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パーラーOyake

(完結中編)パーラーOyake 新春特別編 ☆★☆ 劇場のメニュー ☆★☆

作者: 葛柴 桂



 ── れでぃーすあんどじぇんとるめん 本日はTheater Cho-coon いめんそーちくぃみそーち にふぇーでーびる。


 わんねー 劇場総支配人 兼 作・演出 兼 踊奉行 チョークン・タマグスク やいびーん。


 只今より レキオ・ドラマティカ 燃ゆるKATSUREN城 <新演出版> (全二幕・十五場) ぬ開演やいびーん。


 最後まで よんなーよんなー お楽しみくぃみそーれ ──



 第一場 <プロローグA>


 緞帳が下りている。

 舞台上手、下手には狂言回しのCraneとTurtleが、この世のものとは思えない優雅なダンスを踊っている。

 幕前。一人のみすぼらしい少年にピンスポットが当たる。


少年 (ソロ):『遥か遠くの海の夢 七つの海 七つの宝の夢を見る──』


子供の声(声のみ)①:「父なし子!」

子供の声(声のみ)②:「貧乏人!」


 少年、きっと顔を上げ、拳を握りしめる。だが、上げた拳をやがて力なく下ろす。悲しみと悔しさの混じった表情。そのまま舞台中央まで歩き、何かに気がつく。

 幕前0番、スポットライトフェードイン。少年、屈み込んで何かを拾う。

 CraneとTurtle、不思議そうにのぞき込む。少年には姿は見えていない様子。

 緞帳に映像が映し出される。少年の手の中にあるのは、古びた小さなコインである。


男の声(声のみ・エコーあり):「夢を見るのだ。生まれも、育ちも関係なく、大きな夢を。遥かな海の夢。遠い外つ国の夢。そう、かつて私が夢見たように――!」



第二場 <プロローグB>

 少年、希望に満ちた表情で顔を上げるとともに、舞台に光が満ちる。緞帳開く。巨大なグスクのセットを背景に舞台上に勢揃いする登場人物たち。

 主人公・アマワリィーのソロから始まり壮大なコーラスへと続く、主題歌『燃ゆるKATSUREN城』によるドラマティックな幕開け。


アマワリィー(ソロ):『私が歌い伝えよう 遥かなレキオに燃えた魂の物語を』

全員 (コーラス):Ah  ――


アマワリィー(ソロ):(はし)り 愛し 全てを 手に入れる 野望と慈しみに 燃えた魂の物語を』

全員 (コーラス):Ah  ――


 アマワリィー、歌いながら本舞台0番からエプロンステージに移動。上手から下手へ。

 同時に、本舞台の中央からREKIOの男(KeNYU-)がセリ上がりで登場。アマワリィーを追いかけるように歌う。


REKIOの男(KeNYU-):『私が語り紡ぎ出そう 遥かなレキオを 引き割いたあの男の物語を』

全員 (コーラス):Ah  ――

REKIOの男(KeNYU-):『驕り 高ぶり 全てを支配する 欲望と傲慢に 満ちた魂の物語を』

全員 (コーラス):Ah  ――


 REKIOの男(KeNYU-)もまた、歌いながら上手から下手へエプロンステージを移動。

 アマワリィーとREKIOの男(KeNYU-)がエプロンステージ中央で対峙し、対決するように格好いいダンスシーン。

 本舞台では、勢ぞろいしたREKIOの紳士とREKIOの淑女による華麗な群舞が繰り広げられる。


 一転、曲が転調。照明の色がドラマティックに変化。

 本舞台中央にREKIOの女(FuMI-aGARI)が颯爽と現れ、歌う。

 

REKIOの女(FuMI-aGARI):『私が見守る 遥かなレキオの 風が 太陽が 泣き叫ぶ 

二つの魂 一つの光 引き割かれる心』


 REKIOの女(FuMI-aGARI)、客席に訴えかけるような、美しい表情。ヒロインに相応しい風格と儚さ……。





「てめえ、どけ! 見えねえぞ! マツーが! マツーがっ、歌ってるっ!」

「うるさいぞ小僧! 観劇中の私語など言語道断っ! こらっ、離せっ、オペラグラスを返せっ!」

 暗闇の中で、ぽかっ、と漫画のような音がした。

「私語厳禁と言っただろう! 今すぐ黙らなきゃ、ボックス席からつまみだすぞ!」

 叩かれた頭を押さえる金髪の美青年とスーツを着込んだ美青年の後ろで、琉装の男が仁王立ちになっている。

「このグッドマナーな私を見習え! 見ろ、今日は私ですらハチマチを取っている! 劇場基本マナーその一:“帽子はだめ!”」

 踊りながら謎のポーズを取り、偉そうに言い放った男の頭をすかさずもう一人の琉装の男が抑え込んだ。

「静かにするのはお前だ、朝薫! 隣は六番のボックス席なんだぞ!」

「なにい~、だから何だ何なんだサイオン! 私は歌劇座の変人だ文句は言わせないぞ!」

「分かっているならなおさら黙れ!」

 ぎゅむ、と男──蔡温(さいおん)──に頭を鷲掴みにされて、変人──いや、朝薫は座席に押し込まれた。ぐぶう、と情けない声を漏らした朝薫の気配に、金髪の美青年とスーツ姿の美青年が怯えたように身をすくませる。

「さあ、アカハチ君も豊見親(とぅゆみゃ)君も静かに観ようね? ほら、本舞台でアマワリィーとケェンユー、そしてフミーァガリの切なくも美しいダンスシーンが繰り広げられているじゃないか……。まるでこの先の非劇を暗示するようだ……」

 蔡温がうっとりと視線を投げた先、満場の客席が見つめる煌びやかな舞台の上では、今や登場人物全員勢ぞろいして壮大なコーラスを歌いあげていた。



全員:『私が歌い伝えよう 遥かなレキオに燃えた 魂の物語を』

コーラス(追いかけ):KATSUREN!

全員:『奔り 愛し 全てを 手に入れる 野望と慈しみに 燃えた魂の物語を』

コーラス(追いかけ):KATSUREN!

全員:『時が見守る遥かなレキオに 風が太陽が歌い継ぐ 二つの魂 一つの光 受け継がれる心』

コーラス(追いかけ):Ah――!


~リフレイン~


 ドラマティックな主題歌が終わると共に、舞台暗転。

 緞帳降りる──。



「ゔっ……ゔぇ……っ ずっごぐ……感動じだっ……!」

 べそべそ、べそべそと泣きながら劇場の通路を歩く金髪の美青年──アカハチ──の横では、やはりハンカチで両目を覆ったスーツ姿の美青年──仲宗根豊見親──が小刻みに肩を震わせていた。

「うう……眞與(まよ)が……。あの“旗体操のようなダンス”と言われていた眞與が……フィナーレであんなにも優雅に踊っていた……っ」

 どちらともなく歩みを止めたアカハチと豊見親は、潤んだ目で互いを見やると、がっしりと抱き合った。

「良かった……! 確かに演技はちょっと硬かったけど、棒読みのマツーにしてはすごいよくできてたし、まだ初日だし、これから完成度が上がっていくに違いないし……!!」

「ああそうだ……! あの眞與がとちらず、転ばず、怪我もなく努め上げた、素晴らしい初日だった……!」

 二人は泣きながら互いの背中を叩きあう。それは初日の終演後によく見られる、戦友たちの感動的な光景であった。

 今や劇場の通路は終演後の観客の熱気で溢れかえり、人いきれに眩暈がしそうであった。観客たちが口々に興奮した顔で感想を述べあっている。その顔が一様に輝いているのを認めて、アカハチも豊見親も、再びこみ上げる涙を抑えることができなかった。

 その感動の波を底上げするような、弾んだ声が響き渡る。

「二人とも二人とも二人とも! どうだ良かっただろう私の新演出は間違っていなかっただろう! さあSay! レキオ・ドラマティカ 燃ゆるKATSUREN城 <新演出版> (全二幕) was&is FANTASTIC !」

「ファンタスティック! ファンタスティーク!!」

 声を合わせたアカハチと豊見親に、満面の笑みの朝薫が踊りかかる。二人に高々と胴上げされる今日の立役者──劇場総支配人 兼 作・演出 兼 踊奉行 チョークン・タマグスクに、今や興奮した観客がスマホを向け、サインをもらおうと群がっていた。

 喝采(アプローズ)──。芸術の女神が劇場で微笑むときに降るという、輝き(スパンコール)の雨──。それが今、この劇場、Theater Cho-coonに降り注いでいた。



「よお……おつかれさん」

 何となく気恥ずかしくて、アカハチはわざとぶっきらぼうに声を投げた。粉白粉の甘い香りが立ち込める楽屋の奥で、その姿はぱっ、と振り返った。

「アカハチ……!」

 フリルのついた長いガウンを着た美しい姿が──そう、化粧をしたままの、性別を感じさせない優美な姿が一直線に駆け寄ってくる。

「おいマツー、走るな、転ぶぞ!」

 アカハチが言い終わる前に、その姿……マツーはお約束のように長いガウンの裾を踏んでころん、と転んだ。だがもう慣れたもので、マツーが床に体を打つ前に、アカハチの力強い腕がマツーの体を支え上げている。

「だから走るなって言っただろ。千秋楽まで絶対に怪我できないんだからよ」

 勢いで脱げてしまったフリルのスリッパを引っ掛けながら、マツーははにかんだように頷いた。

「うん……ごめん。なんだか僕、体が浮き上がりそうだよ。舞台……どうだった?」

 アカハチは身を屈めてマツーの顔を覗き込む。不安と、期待と……あらゆる感情がごちゃ混ぜになった顔の親友を安心させるように、アカハチは太陽のように笑いかけた。

「聞いただろ、幕が下りたときの拍手。スタオベになってたじゃねえか……。すっごく、良かったぜ」

 マツーの顔が向日葵のように輝いた。一瞬、そこで笑っているのはさっきまで舞台にいたフミーァガリなのか、親友のマツーなのか分からなくなって、アカハチはひどく狼狽した。

「アカハチ? なに真っ赤になってるのさ?」

「なってねーよ!」

「なってるよう」

「うっせえなあ、お前がトチらないか心配してたから、熱が出たのかもな!」

 なんだい、とマツーが口を尖らせる。その様子がまたいつもの親友の姿とは違う気がして、アカハチの顔は赤くなるばかりである。

 そんなアカハチの様子などお構いなしにマツーは化粧前の椅子に戻ると、アカハチにも傍らの丸椅子を勧めた。

 鏡の前には華奢な化粧筆やら飾りのついたペットボトルホルダーやらが無造作に置かれ、舞台化粧の甘い香りが一層濃く漂っていた。なんとなく目のやり場に困るアカハチを置き去りに、マツーはコットンの上にボトルを傾けると、化粧を落とし始める。

「そういえば、げんがさんは? 楽屋には来ないの?」

「オッサンは秘書(川満)に引っ張られてったぜ。終演後には最終便もないのに何かと思ったら、シュリの尚 Holdings Inc. の本社で商談があるんだってさ」

 ああ、尚真さんかあ、とマツーはどうでもよさそうに言う。

「まあ、近いもんね。歩いて行けるくらいだもの」

 そうだな、とアカハチも気の無い返事をする。

 アカハチは、こんな話がしたいわけではなかった。もっと、言うべきことがあるはずだった。マツーが演じたフミーァガリがどんなに美しかったか……天から降るような歌声がどんなに素晴らしかったか……どんなに……。だが、それも全ては無意味なことなのかもしれなかった。劇場の神が創りだした泡沫の輝きを人の言葉でとらえることなど、出来るはずはないのだった。

 マツーはフミーァガリのかつらを外し、長い黒髪を束ねたいつもの姿に戻っている。柔らかく微笑んだ美しい青年は、アカハチの胸にこみ上げるものを察したようにやさしく囁いた。

「大変だったね……ここまで来るのに」

 ああ、とアカハチも短く答える。

「長い旅路だったな……。ホント、こんな大成功の初日が迎えられるなんて、な」

 うん、とマツーも呟く。

「でも、俺は信じてたぜ、お前ならできるって」

 力強く言い切ったアカハチの言葉にマツーは顔を赤らめ、それから照れ隠しのように言った。

「なんだよ! 僕がトチらないか心配してたんでしょ!?」

「あー、だから綾だよ綾! 言葉のあや!」

「なんだい、難しい言い回し覚えちゃってさ!」

 いつもの言い合いを始めた二人は、いつものようにどちらからともなく吹き出すと、真珠の粒のような笑い声を弾けさせる。

 そう、それは長い道のりだった。マツーが“レキオ・ドラマティカ 燃ゆるKATSUREN城 <新演出版>”のヒロイン、フミーァガリ役を演じ切るまでの道のりは。



 話は少し前に遡る。

 それはアカハチのパーラーがようやく壊れた空調設備を新調し、再開のめどが立ちそうになっていた頃のこと。その日、マツーの経営する菓子工房・なーたFOODSは定休日で、いつものようにマツーはアカハチのパーラー・Oyakeのカウンターで漫画を読んだり、黒糖をかじりながら他愛のないおしゃべりをしたりしていた。それは幼いころからの親友である二人が大切にしている、いつもの何気ない時間だった。

 その時──パーラーの硝子戸を叩く音がしたのである。

「何だろ、店はまだ開けてないのに……」

 戸を開けてみると、そこに立っていたのはぴゅうぱっくの配達員であった。

 受け取ったアカハチは、手の中の厚紙の封筒を日に透かす。

「配達記録付の郵便物……? 普段は請求書くらいしか来ないのに……?」

「いいから、早く開けてみようよ」

 肩越しに覗き込むマツーに急かされながら封を切ると、中から出てきたのは横長のチケット封筒であった。開けてみれば、折りたたまれた薄紫色の可愛らしい便箋が添えてある。


「──“拝啓 Long time no see. 先日はありがとう。チョークン・タマグスクだよ”」


 特徴的な丸っこい文字を読み上げるアカハチの脳裏に、昨夏に繰り広げられた死闘の光景が蘇った。チョークン・タマグスク──やけにハイテンションな、琉装の男──。

 マツーの視線に促されて、アカハチは文字を追う。


「──“ドタバタで賞品の抽選がドタバタになってしまった! つまり余った! のであみだくじをしたところ、あなたに決まりました。

 初日のチケット(ペア)なので絶対に空席を作らないように。万事お繰り合わせの上来てください。よろしく★

 ~Always dance. チョークン・タマグスク“」


 きょとん、としたアカハチの前に回り込んだマツーが、チケット封筒をつまみ上げた。そのまま中を確かめると、震え出す。

「どした、マツー?」

「ア……アカハチ、このチケット……!」

 マツーが震える片手で口元を押さえている。怪訝そうに首を傾げたアカハチの肩を、マツーは思い切り揺さぶった。

「見てよこれ! 初日ドセンター、一般人には絶対に手に入らないTheater Cho-coonボックス席※プラチナシート ※ペア のチケットだよ! こ……こんなものっ……もらっていいの!?」

「何それ、すごいの?」

 ばかっ! とマツーが渾身の力でアカハチをはたいた。

「すごいも何も! 天下のTheater Cho-coonだよ!? あの十八世紀から続く伝統ある劇場のプラチナチケットだよ! 人気がありすぎてチケットが買えなくて、僕が毎年テレビの舞台中継“新春お茶の間Cho-coon”を楽しみにしているTheater Cho-coonのチケットだよ!?」

 いてえ……とはたかれたところをさするアカハチなどお構いなしに、マツーは興奮した声で続ける。

「ああ、しかも演目っ……! 今まで何度となく再演を繰り返してきた名作“レキオ・ドラマティカ 燃ゆるKATSUREN城”……っていうか<新演出版>ってどういうこと!?」

 そのままスマートフォンで検索を始めたマツーの鬼気迫る様子に、アカハチはたじろぐしかなかった。

 そして、その日のマツーはおかしいままであった。ブツブツ言いながら原付に乗ってシカムラに帰っていったマツーは、次の日、真剣な顔でアカハチの前に戻ってきた。

「僕、差し入れをしようと思う」

 とんとん、と野菜を刻みながらアカハチは気の無い返事を返す。

「そんなの別にいいんじゃね? 俺達ご招待される側なんだぜ?」

 アカハチの真横に立っていたマツーはやにわに背伸びをすると、親友の頬をぎゅう、と引っ張った。

「いてえ! いきなりなにすんだてめえは!」

「だって、あんまりにもアカハチが世間知らずなんだもの!」

 鬼気迫る声に野菜を刻む手を止めてみれば、マツーの黒い瞳に暗い炎が燃え始めている。

「ご招待ほど怖いものはないんだよ! 失礼があったらあっという間に広がるんだから!」

「お前、何でそんな真剣なの……?」

「演劇の闇は深いんだよ! 差し入れ……それは応援の名を借りた熾烈なパワーゲーム……!」

 首を傾げるアカハチのことなどお構いなしに、マツーは背後に黒い炎を燃やし続ける。

「それに考えてもみてよ!」

 マツーは叫びながら拳を握りしめる。

「例えばだよ? 劇場に差し入れをするでしょ? 出演者の人に気に入ってもらえたとするでしょ? そうしたら、テレビ番組のコーナーの中で『私のお気に入りのスイーツ☆彡』として紹介してもらえたりするかもしれないでしょ? そうしたら僕のお店にファンの人が『きゃー、スターさんと同じもの食べてみたーい☆彡』って大挙して駆けつけるでしょ? そうしたら売り上げは大幅アップして……スターさんとのコラボスイーツを作ったりして……ゆくゆくはヤマトにも進出したりして……」

「おい、妄想が千里を走ってるぞ?」

「いずれは通販事業も拡大して……飛行機の機内食スイーツに採用されたりして……そして……ついにミドリムシパッサージュに出店だってできるかもしれない!」

 ミドリムシパッサージュはこの島一番のショッピングエリアかつ観光名所である。

 今の店だっていい場所じゃねえか……と呟いたアカハチをマツーはくわ、と睨み付けた。

「そりゃそうだけど! やっぱりこの島の民の夢でしょ!? ミドリムシパッサージュにお店を持つのは!」

「そういうもんかあ……?」

「そうだよ、だから頑張らないと! アカハチも協力してくれるよね!」

 こうして。

 パーラーOyakeの再開は一時延期され、アカハチは劇場への差し入れメニューの開発にいそしむことになったのである。



「……つうわけで、協力してほしいんすわ……」

 ざわざわと人が行き交う船着きターミナルのベンチで、アカハチとマツーは小さなスマートフォンの画面を覗き込んでいた。画面の向こうでは、美しい顔立ちの青年が柔和な微笑みを浮かべて首を傾げている。

「え、なに、聞こえないよ?」

「協・力! してほしいんす! ああチクショー、やっぱりターミナルの無料wifiの電波じゃだめかっ……!?」

 ぺち、とマツーがアカハチを叩く。

「タダで使わせてもらってるんだから文句言わないの! 僕たちの“ギガ(ぐゎー)プラン “じゃすぐに制限容量に達しちゃうんだから………。僕たち自営業なんだから、少しでも節約しないと」

