赤紙
その鼠男は、小学校して程なく村役場の給仕として働く場所を与えられた。
それまでは、上流の川向かいにある今にも流されそうな小さな小屋に家族数人で暮らしており、川の氾濫で幾度となく小屋も流されていたのだが、それが幸いして、猫の額くらいの畑の土地は、肥沃でとなり、大きな大根等の野菜を町に売りに行っては僅かな米を得て生活をしていた。
小屋の前の川には橋もなく、さらに上流に道なき土手を歩いては浅瀬を見つけては濡れながら川を渡るのがつねであつた。完全に村とは隔離された土地に、なぜ家族が住み着いたのかは彼自身も知る由もなかった。
彼の体は栄養失調のように貧弱で、背は低く、猫背で歩く姿もなぜか引きずるような左右対称でないものであった。
当然、軍隊への検査もままならないものがあったが、村の者は彼の存在すらも気に止めることはなかった。
庄屋である村長は、そんな彼のことを不憫に思い、村役場の給仕として向かい入れた。村役場のまでは十キロ程も歩かなくてはならなかった。
分校よりもさらに倍の距離であるにも係わらず、彼は毎日、誰よりも早く村役場に出ては、給仕として、人の嫌がる便所掃除やら庭の掃き掃除やらごみ捨てを、他の職員が来る前に終わしては重宝がられていた。
いつの間にか、日本も戦争となり、小さな村にも召集される者が出てくると、給仕の仕事に赤紙を届ける役割も加えられた。
赤紙は夕方届けられる、確実に本人や家族に手渡さなければならなかったため、誰もが嫌がる仕事であった。
「おめでとうございます」と言いながら、軍隊不合格検査の彼は配り続けた。
赤紙を受け取った家族は誉れだと言い、回りの者も「万歳」と喜んだが、彼はそんなことは嘘っぱちだと思いながら、目の奥の水晶体を冷ややかに見開き、一部始終を目に焼き付けた。俺の勝ちだと彼は心のなかでほくそ笑んだ。