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子ども部屋おじさんとメスガキ廃王女、出会う

 心が折れたときは逃げてもいい。今はゆっくり休め。オマエの代わりに僕ががんばる。


 そんな風に家族が言ってくれたとき、俺は率直に言って泣いた。

 敗戦後、身も心もよれよれになって帰ってきた俺を、父さんも兄ちゃんもあたたかく迎え入れてくれたのだ。

 実家は最高だし、子ども部屋は最高だ。


 子ども部屋……そこにはなんの責任もなく、だれも俺のことを責めたりしない。ごはんとか寝てても出てくるし、ぼーっとしてるだけでみんな甘やかしてくれる。目の前でだれか死んだりもしないし、お願いしたらたいていのことは叶えてもらえる。

 つまり最高だ。


「今すぐ出ていけ、ミカド」


 ……ある日いきなり父さんに廃嫡宣言されるまでは最高だった。


「あー」


 俺はあーって言った。まあいつかこうなるだろうとは思っていたのだ。


 冬戦争での敗北から、十年。

 その間、俺は祖国アルヴァティアがどんどん疲弊していくのを横目に、子ども部屋でなんか、ドーナツをシロップ漬けにしたお菓子みたいな甘ったるい生活を送ってきた。


 戦争で、いろいろあった。ありすぎた。

 たとえば、慕ってくれた仲間が全員ぶっ殺され、慕っていた女性がぶっ殺されたうえに凌辱され、うわもう無理だなこれ……と心が折れたとき。

 そういう場合、人の精神が回復するのには、どれぐらいの年月が必要なのだろうか。


 すくなくともはっきり言えることがひとつある。

 父さんと兄ちゃんにとって、十年はいささか長すぎたのだ。

 俺もそう思う。


「あー、だと? またオマエはふざけているのか!」


 父さんの横に立っていた兄ちゃんが、神経質そうな顔をまっかにして怒鳴った。


「オマエはいつもいつもそうだ! どんなときでもふざけて、なにもかも台無しにする! 昔から――」

「やめろ、パラクス」


 激昂する兄ちゃんを、父さんが制した。


「無駄だ。もう、ミカドには、なにを言っても無駄なのだ」


 父さんは首を振った。俺に心底うんざりしているのだ。

 しゃーなしだね。


「兄ちゃん、父さん、いままでご迷惑をおかけしました。ストロース家がなんかこう……うまいことやっていけるよう祈ってます」

「それをおまえが言うのか? おまえが、ストロース家に泥をかけたのだ」


 父さんは疲れきった口調で言った。


「アルヴァティア建国から続く侯爵家も、これで終わりだよ」

「お父さま! 僕がいます! こんなでくのぼうにまだ未練がおありですか!」


 兄ちゃんが怒鳴ると、父さんは弱弱しく笑った。


「そうだな、パラクス。おまえがいるな」


 兄ちゃんは満足げに鼻を鳴らし、至近距離から俺を睨みあげた。


「ミカドよ。今この時よりは草莽そうもうの臣として、どこにあろうと陛下を敬いながら生きていくのだぞ」

「はい、父さん。そうします」


 というわけで、俺は荘館しょうかんを追い出された。

 完全無欠のすかんぴんとして。


 空はよく晴れ、風はやわらかい。野垂れ死ぬには悪くない日和だった。





 俺はとぼとぼと、岩がちな丘を昇ったり下ったり、露出した縞状ミスリル鉱床に一時の宿を求めたりしながら、南下した。


 ロシェ山脈を越えれば自由地域だ。マルガリア共和国まで足を伸ばせば、港湾労働のくちぐらい見つかるだろう。


 今日の宿はトウヒの疎林に決めた。

 焚火をおこそうと、倒木から樹皮をひっぺがす。わーっと出てきた変な虫が腕を這ったりして、どんどん気持ちが沈んできた。


 マルガリアで港湾労働のくちを見つけて……どうする?

 どうもしない。動けなくなるまで働いて、ある日、死ぬのだ。

 子ども部屋おじさんにはぴったりの末路だろう。


「おおお……めっちゃ怖くなってきた」


 あまりにも怖すぎたので、おどけて呟いた。俺の声はむなしく木々に吸い込まれていった。


「なにが怖いんですか?」


 ありえないはずの答えが返ってきて、俺はけっこう悲鳴をあげそうになった。

 おずおず、振り返る。


 ちいさい女の子がいた。

 年齢は、十歳とかそんぐらいだろうか。

 腰まで伸ばした柔らかそうな藍色の髪と、深紫で縁どられた紺の瞳。

 胴衣に刺繍がびっしり入った、上等そうな民族衣装ミーデル


 林のどっかその辺を見ながら、手すさびに木の皮をいじっている。


 幻覚かな? と思って三度見したが、幼女は消えなかった。


「ええと……ミカド・ストロース」

「ミカド? ああ、ストロース家のろくでなしですね」


 俺たち初対面だよね?