 アカハチとマツーが押し合いへし合いしているうちに、ビデオ通話画面に、もう一つの人影が現れた。

「何してんだ恵照? 電話?」

 うん、と答える美青年・恵照が甘ったるい視線を傍らに返す。

「別に見られて困る相手じゃないよ。アカハチ君と、お友達のマツー君」

 画面に現れた人影を見て、アカハチの顔が輝く。

「あっ、久しぶりっすイラブ大殿さん! こいつは俺の親友のマツーです!」

 おー、と画面の向こうではっきりした顔立ちの美青年が手を振り返してきた。

「アカハチ久しぶりだなー。あれ、俺ら去年のライフセービング大会以来?」

 そっすよ、とアカハチは弾んだ声で答える。

「やっぱ、イラブ大殿さんはすごかったっす! 迅速で的確なセービングスキル、俺、マジしびれたっす……さすがは本職って感じで!」

 よせやい、とイラブ大殿は頭を掻く。

「やっぱ、海で亡くなる人を一人でも減らしたいからな。まあ、かつおぶし工場の仕事と兼務だから、なかなか思うようにいかないけど」

 それでもいいじゃない、と画面の向こうで恵照が頭をイラブ大殿の肩に預けた。そのまま視線を絡めた二人は、ふふ、と甘く笑い合う。

「あれっ、画面がピンク色になっちゃったよ? アカハチ、バグかなこれ!?」

「マツー、察しろ、察するんだ!」

 しばらく掻き消えていた画面が再びクリアになり、二組の男たちは通話を続ける。

「……えと、ですね。それで、俺達は芋を探してるんですわ……」

 ん……、と乱れた髪をかき上げながら恵照は気だるげな返事を返した。

「ああ、そうだったね……。差し入れのスイートポテトを作るのに最適な芋を探しているんだっけ」

 悩まし気な吐息をつくと、恵照は問いかけるように傍らのイラブ大殿に視線を向ける。前髪を直しながら、イラブ大殿も低くかすれた声で答えた。

「まあ、恵照の能知伝盛ファームはフルーツがメインだからな。芋って言ったらやっぱり……」

 そこで、画面の向こうの二人の美青年は顔を見合わせて、意味深に笑った。

「……やっぱり、“ファーム真常”じゃないかな」

 ねえ、と恵照が笑いかける先でイラブ大殿も笑う。

「だな。芋に関してはファーム真常に敵うファームはないぜ。何たってほら……」

「え、なに笑ってるんすか」

「いや、何でもないよ」

 くすくす、と綺麗な顔で笑う恵照と、ふふ、と端正な顔でやはり笑うイラブ大殿……。本当なら、その時点でおかしいと思うべきだったのだ。

 ファーム真常……悪魔の花園。

 はたして、アカハチとマツーはその生贄となったのである。

 


 冬であろうと、雲の間を縫ってリウクーの太陽は容赦なく大地に降り注ぐ。まるで、蟻のごとくに地を這う人間たちを容赦なく刺し貫くように。

 僅かな湿気を含んだ風に、痩せた大地を鞭打つような厳しい声が響き渡った。


「♪ 儀間儀間儀間儀間 儀間しんじょー! ♪ っハイ!」

「ギィマー! ♪ ギィマー! ♪」

「声が小さーい!」


「♪ 儀間の信条 儀間しんじょー! ♪ っハイっ!」

「ギィマー!! ♪ ギィマー!! ♪」

「まだまだ声が小さーい!!」


 ベージュ色の農業用つなぎを着た男が、やにわに地面にしゃがんだアカハチに近づく。そのまま両手に持った鞭の柄が、瞬きの内に首を絞め上げていた。その隙の無い動きは、つなぎの下で鋼のようにしなるしなやかな筋肉の賜物に違いなかった。

「農奴! うさぎ飛びの次は暗唱の時間だ! まずは“御芋様のエピソード百選”ー!」

「ぐ……“お、御芋様は……”」

「声が小さい!」

「“御芋様は! 痩せたリウクーの土地にエメラルドの葉を広げ!”」

「続けろ!」

「“日照りにも台風にも負けず!”」

「続けろー!」

 苦しい息の下でアカハチは歯を食いしばる。

「な……なんで俺がこんな目に……!?」

 そう、何も悪いことはしていないのだ。恵照から送信されてきた地図を頼りに、LCCで飛んできた本島のとある場所にある農園……“ファーム真常”。

 そこは一見、典型的なリウクーの農場に見えた。わさわさと緑の葉が大地を覆い、太陽がおおらかに照り付けるその農場にたどり着いたアカハチとマツーは、畑の真ん中で身を屈める人影に無邪気に声を掛けただけだったのだ。

「こんにちはー! お仕事中すんませーん、儀間さんですかあ~!?」

「あの、僕たち、おいもを分けてもらいに来たんです。ミャークの能知伝盛ファームの紹介で……」

 その時。ベージュのつなぎをきた男がのそり、と芋畑の中から立ち上がった。そのまま、地響きのような声が空気を震わせる。

「御芋様を……分けてもらいに来た、だと……?」

「え……なんかあの人の目、殺気に満ちてねえ……?」

 生唾を飲んでアカハチとマツーがあとじさった時には、全てが手遅れだった。

「甘い甘い甘いッ! 御芋様は分けてもらうものではなく、自ら勝ち取るものッ!」

 アカハチとマツーが哀れな悲鳴を上げながら見上げた天を、緑色のネットが覆い隠していた。

「青臭いよう! 離してよう!」

 二人の自由を奪ったのは、芋の蔓で丹念に編まれた捕獲網であった。

「くく……活きのいい農奴が手に入ったな……! 今日からお前たちも御芋様の忠実なしもべだ!」

 ──こうして。アカハチとマツーは、儀間真常なる男が経営する“ファーム真常”で哀れな農奴として働くことになったのであった。

「チクショウッ! 農作業だけならまだしも、何で俺がこんな洗脳みたいなことされなきゃならねえんだあっ!」

「黙れー!」

 ぴしい、と芋の蔓で編まれた鞭がしなる。

「お前たちの御芋様に対する姿勢には我慢がならん! 空港で気軽に買えると思うなあ! 加熱処理してないのに持出しできると思うなあ! キャー私アイスウベ味食べりゅう~☆ とか言うなあ!」

「文句の内容が意味わかんねーよ!!」

「農奴黙れーッ! “御芋様のエピソード百選”を続けろーッ」

 ごと、と重いものが土の農道に落ちる音がした。

「アカハチ……! なんてひどい目に……!」

 水担ぎの棒を落としたマツーが、目に一杯の涙を浮かべてこちらを見つめていた。

「マツー来るな! こいつはもう人間じゃねえ! 御芋様に魅了された御芋の化身だ!」

 涙をはらはらとこぼしながら、マツーが一直線にアカハチに駆け寄り、緑の葉の中から助け起こす。

「ごめん……ごめんよアカハチ! 僕が差し入れにおいしいスイートポテトを作りたいなんて言ったばっかりに……!」

 コラアー! と叫んだ儀間は鞭を振り上げた。

「お前は水を汲めと言ったはずだ! 底の抜けた桶で永遠に水を汲み続けろおッ!」

「やめろ! 俺のマツーにだけは手を出すなっ……!」

 身をすくませたマツーの前に立ちはだかるアカハチに、儀間は嗜虐的な笑みを浮かべた。

「私の御芋様の畑でちゃちな友情ごっこを繰り広げようとは、いい度胸だ……」

 芋の蔓の鞭が空気を切り裂いた。

「お前たち、二人まとめて御芋様の肥料にしてくれるわー!」

 アカハチとマツーが互いを庇いあいながら固く目を閉じた、その時──。

 鈍い音と、苦悶の声が同時に空気を切り裂いた。

 恐るおそる目を開けたアカハチの目の前に、血のにじむ長方形の石が転がっている。

 その拳大の石を忌々し気に見つめながら、儀間は鞭を持っていた片手をもう一方の手で庇っていた。ぽと、ぽと、と滴る血が、地面に転がった鞭の柄を赤く染めてゆく。

 やがて、暗い熱を含んだ笑い声が儀間の口から漏れた。

「くく……この的確な投石、この正確なカッティングの石……。ついに現れたか……」

 たがの外れたような笑い声をあげながら、儀間がゆらりと振り返る。その視線の先には、疾風のように乗り付けた農業用の小型トラックが止まっていた。

 そしてその特徴的な窓から、腕を投石のフォームに伸ばしたままの姿がこちらを見つめていた。

 すらりとした男とも女とも分からない中性的な姿が、農業用トラックのドアを開け颯爽と降り立つ。なびく衣に染め抜かれたのは、遠目からでもはっきりとわかる三つ巴。

 耳に心地よい声が、畑の空気を雄弁に震わせた。

「ヤイマの純朴な民を虐待するとは言語道断。芋の神が許そうとも、そのひゃんの神は許さない……!」

 スタ、と地面を蹴ると、その姿は芋畑の真ん中に降り立った。

「儀間真常! タキドゥンの正義の石積みの前にひれ伏すがいい!」

 美しい姿はなにやら格好のいいポーズを取った。

「あっ……あれは……!?」

 感動に震えるマツーの声に、アカハチも目を見開く。

「まさか……本島内でヤイマの民が窮地に陥ると、必ず助けに現れるという……!?」

 だが、儀間もまた、芝居がかった哄笑を天に放っていた。

「はーっはっは、片腹痛いわ……ッ! 西塘(にしとう)! ヤイマとシュリの間を揺れる半端者よ! お前などにこの私、儀間真常の御芋様への一途な愛は破れぬぞ!」

 空気に謎の熱気が渦巻いた。舞い上がる砂埃に、アカハチは必死で目を凝らす。

「だめだマツー、バトル不可避だ!」

「うん、僕たちも西塘さんに加勢しないと!」

 だが……その時、中性的な美しい姿──西塘は決然と振り返った。長い衣が熱風にばさばさとはためいている。

「逃げるのだヤイマの民よ! 私の小型トラックに芋を積めるだけ積んで走るのだ! ここは私が食い止める!」

 振り返る西塘の姿の肩越しに、雄叫びを上げながら形態変化を始める儀間の姿が見えていた。

「西塘さん! 一人じゃ無理だ!」

 いつの間にか舞い始めた火の粉の中で、西塘は澄んだ瞳で笑い、力強く頷いた。

「案ずるな。私には島をも浮かすタキドゥンの神がついている。行け、そして国道を走れ! まっすぐにひたすらに、あのシュリ城まで──!!」

「アカハチ、行こう! 西塘さんの思いを無駄にしちゃだめだ!」

「馬鹿野郎! 俺たちヤイマの民が西塘さんを見捨てて行けるはずが……」

 ──その時。アカハチの体が力を失い、ゆっくりとマツーの腕の中に倒れ込んでいった。

「マツー、てめえ……!」

「ごめん、アカハチ……っ」

 みぞおちに広がる鈍い痛みと、背中に吹き付ける熱風と。霞んでゆく意識の向こうで農業用小型トラックのエンジンがかかる音が聞こえ、うっすらと地面が揺れるのを感じた。遠くに聞こえるのは、悲壮なマツーの声だ。

「ごめんなさい西塘さん、あとは頼みます……!」

「行け、ヤイマの若者たちよ! ただひたすらに、あのシュリ城を目指して──!!」

 みね打ちを食らった体から何とか自由になろうと、アカハチは遠ざかる意識の中で抗い続けた。瞼の裏に舞い踊る火の粉に負けじと、声にならない声で懸命に叫んだ。

「西塘さん、西塘さん……西塘さー……ん!!」 

 運命を切り裂く呼び声が、暗い意識の中に何重にも反響していた──。



 ──……只今より、三十分間の休憩となります。

    ごゆっくりおくろぎください……──







<第二幕>


 幕開き。本舞台には最新鋭のキッチンのセット。

 割烹着姿のマツー、横長の銀の調理台の真ん中からひょっこりと顔を出す。

マツー、アカハチと親方(うぇーかた) A~Lによるソングナンバー「Kitchen Dream」。第二部の華やかなスタート。


マツー(ソロ):『♪ キッチン キッチン シュリ城 キッチン ♪』

親方A~F(追いかけ):『♪ 全自動 全自動 ♪』


マツー(ソロ):『♪ キッチン キッチン 王様の キッチン ♪』

親方G~L(追いかけ):『♪ 明日は 初日 ♪』


 銀のボウルを手にしたマツー、舞台中央に移動。


マツー(台詞):「さあ、僕たちがんばってスイートポテトを作らなきゃ。アカハチ、これ、潰してくれる?」

アカハチ(台詞):「おう、まかせろ! ……こんなもんか?」


 マツー、アカハチの手の中のボウルを覗き込む。


マツー(台詞):「だめだめ、ぜんぜんだめ! だまが残ってるよ! いいかい、お菓子づくりっていうのはね……」


マツー(ソロ):『♪ お菓子に 必要なのは まずは 愛情 ♪』

アカハチ(台詞):「あ、愛情?」

マツー(ソロ):『♪ 次に 必要なのは やっぱり 愛情 ♪』

アカハチ(台詞):「同じじゃねえか!」


 マツーと親方G~L、弾むような音楽に乗せて軽やかなタップダンス。アカハチ、舞台の上を戸惑いながら右往左往する。


マツー(ソロ):『♪ 愛情 それが すべて ♪』

マツー・アカハチ・親方A~F:『♪ 愛情 君に届け Forever シュリ城 Kitchen Dream ♪』

親方G~L (コーラス):『♪ Ah~ ♪』


 アカハチ、マツー、親方A~L舞台前方に勢ぞろい。曲のクライマックスと共にポーズ。眩いばかりの照明……。


* * * * * *


「……ってだめじゃねえか! 俺たちこんな呑気なソング&ダンスナンバーしてる場合かよ!? 西塘さんはどうなったんだよ!? こらマツーてめえ、目ぇそらすな!」

 アカハチが必死の形相で割烹着姿のマツーに食ってかかった。

「だって……しょうがないじゃない。それに、これが西塘さんの望んだことのはずだよ。シュリ城に着いた途端に、駐車場もキッチンも、全部顔パスで使わせてくれたじゃない。西塘さんが、全部段取りしておいてくれたに違いないよ」

 マツーの曇りの無い瞳に見つめられてアカハチはぐっ……と黙る。その時、下手……いや、キッチンの扉から埃と煙にまみれた姿が、咳き込みながら転がり込んできた。アカハチが喜色満面で駆け寄る。

「西塘さん、無事だったんですね! っていうか、一昔前のコントみたいな典型的なボロボロぶりですけど、大丈夫っすか!? 儀間の野郎は……!?」

 ヴぇーっ゛ほ! とお約束のように野太く咳き込んだ西塘は、それでもキラリと歯を輝かせると、さわやかに笑った。

「そのひゃんの力は、悪の力には屈しない……!」

 輝く眩しいスターオーラに、アカハチもマツーもほっ、と息をつく。アカハチが椅子をすすめると、西塘は崩れ落ちるように座った。マツーが大急ぎで持ってきたティーカップの中身を一息に飲み干すと、美しい顔にようやく血の気が戻ってきた。

「戦いには勝った……。だが、儀間の力があんなにも増大しているとは予想外だった。それほどまでにあやつの傷は深いのか……」

 苦悩に満ちた西塘の表情に、アカハチは何かを感じ取る。

「あの、西塘さんは儀間の野郎のこと……?」

「ああ、よく知っている……」

 どこかでポロン、と哀しげなピアノの音が響いた気がした。

「儀間は……昔は農業に従事する誠実な男だった……」

 西塘が遠い目で彼方を見やる。

「だが、あるとき儀間は知ってしまったのだ。『芋』……我らがかつて『イモ』と呼んでいたヤマイモよりも、はるかに甘く、やわらかく、おいしいその作物の存在を。

 その事実を知った儀間は、大陸から芋を持ちかえった野国総管の研究農場に忍び込み、種芋を盗んで逃げた……」

 アカハチの瞼に、闇の中を疾走する儀間の姿が浮かんだ。盗人を探すサーチライト、吠えたてるドーベルマン、儀間の懐に大切そうに抱かれた一本の芋……。

「もちろん、逃げ切れるものではない。種芋を盗んだ罪で、あやつは十九年間も投獄されてしまったのだ……」

「そんな! たった一本の芋を盗んだだけで……」

 目に涙を浮かべるマツーの前で、西塘は首を振る。

「哀しいことだ。あやつは、痩せたリウクーの大地を覆う緑、餓えることの無い民の笑顔を夢見ただけなのだ……。芋だけではない。あやつが導入した綿布や製糖の技術……。あやつは確かにリウクーの農業の立役者であるのに、芋のせいで人生を狂わされ、投獄されていた時に受けた痛みを他者に対して転嫁する芋の下僕になってしまったのだ……」

 西塘は目を伏せ、震える声で呟いた。

「頼む。今や芋はこのリウクーを代表する作物となった。だが、あやつの心は折れたままだ。かつてあやつが夢見たように、芋の力で人々を笑顔にしてやってくれ……!」

 長い衣の膝で握りしめたすべらかな拳が小刻みに震え、涙が一粒落ちるのが見えた。その様子を見守るアカハチの胸にも、今や熱いものがこみ上げていた。

「俺、知らなかった……。俺たちが気軽に食べている芋にそんな歴史があったなんて……」

 涙をこぼすマツーの横で、アカハチは西塘の手をがっしりと握りしめる。

「俺、頑張ります! 最高のスイートポテトを作って、沢山の人を笑顔にしてみせますから……!」


 ──そうして。涙をこらえる西塘に見送られながら、アカハチとマツーはついに初日の劇場に向かったのである。

 尚 Holdings Inc.本社──通称・シュリ城──の敷地を我が物顔で闊歩するバリケンの群れから、焼きたてのスイートポテトが詰まった紙袋を庇いつつ、アカハチとマツーは午後の街を行く。

 幸い、スマートフォンの地図によれば、劇場は城のすぐ近くのはずであった。

 だが……。

「おいマツー……なんかスマホのコンパスがぐるぐる回ってんだけど?」

「またまたあ。回ってるのはアカハチの目じゃないの?」

 くねくねした道をまた一つ曲がった時、アカハチはもう一つ悲鳴を上げる。

「うあ! 画面がパチン、ってなった! 怖えよ、いやマジで!」

「おまえはこういう時、怖がりなんだよねえ。僕はマジムンもスダマも怖くないもの」

 気楽な調子でマツーが答える間にも、少しづつ地面が歪んで行くのであった。

 いつも吸っている空気がほんの少しだけ濃くなり、いつもの太陽がほんの少しだけ違った色になり……。二人は今、別の世界(アナザーワールド)に足を踏み入れようとしているのかもしれなかった。

 やがて、とある建物の前で二人の足が止まる。 

「……おいおい。ホントにここなのかよ?」

 手の中のスマートフォンの画面と、目の前の建物を見比べるアカハチが気まずそうにマツーを見やる。

「間違いないよ。だってほら、建物に“劇場”って書いてあるじゃない」

 曇りの無いマツーの瞳に、アカハチは言葉を飲み込んだ。

 アカハチの目の前にあるのは、確かにその地区の名前を冠した“劇場”なのではあるが……。入り口付近に張られた、何枚ものポスターにちらっ、と目をやってから、アカハチは呟く。

