4 Gap Waft
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生温い声が響き渡る。
薄暗い牢屋のような場所の前で目を覚ました。
ここはどこだろうかと考えたようとするも、それ以上に大事な事に気が付く。
体が無い。
幽体離脱のようなものなのか、第三者視点として今を見ている。
少なくとも現実では無いだろう。
夢の中なのか、それとも死んだ後の特典なのかもしれない。
そう考えると、異常なスピードで納得した。
とりあえず声のする方へと向かってみる。
声の高さから、沢山の男性と一人の女性のものだと推測した。
階段を降りていく。
当然、音もしなければ誰かがこちらに気が付く事も無い。
ゆっくりと一歩一歩下った。
何が待ち受けているのだろうかと、少しワクワクすらした。
しかし、そんな明るい希望と正反対のものがそこにはあった。
母さんが、見える。
沢山の男に囲まれている。
中には、下着を下ろしている奴がいる。
母さんが苦しんでいる。
そしてそれと同時に男たちは笑って、さらに母さんに覆い被さった。
悲鳴。
彼らはいったい何をしているんだろう。
苦しんでいることは理解できる。いじめ、なのだろうか。
覆い被さられただけでそこまで嫌なものなのか。
唯愛と戦う時によく倒されるが、そこまで痛くも無いし泣いたり悲鳴をあげたりする事も無い。
一人が母さんに抱き着いた。
そのあたりから、母さんはとても人間には出せないような声ばかり出していた。
嫌がている人を見たら何が何でもとにかく助けなければならない。絶対に。
久しぶりに仕事から帰った父さんが言っていた。
誰だからとかは関係なく。
まずは助けなければならない。
動かなかった。
自分が気付かれることは無く、全く以ってリスクは存在しないのに。
何も考えられなくなる。
自分が何なのか、今起こっている全ての事を見ないフリした。
これを止めれば自分が消えるような気がして。
“私”はそれをじっと眺めていた。
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寒い日というのは、暖かい日々の後に訪れるらしい。
三寒四温とはよく言ったものである。
酷い夢を見ていた気がするが、思い出したくない。
一人暮らしの筈なのに、俺の知らない荷物が置かれている。
分からないので一応保管しておく。かなり怖いな。
朝の7時に路地裏に行かなくてはいけない事はわかっていたので、起き上がって準備をしていく。
俺が明日の準備をせずに寝るというのは、全世界の人間が音楽なんてもう聞かないという事より珍しい事である。
昨日の事はよく覚えていない。
強いて言うなら、久しぶりに人を殺そうとした記憶はある。
それ以外は本当に真っ白だった。
きっと、天彩さんもこんな気持ちだったんだろうな。
眼から雫が出てきた。
何の涙だろう。
とりあえずお湯を沸かす。
涙ごと顔を洗って拭く。
軽く歯を磨いて、妙な感覚に襲われた。
何かが足りない。
この生活のサイクルに必要な歯車が抜け落ちている。
それは自分にとって大切なものだった筈だ。
何だろう。思い出せ。
じゃ無いと、文字通り自分が壊れる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
“それ”を理解した刹那、俺は叫んだ。
違和感に対する恐怖を。
喪失感に対する穴埋を。
ここには、水瀬唯愛がいない。
心の奥底から認めたくなかった事実だ。
だから記憶の中から消して気づかないふりをした。
でもそんな事出来無いくらいに、彼女の存在は大きかった。
あの時俺は何をした?
確か、唯愛を連れ去ろうとした男に暴力を振るった。死んでも良い、死んだ方が良いと思って暴力を振るった。
それを見て、あいつは立ち去っていった。
何故、次にその言葉が浮かんだ。
何故消えた? その事が消える理由に繋がるのか?
俺は唯愛を守ろうと思っていたのに?
