夢の中
東京での思い出は楽しい思い出だけだ。
「実存は本質に先立つ」自己投機の矛先は自己の内部世界、心の弁証法のみに使用した。
活動し生きる生身の自分は、普通に生活し、仕事をする普通の労働者とした。普通に居られることが寧ろ目標だ。
当時のフォークソングも聞かなかった。僕の生活はギターを持って歌い、その慎ましい生活を美化するほどにも豊かではなかった。
逆にたくましく活動し、成長していくこの東京の雑多で多様性が広すぎる街の姿を、良家のお嬢様が爽やかに綺麗に澄んだ感性で洗い流してくれるユーミンの音楽を好んだ。
誘われて行った、当時の流行の最先端となる苗場へのスキー行は圧巻だった。そこで行われるユーミンのコンサート。憧れたスキーワールドカップが行われた起伏の斜面。ユーミンを通せば、世界はどんな風景も美しい広がりを持った夢の中の音楽。
あの頃、まだ、夢の国、ディズニーランドは開園してなかった。
高速道路もユーミンの唄った中央フリーウェイの他は数本あるだけ。何のことはない雨の中央高速も、ユーミンを聞きながら走れば、競馬場もビール工場も、夢の夜空の世界となった。
ただ、あの頃、見向きもそなかった音楽が、この頃、やけに気になる。周囲の友達が夢中に成っていた曲だ。あの派手な音楽を聞いていた、友のことを思い出すからかもしれない。めざせモスクワ、タンシングクイーン、カントリーロード、ホテルカリフォルニア。
やがて、日本列島改造は進み、上越や東北へも新幹線は繋がり、人と物の流通と交流は地方を無限に変えていくのではと思わせた懐かしい時代だ。バブル経済前段の静かな、共通の希望のように思えた。