 いや、悪口は置いておこう。事実だし。


「その、ここで何を?」

「逃げています」


 何から? と、聞き返すまでもなかった。

 疎林の奥からこっちめがけて、叩きつけるような強い気配を感じたからだ。


 草木を踏み分ける足音、荒い息遣い、体臭。

 それらが入り混じったもの。


 俺はこれを知っている。

 俺はこれが、戦場の気配であることを知っている。


 トウヒの影から、青ざめた膚のグールが飛び出した。


 蓬髪から突き出した真っ黒な巻き角、首から鎖骨にかけて走る冷たそうな鱗、爬虫類を思わせる短い尾。

 ばかでかい蟹からひっぺがしてきたような、分厚く黒ずんだ鎧。

 人に似て、人ならざる存在。


「あれに追っかけられてるわけだね」

「あれに追いかけられていますね」


 幼女はつまらなそうに言った。


「別に、助けてくれてもいいですよ」


 画期的な命乞いだな。


「おれたちは、ブラドーのニーニャを悪くしない。おとなしくついてきてくれ」


 グールが言った。

 まず、グールがまともに喋れたんだという驚きがあった。


 グールはロシェ山脈に巣食っているらしい、なんだかよく分からない連中だ。

 たまに少数で山を下りてきて、羊をさらったり畑を荒らしたりして、無慈悲に狩り殺されている。

 かと思えば、ザンクト・ヴォールトの峠道で迷った旅人を案内することもあるらしい。そうした場合は、旅人に目隠しをさせるという。

 エルフだのドワーフだのと違って、帝国を築いたり領土拡張に勤しんだりもしない。

 言ってみれば没交渉な連中だ。


 次に、この開幕罵倒幼女がニーニャ・ブラドーというところで俺はぶったまげた。


 ニーニャ・ブラドー。冬戦争の際に廃嫡され、アルヴァティア南部の辺境に湯沐邑とうもくゆうを与えられた廃王女。

 なんでこんな林にいて、グールに追いかけられているのか。


「んくく――」


 ふと、ニーニャは笑った。どことなく底意地の悪そうな笑い声だった。


「おじさん、もしかして怖いんですかぁ?」


 下まぶたを吊り上げたさげすみの顔が、俺に向いた。


「え、もしかして俺に言った? 今? そうだね、かなりね。もろもろ怖いね」

「へぇー? ざこなんですね」


 言うねえ。


「そこの男。おれたちは、ニーニャを悪くしない。だから、手出しはいらない」


 グールが俺に向かって言った。いつの間にか仲間がぞろぞろ集まっている。全部で五人。

 こっちに話しかけてきた最初のやつ以外は、苧麻ちょまかなんかを雑に編んだ安っぽい服。

 なるほど、鎧を着てるしこっちと交渉するしで、最初に出てきたやつがリーダーなのだろう。


「ねーえーざこおじさん、言われてますよ? どうします? よわよわ幼女が屈強なグールに連れ去られるのを黙って見送っちゃいます? あーあ、かわいそぉー。ニーニャぁ、きっとひどい目に遭っちゃうんだろうなぁー? ざこおじさん♡がぁ、くそざこ♡なせいでぇ、いっぱいいっぱいいじめられちゃうんだろうなぁー?」


 なんだろう、なんで俺、初対面の人にここまで言われてるんだろう。

 追放した父さんの方がまだ俺の尊厳を大事にしてくれてたよ。

 

「いやもう、なんだろうな。逆に助けたくなってくるよね、そこまで来ると」

「んくくくっ! ざこおじさん♡いいとこ見せたいのに手ぶらでかわいそう♡」


 死にたいのかなこの子。


「ほら行けっ♡目と鼻から後悔の惨め汁流しながらさっさと行っちゃ――いッ!?」


 グールのリーダーが、ニーニャの腕をがっと乱暴につかんだ。

 ニーニャは小さく悲鳴をあげて、一瞬、こっちを見た。

 それから、慌てて目を伏せた。


「乱暴にしないって言いましたよね?」


 ニーニャはグールに食ってかかった。

 

「悪いことをした。おれはニーニャにちょうどいい力の込め方が分からん。自分で立ってくれるか」


 あれ?

 おいおいおいおい。

 俺、なんでグールに向かってのこのこ歩いてんの?

 拳を固めてどうしちゃったの?


 あーなるほどね、そういうことね。

 ぶん殴るのね。


 いいと思うよ。


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