逮捕さえも、やはり事実だったかと民衆に懐疑心を与える。


 王が政治を行っていた際には、規律も何もかも昔ながらのものがあった。しかし、今は反乱軍が、いや、議会制が政治を行っている。


 まだまだ始まったばかりの未成熟な政治形式が、今の情勢を沈静化出来るはずもなく、混乱は広がる。


 取り締まりも規則はなく、反乱軍の中の兵が勝手に取り締まるだけ。


 態度が悪いだけで取り締まる事もあり、民衆からは不満ばかりが膨らむ。


 ヴィータスが夢を謳う時だけ、民衆は甘い夢を見た。


 しかし、実際の生活には何も変化はなく、逆に、規律や規則の薄い反乱軍が幅を効かせ、悪化の一途を辿る。


 しかし、誰が王が逃亡したと噂したのか。


 王が死刑執行人になったことも、王城の地下に幽閉されたことも内密だ。


 そして、王が生きている事自体が内密のはずだった。


 それが漏れている。


 民衆の中で、王を見たものは居ない。


 王が逃げる姿を見たものは居ない。


 噂だけが膨らみ、そして、反乱軍への不満へとつながっていく。


 まるで、反乱軍が発起した時のように


 王ならば、今のこの世界をなんとかしてくれる。


 王ならば、反乱軍を倒してくれる。


 王とヴィータスの立場は、完全に逆転していた。


 しかし、ヴィータスには余裕がある。なぜならば、表舞台に立つ際には謳うことだけだからだ。


 自分は何もしていない。


 自分は民の理想を聞き、それを、議会に伝えるべく正しい言葉にしていただけだと。


 自分では何も負わず、自分の欲しいものだけを手に入れようとする。


 そして、しかし、ヴィータスの周りには誰も居ない。


 側近も、議員も、使用人さえも。


 そしてヴィータスの向かわせた軍勢は、すべて村を見つけられなかった。


 幾つもの軍勢を、何日も現地で探させているのに。


 苛立ちは限界を超えている。


 しかし、それを向ける相手は居ない。


 側近も議員も使用人も居ない、ヴィータスだけの部屋。


 用事があれば、ドアの外に待つ使用人に言いつけるしかない。


 愚痴をいう相手もいなければ、けなす相手もいない。


 王は逃げ、死刑執行人は居ない。


 罪人に代わりにやらせてはいるが、ヴィータスには面白くもない。


 最初から王都の占拠まで上手く行っていた。


 つまづきは、北の城の崩壊だ。


 アレがなければ、北の城に隠されてた異界の道具は全て俺のものだったはずだ。


 俺に忠誠を誓うものに与え、自分の親衛隊を作り、全てを支配する。


 村かの道具や武器も、全て徴収し、俺の部屋に飾るつもりだった。


 俺に忠誠を誓い、俺のためだけに働く奴に貸し与え、俺のために戦わせるつもりだった。


 北の城の崩落さえなければ。


 北の城を崩落させたのは、王だ。


 王には死刑執行人をやらせ、さんざん心に傷を与えた。


 もう少しすれば心は折れて、俺の言うがままのはずだった。


 だが、逃げられた。


 何処に、誰の手引で逃げたのかもわからない。


 今どうしてるかもわからない。


 どこかで王軍を再編し、挑んでくるのか。


 どこかで俺がしたことを流布して、貶めているのか。


 ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。


 俺は何も悪く無い。


 俺は、俺のやりたいようにやっただけだ。


 それの何が悪い。


 だれだってそうだ。自分の好きなように人生を生きてる。


 俺がそれをして、何が悪い。


 王宮のテラスにでると、下には誰もいない


 いつもなら謳を聞くために、民衆が集まっているのに。


 ただ、石が並べられた広場が見えるだけ。


 中央の噴水が無駄に水を吹き上げているだけの、ただの広場。


 人々の心を変えたのはヴィータスだった。


 反乱を煽り、反乱軍を作り、そして、機に乗じて王都を乗っ取った。


 王都を乗っ取り、騎士や兵が居ない隙を付き、全ての近隣の城を占領した。


 各地の領主には通貨を返させ、自分の思い通りの操り人形にした。


 自分を見下した人間はすべて殺し、そして、一番上で見下していた王を死刑執行人にし、心を痛みつけた。


 北の城の崩落と、南の村の逃亡さえなければ。


「クソがぁっ」


 壁にかけられた、相当値打ちのあるだろう絵画を殴る。


 美術品に関する知識など、ないのだろう。


 表面のガラスが割れ、油絵の油がこぶしの形にかわる。


 これだけ、絵の評価はガタ落ちだろう。


 そして、その絵画を殴ったこぶしも、ガラスで切れて血が滴っている。


 なんで俺の思い通りにならないんだよ。


 ひとりごちる中、ドアにノックの音が響いた。


「入れ。開いてる」


 入ってきた兵は「失礼します」と言いながら一礼し、「村らしき所在位がわかりました」と告げた。


 あれだけシュリアが撹乱したというのに、反乱軍はもう見つけたというのか。


 しかし、シュリアの陽動は方向だけだった。


 あの舞台の人数は減らした。しかし、増援が行ったなら別だ。


「場所は? 場所はどこだ?」


 語気に圧され、口ごもる兵士。


「レヴィアスの埋葬地の近くの丘でございます」


「俺……いや、私が行く。異世界の異物ならば見たことがある」


 こんなところ、少しも居たくない。


 誰も居なくなった王の執務室。


 テラスからの景色は殺風景だ。


 そして、テラスからみる部屋の中も、また、殺風景だった。





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