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温床
東京での生活は単調なものだったが、かなりのハードなものだった。働きながら夜勉強することは、非常な困難を伴ったのだ。
単位制であるから一定の単位の蓄積は得られたが、およそ普通の学生の半分程度をこなすのが精一杯だ。
土日は仕事が無いものの、国会図書館もお役所休みで使用出来ず、肝心の東京事務所はお上りさんの夜のご案内までご丁寧に付いて回るなどの夜の残業はごまんとあり、そのため、受けたい講義は中途半端に中抜きとなった。
それでも、大学の講義の良さも無駄も十分に理解できた。講義など受けなくても、書籍があれば論理の思考など自分で出来るとも気が付いた。
優秀な教授など一握りだ。あとは、単なるやはりエスカレーターのサラリーマンで、論文一つでコネの教授会選考潜り抜け、または、ご用意学者として政治にすり寄り、現在の職を得た。縦社会に詰め込んだ村社会だ。穂高とどこが違う。
60年代70年代の政治的思想と行動はなんだったのだろう。あの頃と何が違う。