彼女はそれよりも、どうでも良いクズの命を上に見たと言うのだろうか。
ありえない。
彼女の価値は、俺が今まで見てきた、聞いてきたどんな人間よりも高い。
「……帰って……きてくれ……」
既に声が擦れている。
沸騰する泡の音が鳴っている。鬱陶しい。
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今日は連休中だという事を思い出す。
こんなに早くから来るのは初めてだが、結構外がうるさい。
「あ、おはようお母さん」
「今日は朝から来てくれたの? ありがとう」 「実はちょっと部屋の鍵無くしちゃって」
嘘だ。
家の前まで行って引き返してきた。
彼と過ごしたほんの少しの時間のせいで、一人でいられなくなってしまった。
「大丈夫? ちゃんと見つかったの?」
「うん。でもほら、家からここって遠いから今から帰るのもめんどくさくなっちゃって」
お母さんの精神状態が不安定だったため、家族代表(と言っても私しかいないのだが)として面会を許可してもらった。医師が気弱なタイプで助かった。
この病棟も今や某ウイルスのせいで大忙しらしい。
特に状況が悪化するかのせいがある訳でもないお母さんは、近日中に退院できるという連絡があった。
「でも良かったね。意外とすぐだったし」
本当に何かに怯えるような目をしていた彼女も、最近は大分調子が良い。
看護師さん達は、みんな私のお陰だと言ってくれている。
ここに来る理由の半分は患者を労わる事なのだが、もう半分は彼と一緒にいる時間を調整するためだ。
あの子とずっと一緒にいるとその内何か取り返しのつかないような事をしそうで怖い。
まだ朝と夜だけだったから何とかなったものの、当たり前のように一緒にいられると嬉しさと共に謎の気持ちがこみあげてきたのだ。
昨日はすぐに手が出た事で頭に血が上って思わず帰っちゃったけど、よくよく考えるともう少し話してみた方が良かったのかもしれない。
あの男の言葉が、間違い無く彼の逆鱗に触れてしまっていた。
あれ。
何故私は一人で語りをしているのだろう。
まぁいいや、どうせ心の中なんて見えたりしないんだから。
「それで? 確か昨日電話くれた時は退院ともう一つ、伝えたい事があるから来て欲しい。そう伝えて貰った気がするんだけど」
夕焼けのベンチで掛かってきた電話ではそう言っていた。
「そうなの。いずれ話しておかないといけなかった事なんだけど、こういう事が起こった今だからこそいうべきなんじゃ無いかってずっと考えてた。昨日はやっとその決心が付いた日なの」
何と無く大事な気がして、姿勢をきちんと正す。
知らなかったことがわかる期待。
「今唯愛と一緒に住んでる子についてのお話なんだけど」
早速背中が固まる。
「あ、ごめん。今ちょっと彼と喧嘩、ってほどでも無いけどちょっとぎくしゃくしてて……」
お母さんは微笑むと。
「それくらいわかるわよ、目に見えて気にしてるもん」
「えぇ!? なるべく出さないようにと思ってたのに……。ごめんなさい!」
病室だと気が付いて、隣のおばちゃんにもいそいそと頭を下げる。
恥ずかしいなぁ。
「で、その子についてのお話? また、大事にしてねって?」
現在は少しあれだけど、基本的には凄く大事にしてくれてるし大事にしてる。
度合いで言うとカップルの5倍くらいの結束はあるな。
あの子の前で言うと怒りそうだから言わないでおく。
「二人とも“私の大切な子供達”なんだから、仲良くして欲しいな」
「え?」
世界が、一気に一回り暗く見えた。
この目の前の女性は私の母親だ。
それはつまり、彼の母親では無い事を示している筈で。
「彼が、水瀬唯織が誕生した原因は19年前のとある事件が原因なの」
構わずに続ける。
何故か私の脳は、その事件について淡々と考える事が出来た。
2001年11月3日。
女性十人を誘拐した男たちが、身代金と女たちの体を求めて立て籠もるという事件が発生した。
警察は2日後に彼らの要求を無視して突撃、運良く10人全員が助かった。
「その被害者の一人である水瀬天彩は、その一か月後に妊娠が発覚した」
彼らによるものなのか。
「他の被害者に何も無かった事から警察は当たり前のようにトラブルを避けた。しかし、親族や友人たちにもしっかりと相談した上で彼女はそれを産んだ」
言葉で表せないような苦悩、なんて誰にでも言える感想しか持てない。
苦しみの先で彼女は子供を堕ろさなかった。
「可愛い双子だった。片方は男の子、もう片方は女の子。目元なんかは昔から二人ともよく似てた」
ここでやっと、この話は嘘では無いのかもしれないと認識し始める。
彼女の目には光は無かったが、絶対に伝えなくてはいけないという意志だけは見えた。
少しの間、時が空く。
きっとエネルギーが切れたんだと思う。