「この“劇場”って……」

 古びた劇場の壁からは、セクシーな……いや、セクシーすぎる女たちのポスターが妖しい色気を発散しているのだった。

「どうしたのさアカハチ、行こうよ。早めに来たんだから、ちゃんとご挨拶しよう」

 アカハチのシャツを引くマツーが建物に足を踏み入れようとした、その時……。

 午後の日が差し始めていた街角に、光が満ちた。

「うわ、眩しい!」

「えっ……何が起きてるの……!?」

 驚きに身をすくませた二人の耳に、音楽が弾けた。


♪ パー パッパッパ パッパ パラッーパー (x2)♪

♪ パー パッパッパ パラッパ パラッパ― パラッパ― ♪


「なっ……なんなの、このSYOWA臭がする音楽?」

「何だ……? ベタなメロディーなのに、ハートがビートにFall(ふぉー) in(りん) Love(らぶ)……!?」


 目を差すような眩い光に耐え、なんとか見つめるその先で、古びた劇場全体が眩い光に包まれていた。内側から輝くような、七色の光……そう、それは……。

 アカハチも、マツーもついに驚きの声を上げていた。

 目の前の劇場が、一層眩しく輝いた。スパンコールの光と、ラインストーンの煌めきが、しゃらしゃらと夢のような音ではじけながら、古びた壁を、建物を撫でていった。

 そして──

 そして────。

「ああ……」

「これが……俺たちの愛と夢と希望の(キャッスル)……!」

 雲のように湧き出た真っ白なスモークが古びた劇場を包み、そして引かれた紗幕のように消えたとき──劇場は、文字通り変身していた。

 まるでおとぎの国の城のように、真っ白な壁を持つ美しい建物に。

 いくつもの赤いドームを頂いた、誰もが夢見る大きな劇場に。

 そして──

 ぱっ、と電飾がついた。

 眩いライトに照らし出された劇場の入り口に、誰もを圧倒する大きな階段が現れていた。その上には、煌びやかな衣装を纏った数十人の男女が勢ぞろいしている。

 男は目にも眩しい鮮やかな色のハチマチに琉装姿。

 女は豪奢な花笠を目深に被り、紅型の織りなす鮮やかな彩が煌めいていた。

 そして大きな階段の中腹では、内側から光を放つ巨大な黄金の花笠がゆっくりと回っているのだった。

 呆気に取られて立ち尽くすアカハチとマツーの前で、美しい男女がゆったりとした民謡の音に合わせて、優美に踊り始める。

 ──イヤ サッサ ハイヤ ハイヤ サッサ……

 遠くから柔らかに聞こえてくる伝統的な掛け声に、アカハチの頭がぽんわりとする。

 「ああ……これぞリウクーって感じ……」

 魅せられたような目をしてアカハチが呟いた、その時……。


 ♪ヂャッ  

   ヂャッ

   ヂャヂャヂャ ヂャッ ♪


 ほんの少しだけレトロな感じのロック調の音楽が、大ボリュームで空気を貫いた。

 息を飲んだ二人が大きな階段を見つめる前で、男女が音楽に合わせて次々と格好良くポーズを決める。そしてその度に、ライトがドラマティックに色を変えた。

「ま……まさか、このノリは……!?」

 その瞬間、階段の真ん中の花笠のセットが、真っ二つに割れた。

「あっ……あれは……!!」

 マツーとアカハチが目を声を合わせた瞬間、煌びやかな男女が高らかに叫んだ。

「リウクーーーー!」

 マックスに弾ける照明の光の中で、掛け声と共に男女が一斉にハチマチと花笠を舞台袖に放り投げる。乱舞する極彩色の中、花笠のセットの真ん中で、スパンコールを散りばめた衣装を着た男が颯爽と振り返り、言った。

「Ready to Rekio ?」

「キャアアアーー!!」

 黄色い声で叫ぶアカハチとマツーの前で、煌びやかなオープニングレビューが展開してゆく。


 男が颯爽と大きな階段を下りてくる間に、空中から七色の光を放つミラーボールが現れる。どんな仕掛けがあるものか、階段の上で優美なポーズを取った男女の伝統的な着物も、さっ……と舞台袖に消えて行き、その下から格好いい燕尾とドレスの姿が現れる。


Rekio Prince (ソロ):

『♪ Listen to my heart beat

  ♪ Look well at our truth  

   ♪ 見つめて欲しい 僕たちの ho n to の姿 ♪』


 ちょっとだけSYOWA臭がする歌に、アカハチの心が揺さぶられる。そんな観客の心を見越したように、輝く衣装の男は手持ちマイクで歌いながら階段を颯爽と下り切ると、胸の前で手を組み合わせて目をキラキラさせるアカハチとマツーの目の前に立った。後ろでは煌びやかな紳士淑女が激しいペアダンスを繰り広げている。


Rekio Prince (ソロ):

『♪ 琉装だけじゃない 

  ♪ 花笠だけじゃない

   ♪ カンプーと ハチマチのKABE 超えた Se ka i』 


 一本釣りをするかのようにもう一つウインクを投げてから、男は朗々と歌いながら舞台の上を移動する。


Rekio Prince (ソロ):

『♪ 誰も知らない 過去の(dream) ~ 

  ♪ 自由(Free)な 翼 ひろげよ ~  

  ((チャラチャチャ―♪ ※次サビ))


♪ Go ka i だらけのリーウクー ♪ 

♪ Yu meをみましょう リーウクー ♪

♪ すべては 夢のAwamori(※ここ裏声) ♪

♪ Awamoriの 夢の中で  ♪』


 音楽が最高潮に盛り上がり、アカハチもマツーも、いつの間にか手拍子をしながら舞台を見つめていた。普通はそろそろドラマティックな締めの音楽が鳴り、暗転から場面転換となるところなのだが……。

「さあ行こう! 私の創る夢の世界へ、一緒に……!」

 歌うスパンコール衣装の男が、煌びやかな微笑みと共にマツーに手を差し伸べていた。

 目をハートにしたマツーが、震える手を差し出す。

「だめだマツー! スターさんが客にそういうことをする時は、大抵はイジリだぞ!」

 だが、素直に伸ばされたマツーの手を、スター……歌うスパンコール衣装の男はふんわりと握ると、ぐい、と引っ張った。

 その瞬間、世界がスローモーションで動き始めた。

 ぐにゃあ、と歪んだ煌びやかな舞台……輝く微笑みの、歌うスパンコール衣装の男……熱に浮かされたように手を引かれるマツー……。

 そして、遠くであの音楽がやさしく、蕩かすように歌っていた。そう── “♪ Awamoriの、泡の中で──”……。

 世界が再び眩い白い光に包まれ、アカハチの視界が回りだす。 

 そう、全てはAwamoriの夢の中で──。



「──…… はっ!」

 ぱち、と目を開いたアカハチの視界に、真紅の地面が飛び込んできた。

「うわっ、血!? 血みどろの地面的なっ!?」

 ぽか、と漫画のような音がした。

「ちがうよう。よく見て、カーペットだよ、レッドカーペット。落ち着こうね、アカハチ」

 そういうマツーの声もひどく困惑している。そろそろと起き上がりながら問いかけるような視線を投げると、マツーは眉をひそめて首を振った。

「僕もよくわからないんだ。でも、ここって劇場の中……だよね?」

 ぺたん、とカーペットの床に座り込むマツーの横で、アカハチも視線を巡らせる。ほんの少し籠ったような空気と薄暗い廊下……。視線の先には、等間隔に並ぶ両開きの扉や、数人掛けのベンチ、それに空っぽのチラシのラックやらが見えていた。だが、そこにせわしなく行きかうはずの観客の姿はどこにもない。

 ──無人の劇場。二人はそのがらんどうの空間に放り出されていたのだった。

 マジムンもスダマも怖くない、などと豪語していたマツーの顔も、ほんの少し青ざめている。そんな親友を鼓舞するように、アカハチはわざと明るい声で言い放った。

「おー、すっげえなあ! 俺たちタダで劇場に入っちゃったぜ! こんな機会はなかなかないからな! オーケストラピットで踊ったり、照明室に侵入してライトつけまくったりしようぜ!」

 自分を気づかってわざとそんなことを言っているのを察したのか、マツーの顔に淡い笑顔が戻る。

 と……。

「馬鹿者ーッ!!」

 よく通る声が静まり返った劇場の空気を切り裂いた。

 吃驚して顔を上げた二人の視線の先に……奇妙な物が……いや、人が……いた。

「神聖なる! 劇場で! 生半可に! 遊ぼうとは! 言語道断!」

 言葉の一区切りごとに不思議なポーズを決めたその男は、びしい、と人差し指を二人に突きつけた。

「この激性☆踊奉行 チョークン・タマグスクの魂のダンスを くらえくらえくらえ!」

 ハイテンションな声に、マツーが喜んでいるのか怯えているのか分からない複雑な悲鳴を上げる。

「うわあチョークンさんだよう!」

 その悲鳴に合わせるように、男──チョークン──はくるくると回りながら遠くからこちらに向けて移動してきた。

「おおお、華麗なるシェネ・シェネ・シェネ……からの溜めなしのグランジュテ……ってうわああ!」

 チョークンが信じられない高さに跳躍し、着物のスリットから突き出たタイツの足を百八十度に開脚したまま飛びかかってくる。必死のアカハチがマツーを庇おうとした時、二人の前を颯爽と横切る影があった。

 影は宙に踊ったチョークンの腰のあたりをがっしりとホールドすると、そのままふわりと宙を泳がせ、くるりと体の向きを変えさせて止まる。

「すごい……なんて優美な二人の男のパ・ド・ドゥ……!」

 マツーが再び、ぽんわりした目で両手を組み合わせている。しかし、たった今展開された優雅な舞はどこへやら、二人の男は組み合わされた手足を弾かれたようにほどくと、ぽかぽかと殴り合いを始めた。

「朝薫! 劇場内でお客様に暴力行為を働くなと、あれほど言っただろう! 次バレたら上演禁止を食らうのだぞ!」

「ウルサイウルサイウルサイ! サイオンは口ウルサイ! 私の燃えたぎる踊奉行の血を止められると思うな思うな思うな!」

 ぽかぽか、ぽかぽか……。漫画のような殴り合いは止まりそうにもない。

「あの……スイートポテト、食いませんか? ほら、腹減ってると苛々するし……ね?」

 おずおずと発したアカハチの声に、朝薫(チョークン)の拳がぴた、と止まる。

「食べる」

 短く言い切った朝薫は、すたすたとアカハチに近づいてくると、ぐい、と手を伸ばした。

「スイートポテト。食べる」

 アカハチは思わずあとじさる。朝薫の目は、餓えた獣のようにギラギラと輝いていた。

「こら、朝薫!」

 すかさず朝薫の頭を押さえこんだのは、殴り合いの片割れの蔡温である。

「すまないね、こやつ、初日を控えて気が立っているのだ。あと十日もないのに、ちょっとしたトラブルがあってね……。そんな中、さっきオープニングレビューを丸々一曲歌って踊ってしまったものだから……」

「えっ、初日まで十日もないって、今日が初日じゃないんですか!?」

「えっ、やっぱりさっき大きな階段の真ん中で歌って踊ってたのって、朝薫さんだったんですか!?」

 スイートポテトの紙袋に手を伸ばそうとする朝薫を羽交い絞めにしながら、蔡温は二人の質問に冷静に答える。

「まずはオープニングレビューで歌い踊っていたのは“役名:Rekio Prince”であってそれ以上でもそれ以下でもない。そういうものなので追及してはいけないよ」

「はあ……」

「そして今日は初日ではない。初日は九日後……」

 みるみる泣きそうな顔になったマツーの様子に、蔡温は何かを察したらしかった。

「まさか……」

 こくん、と頷いたマツーはナップザックから出したチケット封筒を差し出す。中身を確かめた蔡温の額に、ぴきい、と青筋が立った。

「……朝薫~っ!」

 血糖値が下がってしまっているのか、虚ろな目をした朝薫の襟元を捕まえると、蔡温はキレた。

「あれほど誤植のチケットは回収したか確認したのに! お前というやつはっ……!」

「ウルサイウルサイウルサイ! “1日”も“10日”も一緒だ!」

「全然違うわ!」

 再びひとしきり殴り合ってから、蔡温はすまなそうに頭を下げた。

「本当に申し訳ない。実は今回、この朝薫がホログラムPP張りレインボー箔押し遊び紙付エンボス加工のチケットを作るんだと言いだしてね……」

「それくらいしてもいいと思ったのだ! 何たって記念すべき<新演出版>だから!」

 ぎゅむ、と朝薫の口を捻り上げてから、蔡温は続ける。

「しかし、私は印刷のことは分からない。資金繰りや挨拶回りにも忙しく、仕方なしに尚敬様に監督をお願いしていたのだが……」

「ほら見ろほら見ろほら見ろ! 私のせいじゃないぞショーケーさまがちゃんと監督してないのが悪い!」

 ぎゅむぎゅむ、ともう一度朝薫を黙らせると、蔡温は大きなため息をついた。

「出来上がった初日分のチケットには正しい“10日”ではなく“1日”と印刷されていた。もちろんすぐに刷り直して差し替えた……と思っていたのだが……」

 はああ……と蔡温はもう一つ息をついた。

「君たちには古い方を送ってしまったようだ。せっかく本島まで来てもらったのに申し訳ない。もちろん代替のチケットは用意させて頂くし、こやつの俸給から君たちの足代も出させるから……」

 疲れたような蔡温の声に、マツーが必死で首を振った。

「ううん、いいんです、蔡温さん! 僕、こうやってオフの日の劇場に入って、伝説の朝薫さんとお話できただけでも本当に嬉しいんです。それに多分、他の日は来られないし……」

 そう言ってマツーは顔を曇らせると俯いた。

 ──そう。島の人気菓子店の店長であるマツーは、文字通り「万事お繰り合わせの上」この旅のスケジュールを空けてきたのだ。今は弟のナレトとナレカに店を任せているものの、あと一週間もすれば菓子店の繁忙期が始まる。代わりの日に来ることは……出来そうになかった。

 今にも泣きそうなマツーを見やると、蔡温は誠実そうな顔をもっと誠実そうにした。そして、蔡温に抑え込まれた朝薫はといえば、空腹のためか獣のような唸り声を上げている。

「とにかく、少し待っていなさい。ああ、そうだ、劇場の中を自由に見てくれて構わないよ。その間になんとか代わりの方法を考えるから」

 蔡温が、腕の中で唸り続ける朝薫を引きずって行く。

「スイートポテト! 食べる! ポテト! スイート!」

 ぎゃあぎゃあ、と叫び続ける朝薫に、マツーはそっとスイートポテトの詰まった袋を持たせてやった。とたんにぴたり、と騒ぎが止まる。

 紙袋の中に手を突っ込む朝薫を引きずり去って行く蔡温を見送りながら、アカハチとマツーは再び静かになった劇場に立ち尽くしていた。



「なあマツー……。あんまり気ぃ落とすなよ?」

 じっと俯いたままの親友に、アカハチはおずおずと声を掛けた。

「気分直しに、インターナショナルアベニューにでも行くか? オモシロ台詞の書いてあるTシャツとか冷やかすか?」

 ふるふる、と首を振るマツーの背中を、アカハチは無言でさすってやるしかなかった。

 やがて、小さな光取りの窓から覗く陽がほんの少し傾いた頃、マツーは静かに顔を上げた。

 乾きかけた涙をぐい、と親指でぬぐってやると、マツーはバツの悪そうな顔をして、それから笑った。

「……なんだよ」

 屈託の無い笑みがまぶしくて、アカハチはわざと機嫌の悪い声を作る。

「そうだね、気分直しもいいよね」

 アカハチの戸惑いなどお構いなしに、マツーは伸びをすると、いちに、いちに、とアキレス腱を伸ばしたり、腕を振ったりしてストレッチを始めた。

「おい、がっかりしすぎておかしくなったのかよ?」

 心配そうに声を掛けた親友に、マツーはいたずらっぽい笑みを返した。

「悔しいから、僕もオーケストラピットで踊ったり、照明室に侵入してライトつけまくったりしてやる!」

 一瞬ぽかん、としたアカハチは、やる気まんまんのマツーの瞳をまじまじと覗き込んで、ぷ、と吹き出す。

「そうだな! それくらいしても罰は当たんねえだろ! よっしゃマツー、行くぞ!」

「うん!」

 静まり返った劇場の空気を二人の笑い声がさざ波のように揺らした。アカハチの力強い腕が、重い両開きのドアを開ける。その向こうに広がるのは、数千の座席を持つ無限の客席──。



「わあー! ひゃはー!」

 楽しそうな叫び声を上げながら、マツーが大きな劇場の通路を一直線に舞台に向かって駆けてゆく。

 アカハチも負けじと、一階席後方の音響席にどっかりと腰かけ、パチ! ポチ! とありとあらゆるスイッチをいじくり回した。その中のどれかが当たりだったのだろう、一階席の前方から本舞台にかけてを、うっすらと優しい照明が照らし出す。

「アカハチぃー! ほら見てー!」

 弾んだ声に目を向ければ、マツーが客席の最前列の座席の上に立ってこちらに両手を振っている。

「あっ、ずりいぞ! 最前列センターに陣取りやがったな!」

 アカハチも真紅のカーペットが引かれた客席の通路を、ばん! ばん! と両脇の座席の背を叩きながら走る。びろうどのような手触りに、アカハチの心は浮き立つ。

「ほら! おまえも座ってみなよ! すごいよ!」

 ようやく辿り着いた劇場の最前列では、マツーが興奮した様子で座席の上で跳ねている。すぐ横の座席に腰かけたアカハチも、思わず感嘆の声を上げた。

「っわー……すげえな! エプロンステージが目の前だな!」

「それにオーケストラピットもすぐそこだよ! ああ、この席ならスターさんにさわれちゃうんじゃないかしら」

 そりゃだめだろ、摘まみだされるぞ、と小突くアカハチを、冗談だよう、とマツーが笑いながら小突き返す。

 テンションが上がりすぎてしまったのだろうか、マツーはやにわに座席からぴょん、と立ち上がると、エプロンステージによじ登り始めた。

「おい、さすがにそれはまずくねえか!?」

 なんだよう、と口を尖らせたマツーが振り返る。

「僕、蔡温さんの許可とってるもの。言ってたよね、『劇場の中を自由に見てくれて構わない』って!」

 これ、ホントにやったら即出禁、いや、それだけじゃ済まないよなあ……と思いながらも、アカハチも後に続く。

「ああ、確かに言ってたな! それに俺たち、ちゃんと靴脱いで上がったし!」

「そうだよう!」

 わあー! ひゃはー! と再び歓声を上げながら、マツーがエプロンステージを走り抜けて行く。笑いながら追いかけるアカハチも、やがて息を切らして本舞台の真ん中にたどり着いた。

