シッスイ氏の塩鉱山
「天使のようにかわいらしい子ですよ。復讐も王権も、似合わないような」
ノブローの言葉に、ジリー・シッスイは言葉を失っていた。
「ふ、復讐? 王権? いやいや……待て待て! 待った! ノブローさん! あんたその、聞きたいことが山と出てきたが、まず、あんたも、殿下を疎んでおるんじゃ……」
「そう聞こえたでしょうね。そういう風に話しましたから。しかし――」
半鐘がけたたましく鳴って、ノブローの言葉は遮られた。
「敵襲! 敵襲! ダン・パラークシの糞どもが来たぞ!」
「ダン・パラークシ?」
「いかん!」
血相を変えたジリーが、椅子から跳ね上がった。
「またぞろゴミカス畜生劣等地侍のダン・パラークシが攻めてきおった! ぐううう! この忙しい時に!」
ジリーは壁にかけられていた小杖をひっつかみ、客間からよたよたと転がり出ていった。ノブローは呆気に取られながらその後を追った。
屋敷を飛び出したジリーは、丘に刻まれた石段をものすごい勢いで駆け下っていった。
「皆の衆! おおーい! 急げ、急ぐのじゃあ! 急いで鉱山に!」
避難する村人に向かって、ジリーは喚いた。
「家財は捨て置けえ! 食い物もじゃ! 工面するっ! わしが工面するからっ! 命じゃ、命を守れえ!」
老いた喉から枯れた声を振り絞り、絶叫しながら小杖を振り回す。
ノブローは、小兵の老人が跳ね回りながら叫ぶのを、呆気に取られて眺めた。
「ああっばかもん! ヤーナっ! 転んどる場合かあ!」
地面に伏して泣き始めた子どもに、ジリーは人波をかき分け駆け寄った。
「シッスイ様! すみません、うちの子が! ああ、ヤーナ!」
「かまわん、ルイーズ! ほれっ! 早く逃げろ!」
親に子を押しつけ、ジリーは血走った目を村の外に向けた。略奪者を、憎悪の視線で射殺さんばかりのぎらついた瞳だった。
「ちょっと、ジリー様! ジリー・シッスイ! あんたも逃げるんですよ!」
泡を食った顔の男が、ジリーを羽交い絞めにした。
「無茶しないでくださいよジリー様! あんたが死んだらここは終わりだぞ!」
「放っておけえ! ヤコブ、わしゃ許さんぞ! わしの民から奪うもんは、誰だろうとぶっ殺してやる!」
「このあほ! おい、だれか手伝ってくれ! ジリー様のいつものやつだ!」
ノブローは駆け寄って、今にもぶっ放されそうな小杖をジリーから奪った。
「やあ、こりゃサー・ノブロー! こないだはお茶をどうもありがとう!」
ノブローは思わず笑った。ジリーを抑えているのは、ノブローを誘拐した者の一人だった。それが、あんまりに屈託なく話しかけてくるのだ。
「楽しい旅路でしたね、ヤコブさん。さあ、私を連れ去ったときのように、ジリーさんを運んでしまいましょう」
「よしきた!」
ヤコブとノブローは、暴れまわるジリーの手足をそれぞれ担ぎ、豚でも運ぶように鉱山までの道を進んだ。
「放せぇ! わしゃ絶対にこの手でぶち殺してやるんじゃ!」
「ジリーさん、いつもこんな調子なんですか?」
「困ったもんでしょう?」
ヤコブは笑った。ありったけの親しみがこもった笑い方だった。
「いやまったく、ジリー・シッスイ!」
感嘆を込めて、ノブローはジリーに呼びかけた。
「掛け値なしに、あなたは領主の才能をお持ちですよ!」
「なんじゃあ!? ヤコブ、ノブローさん! 頼む、わしゃ守らにゃならん! 放してくれえ!」
「そりゃ俺らの仕事でしょうが、ジリー・シッスイ!」
「あぶぶぶぶぶぶぶ!」
谷道を駆け抜け、三人は鉱山の入り口までやってきた。避難民が、ジリーを待っていた。
「シッスイ様!」「ジリー・シッスイ! さあ、早く!」「またジリー様は担がれているのか! だだこねやがってよぉ!」「急いで奥へ! ジリー様はおれたちが護りますから!」
この頃にはジリーもちょっと我に返っており、ヤコブとノブローに運ばれながら黙然としていた。
吊るされたままのジリーに、小杖やら剣やらで武装した男たちが駆け寄ってきた。
「ジリー様、どうしやしょうか? ご指示を」
「義勇隊は、鉱山の入り口を固めるんじゃ。賊が来たら、すまんが遅滞を頼む」
「はい、ジリー様!」
「わしらは三の坑道を使って逃げる。くそどもが立ち去ったら、迎えに来てくれ」
「承知!」
「いいか、命じゃからな! 命を守れ! おまえたちの一人でも死んだら、わしゃあ腹を切って冥界まで追っかけてやるぞ!」
「冥府でまであんたの愚痴に付き合わされるなんて、考えただけで気がめいりますよ。いいからとっとと逃げてくだせえ。ヤコブ、ジリー様を頼んだぞ!」
「おうよ、黙らせとくわ」
ヤコブとノブローは、ジリーを神輿に避難民たちの先頭を進んだ。
手掘りの坑道はオイルランプが焚かれてもなお薄暗く、複雑怪奇な分かれ道の壁面には真っ白な塩が噴き出していた。
「聞きしに勝る大鉱山ですね。シッスイ印の塩といえば、往時はアルヴァティアを支えていたと聞きますが」
「ハンビットがばかをさらす前まではな」
ジリーは鼻を鳴らした。
「王家のおかげで販路も丸ごと失ったわい。塩ばかり舐めて、民が生きられるはずもなかろうが。王家なんぞくそじゃ、くそくそくそのばかくそじゃ!」
「ジリー様、暴れないでくださいよ。持ちづらいったら」
「だったらいい加減に下ろさんか! わしだって理性ぐらいある! 殺されに行こうなどとは思わんわい!」
「はいはい、分かりましたよクソジジイ」
「ふん!」
ようやく自分の足で地面を踏んだジリーは、憤然と歩きだした。
「まったく貧乏くじじゃ! なんだってわしがこんな目に!」
ヤコブとノブローは、顔を見合わせ苦笑した。




