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穂高市役所ストリートビュー年史  作者: 十二滝わたる
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路地

 高速道路から蓋をかけられたような重苦しい日本橋の姿は無残だった。かつてのお江戸日本橋の面影はなかった。オリンピックがらみの急こしらえの都市計画とはいえ、大空襲により焼け野原となった日本の大規模な都市改造が成されれば、東京の姿は大分違ったものになっていただろう。占領政策というよりは、敗戦国への制裁として許されなかった。

 しかし、四角四面に整った華やかな味気ない街のニューヨーク、バルコニーの位置も外壁の色も強制的に指定された人工構築のパリとは違った、自由に生きて伸びる木の根っこのような逞しいアジアン都市の魅力を産んだ。小さな路地の組み合わせや交錯する線路、蟻の巣のように地下に張りめぐらされた地下鉄。

 さらに、ヨーロッパの中世都市ような屋根瓦の色の統一景観もなければ、道路にはネパールのように無造作に伸びる電信柱が窓からの景観を奪う。

 日本文化の実質的、精神的な伝承となった寺院は無造作に都市機能の中に埋もれている。

 これが、日本だと思う。これを誇っていいのだと思った。

 富士山や悪き江戸文化の芸者や舞子などよりは、そこで生活し、復興し続ける日本そのものが文化といっていい。

 東京にある小さな路地の坂道や階段の何と数多いことか。僕は東京で仕事をした6年間、歌舞伎座やコンサートなどにはほとんど行かなかった。僕の東京の最大の魅力は路地にあった。休み日は背広で路地を隅々まで歩くことが、僕の趣味であり楽しみだった。

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