 上演期間ではないからだろうか、緞帳は上がったままで、舞台の上はがらんどうだった。広大な空間に、アカハチとマツーは客席を見つめながら立ち尽くす。

「広いや……」

「ああ……」

 薄闇の中で、誰も座っていない数千の客席の赤い背もたれが、静かに舞台の上の二人を見守っていた。マツーは魅せられたような瞳で、やはり無人の二階席を見やる。

「この劇場で観るレキオ・ドラマティカ 燃ゆるKATSUREN城 <新演出版> (全二幕)……きっと素敵だったんだろうね……」

「マツー……」

 傍らで呟く親友に、アカハチは何と声を掛けてやって良いか分からなかった。毎年の“新春お茶の間Cho-coon”を楽しみにしていたマツー、劇場に来るための休みをもぎ取るために、こっそり通信販売で買いためていた公演パンフレットやDVDを見せながら、必死に家族や従業員を説得していたマツー……初めての生の舞台の観劇を前に、何日も前から寝不足になっていた親友に掛けてやる言葉など、アカハチは知らなかった。

 それでも親友の肩に手を伸ばそうとした時、マツーの口から一節の歌がこぼれた。

「──“Like the sky of Isyanagi”……,」

 その歌声に、懐かしい思い出がアカハチの脳裏に弾ける。

「お、なっつかしいなそれ! お前、まだ歌えるんだ、その歌?」

 もちろんさ、とマツーは笑う。

「石垣先生に嫌って程仕込まれたもの。懐かしいよね、中学の時の英語劇」

 それは二人がまだ中学生だったころ、二人の通っていた学校の文化祭で上演された英語劇の劇中歌だった。

「ああ、懐かしいな、”Musical Red Bee –Love and Death of the Rebel Hero -“……。演出は英語教師の永将先生でな」

 マツーも苦笑いを返す。

「“外国語を覚えるには歌が一番!”が口癖だったもんね。石垣先生は宣教師仕込みの本物のバイリンガルだったから、発音にすっごく厳しかった。おかげで僕、英語はからきしだめだけど、この歌だけはネイティブっぽく歌えるんだ」

 遠くの思い出を見つめながら、マツーは再び歌を紡ぐ。

「──“Like the sky of Isyanagi, like the sea of Patiroma, you are my love, my Red Bee”……」

 アカハチの脳裏に、可憐な姫の衣装を着て、体育館のステージの上で歌うマツーの姿が蘇る。最初はクラスの女子生徒に決まっていたのが、急な食中毒で代役を立てることになり、ヒロイン役に白羽の矢が立ったマツー。

 最初は「女の子の役なんて」と嫌がっていたのが、衣装をつけた途端に何かが降りてきたように神々しく変身した親友。「声変わりしても七オクターブ」と評判だったマツーの美声がこれ以上は無いほどに生かされた役・プリンセス・クイーツァ。

 ”Musical Red Bee –Love and Death of the Rebel Hero– “……それは革命のヒーロー・Red Beeと彼を想うクイーツァ姫との哀しき恋のミュージカルだった。

 隣国の将・トミャーソネ=スラッビュゥーとの激しき覇権争い、七つの海を股に掛ける海賊・ポンガァラ(実はRed Beeの弟)との友情、クイーツァの狡猾な兄・ナダ=フスィーの暗躍……様々な想いを抱える登場人物たちの思惑が絡み合い、複雑な愛憎模様を描きだす物語。中学生の英語劇にしては甘く切ないその物語を、アカハチもマツーもどんなに愛していたことだろう。

 愛するRed Beeを思ってクイーツァ姫が歌い上げるソロ“My Love, My Red Bee”は珠玉のナンバーで、文化祭が終わってからもアカハチは長いこと口ずさんでいたものだった。

 その美しいアリアが、今再び光の雨になって劇場に降り注いでいた。

 歌い続けるマツーの両腕がまるであの文化祭の日のようにゆっくりと上がり、客席を抱かんばかりに開いてゆく。

「“My Love, My Red Bee ------……”!」

 あの日の満員の体育館の客席。鳴りやまない拍手と歓声。舞台の熱狂──あの日、マツーもアカハチも、舞台の魔法にかかっていた。あの瞬間、マツーは確かにクイーツァ姫で、背景の木の役だったアカハチは感動に打ち震えていた。懐かしいソロを歌いあげたマツーもまた、あの日の熱気を思い出しているに違いなかった。

 いないはずの観客の喝采を聞きながら、アカハチとマツーは無人の観客を眩しそうに見つめ続けた。

 喝采、喝采、喝采──舞台の魔法。遥か遠くの懐かしい日々の、夢のようなあの瞬間……。

「ふふ……なんだか、懐かしくなっちゃったね」

 照れ隠しに笑ったマツーにアカハチが答えようとした時、薄暗い客席から立ち上がった影があった。

「ブ……ブ……ブ……ブラヴァーー!!」

 真っ暗な客席に爆竹のような拍手が響き渡る。

「尚敬様落ち着いてください! あれは男です! ブラ()ーです!」 

 離せえええ! と叫びながら舞台に突進してきた人影は、そのままエプロンステージの上に跳躍すると、ブリッジを爆走しながらアカハチとマツーが立ち尽くす本舞台に駆けてきた。

「わあ、熱狂的なやばい(ファン)だよう!」

 怯えるマツーをアカハチは後ろに庇う。

「俺のガードを越えられると思うな! ファンの自主ルールは甘くないぜ!」

 突進してくる男は止まる様子すらない。これは血を見るか……? アカハチがそう覚悟して拳を握りしめた瞬間……舞台の中央で、男の姿がいきなり消えた。

「わあー…………ぁぁ……ぁ」 

 尾を引く叫び声が深く、深くへと消えて行く。

 男は、アカハチとマツーが恐る恐る覗き込んだ大ぜりの中に落ちていた。

 奈落に敷き詰められたクッションの上で、豪華な琉装の男がもがいている。

「尚敬様っ! ご無事ですかっ!?」

「あっ、蔡温さん!」

 声を掛けるマツーなど眼中にないかのように、蔡温が奈落の底に向かって必死に叫んでいる。

「はっ……蔡温? これはどういうことだろう、なぜ私は舞台の大ぜりの奈落に落ちているのかね?」

 奈落の闇の中で、男は心底驚いた様子できょろきょろとあたりを見回していた。その豹変ぶりにアカハチが少々引いた気持ちでいると、場違いな程明るい声が響き渡った。

「サイオンサイオンサイオン! 相変わらずサイオンは鈍い! ショーケー様は見境が無くなったのだ、いつものことだ! ショーケー様は歌姫舞姫に目が無い! 芸術の女神の降臨の前には正気を保っていられないのだサイオンは鈍いーっ!」

「朝薫っ! 貴様、ただの踊奉行のくせに三司官の私に向かって……っ!」

「踊奉行じゃありません~! ダンス奉行ですぅ~!」

「この減らず口がっ! スイートポテトを食べたら急にいつものテンションに戻りおって……!」

 そのままぽかぽかと殴り合いを始める二人に、マツーがおずおずと声を掛ける。

「あの……もしかして僕を助けようとして……?」

 ぴた、と殴り合いを止めると、朝薫はハイテンションに言い切った。

「もちろんもちろんそうさそうさそうさ! この劇場を知り尽くした私だからこそ出来たタイムリーでプレサイスな救出劇! ぽかっと口を開ける大ぜり! ぽふっ、と演者を受け止めるクッション! こんなことを絶妙のタイミングでできるのは……っ」

 ぱち! と指を鳴らしたチョークンが不思議なポーズを取る。そこに狙いすましたようにピンスポットが当たった。

「Theatre Cho-coon劇場総支配人 兼 作・演出 兼 踊奉行! 人呼んで(King's)(Dance)奉行! チョークン=タマグスクの他に誰がいるものかーーーー!!!!」

 ジャー……ン、とどこか古臭い効果音が鳴り、アカハチはなんとなく拍手をしないと悪い気持ちになった。それはマツーも同じらしかった。ぱちぱちぱち、と控えめな拍手が響く。

「はいっパラパラの拍手ありがとうございますもっとくれてもいいのよっ、次!」

 勝手に巻いた朝薫はくるり、とマツーに向き直る。

「ではそういうことだからヨローシク!」

「えっ……?」

 うろたえるマツーの肩を、目に星を一杯に浮かべた朝薫ががっしりと抱いた。

「“初日を直前に控えたとある劇場。わがままなプリマドンナはひょっこりティーカップから出てきたヤールーにびっくりして歌えない! チケットは完売、演出家のチョークンは大よわり。無事に初日の幕を開けることは出来るのか!? そんなとき、チョークンの前に天上の歌声を持つ新星が現れた。それは……”」

 そこで朝薫はぱちん、と斜めに手を合わせて鳴らすと、くるりとターンしてから言った。

「It’s you.」

 マツーの顔にじんわりと喜びが広がって行く。

「それって……」

「私は確信した! 君なら演じられる必ずあの大役を……! 君こそが、レキオ・ドラマティカ 燃ゆるKATSUREN城 <新演出版> (全二幕)の次世代のヒロイン、フミーァガリ、だーー!!」

 ジャーン、と再び効果音が鳴った。だが、今度はアカハチもまた、感動に震えるマツーと同じように胸を熱くしていた。

 朝薫は目を潤ませるマツーに向かって深く頷く。

「今日から君もこの劇場の一部だ! さあ私と目指そう、栄光のトップ☆エトワール…!」

 ぼふん、と頭から出た湯気でハチマチを吹き飛ばした蔡温が怒鳴る。

「こら朝薫! 勝手に代役を立てるな! いいか、まずは各方面に相談してから……」

 青筋を立ててがなり立てる蔡温に、朝薫はあかんべーをした。

「ウルサイ。サイオンキライ」

「なっ……貴様っ! 貴様のために、私がどれだけ苦労して今年度の予算を確保したと……っ」

 怒りのあまり顔を真っ白にした蔡温を無視して、朝薫は奈落の下に向かって叫ぶ。

「ショーケーさまー! そういうことで決定決定決定ですからから! 俸給はサイオンの分から引くってことで!」

「この馬鹿奉行がっ! 私の気持ちも知らないでっ!」

 またしてもぽかぽかと殴り合いがはじまった横で、アカハチとマツーは顔を見合わせる。

「おまえ、店はどうするんだよ」

「うん……でも僕、ちょっとだけ舞台に出てみたいかな……って。後で、電話でマイツ姉さんを説得するよ」

「……そっか」

「うん……」

 流れに任せることにした二人の前では、まだまだ続く殴り合い。

 こうして、ひょんなことからアカハチとマツーの劇場ライフが始まったのであった。



「ばかあっ!」

 バッチー……ン、と甚だしい音が響いた。

「ひどいわ、尚敬様……! この看板プリマドンナ・ナビ=オンナを差し置いて、どこの馬の骨とも知れない若造にフミーァガリ役をやらせるなんてっ……」

 違いますよ、と尚敬が途方に暮れたように首を振る。

「ダブルキャスト。今はやりのダブルキャストですよ。フミーァガリは後半の見せ場で男装シーンもある中性的な役ですからね。前々から男性キャストの起用もありなんじゃないか、とファンの間では言われていましたから、ね……?」

 楽屋では尚敬のおずおずとした説得が続いていた。

「あなたの歌声が戻るまでの、数公演だけですよ。それに、演者の健康を守るためにも、心身の不調時には手厚い対応を、という業界の意向も……」

 高慢な嘲り笑いが響いた。

「私に飽きたんでしょ、尚敬様? 私は所詮、あなたの気まぐれでスカウトされただけの、市井の歌い手なんだから」

 違いますよ! と尚敬は必死の抗議の声を上げる。

「違います。あなたがマンザモウで歌った時の神々しい姿、胸に深く刻まれています。アマミキヨが降臨したのかと、私の胸は高鳴った……!」

 懇願するように、尚敬がナビの傍らにひざまずく。

「どうか分かってください。これは経営的な戦略でもあるのです。芸術でお金を稼ぐには、時には苦渋の決断も……」

 ばかあ! という涙声。ぱちん、と再び平手の音。

 顔を覆って楽屋から走り出るナビを、尚敬が必死に追いかける。

「うわ……修羅場……」

 物影で声をひそめて囁くのはアカハチと、

「修羅場こそが物語の華! いいねいいねいいね、次の作品ではこういうシーンを入れよう!」

「いい加減に黙れ朝薫、少しは出資者(パトロン)に気を使え!」……朝薫と蔡温である。むにゅう、と朝薫の口をひねり上げた蔡温は、くるりとアカハチに向き直った。

「ここは私たちに任せて、君はマツー君の様子を見てきてあげなさい。才能があるとはいえ彼は素人同然。DVDのおかげでセリフも歌も入っているとはいえ、それは演じるとは別のことだ。ただでさえ稽古期間が短すぎるのだから……」

 真剣な面持ちで頷くと、アカハチは踵を返す。本番に向けて稽古が進む劇場の中には、どこか不穏な空気が漂っていた。いきなりの大抜擢、しかもずぶの素人──。ベテランも多い出演者の中には、快く思わない者もいるはずだった。

 時間がない──その制約の中で、マツーはすでに衣装を着け、本番さながらの舞台稽古を繰り返しているのだった。

 果たして、照明を絞った舞台の上には、フミーァガリの衣装を着けたマツーが一人で立ち尽くしていた。

「あれ……? 今日はケェンユー役の人とアマワリィー役の人がマンツーで付き合ってくれるはずじゃ……?」

 マツーは無言で首を振る。

「二人とも、たばこ吸ってくるって言って行っちゃった。僕があんまり出来ないから、うんざりしたのかな……」

 白い首をうなだれたマツーは、本物の悲劇の美姫、フミーァガリのように見えた。

「考えすぎだって。喫煙者ってのはそういうもんだ」

 そうかな……とマツーは小さな声で返す。

「僕だって分かってるよ。いくら美形で、舞台映えするスタイル良しで、よく通る綺麗な歌声の持ち主で、舞台経験が少ない割には台詞の滑舌が良くて、なにより華があったとしても、やっぱり僕は演者としては素人の天才パティシエだもの……」

 アカハチはそっとマツーの肩に手を置く。

「しみったれた顔すんなよ。お前を選んだ朝薫さんを信じろ。お前の憧れの舞台なんだろ? 笑えよ」

「無理だよ」

「ばーか。じゃあ、俺がアマワリィー役をやってやるから、お前ちゃんと笑うんだぞ」

アカハチは床に置いてあった台本を取り上げると、付箋と蛍光ペンのマーキングだらけの頁をぱらぱらとめくる。

「よし、こっから始めるぞ。

 “アマワリィー:『我らがKATSURENの民よ。さあ華やかに歌い踊ろう。この国の繁栄を祝うモウアシビをー!』” 

 ト書きもあるな……“アマワリィー、笑顔でフミーァガリに手を差し伸べる。最初は渋るフミーァガリ、やがて太陽のような笑みを浮かべてアマワリィーの手を取る”……ほらっ、マツー!」

 零れんばかりの笑顔のアカハチの手を、マツーが握り返す。返す言葉はすっかりフミーァガリのものだ。

「『アマワリィー、あなたは悪い人。あなたの太陽(ティダ)の笑顔は、私の凍てついた心を溶かしてしまう』……」

「ト書:『アマワリーとフミーァガリ、軽やかに踊る。幸せそうな二人を囃し立てる村人A~P。音楽。主題歌“燃ゆるKATSUREN城”の陽気なインストゥルメンタルアレンジ』……俺、踊れねえよ!」

 吹き出したマツーがアカハチの腰に手を回した。そのまま二人は、誰もいない舞台の上で素朴なステップを踏む。

 埃っぽい無人の舞台と、しん、と静まり返った劇場と……。やがてマツーの朗らかな笑いが弾けた。

「あははは……アカハチ、お前ほんとに踊れないんだね!」

「んだよ、せっかく人が練習に付き合ってやってるのに……」

 顔を上気させるアカハチの前で、ごめんごめん、とマツーは涙をぬぐいながら笑い続ける。

「ごめんね。僕が弱気になってたのが悪い。僕、頑張るよ。きっといい舞台にしてみせる」

 たのむぜ、とアカハチはマツーを小突いてやった。

「歌はいいけど、ちょっと台詞が棒読みだな。俺が見てやるから特訓しろよ」

 なんだい、とマツーが頬を膨らませ、やがて再び二人の笑いが弾ける。

 ──そして、その様子を物陰から見つめる影があった。

「このあと、ト書きはこう進むのさ……。

『エプロンステージの中央から本舞台を見つめるケェンユー。嫉妬に狂った姿』……」

 潜めた笑い声が、密やかに響いていた。

「後悔させてやる……この私を虚仮にしたことをな!」



 ──……只今より、三十分間の休憩となります。

   ごゆっくりおくつろぎください。

   なお、劇場売店は終演後は閉店となります。パンフレット、公演オリジナルグッズはお早目にお買い求めください。

   また、カフェNIDO-では公演特別メニューのご提供を……──







“ <今日の劇評> ~名作古典劇、華やかにBorn again.~


 Theater Cho-coon年末年始公演・レキオ・ドラマティカ 燃ゆるKATSUREN城 <新演出版> (全二幕)。

 1xxx年に初演され、度重なる再演を重ねてきた、Theater Cho-coonの看板作品ともいえる大作。今回の再演に「またか」と思った向きもあったであろうか。しかし、総合劇術監督の玉城朝薫は、誰もが知る物語に更なる大輪の花を咲かせることに成功した。

 振付・楽曲・衣装・演出だけでなくストーリーにも大幅な変更を加えた、新演出版の名に恥じない仕上がり。

 ちょっとワルだが憎めない海賊按司・アマワリィー役の亜次(あつぎ) 華那(かな)は三度目の同役への挑戦に相応しい安定の演技。宿敵・ゴサマリ(春央(はるなか) 真琉瑚(まるご))とのダンスシーンではキレのあるダンスで大スターの貫録を見せた。

 新進気鋭の二枚目スター・緒城(おしろ) (ゆう)は想いを秘めた悲劇の武将・ケェンユー役のスラリとした立ち姿で客席を魅了。切ない恋のナンバー“百度踏まれても”の情感あふれる歌声は客席の涙を誘った。

 しかし、特筆すべきは今回ヒロイン・フミーァガリ役に抜擢された天波(あまなみ)(ちゅう)音菜(おんな) 南美(なび)とのダブルキャスト)であろう。低音から高音までをのびやかに歌い上げるフレッシュな歌声に驚愕。華のある立ち姿と堂々とした演技に早くも大スターの片鱗を感じさせた。惜しむらくはダンスに研鑽の余地が感じられるところか。

 現代のシンデレラの成長に期待が止まらない華やかな舞台。シュリ・Theater Cho-coonにて来年1月x日まで上演。

(レキオスマ新聞・2xxx年 xx月xx日夕刊より)“



「いやあ……すごいっすね、絶賛じゃないすか」

 アカハチが薄暗い舞台袖で二日目の舞台を見つめていた時、蔡温がそっとその劇評を差し出してきた。息を詰めて一気に読み終えたアカハチは、震える手で新聞の切り抜きを返す。受け取る蔡温はしかし、厳しい顔で首を振った。

「それはどうかな。こういう劇評は、基本的にポジティブに書いてあるものだ。私たちの役目は、その行間から“本当の感想”を読み取り、舞台に活かしてゆくこと……。うわべの好評に慢心すれば、そこで全ての成長が止まるのだ」