「出産から一週間程経つと、水瀬天彩は悩み始めた。今までずっと賛同してくれていた誰もが距離を置くようになったからだ」
驚きはしなかった。
どこかで予想していた。
彼らだってきっと、本当に理解していた訳では無いだろう。
ただ話を聞く限りではきっと賛成する方が良いと思ったに過ぎない。
当人が人に相談したのも、自分の意見を人と合致させて安心したかったから。
「その結果として双子を別々の場所にいさせる事にした。同じ場所にいては虐げられてしまうので、周りの目を誤魔化すための策だ。女の子には自分の名前を反転させたものを付け、男の子にはその名前からまた一文字とる。せめてもの愛だった」
動けないのに、常に体が宙に浮かんでいるような感覚。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
気が付けば私は叫んでいた。
今までの自分の行いに対しての怒り。
彼が感じてきたであろう感情が少しだけ流れ込んでくる感覚に、耐えきる事が出来ずに。
その全てを体から捨てたくなって。
「これで私が話したかった事は全部。大丈夫、もう唯織も唯愛も手放したりしないから」
向かってきた手を、全力で払う。
「そんなの、どうでも良いよ」
自分で意識せずに、吐き出される感情剥き出しの言葉。
「貴方は私を選んだ。水瀬唯織と水瀬唯愛を天秤にかけて、私の方にいる事を選んだ。彼に辛い思いをさせると分かっていて、私を守らせることを選んだ」
「私は一つしか無い、死ぬ事は許されないと思った、だから女性である貴方に付いた。しょうがない事なのよ」
看護師さんの声が聞こえる。
「何もしょうが無くなんかない! 自分の過去から、そういう考え方を捨てられなかったの!?」
涙が零れる。
音なんかしない筈なのに、何故だか落ちていく音がやけに響いていたように思う。
重力が、私の体に宿った。鬱陶しい。
+++++++++++++++++++++++++++++++
目を覚ます。
もう夜だ。
溜息を吐いて、起き上がる。
今日はどうしても動ける気がしなくて一日中寝ていた。
出かけようとしても体が動かなかったし。
あのままもし出られていたとしても警察に職質とかされるレベルで精神がとんでも無かったからな。
後から振り返れば相当やばい奴だ。
別に同居している訳でも無いただの同級生がいなくなっただけで狂いかけるとか、控えめに言っておかしいだろ。
……何か振り返ったら恥ずかしくなってきた。
もっと言うなら、こうやって振り返ってる自分すらも恥ずかしい。
依存度高めなのはあっちも同じでしょ!?
おっと、今のは良く無い。
多分今のあいつの前で一番言っちゃいけない事だな。
心の底に仕舞っておく事として。
まぁ、今のでわかったと思うが精神面の事については問題無い。
あいつに会いに行こう。そして素直に謝ろう。
そういう気持ちを馬鹿にはしない奴だ。
改めるとすればこちらの伝え方か。
「うーん……」
いつものように靴紐を結び直し、駅の方へ向かった。
彼女が怒っている様子を想像してみる。
無視はするだろうなぁ。
積極的に話すというよりかは、自分の気持ちを理解してもらうために黙ってる気がする。
今の俺のように何に怒っているかわかってれば大丈夫だ。
周りから避けられてばっかの人間という事もあると思うが、自分が悪かったとシンプルにしっかり伝える事は何よりも重要か。
普段からあんまり自分の罪を認めない屑ですし。
後は……
「これでお会計お願いします」
「かしこまりました! お持ち帰りでよろしいでしょうか?」 「はい、ありがとうございます」
ドーナツを買った。
昨日のお昼に食った奴だ。
あいつと俺の推しドーナツは同じだったらしい。
だが、かぶりを嫌う唯愛は俺が食べるであろう事を予知して別のもんを買って来た。
なので今日はお揃いである。
好きなものを食べた時の笑顔は、数多くある唯愛の笑顔の中でもトップクラスに輝いている。
……なんかちょっと気持ち悪いな。
病院に向かうために改札口へと向かうと、見知った顔があった。
それを見た瞬間の安堵と言えば、そうだな。
テストの点が予想よりニ十点も高かった時、以上のものだ。
「おーい! いーあー!」
自分から声を掛ける。
それも、馬鹿でかい大声で。
周りの視線が一人の少女に集まる。
そう。きょろきょろしながら周りを見渡している茶髪の子だ。
やがてこちらに気が付くと、その場に膝から崩れ落ちた。
人々との目が一気に俺に向けられる。
やばい早く回収しないと。
ささっと噴水前の通路に行って、抱っこして家まで運ぼうとした。
こいつ重いな。絶対本人には言わないけど。
改札を通る人、信号を渡る人、待ち合わせ中の人などの全ての注意が二人にのしかかった。
早く起きてくれないかと揺すったり頬を引っ張ったりして見るものの、途中から自分が面白がっている事に気が付いて罪悪感でやめた。
