風の香り
東京の街並みはすべてが新鮮だった。露天のような高田馬場、池袋の連立するデパート、複雑な新宿駅構内、コマ劇場の華やかさと猥雑な歌舞伎町、安売りの電気店と寿司屋、薄暗いネオンの小さなカウンターだけのほっとするゴールデン街、罪悪感募る禁断の赤テント、粋な神楽坂の小路、自由にビデオを何回も見た岩波書店、古本屋街のカビの匂い、バリケードの面影もない水道橋の学生街、お茶の水のニコライ堂、盛の控えめな藪蕎麦、急な坂道続く湯島聖堂、戦後焼け跡香る御徒町アメ横、浮浪者の上野駅、高い上野の丼ぶりもの、泥臭い不忍池、広いだけの上野の森と博物館、狭い路地にある惣菜の谷中、荒川電鉄の心地よい揺れ。僕の周回コースだ。浅草には行かない。渋谷や青山にも行かない。東京の田舎街、三鷹、立川にも行かない。
仕事は霞ヶ関、赤坂プリンス、国会議員会館、砂防会館、半蔵門や麹町。お上りさんの市町村議員、県の部課長達を地元国会議員事務所や省庁の部長(局長には会えない)、担当部署に陳情するための案内、宿泊案内、隠れた昼食処の案内だ。当然、地元名産の高価なお土産の事前送付預かりも仕事だ。
ほぼ、接待に近いから、国会議員や省庁の部長の食のお好みや趣味や性格の調査も重要となってくる。省庁の予算編成時期には省庁の担当部署への夜食として、お上りさん達は、施設の厨房を借りて地元ならではの弁当を作りお届けする、それの手伝いまですることとなる。性格調査は鼠男の得意なネガティブな意味での調査とは、真逆の胡麻すりのための調査であるが、趣旨はさほど変わらない。
省庁の役人が、「あなたの町のあれは美味しいね」と誉めれば、一週間後にその役人はそれを手に入れることとなる。そんな仕組の競いあいのお手伝いだ。バカらしさも、過ぎれば相応に楽しめる。昼の仕事は生活のための仮の自分、そう割り切ることが必要だ。すべての仕事はそんなものだ。社会のために役に立っている生き甲斐を求めてとは綺麗ごとの理屈だ、まるで、発情を恋愛という言葉で置き換えるような。
置き換えは誰でもやっている無意識の行為だが、本当は置き換えの意味の理解において、個々に大きな違いがある。違いこそが人格の違いだ。