 蔡温は鷹のような目を巡らせ、舞台袖の一角に視線を止める。そこには古びた背の高い本棚が据えられていた。せわしなく出演者たちが行き来する、薄暗い空間には不似合いなそれを、蔡温はじっと見つめた。

「ご覧、アカハチ君。あの本棚にはこの劇場が開場してから今まで上演されてきた幾多の作品の台本が詰まっている……」

 無言で本棚の前に進む蔡温をアカハチも追いかける。舞台から聞こえる真剣な演技の声を背に、蔡温は一冊の古びた台本を本棚から取り出した。

「この劇場の開場は十八世紀に遡る……。数百年の長きにわたって、歴代の玉城朝薫たちが命を賭けて作品を紡ぎ続けてきた」

 ぱらぱら、と長い指で頁を捲りながら蔡温は言葉を継ぐ。

「その中には、この“燃ゆるKATSUREN城”のように上演を重ね続ける名作もあれば、迷作・珍作・駄作の汚名を着せられ、闇に葬られて行った作品も数多ある……」

 ぱたん、と手の中の台本を閉じると、蔡温はアカハチを見つめた。

「演劇というものは難しい。作者が見せたいもの、お客様が観たいもの、演者が表現出来るもの。それに、その時代の感性……そのバランスが絶妙に噛み合った時にしか、真の名作は生まれない。過去にしがみつかず、流行に媚びず……私たちはいつも、その狭間で苦しみ続けなくてはならないのだ」

 大変なんっすね……と呟くアカハチに、蔡温はふ、と笑ってみせた。

「私はつくづくそれを思い知ったよ。昨年は、新しい感性を取り入れようと初めての脚本公募を行ったのだがね……」

 蔡温は遠い目をする。

「集まった作品が……なんと言うのだったか……そう、“転生もの”? とか“ハーレムもの”? とやらばかりでね……。理解できない私の感性が古すぎるのか、私が年寄りなのかと随分落ち込んだものだよ」

 蔡温さんはステキおじさんっすよ! と慰めるアカハチに、蔡温はダンディに微笑みかけた。

「それでも、私たちは苦しむことを選ぶのだ。作品創りに苦しみ、役者の短所は補い、長所を伸ばす。そうやって私たちはこの劇場を大きくしてきた。これからもそのつもりだ。いいかね、アカハチ君、」

 怪訝な顔で首を傾げるアカハチに、蔡温は真剣な声で続ける。

「朝薫はあんな奴だが、演出家としての力量は確かだ。これから何があっても、マツー君を支えてやってくれ。いいね?」

 その真剣な口ぶりには、異論を許さない強靭な何かがあった。アカハチは黙って頷くしかない。

「──幕が開いた以上、我々は走り抜けるしかない。役者が一番伸びる場所は板の上……。君もマツー君のポテンシャルを最大限に引き出せるよう、サポートしてやってくれ」

 いいね、と念を押す蔡温にアカハチは深く頷くのだった。

 二人の視線の先では、熱気あふれる舞台が展開している。レキオ・ドラマティカ 燃ゆるKATSUREN城は中盤に差しかかろうとしていた。



<第9場 ―KATSURENの城壁―>


 KATSUREN城の石の城壁のセット。背景には美しい満月が浮かぶ夜景の書き割り。白鷺のような純白のガウンをまとったフミーァガリ、城壁の端に立ち、月を見つめる。


フミーァガリ(台詞):「月よ、人の世を冷たく見下す無慈悲な月よ……。なぜ私はフミーァガリとして生まれ落ちてしまったのでしょう。どうか明日の朝までは夢を見させて。遠い過去に置き去りにした、懐かしい面影の」


 城壁のセットの下、茂みの中から変装をして城に忍び込んだケェンユーが現れる。女ものの着物をまとい、薄化粧をしたその姿はこの世のものとも思えぬほどに美しい。ベールのように担いだ花模様の衣がはらりとはだけ、面差しが覗く。ケェンユー、歌う。


ケェンユー(ソロ):『♪ 涙で曇る月の影 あなたの衣抱きしめる 遥か遠くの夢の中 咲き乱れる花の夢』


 懐かしい歌声に驚くフミーァガリ。城壁からケェンユーを見下す。


フミーァガリ(台詞):「ケェンユー、なぜ来たのですか。このKATSURENの城へ、なぜ」

ケェンユー(台詞):「それを私に聞くのですね、残酷な姫よ。あなたを誰よりも崇め、お慕いしてきた私に」


 気を失いそうな様子でよろめくフミーァガリ、それでも首を振り、続ける。


フミーァガリ(台詞):「ケェンユー、逃げてください。この城にはアマワリィーを守る数百の忍者が潜んでいます。あなたが殺されるところなど、私は見たくありません。さあ、逃げて!」

ケェンユー(台詞):「逃げてと口では言いながら、あなたの瞳が言っている……そばにいてくれ、と。 

 今こそ聞かせてください。私が死んだら、あなたは涙を流してくださるのですか?」

フミーァガリ(台詞):「……ケェンユー!」


 ──音楽。ケェンユーとフミーァガリの切ないデュエット「夢のホウセンカ(リプライズ)」



「ううう……やっぱり、“夢のホウセンカ”は名曲だぜ……」

 ボロボロと涙を流すアカハチの横には、いつの間にか朝薫が影のように立っていた。

「Yes…but No。マツーの声は美しいがスタミナに欠ける。“夢のホウセンカ”のコロラトゥーラにはもう少しクリアさも欲しい」

 不思議なことに、朝薫は薄暗い舞台袖にいる時だけは普通に喋ることが出来るらしかった。

「朝薫さんは要求が高すぎるんすよ! マツーはそもそも素人なんだし……」

「馬鹿者」

 低い声で言い放った朝薫の凄みに、アカハチは驚く。

「私の劇場ではそういう言い訳は受け付けない。素人だろうが玄人だろうが猫だろうが杓子だろうが、お金と時間を投資してくださるお客様には関係ない。演者として板に乗った以上はベストの上のさらにベストを尽くして、無限の夢を見せる。それが舞台だ」

 この人、いつもこんな感じならいいのに……とひとりごちるアカハチを尻目に、朝薫は雄弁に続ける。

「Theater Cho-coonに足を運んでくださるお客様の中には、演者を甘やかさない方々も多くいらっしゃる。そういうお客様に背を向けられたとき……劇場は死ぬ」


♪ ホウセンカ ホウセンカ あなたの指先 染めた日よ

♪ ホウセンカ ホウセンカ あなたの心も 染めてみたい ──


 甘く切ないフミーァガリとケェンユーの歌声が響く舞台を、朝薫は真剣に見つめ続ける。

 やがて曲が最高潮に盛り上がり、フェードアウトするとぼそりと呟いた。

「……終演後に、特訓だ」

 アカハチの非難がましい視線などお構いなしに、朝薫が毅然と去って行く。その背には、黒い炎が燃えていた。それは、舞台に生きる者の業の炎なのかもしれなかった。



「アカハチ……!」

 何度ものカーテンコールの後、舞台袖に掃けてきたマツーは親友の顔を認めて顔を輝かせる。だが、その太陽のような笑顔は瞬時に曇ってしまった。

「どしたんだよ。今日も大歓声だったじゃねえか」

「ううん。ラストのソロのファルセット、僕、声が濁ってた。あんなの僕じゃない。僕の歌声じゃない……」

「俺は全然分かんなかったって。気にしすぎだって」

 マツーは静かに首を振る。

「終わった途端、座席を蹴るみたいにして帰っちゃった人がいた。一度だけ振り返ったんだ、その人。嫌悪感で一杯の目をしてたよ」

「だから、気にしすぎだって。トイレ我慢してたか、モノレールの時間でも気にしてたんだろ、きっと」

 慰めの言葉に毅然と顔を上げたマツーの目には、見たこともないほど強い光が灯っていた。

「ありがとうアカハチ。でも、僕を甘やかさないで。僕、もっと高みを目指したいんだ。このTheater Cho-coonに相応しいプリマドンナとして……!」

「マツー……」

 ……お前の本業はパティシエだったんじゃ、という言葉をアカハチは寸前で飲み込む。

「そうだな。それが舞台に生きる者の矜持ってもんだ」

 と……二人の肩にずしりと手を掛けて、ぴょん、と天高く跳ね上がった者がいた。

「そうだそうだそうだ! 素晴らしい心掛けだ、ま宙/マツー! 終演後の特訓に自ら飛び込もうというその決意! 素晴らしいぞしいぞしいぞ! さあ始めるぞ全員での追加特訓アン・ドゥ・トロワ!」

 いつものテンションに戻った朝薫の特訓宣言に、周りの出演者たちが抗議の声を上げる。

「朝薫さん、さすがに勘弁してください。僕たち、夕ご飯もまだですし……」

「そうです~。労基に訴えるです~」

 アマワリィー役の亜次とケェンユー役の緒城がぶうぶうと言い立てる。

「バッかものーーーー!」

 ぴしゃあん、と朝薫の雷が落ちた。

「まずはアマワリィー役、そこに直れー!」

 蔡温が無言で主役の大スターを出演者の群れから押し出す。朝薫があの新聞の切り抜きを亜次の鼻先に突き出して、がなり立てる。

「この劇評はよく見抜いているぞ! アマワリィーはダンスよりも歌の比重が重い役! それなのに歌については一言も触れられていない! 行間に評者の本音がひしひしと伝わってくるぞくるぞくるぞ! お前は歌を特訓・特訓・大特訓、だー!!」

 びしい、と指差す朝薫の言葉に、アマワリィー役はぐうの音も出ない。

「次はお前だケェンユー役ー!」

 やめてです~、と次の犠牲者が引っ立てられてくる。

「目をかっぴらいてよく読め! ワード“立ち姿”と“情感あふれる”が出ているじゃないかー! 今回の場合、これは“見栄えはいいし一生懸命なんだけどねえ(以下略)”の同義語だー!!」

 そんなのこじつけですう~、と涙声で返すケェンユー役の顔面に新聞の切り抜きを押し付けると、朝薫はゆらり、とこちらを見た。その妖気にアカハチとマツーは思わず震えあがる。

「ま宙/マツーはもう自分でも分かっているようだが……」

 朝薫の声は、今までに聞いたことの無い、地鳴りのような響きをしていた。

「“フレッシュな”は初々しくてたどたどしい、つまり安定性に欠けるということ……。そしてダンスについては……」

 ぴしゃあああん、と朝薫の背後に白い稲妻が輝いた。

「今宵は私とダンスウィズミーオールナイト! 今宵は眠らせない!!(※特訓)☆彡 ・だーー!」

「無茶苦茶だよう! セクハラだよう!」

 朝薫のハイテンションなダメ出しに舞台袖が騒然となる。そこに「朝薫、ダメ出しは言葉を選べ、ハラスメントになってしまう!」と蔡温が加わったからたまらない。もう何度目になるか分からないぽかぽかの殴り合いが再び勃発してしまった。

「……あの~……、」

 喧噪の切れ間を狙って、アカハチはおずおずと声を掛ける。

「とりあえず、何か食いませんか? 腹減ってると、イライラするし、ね……?」

 そこで出演者一同の目がアカハチに降り注いだ。終演後の空腹の役者が全員一致で発した台詞は、「食べる」。



 Theater Cho-coonの内部には、出演者がいつでも食べ物をつまめるビュッフェコーナーがある。マツーの付き添いで劇場に残ったアカハチは、調理師免許を活かしてビュッフェコーナーで職を得ていた。

「まぁた、いつものサンドウィッチなのかしらぁ? 私、飽きてきちゃったわぁ!」

 高慢に発したのは、歌声が戻るまでは台詞のない役(※ショワタイキュワの妻)で出演しているナビ・オンナである。歌えないストレスと焦りからか、この高名なプリマドンナの態度は日に日に辛辣さを増してゆくようだった。

 ──チクショウ、あんたのためにホットデリとか色々作ってやってんじゃねえか! と心の中で叫びながらも、アカハチは笑ってみせる。

「今日はスペシャルっすよ」

 あらぁ、何かしらぁ、と言い放ちながらも、ナビは好奇心を隠しきれない様子だ。出演者たちがビュッフェコーナーの周りに集まったのを見計らって、アカハチはドーム型の銀のクロッシュを勿体つけて上げた。

「うわあ……!!」

 出演者たちの歓声が上がる。銀のトレイに整然と鎮座しているのは……。

「スイートポテトだ!」

 マツーが驚いたように言う。

「アカハチ、どうして……いや、どうやって!? これ、僕が作ったスイートポテトと寸分同じ、ううん、それよりもっとおいしそう……!?」

 目を丸くするマツーの様子に、アカハチは鼻高々だ。

「へへ、スイーツは俺の専門外なんだけどな。お前が差し入れに持ってきたスイートポテトは皆さんに食べてもらえなかっただろ? だから、俺が再現したんだ」

 すごい……と皆も目を丸くしている。

 桃色の(パナ)

 黄金色の(チィチィ)

 さわやかな水色の(ナミ)

 目に柔らかな緑色の(フゥシ)

 そして温かな橙色の太陽(ティダ)……。

 リウクーの美しい自然を象った一口大のスイートポテトが、純白の皿の舞台の上で宝石のように輝いていた。

「色は野菜由来で、合成着色料は使ってないっす。甘さ控えめ、生クリーム使用でのどごしもソフト」

 目をキラキラさせながら皿を差し出す演者たちに、アカハチはトングで一つずつスイートポテトを渡してやる。

「芋はすぐにエネルギーになるし、腹持ちもいいし。なにより甘くておいしいし。それに……」

 一しきりスイートポテトを配り終えると、アカハチは言葉を続ける。

「“公演が始まれば、出演者の皆さんは外に出るのもままならないから。劇場の中にいても、太陽とか月とか星とか……巡る自然を感じて欲しい。過酷な練習に耐えて素晴らしい舞台を創ってくださる皆さんの心を少しでも潤せたら……”、そんなマツー(こいつ)の思いがこもった菓子です」

 めいめいにスイートポテトを頬張る演者たちから、次々に感嘆の声が上がる。

「洗練されているけれど、どこか懐かしい味……」

 ナビが片頬を押さえる。

「温かみのある優しい甘さ……。そして、北山の自然のような雄大な味覚のハーモニー……」

 感心したような溜息をつくのは尚敬だ。

「ほら、お前も腹減ってんだろ」

 アカハチは太陽の形のスイートポテトをつまむと、マツーの開いた口に押し付けてやった。吃驚顔のマツーは目をぱちぱちさせて、もぐもぐと噛み、やがて上品に飲み込む。

「……おいしい!」

 ふふん、とアカハチは得意そうな声をもらした。

「お前のために、生クリームとはちみつの量、ちょっぴり増やしといた。喉にもいいだろ?」

「アカハチ……!」

「おい、なにウルウルしてんだよ?」

 静かにスイートポテトを噛みしめる蔡温が、しみじみと呟く。

「“お菓子に必要なのはまずは愛情”……か。ま宙、いやマツー、君は幸せ者だな」

 顔を真っ赤にしたマツーが蔡温に向き直る。

「なっ、なに言ってるんですか蔡温さん!」

「おいマツー、耳まで真っ赤だけどどした? だいじょぶか?」

「な、なんでもない! アカハチのばか!」

「ばかって何だよ、さっさと食って練習しろよ!」

 再び始まった騒ぎをかき混ぜるように、ハイテンションな踊奉行が高らかに宣言する。

「ポテトのおかげでチャージ完了! 今夜は朝まで総踊り、だー!!」

「「「頼むから寝かせてくれえーー!」」」

 悲壮な出演者たちの声が、劇場に響き渡った。


 ──その時。

 つんざくような女の悲鳴がほぐれた空気を切り裂いた。

「あの声は、たしか衣装係の……」

 緊張した視線が降り注ぐビュッフェコーナーの入り口に、顔を真っ青にした女が立っていた。膝が、がたがたと震えている。

「君、どうした」

 すかさず駆け寄った蔡温の胸に女は飛び込んで泣き始めた。

「衣装が……お衣装が……!」

「落ち着きなさい。ゆっくり息を吸ってから、話してごらん」

 女はすう、はあ、と深呼吸を繰り返してから、ようやく言った。

「私のせいじゃないんです! 終演後に皆さんの衣装を回収して、ちゃんとお手入れして、ハンガーにかけておいたんです。そうしたら……」

 蔡温が大人の包容力溢れる瞳で問いかけると、女は涙ながらに続けた。

「ちょっと目を離した隙に、お衣装が苔だらけになっていたんです! それに、自了先生に描いて頂いた書き割りも全部、緑色の苔に覆われて……! ああ、これじゃ明日の公演ができない、明日は尚Holdings Inc.主催の貸切観劇会なのに……!」

「苔……!?」

 蔡温が弾かれたように視線を向けた先で、朝薫も頷いていた。

「それだけじゃないはずだ。まだあるだろう」

 震える女は、ポケットから折りたたまれた紙片を差し出した。受け取る蔡温が、開いた紙片を低い声で読み上げる。

「“賽は投げられた”……」

 どこかで鐘が鳴り響く音が聞こえた気がした。それは万国津梁の鐘の音か、それとも……。

「誰かが、この公演を邪魔しようとしている。裏切り者(ブルータス)はこの中にいるのか、それとも……」

 呟く朝薫の声は、どこか空々しかった。まるで、その答えを知っているかのように。

 見えない鐘の音が鳴り続けていた。まるで、全ての終わりを告げるように──。


 

 終演後の特訓は、急遽取りやめになった。朝薫と蔡温、尚敬はまるで何かを知っているかのように頷き合うと、急ぎ足でどこかに消えた。

 取り残された出演者たちも、不穏な空気に動揺を隠せなかった。

「衣装が苔だらけってどういうことだ……」

 アマワリィー役の亜次が青ざめた顔で呟き、ケェンユー役の緒城は「じゃあ、明日は休演です~。休業補償もらうです~」などとうそぶいている。

 青い顔で俯くマツーに気付いたアカハチが、心配そうに声を掛ける。

「マツー、大丈夫か?」

 うっすらと唇を開いたマツーは、茫然とした口調で答えた。

「……苔。やっぱりあれも……?」

「おい、お前何か知ってるのか!?」

 茫然とマツーは首を振った。

「ありがちな新人いじめだと思ってたんだ。今朝楽屋入りした時、僕のスリッパのインソールに苔がびっしり生えてた。僕の椅子のクッションも苔に覆われていたんだ……」

「おい! なんで俺に言わなかったんだよ!」

「おまえに心配、かけたくなかったんだ!」

 言い合いになった親友同士に、いくつもの固い視線が降り注いでいた。

「おい……おまえら、何か変なことしたんじゃないだろうな」

 低い声でアマワリィー役の亜次が呟く。

「最初からおかしいと思ってたんだ、こんな大抜擢……お前ら、何を企んでいる?」

「おい……俺たちがやったって言いたいのかよ」

 アカハチもまた、声を低くして拳を握りしめていた。

 一触即発──その時、ぴしゃりと言い放った声があった。

「いい加減にしなさいあんたたち! これが舞台人のやることなの!?」

「ナビさん……」

 そこには、女王のように後光を放つナビ・オンナ、かつての劇場のプリマドンナが再びの光を取り戻して毅然と立っていた。

「ぐちゃぐちゃ言ってる暇があったら、苔を落とすのよ! こそげおとすのでも、除菌スプレーでもいい。私たちにできるのは、明日の舞台の幕を開けるために全力を尽くすことだけ。それが舞台人の矜持というものよ!」

