収賄
1980年代、あの時代の公共工事の入札は、さすがに特定の部署で一括担当し、入札執行していたものの、指名競争入札が中心であり、何十億もの工事費の事案であっても、実質的な指名業者の選定は担当課で行っており、縦の決裁を秘密裏に行うものだった。秘密裏と言えども、ほとんどは筒抜けであり、筒抜けなのは庁舎内の組織だけではなく、当然、業者にもバレバレだった。
どこにそんなからくりがあるのかは分からなかったが、一体となった業界が決めた業者に行政が落札させる暗黙の又はあからさまなルールがあり、如何におかしい決まりでも、それに反することこそが掟破りの悪行であった。
僕は、当然、プラント建設の業者選定に当たっては、実績や会社経営状況を調査して、適切に選定をしていたのだか、決裁の途中で戻され、何故か起案者は担当である僕から、突然、業者と接点が多く、出張のホテル、交通費、はたまた夫婦で旅費を出してもらいながら、プラント技術を検証していたナメクジ男に代わることになった。
業者の選定に代わりはなかったようだが、ただ、鶴の一声で、実績も技術もない小さな東京の無名業者一社の追加がなされていた。
薄々は不穏な動きが気になってはいたが、僕の目の前でそのような事が本当に起こっていることに愕然とした。
さらに、あろうことに、追加された見知らぬ業者が入札の結果、プラント建設事業を落札していた。
僕は翌年、その部署から異動する。そのことは忘れた。誰もがおかしいと思いながらも深入りしたくなかった。まったく僕も同じだったから、異動は幸運だった。
それから数ヶ月たって、事件は起きた。市長と側近の部長、猪豚課長にナメクジ男が逮捕された。収賄だった。
僕も警察に呼び出され、事情を聴かれたが、僕には何の後ろめたいところはなく、何も知らず、何も咎めを受けることはなかった。
逮捕された四人は有罪となり市長は辞職、職員は懲戒免職となった。
あのまま、あの世界に居続ければ、僕も感覚が麻痺するかも知れなかった。誰もが流れに流される。流れに竿を差すような者は排除されるが、流される者の行き先もまた、排除の道だ。




