夏の花火
歩いていると、ぼんやりと頭に花火の光景が浮かんだ。夏の夜、当時付き合っていた彼女の詩織と花火大会に行ったのだ。高校卒業してから、ある日彼女と別れる日が来た。僕と彼女は喧嘩をして、音信不通になってしまった。
結局大学生の間、僕は多くの時間を一人で過ごすことになり、そのまま塾の講師となった。普通に就職することもできたはずだが、僕は塾で講師をすることにやりがいを感じていたのでそこで働き続けた。
やっと一人が生活できるくらいの給料だった。東京の西側のアパートに住んでいた。詩織と別れてから、僕はなんだか孤独だった。結局、僕が高校時代を過ごすことができたのは、詩織がいたからなのだ。
階段を上り、部屋の扉を開ける。中の電気はついていた。そこにはいるはずのない人がいた。別れた彼女の詩織だった。
詩織は黄色のセーターを着て、僕のことをじっと見つめている。
「どうしたの?」
彼女はそう言って、不思議そうな顔をした。
「どうしたのって、なんでここにいるんだよ」
「急に会いたくなったから来たの」
詩織はソファに腰を下ろし、冷蔵庫から出した缶ビールを飲んでいた。僕は現実が何かわからなくなり、でも動揺しているところを見られたくなく、煙草を取り出して火をつけた。確かに煙草を吸っている感覚はあった。
「久しぶりだね」
詩織はそう言って僕に微笑んだ。
「詩織と別れてから、上手くいかないんだ。本当は僕が我慢すればよかったのに。なぁ、あの夏の花火大会を覚えているか?」
煙を吐き出すと、部屋の空気の中に消えていった。
「覚えているよ。あの頃は楽しかった」
「なぁやり直さないか。僕は上手く生きていけないんだよ」
僕は煙草を吸い終わると、もみ消した。なんだか詩織は昔よりも綺麗に見えた。これと言って特徴もない僕とどうして付き合おうと思ったのだろう。僕は過去を回想し、様々な記憶を思い出した。どの記憶も失うのが怖いほど楽しいものだった。
「大丈夫だよ。ここからはあなたは変われるから」
「変われる?」
「そう。あなたは新しい人になるの」
詩織はそう言って、僕に手を振った。
「さよなら。あなたと過ごした時間は楽しかった」
煙草の煙のように、ゆっくりと彼女は消えていった。僕は疲れているのだろうか。
彼女が残していった缶は確かに存在している。詩織はつくづく不思議な人だと思った。僕はなんだか動揺しながら、部屋の中を見渡した。それはいつも通りの部屋だった。