 ナビの気迫に、出演者たちは静まり返り、弾かれたようにブッフェコーナーを出てゆく。衣裳室、大道具部屋──めいめいに、一心に自らの出来ることを探しに。

 その光景に、呆気に取られていたアカハチとマツーもようやく我に返る。

ありがとう(しかいとぅ)ございます(にいふぁいゆー)。おかげで俺たち、助かりました」

 深く頭を下げたアカハチとマツーが顔を上げると、ナビは泰然と言った。

「このくらい当然よ。私たちは舞台の神の踊り子であり歌い手。その神の御手のもとに、命を賭して戦うのみ──」

「ナビさん……!」

 声を合わせたアカハチとマツーの見つめる先で、ナビの背に眩い光背が宿っていた。

 舞台の奇跡──それは確かに起こるのだと、アカハチが信じ始めた瞬間だった。


 次の日の開演前には、かつてない高揚感と緊張が漂っていた。一睡もせずに衣装や大道具の苔を落とし、今日の舞台の幕を開けるために団結した出演者たち──その瞳には、なんとしてでも公演を続けるという決意が漲っていた。

 一時は険悪な雰囲気になっていたアマワリィー役の亜次は、開演前の舞台袖でマツーとアカハチに頭を下げた。

「疑ってすまなかった。この借りは、舞台で返す」

 そう短く言って颯爽と去って行く後ろ姿には、長きにわたってトップを張った大スターの貫録が滲んでいた。

「苔を落としていたらやる気が出てきたですう~。無心にできることって良いですう~」

 ケェンユー役の緒城は、やる気が出ているのかいないのか分からない口ぶりとは裏腹に、きらきらしたオーラを発しながら舞台に出て行った。

 そしてフミーァガリ役のマツーもまた、どこか吹っ切れたような透明感を纏うようになっていた。

「誰が何の目的で苔を撒いたかなんてわからない。僕たちが出来るのは、ただ一心に舞台を務めることだけ……!」

「マツー……」

 白い光を背負ったような眩しい姿に、アカハチは思わず目を細める。アカハチを安心させるように深く頷いて見せてから、マツーもまた開演直前の舞台の上へと向かった。

「……舞台というものは不思議だ。ある瞬間に、まるで弾けるように綺羅星が輝きはじめる」

 マツーを見送りながら緞帳の端を握りしめるアカハチに、蔡温が感慨深げに声を掛ける。

「言い古された言い回しだが、やはり神が降りることはあるのだ。“舞台の神”が……」

 その傍らには、見たことがないほど凛々しい顔をした朝薫も佇んでいた。

「追い詰められてこそ、役者は輝く。”The show must go on”……アカハチ、今日の舞台をよく見ておけ。これが本当の『神降臨』だ」


 そして、舞台の幕が開く──。


 緞帳が開くと同時に、満場の拍手が沸き起こる。そして続いたオープニングの “燃ゆるKATSUREN城”の出来栄えに、アカハチは息を飲んだ。舞台狭しと勢ぞろいした登場人物達の燃えるような瞳。そして、大ぜりから登場するアマワリィー……。後ろ姿でせり上がったアマワリィーの背中に、炎が燃えていた。それは、主役としての意地と決意の炎に違いなかった。

 盛り上がる音楽が頂点に達し、アマワリィーが颯爽と振り返る。まるで呼吸が一つになったかのように、客席がうねり、拍手が劇場を震わせる。


――“私が歌い伝えよう 遥かなレキオに燃えた 魂の物語を”


 もう空で歌えるほどに何度も聞いた主題歌のはずなのに、幕開きのアマワリィーのソロにアカハチの胸に熱いものが込み上げる。


――“奔り 愛し 全てを 手に入れる 野望と慈しみに 燃えた魂の物語を”


 アマワリィーが歌っている。アマワリィーが踊っている。続いてせり上がってきたのは凛々しい悲劇の武将・ケェンユー。そう、もう二人はビュッフェコーナーでスイートポテトを取り合っていた亜次と緒城、たばこコーナーで今週の漫画雑誌の内容について延々と喋っていた亜次と緒城ではない。二人は確かにアマワリィーとケェンユー、戦乱の時代を命を燃やして駆け抜けた二人の武将なのだ。

 凛々しい二人の男たちを切り裂く白い閃光は、戦乱の世を凛と生き抜いた王女・フミーァガリ。天から舞い降りた白鳥、海から沸き上がった夢幻の真珠の泡……。


――“私が見守る 遥かなレキオの 風が 太陽が 泣き叫ぶ 二つの魂 一つの光 引き割かれる心”


 舞台の上でスポットライトを浴びているのはマツーではない。それは、マツーの体を通して地上に降り立った天人の姿だ。


――“燃ゆる 燃ゆる 命 ただ一つ 燃ゆる 想いに 身を焼かれ (コーラス:Ah――)”


 舞台の上で、アマワリィーとケェンユー、フミーァガリが切なくも狂おしい三重奏を繰り広げ、舞い踊る。


アマワリィー(ソロ):『燃ゆるKATSUREN城ー』

ケェンユー(ソロ): 『燃ゆるKATSUREN城ー』

フミーァガリ(ソロ): 『燃ゆる Ahー,』

アマワリィー/ケェンユー/フミーァガリ(重唱):『KATSUREN城ー!』


コーラス:Ah― Ah― Ah― ……! 


 ──音楽、最高潮に盛り上がる。舞台暗転。出演者、はける。



「……マツー!」

 感極まった声を発するアカハチに向かって、マツーは切羽詰まった声で言う。

「感動してないで、お水! 早変わりも手伝って!」

「おうよ!」

 薄暗い舞台袖で、アカハチはビーズで飾られたペットボトルから飛び出たストローを、マツーにくわえさせてやる。幕前のショワタイキュワの芝居の間に、フミーアガリは娘時代への衣装替え。反対側の舞台袖でも、ケェンユーが必死で鬘と衣装を替えているはずだった。

 舞台からは戦乱のリウクーの情勢と、暗い策謀を語るショワタイキュワの声が聞こえてきている。


ショワタイキュワ(台詞):「戦乱のリウクー……。三山統一がなされたとはいえ、未だ国は乱れ、互いが互いの寝首を虎視眈々と狙い合っている……」


 薄闇の中で「あっ」と短い声が上がった。衣装を着替え終わり、先程まで着けていた腕輪を外そうとしていたマツーの顔が引きつっていた。焦ったあまりだろう、腕輪の金具が衣装に引っかかり、ぴっ、と大きな裂け目が口を開けていた。

 衣装係とマツーが真っ青になって互いを見やる。舞台からは芝居の声が朗々と続いていた。


ショワタイキュワ(台詞):「我が王権を盤石にするために、邪魔者は全て消した。後はあの海賊按司・アマワリィーをどうするかだが……」

 

 残る台詞はあと少し。フミーァガリ姿のマツーが震える息を漏らしたとき……アカハチがマツーの衣装の裾を大きくまくり上げた。

「わあ! なにするんだよう!!」

 びりびり、と派手な音が張りつめた空気を破った。

「裏から貼っときゃバレねえ! いいかマツー、白鳥はもがく足を絶対に客に見せるな!」

 養生テープの一巻きを手にしたアカハチが決然と言い放つ。傍らではテープを使って大道具から苔を落とし続けていた裏方スタッフたちが唖然としていた。

「駆け抜けろ! 何が起きても、俺が絶対にお前を助けてやるから!」

 マツーが潤んだ目でアカハチを見つめ、アカハチは深く頷き返す。

 もはやショワタイキュワは最後の台詞に差しかかろうとしていた。


ショワタイキュワ(台詞):「これが戦乱の世の習い。我が娘フミーァガリも私のために働けて嬉しかろう。くっくっく……はっはっは……はーっはっは」


 アカハチとしっかりと目を合わせたマツーもまた、頷いた。そのまま身をひるがえすと、光が満ちた舞台へと飛び出して行く。美しい彩鳥のように。太陽の下ではちきれんばかりに命を輝かせる、娘時代のフミーァガリとして。


 そのまま、舞台は緊迫した空気の中で進んで行った。

 フミーァガリとケェンユーの、無邪気な時代の終わりのシーンが始まる。高慢で素直になれない王女・フミーァガリと、身分の違いから想いをひた隠しにする若き従者・ケェンユー……。


<第三場 ―王宮の庭―>

 花畑の書き割りのセット。花の茂みの大道具。侍女たちがセットの影に隠れるフミーァガリ(娘時代)を探しているが、やがてあきらめて行ってしまう。得意げに舞台中央に出てくるフミーァガリ。


ケェンユー(台詞・声のみ):「フミーァガリ様! ショワタイキュワ様がお呼びです!」

 音楽。舞台上手からケェンユー登場。

フミーァガリ(台詞):「まあケェンユー! どうしてここが分かったの」

ケェンユー(台詞):「フミーァガリ様の行かれるところ、このケェンユーが全て存じ上げております。私はフミーァガリ様をお小さいころからずっと……見守っているのですから」

フミーァガリ(台詞):「まあ……いやなケェンユー。私はお父様にはお会いしたくありません。

きっとまた、あのお話……結婚のお話ですもの」

ケェンユー(台詞):「……」

フミーァガリ(台詞):「お父様はついに王様になられるという。かの英雄、ショワッハシィーから続く偉大な王統──その栄光の陰でどれだけの血が流されたことか。私は嫌です。お父様の王位を確かなものにするための政略結婚など」

ケェンユー(台詞):「フミーァガリ様……」


 音楽。ケェンユーとフミーァガリのデュエット「夢のホウセンカ」……。


 二人の甘い歌声の余韻を残しながら、舞台は進む。盆が回り、物語は次の場面へと移り行く。

 舞台袖で蔡温と朝薫が固唾を飲んで見守るのは、<第四場 ―KATSURENの荒くれboys―>だ。海賊からKATSUREN地方の按司にまでのし上がったアマワリィーが、アンサンブルの荒くれ男たちと格好いいソング&ダンスを展開する場面。

 舞台では、アマワリィーがアンサンブルたちが作った人間ピラミッドの天辺で朗々と「俺はアマワリィー・海賊按司」を歌い上げている。

 初演から人気の高いこの場面で、朝薫は今回、あえて振付の刷新と歌詞の変更に挑んだ。名作であればあるほど“新しさ”は常に危険と隣り合わせ……だからこそであろう、朝薫がこの場面での客席の反応に神経をとがらせるのも無理はなかった。

 今日の客席の反応は──鳴りやまない拍手と指笛。禁止されている掛け声まで飛んでいた。両手で顔を覆った朝薫の震える肩を、蔡温がそっと抱いてやっている。

 舞台前半で、早くも客席は最高潮に温まっていた。


 このまま無事に終わってほしい、とアカハチは願い続けていた。アカハチの脳裏に不安の影を落とすのは、煌びやかな衣装や繊細な小道具、それに豪華な大道具を覆い尽くしていた苔の深緑色だ。

 不吉な手紙、不吉な苔──アカハチが必死で暗い靄を頭から追い払う間にも、物語の中の運命はさらに加速して行く。

 次は、かの有名なアマワリィーとフミーァガリの婚礼のシーンだ(フミーァガリの花嫁のベールが舞台を覆い隠さんばかりに広がる様は、度々舞台写真等に使われる有名なシーンである)。政略結婚への反発から冷たい態度を取るフミーァガリを、大人の男の包容力で受け止めるアマワリィー。そして一方、一人煩悶し、フミーァガリの奪還を誓うケェンユー……。

「いい出来だ……。あいつも、ケェンユーとハートがようやくシンクロしたな……」

 ショワタイキュワ役の(たい) (なな)()(※芸名)の言葉に、アカハチも深く頷く。昨夜のトラブルを通して、一種の連帯感が出演者、そしてスタッフたちを強く結び付けていた。

 絶対に、このステージをやり遂げてみせる──その熱気が舞台の上で渦巻いているようだった。

 今までどこか脇の甘さがあったケェンユー役の緒城が、一皮むけた迫真の演技で客席を引き込んでいる。客席で無数のオペラグラスのレンズが煌めく中、シーンはショワタイキュワの再びの陰謀のシーン、そしてようやく打ち溶け始めたアマワリィーとフミーァガリのモウアシビのダンスシーンへと移り変わる。

 舞台は丁度、中盤に差しかかっていた。

「ここまでは最高だ!」

 ようやく表情がゆるんだ朝薫の横で、蔡温もうなずいている。

「ああ、客席の尚Holdings.Inc.観劇部のメンバーの皆さんの反応もとても良い。感動のあまりだろう、禁止事項の爆竹のような拍手をしている方がいたほどだ」

 次は“客席のオペラグラス泥棒”の声も名高い、ケェンユーの女装シーンだ。恋い慕うフミーァガリを奪い返すために、女の着物に身を包んでKATSUREN城に忍び込むケェンユー……。舞台の上では、美しいフミーァガリが必死にケェンユーに逃げるようにと呼びかけている。

 この後、侵入者・ケェンユーは、アマワリィー配下の忍者軍団に見つかり、追われることとなる。二人の年若い忍者に追い詰められるケェンユー。しかし、その幼さの残る瞳にかつて失った二人の弟の影を見たケェンユーは、歌声で二人を諭す。ケェンユーの誠実な心の前に、二人の忍者はケェンユーの弟、ケェンキューとケェンヨゥーとして生き直すことを誓う……。


ケェンユー(ソロ):『♪ 戦いは 何も生まない 刃の代わりに 愛の種を ♪』

忍者/ケェンキュー(台詞):「戯言はよせ! 忍に愛など……愛などいらぬ!」

ケェンユー(ソロ):『♪ その瞳が 求める光 それは 愛の 心 ♪』

忍者/ケェンヨゥー(台詞):「俺達を惑わせるな! 惑わせないでくれ……!」


 ケェンユーの歌声から逃れようと忍者(後のケェンヨゥー)は刃を構えたままケェンユーに突進する。その刃を避けることなく、真正面から立ち向かうケェンユー……。


 その時。アカハチは思わず息を飲んだ。

 忍者/ケェンヨゥーがケェンユーに突き立てた──ように見えるよう、細心の角度でケェンユーの胴と脇の間に滑り込ませたはずの小道具の刃──が、血飛沫を上げた。

「──真剣だ……!」

 慄く声で呟くアカハチの背後でも、スタッフたちがそれぞれに怯えた声を上げていた。

「すり替えた……な!!」

 憤怒の声を上げた朝薫を、蔡温がすかさず羽交い絞めにする。

「落ち着け朝薫、おまえが冷静にならないでどうする! 緒城はプロだ、信じなさい! このシーンが終わるまでは、手を出してはならない!」

 舞台袖で全員が固唾を飲む視線の先で、ライトを浴びたケェンユー、脇腹から血を滴らせたスター・緒城 悠が文字通り命がけの演技を続けていた。


ケェンユー(ソロ):『♪ 愛の 光の中に 憎しみは 消え る──! ♪』

ケェンキュー・ケェンヨゥー(台詞):「……ケェンユー様──!!」


 音楽が盛り上がり、ケェンユーにとりすがるケェンキューとケェンヨゥー。溶け合うように一つの美しい像を形作る三人。スポットライト、フェードアウト。音楽と共に暗転──。



「気をしっかり持て! 今、救急車が来るからな!」

 救護スタッフたちに混じって、蔡温が担架の上に横たわった緒城に必死に声を掛けている。

「うう……痛いですう……労災ですう……」

 その言葉が聞こえなかったかのように、蔡温は振り返って声を張る。

「舞台は!? 進行しているか!?」

「はい、ゴサマリとアマワリィーのバトルシーンのダンス、進行通りです!」

「よし!」

 緊迫した舞台袖のスタッフたちのやり取りに、アカハチの緊張も最高潮に達していた。

 この先はショワタイキュワにそそのかされたアマワリィーが、隣国の将・ゴサマリを討つ長丁場の戦闘シーンで、ケェンユーの出番はしばらく無い。

 ──代役。その囁き声が高まるほどに、現場の緊張の糸がさらに強く張りつめていった。

「……朝薫。代役は……?」

 陰鬱な声で問いかける蔡温に、朝薫はきっぱりと言い切った。

「イナイ。ヨウイシテナイ」

「…………馬鹿者――――ッ!!」

 派手な音と共に朝薫の体がハチマチと共に吹っ飛び、体が舞台袖の壁に叩き付けられた。

「殴ったな殴ったな殴ったな!! この尚家の血を引くロイヤルな天才演出家を! 殴ったなーーっ!!」

「殴りたくもなるわこの計画性皆無のうつけものがーーーーっ!!」

「本舞台に聞こえちまうっすよ! やばいっすよ二人とも!!」

 出演者とスタッフ一同が殴り合う二人を止めようと取りすがり、それを蔡温の剛腕と朝薫の拳がはたき返す。舞台の上の激しいダンスに負けじと、舞台袖は混乱の熱気と喧噪の渦に飲み込まれようとしていた。

 ──と。

 さわやかな香りが、埃っぽい舞台袖の空気を貫いた。

「……この、香りは……?」

 冷静さを引き戻されたアカハチは、その明晰な香りの奔流に戸惑いを隠せない。

「これは……」

「月桃の花の香り──?」

 殴り合いを止めた蔡温と朝薫も、周りのスタッフも出演者たちも呆気に取られている。

 薄暗い舞台袖に、さわやかな声が響いた。

「労災の神は許しても、そのひゃんの神は許さない……!」

 その美しい声にアカハチの胸は高鳴った。

「まさか……あなたは序盤に出てきてもうみんな忘れかけてた……」

 全員の視線の先で、そのツマベニチョウのような姿はくるりとターンして優美なポーズを決めた。

「あなたのためにいる。西塘はいつも、ここに──!」

「西塘さん!」

 そこには、西塘──袖のスポットライトを光背のように背負った、男とも女ともわからない美しい姿が降臨していたのだった。

「さあ君たち安心しなさい! ケェンユーの衣装をはぎ取って私に渡すのだ!」

「えっ、だって衣装血塗れ……」

 オロオロと発したアカハチの声を、朝薫が遮る。

「いや、次の場は衣装替えだから無問題!」

「そうか!」

 謎の阿吽の呼吸で、朝薫と西塘は頷き合う。

「……あの、西塘さんて演劇も……?」

 おずおずと問いかけたアカハチに、西塘は力強く頷いた。

「私には島をも浮かすタキドゥンの神がついている! できぬことなどあるはずが無い!」

 その勢いに飲み込まれるように、周りの全員もまた、頷いていた。

 呆気にとられながらもアカハチは呟く。

「……やっぱり舞台人に必要なのは、押しと勢いなんだなあ……」


 西塘がケェンユーの代役としてスタンバイ完了。本舞台ではアマワリィーとゴサマリのダンスシーンが終わり、狂言回しのCraneとTurtleがこれまでのストーリーをまとめる歌をものがなしい音色に乗せて歌い上げていた。

「亜次さん、お疲れさまっす! 飲み物……」

 激しいダンスを終えたアマワリィー姿の大スターに、アカハチはペットボトルを差し出す。だが……

「……アカハチ君……っ!」

 亜次の口から漏れたのは、絞り出すような苦悶の声だった。

「えっ……どしたんですか?」

 覗き込んだ蒼白の顔がさらに苦悶に歪む。

「……お腹、痛い……!」

 崩れるようにしゃがみ込んだアマワリィーの姿に、再び全員が騒然となる。そしてその混乱に拍車を掛けるように、数人の演者たちもまた、腹部を押さえて苦しみだした。後半の見せ場でソロを受け持つ歌姫も、殺陣で華麗なアクロバットを披露する役者たちも……。

「ちょっと、まさかこれ……!?」

 ナビ・オンナがぞっとしたような声を上げていた。ナビの手の中にあるものを覗き込んだアカハチもまた、息を飲む。

 それは、スイートポテトだった。亜次をはじめとする出演者たちが出番の合間に齧っていた、緑色の星形の……。

 ──食中毒?