最後の信号を渡ったところで、んー、と唸る声が聞こえた。
「唯愛! 起きろ、お前はさっきまで地面で気絶してた!」
必死に呼びかける。
結構耳に近い位置に顔があるから、これで聞こえないという事は無いと思うのだが。
駄目だ起きない。
それどころか、俺の肩に顔を擦り付けている。
こいつ実は起きてるな。
ポイっと投げ捨て……は流石にしなかったが、その辺の壁に立てかけてそのまま歩く。
十秒ほどして後ろを振り返ると、先程より少し進んだ位置に唯愛の寝顔があった。
また十秒歩く。振り返るとさっきと同じ現象。
次は二秒で振り返った。
「あちゃー、見つかっちゃった」
「バレねぇ訳ねぇだろ。気絶を言い訳に今まで踏み込めなかった事しようとしてたよな?」
今までの行動を見るに、あのまま一線を越えられていたかもしれない。
取り敢えず玄関まで歩いていく。
と同時に心の準備をする。
門扉を占めた。
「なぁ、唯愛?」
呼び掛ける。
「ん?」
笑顔で応じてくれる。
「昨日は俺が悪かった。お前への危機と俺の性格上許せなかった部分はあれども、暴力を振るうまで行く必要は無かったと思ってる」
そこまでで一度区切る。
相手の目をしっかりと見る。
彼女がどういう反応なのかは、あまり気にしていない。
「唯愛がいないって気づいた時、自分でも引く程叫んじゃってさ。気持ち悪いかもしれねぇけど俺の近くには唯愛、君がいて欲しいんだよ。だから帰ってきてくれねぇか?」
考えていた台詞は全て飛んだ。
だからなのか、意識せず恥ずかしい文章になってしまっている。
「ドーナツ買ったんだよ、二つ。中で一緒に食べようぜ?」
両手を唯愛の方に向けて、同時に頭を下げた。
全部表現した。
手は、他の熱を得た。
「許すよ。私だって、あの時少しは言い分聞けば良かったかなって反省してたんだから」
少しだけ涙を浮かべながら、呟くように言った。
彼女は全く悪く無いというのに。
なんて優しい子なんだろう。
「それじゃあ食べようよ、何買って来たの?」 「この前お前がひもじい子供のように眺めてた奴」 「何でそんな思い出させるようなもの買ってくるの!?」
こうやって話せるだけで、幸せがこみあげてくるのが分かった。
何でこんなに身近にあった事に気が付けなかったんだろう。
俺の生きる理由となってくれる人が、そこにいる事に。
手を洗って戻ってきて。
袋を開いてドーナツをとろうとした。
フルーティーな香りが広がる。
袋の空いている部分が、手で掴まれた。
「ねぇ、ちょっとだけ良い?」
「ん? 食いながらじゃダメな話なのか?」
こくりと頷く。
俺の話も最後まで聞いて貰った訳だし、聞いてみる事にする。
「私のお母さん退院する事になったって。ほんとは昨日判明してたんだけど、びっくりさせたくて黙ってたんだ」
「何でその情報を今言っちゃうんだよ、演技でびっくりするなんて芸当は俺にはできないぞ……と突っ込みたいところだが。おめでとう、お前が毎日来てやってたからこそな気がしてるから余計に嬉しい」
まぁ、某コロ助のせいで特に異常が無くなった患者は早めに追い出したい、というのもあるとは思うが。
「なんかさ、こうやって一緒にいられたからお母さんも救えた気がするんだ」
突然、口にする。
「俺は何もしてない。ただただ飯を作っただけだ」
「唯織の元気が私の元気になって、その元気を私はお母さんに分けたの。だから、そういう意味でも感謝してる。本当に、してもしきれないくらい」
それはこっちの台詞だ。
唯愛がいなければ、もうこの世にいない可能性すらあった。
縁から俺を引っ張り出してくれたのは間違い無く彼女だった。
全部、水瀬唯愛がいたから。
「……ちょっと、目瞑っててくれない?」
嫌な予感がする。
「変な事はするなよ?」 「するように見える?」 「見える」
それを感じつつも、俺は静かに視界を真っ暗にした。
瞬間、唇に何かが触れた。
普段なら拒絶するそれを、俺は受け入れた。
唯愛のものだと知って。
彼女が持っていたドーナツの袋越しに、何かが刺さる音がした。
下を見ると、そこには赤い液体と銀色の金属系の光沢が広がっていて。
意識が消える時というのは、本当に一瞬なのだと初めて理解する。
お読みくださりありがとうございます。作者のあにーです。
「彼」が刺されました。でも、それは「私」です。
はぁはぁ、次回、最終回……
サイシュウカイ!? キェェェェェ!!!
続きが気になる方もそうで無い方も、そこそこのラストのためにぜひぜひ明日の20時10分に画面の前で見届けてやってくださると嬉しい限りです。
という訳で05/05(五つ子ハピバ!!)の20:10投稿します!
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