武器よさらば
県の出先での仕事と大学生という二足のわらじで過ごし、東京について、結局は日本についての僕なりの理解が進んだ。
およそ明治から100年、大陸に陸軍が進攻し、226事件から50年、戦後40年。そんな月日が経過していた。たいそうな月日のようでも考えてみれば僅かな月日だ。人の人生の1.5倍、下手すれば人生生まれてから死ぬまでの時間に、物凄い世界のそして日本の歴史の大転換を経たのだから。
左右の帝国主義価値観と人種差別的な価値観とがこれほどに短期間に成された歴史はこれまであっただろうか。
この歴史的な世界の転換の空気の中で、発狂することもなく、淡々と黙って順応し、生活してきた人々こそ根なし草の魂であり、畏れるべき存在であり、畏れる必要もない普通の庶民の生命力なのだ。
無条件とはいえ鬼畜と言っていた占領軍を迎入れ、中には国内の抑圧からの解放と解釈した。
もっとも226の目指した純粋な憂国の革命をいとも簡単に実施した。
310の非人道的的大空襲も原爆投下も不問に付し、軍隊内部の非業も抑圧の委譲そのものを利用されての責任となり、戦ってきた相手から解放されて、明るい街々に人々は溢れた。
与えらた武器により民主主義と自由を謳歌した。戦って負けなかったなら得られなかった武器てあり、戦って勝っていても得られなかった武器だ。
勝手に与えられた武器は明確な取り扱い説明書付きだ。国家を分断しない変わりの、そして、対立をひとつに絞らせないための安全な武器。
知識人も含めて、それぞれの陣営で論争を対立するも、手の込んだ策略の檻の中での揉め事の過ぎない。
国会を取り囲み、このエネルギーがなんともならない、と叫ぼうとも、はじめからなんともならないようになっていただけだ。
学生の運動も、待遇改善は待遇改善要求に留めておけばいい話しだった。バブルの踊る時代と変わらない。