 ひそひそ、と囁き交わす声が渦巻き始める。

「マジかよ……」

 アカハチもまた、血の気が引いて行くのを感じていた。食中毒──料理人としては命取りになりかねないそれが、まさか、今ここで──。 

 衝撃に思わずよろめきそうになったアカハチを、ナビの凛とした声が鞭打った。

「違うわ!」

 全員の視線を受けたナビは、高々とスイートポテトを捧げて見せた。

「見て、この鮮やかなモスグリーンを! これは植物由来の食紅(緑)じゃない! スイートポテトの内側にびっしり生えた毒の苔よ!」

 アカハチはついにしびれを切らした。

「つまり何なんだよ苔、苔、苔って!? 蔡温さん、朝薫さん、あんたたち、何か知ってるんだろ!? いいかげん教えろよ!」

 襟元を掴まれた朝薫がまっすぐにアカハチを見つめ返す。

「もちろんもちろんいいだろう! ゆっくりとっくりおしえてやろう苔のことをことをことを! だー・が!」

 しゅっ、と機敏に身をよじって逃れた朝薫が、びしり、とアカハチを指差した。

「今はそんなことをしている場合かいや違う! なぜならもう次のシーンまで時間が無い&アマワリィー役オワタ! どうするどうする!?」

 ぐっ、とアカハチが気迫に飲まれた瞬間、朝薫がさっ、と屈み込んだ。

「どうするどうする! どうする・こうする!」

 按司による按司のための……と言わんばかりの特徴的な布冠が、しゃがみ込んだアマワリィーの頭から引っぺがされていた。そして……

「ぎゃあ! なにすんだあんたは!!」

 頭を天辺から押さえつけらえるようにして、アマワリィーの布冠を被らされていたのは……他ならぬ、アカハチだった。

「私は確信した! 君なら演じられる必ずあの役を……! 君こそが、レキオ・ドラマティカ 燃ゆるKATSUREN城 <新演出版> (全二幕)の次世代のヒーロー、アマワリィー、だーー!!」

 ──無茶苦茶だ。誰もが思い浮かべたその言葉をアカハチが言おうとしたその時、凛とした声が響いた。

「♪ 我々は 神の 踊り子── ♪」

「ナビさん、歌声が……!?」

 どよめく舞台袖で、自信と誇りに満ちた光り輝く歌姫が、再び息を吹き返していた。

「♪ 輝く プリマドンナ 怖れ捨て 再び歌う ♪」

「ナビさん……」 

 感動的な歌声に声を震わせるアカハチに向かって、ナビは全てを超越したような後光を背に手を伸ばし、歌いかける。


ナビ・オンナ:『♪ だから あなーたも ♪』

アカハチ:『♪ ──俺も(追いかけ)』

ナビ・オンナ/アカハチ:『勇気もて 演 る の よ/だ── ♪』

 

 二人の重唱が、高らかに運命を告げた。

 ──The show must go on. 走り続けなくてはならない。舞台の魔法の中で、全てはその終わりまで──。



<第十二場 ―とばりの中で/アマワリィーとフミーァガリ―>


 心を絞め付けるような音楽。夜。薄闇に包まれたKATSUREN城の豪華なセット。


フミーァガリ(台詞):「アマワリィー……あなたのことを嫌おうとしてきた。あなたのことを憎もうとしてきた。それなのに今、あなたを失うのを恐れる私がいる……」


 フミーァガリが見つめる先には、豪華な天蓋付きの寝台。天蓋の向こう、苦痛に身をよじるアマワリィーのシルエットと呻き声。


フミーァガリ(台詞):「ゴサマリおじいさまとの戦いで負った傷が……。いいえ、あなたを苦しめているのはそれだけではない。かつてあなたが奪ってきた命が、あなたを苛んでいる……」


 独白を続けるフミーァガリにまとわりつくように、ゴサマリの影(※役名)が妖しいダンスを踊り続けている。


フミーァガリ(台詞):「あなたの側にいたいと思う私がいる。でも……」


 フミーァガリ、懐からそっと布地を取り出す。それはあの日、ひそかに忍んできたケェンユーがまとっていた花模様の衣である。


フミーァガリ(台詞):「この衣に染みた香りが、染め抜かれた花模様が私を引き戻す。アマワリィー……アマワリィー…………ケェンユー……」


アマワリィー:『♪ フミーァガリー ……♪』


 天蓋の向こうから聞こえてきた甘い歌声に、フミーァガリ、弾かれたように顔を上げる。


アマワリィー(台詞):「あなたに涙は似合わない。どうか注いではくれないか、あなたの美しい微笑みの、零れるような眩い光を」

フミーァガリ(台詞):「……アマワリィー!」


 フミーァガリ、寝台に駆け寄る。アマワリィーの姿を隠していた天蓋、開く。



『……アカハチ!?』

『……しーっ! 芝居を続けろ!』


 フミーァガリ姿のマツーとアマワリィー姿のアカハチが、必死に押し殺した声を交わす。

だが、そこは舞台に一日の長があるマツーではあった。すぐに平静さを取り戻し、芝居を続ける。


フミーァガリ(台詞):「アマワリィー……。あなたは気付いているのでしょう? 私の心の中には……」

  

 寝台の上に身を起こしたアマワリィー、目を伏せて笑う。


アマワリィー(台詞):「あなたの心の中には……。だが、心は自由なもの。誰にも属さない、自由な翼。それを縛ることなど誰にできようか」

フミーァガリ(台詞):「アマワリィー……」


 フミーァガリ、アマワリィーに手を伸ばす。その手をやさしく、だがしっかりと握るアマワリィー。


アマワリィー(台詞):「フミーァガリ、触れることの出来ない気高き花よ。私が望むのはただ一つ。側にいてくれ。そう、明日の朝ひばりが鳴くまで……」


 音楽。見つめ合うアマワリィーとフミーァガリ。音楽、さらに盛り上がる。二人、ゆっくりと顔を近づけてゆく。

 天蓋閉じ、二人を覆い隠す──。



 舞台の暗転と共に、キャアアーー!! の声で劇場が揺れた。

「ちょっとなに今の! っていうか、アマワリィーの人違う人に見えたんだけど!?」

「代役!? えっ、なにあの人、かっこよくない!?」

 舞台転換の間にも、客席が沸き続けている。その様子をボックス席から優雅に眺める姿があった。

「新演出版もなかなか素敵だねえ、尚敬さん。このバージョン、私はとても好きだねえ」

「にふぇーでーびる、尚真さん。そう言って頂けると、尚Holdings Inc. 第十三セクター担当の私としても、この劇場に投資を続けた甲斐があるというものです」

 優美に手を打ち鳴らす二人の座席の後列には、全身を強張らせて舞台を凝視する姿もある。

「おやおや、玄雅。どうしたのかね? お腹でも痛いのかね?」

「アカハチ……貴様……私の眞與に……何を……」

 うわごとのように呻く仲宗根豊見親の横では、「豊見親様、お顔の色が悪うございます」と秘書の川満がハンカチで額を拭ってやっている。そしてその反対側の座席では、恵照が傾げた頭を隣のイラブ大殿の肩に預け、うっとりとした瞳で舞台を見つめていた。

「小僧……貴様……今度こそ……切る……」

 刀の柄に手を掛ける仲宗根豊見親に、尚真と尚敬が呑気な笑いを投げる。

「おやおや、治金丸を抜くのはやめたまえ。これから舞台はクライマックスだよ? ほら、ちゃんと舞台を観なさいよ」

 ぶつぶつ、とうわごとのように呟き続ける豊見親と二人の尚氏の男の笑い声を置き去りに、舞台はクライマックスへとなだれ込む……。



<第十五場A ―燃ゆるKATSUREN城―>


 ――ようやく心を通わせたアマワリィーとフミーァガリであったが、フミーァガリの父、ショワタイキュワの陰謀により反逆者の汚名を着せられ、ケェンユーの率いる軍勢に攻め込まれることとなる。  

 迎え撃つKATSUREN軍との最後の決戦が、今始まる──。



「アカハチ! 次の見せ場、“第十五場A ―燃ゆるKATSUREN城―”の殺陣、出来るな!?」

 西塘の真剣な声に、模造刀を構えたアカハチも決然と答えを返す。

「もちろんっす! 俺、毎日この場面見てましたし、本当は自分も出てみたくて終演後に自主練してましたから!」

「よし、良い心掛けだ!」

 騒めきに満たされた舞台袖で、戦装束に身を包んだ美しくも凛々しい西塘のケェンユーが、アカハチのアマワリィーと頷き合う。

 本舞台の上ではドラマティックな音楽と共に場面が転換し、ついに炎に見立てた大掛かりな本水のセットが姿を表していた。

 舞台の背景一杯に広がる、赤いライトで照らし出された水の炎の瀑布に、満場の客席から驚きと喚声が上がっている。

「アカハチ……滑って転んで怪我だけはしないでね!」

 真剣な顔で本舞台を見つめるアカハチからほんの少し離れた場所で、マツーのフミーァガリが、アカハチに悲壮に呼びかけていた。長い髪を高く束ねただけの悲劇の姫。その姿はまるで、死出の旅路へ向かう戦女神のように美しかった。

「人のこと心配してる暇あるのかよ! おまえこそへますんなよ!」

「……うん!」

 しっかりと頷き合う二人の耳に、ついにあの旋律が弾けた。それはついに歌声を取り戻したプリマドンナ・音菜 南美が高らかに歌い上げる主題歌“―燃ゆるKATSUREN城―”──炎の中で命を燃やし、燃やし尽くして散って行った男と女に捧げる挽歌。


♪――“燃ゆる 燃ゆる 命 ただ一つ 

  燃ゆる 想いに 身を焼かれ ――♪


「……行こう──!」

 妙なる響きが劇場を震わせ、決意の声と共にアマワリィーとケェンユー、そしてフミーァガリが舞台に駆け出して行く。その瞳に燃える炎──それは命を燃やし駆け抜ける、舞台人の魂の炎──。


 ダカ! ダカ! ダカ! と高らかなツケの音が響き、客席の熱狂が最高潮に盛り上がる。舞台上手、下手からそれぞれ現れたのは、凛々しい武装束に身を包んだケェンキューとケェンヨゥーである。

 紅いライトに照らされた水の炎を背景に、二人の元忍びがたっぷりと見得を切り、すかさず「越来(ごえく)ぬ屋!」の掛け声が掛かる。


ケェンキュー(台詞):「ケェンユー様にもらったこの命!」

ケェンヨゥー(台詞):「ここで捨てても、惜しくはござらん!」


 わあー、と沸き起こる拍手の中で、二人の最後の戦いが始まる。高らかな主題歌のソロが響く中で、アマワリィー軍の兵士たちと激しく切り結ぶケェンキューとケェンヨゥー……。

 まるで消える前の一瞬の炎のように、眩く輝く二人の武人。多勢に無勢の背水の陣。きらめく刃が炎を映し、KATSURENの大地を紅い血潮で染めてゆく。狙ったように、ソロの歌声が高らかに響く。


──♪燃ゆるKATSUREN城ー ♪

ケェンキュー(台詞):「ぐあぁー……!」

(ケェンキュー、歌声に合わせるように斬られる。断末魔の叫びをあげながら、美しくくずおれてゆく)


──♪燃ゆるKATSUREN城ー ♪

ケェンヨゥー(台詞):「ケェンユー様……! おさらば……です!」

(ケェンヨゥーもまた、歌声と共に斬られる。二人、震える手をそれでも互いに伸ばし合う)


──♪燃ゆるー …… KATSUREN城ー ! ♪

 倒れたケェンキューとケェンヨゥー、大ぜりの上でにじり寄り、手を握り合って笑う。

 二人、がくりと頭を垂れ絶命。セリ下がり。二人を弔うかのように響き渡るコーラス……。



<第十五場B ―燃ゆるKATSUREN城―>


 ケェンキューとケェンヨゥーのセリ下がりを覆い隠すように降りてくる紗幕。

 ついにクライマックス、と言わんばかりの荘厳な音楽。紗幕の向こうでは引き続き本水の爆音が響く。

 上手、下手のスッポンからアマワリィーとケェンユー、セリ上がり。


 アマワリィーとケェンユー、無言で見つめ合う。

 緊迫した音楽。押し殺したようなツケ打ち。まるでスローモーションのように刃を構える二人。

 カーン、と沈黙を切り裂くような拍子木の音。瞬時に照明、今までの赤から血の色の真紅へ。背景の本水、紅蓮の業火に変わる。

 スローモーションの世界、元に戻る。

 アマワリィーとケェンユーの壮絶な殺陣、始まる。


<バックソロ ※“百度踏まれても”>

 ♪ 百度 踏まれても 千度 踏まれても

 ♪ あなたの面影 いつも きらめいて


 アマワリィー、大きく刃を振りかぶる。ケェンユー、受け止め、二人睨み合う。舞台袖からスライドして出てきた本水の水面に、アマワリィーとケェンユー、飛び込む、真紅の水の中で戦う二人が散らすのは、幻想の炎か血飛沫か。一人の女を愛した二人の武将の、命を賭けた互角の戦いが続く。


<バックソロ>

 ♪ うつくしいあなたを 誰にも渡さない

 ♪ たとえ 地獄の 炎に 焼かれても


 轟音。舞台両側の城のセットが崩れ落ち始める。

 その時、照明青白く変わる。背面の本水のセットが真っ二つに割れ、蒼い炎を背にして舞台中央に凄烈に現れたのは、長い花模様の衣に身を包んだフミーァガリである。


フミーァガリ(ソロ):

『♪ 百度 夢見ても 千度 夢見ても

 ♪ あなたが追うのは いつも 私の影 ──』


アマワリィー/ケェンユー(台詞):「フミーァガリ!!」


 戦場に現れた愛しい女の姿に動揺を隠せないアマワリィーとケェンユー。

 まるで諫めるように、フミーァガリ、哀しく微笑む。


フミーァガリ(台詞):「アマワリィー……。ケェンユー……。わたくしはつくづく理解しました。戦世の虚しさ、恋い慕う心の儚さ……」


 フミーァガリ、懐から小刀を取り出し、戸惑うアマワリィーにゆっくりと近づいてゆく。


アマワリィー(台詞):「フミーァガリ……?」


 困惑するアマワリィーの目の前で、刃、煌めく。フミーァガリ、束ねてあった長い髪を切り落とし、差し出す。


フミーァガリ(台詞):「アマワリィー。これはあなたにわたくしがのこしてゆくさいごの思い出……」

 

 フミーァガリ、ケェンユーをゆっくりと振り返る。微笑むフミーァガリ、するりと花模様の着物を脱ぎ捨て、純白の戦装束に変わる。


フミーァガリ(台詞):「ケェンユー。このころもはあなたにのこしてゆきましょう。いつかのむかしに夢みた、ホウセンカののこりかを……」


 唖然とフミーァガリの遺物を手にした男たちを背に、フミーァガリ、舞台中央に移動。ゆっくりと客席に向き直る。


フミーァガリ(台詞):「こころ……こころはじゆうなもの。わたくしはだれにもぞくさない、じゆうなつばさ──」


 “百度踏まれても”のメロディーのみのコーラスが響き渡る中、フミーァガリ、夢見るように手を宙に差し伸べる。短い髪に純白の戦衣を纏った幻想的な姿に眩しいスポットライトが当たる。


フミーァガリ(台詞):「わたくしはゆきましょう。じゅうど、ひゃくど、そしてせんどもてんのかいだんをあがってゆきましょう。はるかてんのたかみへと、ちじょうのくるしみをぬぎすてた、あのたかみへと──!」


 ♪ ──百度踏まれても──  千度踏まれても── …… 

 美しいソロが爆発する。白い照明がマックスに舞台を照らし出す中で、フミーァガリ、見えない階段を上るように足を踏み出す。



「……ああ……!」

 ボックス席から身を乗り出した恵照が、震える声を上げていた。

「フミーァガリが天の階段を昇っていく……!」

 ──そう。今や純白の光に包まれた本舞台から、照らし出された客席の宙へと、フミーァガリが歩を進めていた。

「宙乗り……いや、ワイヤーアクション……! なんと神々しく、美しいことか……!」

 食い入るようにフミーァガリを見つめる仲宗根豊見親の目からは一筋の涙が流れ、座席から押しやられたイラブ大殿も涙を拭いながらオペラグラスを覗き込んでいる。

「なるほど、フミーァガリはアマワリィーとケェンユー、どちらのことも選ばなかったのだねえ。現代に相応しいモダンな解釈だねえ……」

 したり顔でつぶやく尚真の語尾も震えていた。六番のボックス席にひしめく男たちが熱く見つめる先で、フミーァガリはついに二階席の高さまでも見えない階段を上り切り、優美に客席を見渡す。

 その両腕がゆっくりと広がると共に、白金色の光が白魚のような手から零れはじめた。

 客席に無数に降り注ぐ、煌めく白金色の紙吹雪──。

 観客たちを見下すのは、地上のくびきから逃れた美しい天人。それはもはやフミーァガリであることすら止めた、透き通った美しい天上のいきもの──。


──(コーラス)Ah── Ah── Ah── Ah──……!! 


