抑圧の委譲
この東京での僕の生活は大変貴重なものであった。上司である県の職員も極めて優秀なインテリジェンス溢れる方で、お世話ななるとともに様々なことも教わった。ロジスティックスだけの仕事であったならば、とっくに飽きてくるところだが、その裏側に潜む関係を、紐解きある時は紐付きし、ある時は絡める、そんな物の見方と操作により、地味な単純化さを分析することはよろこびでもあった。
地元の国会議員も国のお役人も親切な方々ばかりだ。もっとも、これは立場の余裕と私のぺいぺいの立場への無警戒と、地元と繋がるための体裁もあってのことだが、非常に紳士的な言動だ。
立場の余裕に比較して、その末端にある事務の態度はお世辞にも立派ななものではなかった。
当時の郵便局や国鉄の窓口の応対の悪さと同様だ。議員会館の受付から議員事務所へと内線で繋いでもらうにも、数回の喧嘩ごしのやり取りが普通だ。建設省の警備員とのいつもの小競り合いも慣れて来ればそれが当たり前となった。忠実に守る規則と厳しい管理と自己保身、公務員の姿は末端に行くほど融通が効かなくなる。戦争中の軍隊組織、穂高にいる鼠男、むじな男、ハロインカボチャ、皆同じように思えた。抑圧の委譲だ。