 白い光の中で、清らかなコーラスが高らかに重唱する。光が弾け、観客が思わず目を閉じ、開けたとき……フミーァガリの姿は消えていた。まるで本当に、高い天へと吸い込まれて行ったように──。


 クライマックスに達した音楽が静かにフェードアウトし、観客が我に返った時……本舞台には幕が下りていた。まるで、アマワリィーもケェンユーも、そしてフミーァガリも、泡沫の夢だったかのように……。

 客席が、水を打ったように静まり返る。

 そして──。

 パチ、と誰かが手を打った。まるでその合図を待っていたかのように、劇場が拍手で揺れた。歓声、歓声、スタンディングオベーション……。


「……大成功だ……!」

 幕が下りた本舞台の上で、朝薫が再び両手で顔を覆っていた。

 アカハチも、マツーも、西塘も。蔡温も、ナビも……。出演者も、スタッフも、皆泣いていた。

「やったな、俺たち……!」

 手の甲で目を拭いながら、アカハチはマツーに笑いかける。

 大急ぎで本舞台に戻って来ていたマツーもまた、涙で化粧がはげてしまった顔で笑った。

「うん! でも……」

 小首を傾げたマツーの様子に、アカハチは怪訝な声を返す。

「どしたんだよ? さっさと化粧落として飯食いにでも……」

「僕、なんだか嫌な予感が……?」


 ──その時。

 劇場が、揺れた。

「じ、地震!?」

「のはずない! ここは地震は少ない土地柄のはずだぞ!?」

 怯えた声を上げるアカハチとマツー、出演者全員とスタッフが勢ぞろいしていた本舞台を覆っていた緞帳が──ばりり、と音を立てて破れ落ちた。

「ああ! ヤイマ高級織物協会から寄贈された緞帳が!!」

 悲壮な悲鳴を上げた蔡温はしかし、とっさに胴に組み付いてきた朝薫に押し倒されていた。床に転がった二人の頭のすぐ上をかすめたのは、巨大な鋭い爪。

「サイオンサイオンサイオン!! 緞帳のことはしょうがない!! それより来たぞ来たぞ来たぞラスボス来た来たやっぱり来たーー!!」

 

 朝薫の警告の声を、つんざくような咆哮が飲み込んだ。舞台と客席を隔てていた緞帳が引き裂かれ、その向こうでは客席の悲鳴が轟いていた。

 観客たちの恐慌状態の瞳の先にいるのは──「魔獣・ギィマ……!」

 高い劇場の天井からつり下がるシャンデリア──そこに、禍々しくうねる無数の緑の蔓が……そう、うねうねと動き、暗緑色の葉を茂らせる棘の生えた芋の蔓が、一塊になって絡みつき、蠢いていた。

 茫然とアカハチが見つめる横で、格好良い戦闘ポーズを取った西塘が呟いていた。

「やはり、倒しきれていなかったか……! 何ということだ、儀間真常本人の恨みだけではなく、第三者の強い私怨を吸収し、最終形態に変化してしまっている……!」

 おぞましい芋の蔓の茂みの奥で、がばり、と血の色の口が開いた。鋭い牙が並ぶ奈落の口が咆哮を放つ。

「ギィマア゛ア゛ア゛aaa---AGH!!」

 魔獣の叫びと共に、巨大な爪が再び宙を切り裂いた。風圧でアカハチとマツーが吹き飛ばされる。

「マジかよ! 遠距離攻撃ありなのかよ!?」

「当たったら即死するやつだよう!!」

 怯えるアカハチとマツーを背中に庇いながら、ケェンユーの衣装を着たままの西塘が凛々しく発する。

「純朴なヤイマの民よ! ここは私に任せて逃げるのだ! タキドゥンの神は芋の魔獣になど……」

 言いかけた言葉をねじ伏せるように、唸る芋の蔓が西塘の頬の真横を抉り、切れた肌が血の粒を散らした。

「まさか……さらに力が増大しているとは……!?」

 すんでのところでかわした西塘の顔も青ざめている。

 その時……さらに舞台の上の全員を絶望させるように、視界が緑色になった。

「わあああ! なんか湿ってる! ひやっとした! ひやっとしたよう!」

「畜生っ……苔だ! 苔が降ってきやがった!」

 舞台の上にも、客席の上にも、無数の緑の苔が降り注いでいた。

 苔、苔、苔……苔の雨──。今や、Theater Cho-coonは混乱の坩堝に飲まれようとしていた。


 恐慌状態の群衆の悲鳴を切り裂くように、良く通る声が高らかに響いた。

「神聖な! 劇場に! 苔を撒こうとは! 言語道断!」

 はっ、と皆の目が集中する。その視線の先、本舞台0番センターには、シャンデリアに絡みついた魔獣を凛々しく見据える朝薫がいた。

「ラスボス大ボス苔のボス!! 黒幕が誰かは分かっているぞいるぞいるぞ!! 文句があるなら正々堂々勝負しろ! 姿を見せろ、卑怯な苔の野郎野郎野郎!!」

「朝薫さん──!?」

 信じられないほど凛々しい朝薫の様子に、アカハチが思わず声を上げたとき──雄弁な哄笑が天から降ってきた。

「ちょっとうっかり今日も最後まで観てしまったが……今日こそはツッコミを入れさせてもらおう……」

 シャンデリアの上、魔獣の芋の蔓の茂みから、ゆらりと人影が現れた。

「玉城朝薫! そして蔡温&尚敬! 芸術振興交付金を無駄遣いしてくだらない作品ばかりを上演する不埒者とその一味よ! 今日がお前たちのパーティーの最後の(The last)(day)だ!」

 しゅた、とその姿はシャンデリアの高みから舞台へと回転しながら飛び降りた。そのままエプロンステージの真ん中に立つと、本舞台の上の朝薫を見据えて言い放つ。

「こんなくだらない&時代考証と史実/伝承マルっと無視の“燃ゆるKATSUREN城”を上演するくらいなら……俺が書いた脚本:“うっかり近世リウクーに転生してみたら遊女に身を落とした天才歌人おにゃのこYOSHIYAチルーたんが不憫すぎて助けたい俺=Maji勇者・ハーレムでウフフのきゃっ☆ ―UNDER THE MOSS―”を上演すればいいのにっていうか、しやがれくださいー!!」

 その叫びに被せるように、ギィマの咆哮が劇場中に反響した。

平敷屋(へしきや) 朝敏(ちょうびん)……(※ご存じない方は検索しよう)!」

 甚だしい侮辱の言葉に全身を震わせる朝薫を庇うように、蔡温が男──平敷屋朝敏の前に立ちはだかった。

「よくもそんなことが言えたものだな……! 第一回脚本公募の選に漏れたことを逆恨みするだけでは飽き足らず、某巨大掲示板に私たちの劇場の経営方針について根も葉もない風評を書き散らしたお前が!」

 平敷屋が耳をつんざくような嘲り笑いを投げ返す。

「あの時は最高だった! サツマ板に内部情報リークしたら超炎上して!」

「貴様っ……!!」

 ついに三司官の自制心を捨てて蔡温が(ティー)の構えを取る。しかし、華麗な一撃を繰り出す前にギィマの爪が唸り、風圧が蔡温を舞台の壁に叩き付けた。

「サイオン!」

 朝薫の悲鳴が上がる。だが、その姿を優美に押しのける影があった。

「激烈な舞台の民よ! ここは私に任せるのだ!」

「ニシトー!?」

 驚く朝薫に白い歯を輝かせて笑うと、西塘はギィマに向き直る。

「儀間真常──!」

 舞台の上の全員の視線を受けた西塘は、その手に何かを握り、構えを取っていた。

「あれは……!」

 アカハチに分からないはずはない。西塘の手の中で、不思議な、清らかな光を放つそれは──「スイートポテト! おまえが夢見た甘き芋! リウクーの民の胃袋を満たす、夢の農作物! くらえ、そして思いだせ! リウクーの民の幸せを願ったかつてのお前、善なる農業従事者の情熱を──!」

 西塘がこれ以上はないほど格好良いポーズで投げた黄金色のスイートポテトが、光の奇跡を描きながら天を駆けてゆく。

「ギッ ギッ……ギィマア゛ア゛ア゛aaa――!?」

 比類ない投石スキルに乗せて宙を舞ったスイートポテトが、ギィマの眼前で無数の光の粒に変わった。その光に包まれて、魔獣が怯え、戸惑い、身をよじる。

「今だ! 今のうちに平敷屋を──!」

 再びの戦闘ポーズを取った西塘と蔡温をあざ笑うように、平敷屋の哄笑が響き渡った。

「くっくっく……はーっはっはっはっヒャッハーーこざかしい! 愛情☆スイーツごときの力で、夢見がちな中二病の壊れやすいハートは落選食らってBROKEN☆ 俺の心はMaji私怨★ の傷が癒えるとでも思ったかーー!」

 ギィマ! の怒鳴り声と共に、平敷屋の掌から黒い靄が放たれた。

「この世に光などない! 神などいない! 私の私怨の炎に包まれて、共に世界にアリモドキゾウムシの恐怖を撒き散らしてやろうぞーー!」

「ギ ……ギィマア゛ア゛ア゛aaa---AGH――!」

 ギィマが西塘の放った黄金色の光と平敷屋の放った黒い靄の狭間で苦しみ、身をよじる。獣の叫びが劇場をゆさぶり、客席では絶望の叫びがこだましていた。

「くっ……このままでは群衆のパニックが起きてしまう……! これ以上お客様に苦痛を与えるわけには……!」

 拳を握りしめた蔡温の手の甲に、そっと触れる指があった。

「蔡温。ここは私に任せるのだ」

「朝薫……!? その言葉遣いは……!?」

 まっすぐな瞳で蔡温を見つめた朝薫は、透き通った微笑みを浮かべていた。

「蔡温。これまで私と、私の劇場を支えてくれたこと、感謝している。蔡温がいたから、私と、私の作品は生きることができた……」

 そのまま平敷屋に向かって歩みを進める朝薫の背中に、蔡温が悲壮な声を投げる。

「朝薫! まさか……!」

 光の微笑みと共に、朝薫は振り返った。その瞳が、舞台上に勢ぞろいした出演者とスタッフたちの瞳を一人ずつ、しっかりと見つめる。

「私はこの劇場の劇場総支配人 兼 作・演出 兼 踊奉行 チョークン・タマグスク。劇場と共に生き、死ぬ。そして私の命が果てようとも、想いは受け継がれてゆく。君たちの心の中に──」

「朝薫さん!」

 悲鳴のような声を上げたマツーに微笑みかけると、朝薫は平敷屋に向き直った。

「平敷屋朝敏。私と同じく、舞台の業の炎に焼かれた男、私の影よ……望みを言え。そしてこの劇場と、スタッフと出演者とお客様を傷つけるのを即刻、止めるのだ」

 ギィマが苦しむ声が響く中、平敷屋が体を反らせて哄笑する。

「殊勝なことだな、玉城朝薫! ならば言わせてもらおう! 今までに書いたおまえの台本、今ここで全て燃やせ! そして、もう二度と上演しないと誓え!」

 その言葉に、朝薫は背後で見守っていたスタッフに合図をする。震える手で運ばれてきた何十冊もの台本たち──古びて表紙が変色し、フセンが飛び出たそれを朝薫は一冊ずつ取り上げ、ばさり、ばさりと音を立てながら本舞台の上に積み上げて行く。無言で見守っていた出演者とスタッフたちから、悲壮な声が上がる。

「ああ……“うるま”の台本が……!」

「あれは私が初舞台を踏んだ“寵児”の本だ……!」

 どよめきの中で、ついに朝薫は手を止めた。

「これで全部だ。私の命、私の思い……これで全てを奪ったつもりか? これで満足か?」

 再びの哄笑が空気を震わせる。

「はーっはっは……! 最期まで芝居がかった男よ! もちろんまだだ……もらってゆくぞ、お前の命も!!」

 やれ、ギィマ! と振り返った平敷屋の声が合図になったかのように、ギィマを包んでいた靄が伸縮し、ギィマを絞め付けた。断末魔の声のような魔獣の咆哮が轟き、舞台上の演者たちからも、場内から逃れようと出口に殺到していた観客たちからも、絶望の悲鳴が上がる。

 黄金のシャンデリアの上で蔓の塊は縮み、身をよじり……そして、長い芋の蔓を八方に広げながら爆発した。

「炎だ!!」

 網のように劇場の天から投げられた芋の蔓の先端が、激しく燃える緑色の炎に変わっていた。びろうどの客席の椅子、真っ赤な絨毯、緞帳の残骸、本舞台を取り囲む豪華な額縁、優美なカーブを描くエプロンステージ……その全てに無遠慮に触れる火が、劇場を炎に包み込んで行く。


 ♪ ――燃ゆる 燃ゆる 命 ただひとつ ──♪


 どこかで、あの主題歌の高らかな歌声が響くのを、アカハチは確かに聞いた。それはマツーも同じらしかった。身を挺してマツーを庇う腕の中で、震える声が呟く。

「聞こえる……最後のいいシーンで響き渡る主題歌のソロが……!」

「朝薫さん──!!」

 もはや、本舞台までもが炎に包まれようとしていた。逃げ惑う人々の阿鼻叫喚の叫びの中、陽炎に煙る舞台の上で、朝薫が笑っていた。

「この命を賭けて、平敷屋とギィマは私が倒す! 劇場が燃え尽きようとも……私の命が燃え尽きようとも! 舞台は、永遠だ──!」

「だめだ、アカハチ! 僕たちも逃げよう!」

 むせ返る煙と炎の中、全力で手を引くマツーの剛力に抗いながら、アカハチはそれでも振り返って声を振り絞った。

 劇場と共に散ろうとするその姿に。燃ゆるTheater Cho-coonと運命を共にする、その偉大な男に。

「──玉城……朝薫さーーーーん…………!!」

 叫ぶ声を、燃え落ちる梁の轟音が飲み込んで行く。



♪ ――燃ゆる 燃ゆる 命 ただひとつ 

  ── 燃ゆる KATSUREN城── 

    Ah── Ah─ Ah─ !! ♪





(モノローグ):──“数百年の歴史と伝統を誇ったTheater Cho-coonは、一夜のうちに燃え尽きた”──


 アカハチとマツー、広大な焦土の上を連れ立って歩いている。


アカハチ(台詞):「ああ、ここら辺が舞台だったところだな……」

マツー(台詞):「うん、そうだね……」


 マツー、黒く焦げた地面に身を屈め、何かを拾う。


マツー(台詞):「台本の燃え残りだ……」


 アカハチ、マツーの肩に手を置き、辺りを見渡す。


アカハチ(台詞):「燃えちまったな、なにもかも……」


 アカハチ、焦土の向こうに目をやる。焼野原の真ん中にぽつんと炊き出しのテントが立っている。簡素な布の屋根の下から、割烹着を来た蔡温が現れ、こちらに向かってくる。


アカハチ(台詞):「蔡温さん、俺たち、何て言ったらいいか……」


 蔡温、頬についた煤を拭いながら哀しげに笑い、マツーの持っていた燃え残りの台本に手を伸ばす。マツー、渡す。


(モノローグ):──“Theater Cho-coon劇場総支配人 兼 作・演出 兼 踊奉行 チョークン・タマグスクこと玉城朝薫もまた、炎の中に姿を消した”──


蔡温(台詞):「ギィマ……いや、儀間真常は呪いが解けて農場に帰っていった……。平敷屋朝敏は、両面テープで貼り付けの刑に処しておいたよ……」

アカハチ(台詞):「そうですか……」


 アカハチとマツー、痛ましげに蔡温を見つめる。


蔡温(台詞):「気に病むな。あやつが言った通り、形が消えようとも、想いは残る。永遠に──」

アカハチ(台詞):「蔡温さん……」

蔡温(台詞):「そう、それは消えない炎……。永遠に燃え続ける、舞台に対する情熱の業火……」


 蔡温俯き、片手で顔を覆う。その肩が激しく震えている。


マツー(台詞):「蔡温さん……?」

蔡温(台詞):「消えなさすぎて……もう、たまには消えて欲しい!!」


(モノローグ):──“……が、生きていた──”。


 舞台を眩く照らし出す照明。まるで飛び立つ不死鳥のように、舞台中央奥から跳躍して出てきた姿は──。


玉城朝薫(台詞):「サイオンサイオンサイオン! 次の台本が上がった上がった上がったぞ! 次の演目は“ネオロマンティックリウクーレビュー ☆彡 CHO-COON! ~私は組踊らない~ ☆彡” だ!」

アカハチ/マツー(台詞):「朝薫さん!」

玉城朝薫(台詞):「劇場がなければクルーズ船で! ファーマーズマーケットの駐車場で! 学校の体育館で! 海辺で、川辺で、大道で! 私の燃える演劇の業火、誰にも誰にも、消させはしないぞしないぞしないぞ!」


アカハチ/マツー/蔡温:「「「リウクーーーー!」」」


 マックスに弾ける照明。エンディングナンバー“AWAMORIの夢の中で”の始まり。

 アップテンポのミュージカルナンバーに乗せたキャスト全員のカーテンコール。

 順番に舞台に現れるキャスト全員。ワンフレーズごとに決めポーズ・客席へ礼。


出演者全員(歌):


♪ Listen to my heart beat  Look well at our truth 

♪ 見つめて欲しい 僕たちの ho n to の姿


♪ 琉装だけじゃない  花笠だけじゃない

♪ カンプーと ハチマチのKABE 超えた Se ka i 


♪ 誰も知らない 過去の夢(dream) ~ 自由(Free)な 翼 ひろげよ ~ 


♪ Go ka i だらけのリーウクー Yu meをみましょう リーウクー 

♪ すべては 夢のAwamori Awamoriの 夢の中で ー 


♪A wa mo ri の ゆめの なーかーでー…… ! 


(チャー チャチャチャチャー

  チャチャチャ チャー

   チャー チャーー……!

   ジャカジャカジャン) ♪  


― <幕> ―


客電がつく。歓声。指笛。スタンディングオベーションの客席──。



* * *



 キョロキョロキョロー……。

 のどかなアカショウビンの声が新春の空に響いていた。とある土地のとある場所に佇むのは──。


「……っていう夢を見たんだよう! すごかったんだよ、最後のカーテンコールのところとか、スパンコールの衣装の朝薫さんがすっごくキラキラしてて! 客席全員が手拍子してた!」

 とんとん、とパーラーOyakeの厨房で野菜を刻み続けるアカハチが、ははっ、と笑う。

「まったく、どんだけ壮大な初夢見てんだよ……。あのなマツー、今日の“新春お茶の間Cho-coon”の放送が楽しみすぎるのは分かるけどな? どう考えても素人がその稽古期間でヒロイン張るのは無理だからな?」

「なんだよう! 夢くらい見させてくれてもいいじゃないか」

 カウンターの上の小鉢の黒糖を頬張って、ぷうと膨れるマツーに、くしゃっとアカハチは笑いかける。

「でもまあ、お前の“My Love, My Red Bee”は久しぶりに聞いてやってもいいぜ。俺、あの曲好きなんだ」

「なんだい、調子いいんだから……」

「へそ曲げんなよ。聞かせてくれよ、な?」

 カウンターの向こう側から身を乗り出し、片肘を突いて笑うアカハチの笑顔にマツーが顔を赤くする。その時……パーラーの硝子戸を叩く音がした。

「何だろ、店はまだ開けてないのに……」

 戸を開けてみれば、そこに立っていたのはぴゅうぱっくの配達員。いぶかしげに日に透かし、封を破ってみれば、中から出てきたのは……

「チケット封筒だ……」

 アカハチとマツーは顔を見合わせる。


 時は新春、空は天晴。


アカハチ(台詞):「今日も開店……?」

マツー(台詞):「パーラーOyake !」



― <幕> ―


…… 公演は終了しました。

  どなたさまも 

   またやーさい 

    またやーさい 

     またやーさい――……!


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― 新着の感想 ―
[良い点] お久しぶりです☆新作発表お疲れさまでした( ´ ▽ ` )☆ 読む人を選ぶ作品、それでもやっぱり描いてくれる作者さま、有り難いですよ。 [気になる点] 歴史通りの甘藷の伝播じゃなかったら…
2019/03/31 01:42 退会済み
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