〔4〕
今月も、十六夜の月がやってくる。
レンカは迷い悩んだ上で、今月も勤めに出る事を選んだ。
必ず守ると約束したムゲンの言葉に励まされた事もあるが、クヨウに役立たずと言われた事に対する反感の方が強かった。
父上が亡くなってからクヨウは、すっかり人が変わってしまった。
共に野を駈け、剣技を競い、月や花を愛でながら語った日々が遠い。
前月の務めの後からクヨウは、より一層屋敷に戻らなくなり、たまに戻る時は部屋に女を連れ込んで日中は姿を現す事が無かった。
連れ込んだ女に食事の膳を運ばせるため、たまに出くわしたレンカは情事のなごりに居たたまれず目を逸らすのだった。
間もなく日が落ちる。
この数ヶ月、出現する幽鬼の数が増えたため選抜隊の手勢を二名増やす事にしたのだが、刻限が近付いても武道場に待機するレンカの元に誰もやってこない。
初冬の日は早くに沈み、空には幾多の星が瞬き始めた。
ムゲンとクヨウが手練れのため、ここ数ヶ月はレンカを含め三人で勤めに出ていた。まさか、選抜された二名は久々の務めに臆して、逃れようとしているのではないか?
いや、それは無いと、レンカは思い直した。
務めに選ばれた家臣だけでは無く、他の家臣もみな、レンカの身を案じて我も我もと名乗りを上げてくれたのだ。
何かが、おかしい。冷たい外気とは異質の霊気が、背を這い上がる。
嫌な予感に突き動かされたレンカは、母屋に向かった。
静かだ。
いつもなら下働き達が、夕餉の膳を片付けたり夜具の支度をしたりでざわついているはずが、人の気配が無い。
奥座敷一番手前にある、クヨウの部屋前にきたレンカは、遅れている腹立ちもあって勢いよく障子を開けた。
「クヨウ! 刻限はとうに過ぎ……て?」
衝撃の光景にレンカは、続く言葉を飲み込む。
襖、一面に飛び散った血しぶき。深紅に染まる畳と夜具の上に伏した、男と女。
クヨウと、数日前に連れ込まれた遊女だ。
「……っ、いったい、何が……あった?」
蹌踉めき後退るレンカを、逞しい腕が抱き止めた。
「ムゲン……」
ムゲンの顔を見た途端、混乱した思考が解けるように気が抜けて床に座り込む。
「これは……まさか、心中か? それほどまでに、この務めが嫌だったのか? せめて思い詰める前に、嫌なら嫌と言ってくれたら……」
父との約束、任務の重責。もしや、レンカと夫婦になるのが嫌だったのだろうか?
死を選ぶまで追い詰めたのは、レンカ自身なのか?
涙が溢れ、震える肩にムゲンがそっと、手を置いた。
「ご自身を責めておられるのですか? その必要はございません、クヨウを斬り捨てたのは、私です」
「えっ?」
思わず顔を上げたレンカは、呆然として満面の笑みをたたえたムゲンを見つめた。だが次第に怒りが込み上げ、勢い立ち上がるとムゲンの胸ぐらを掴む。
「お前は、自分が何をしたか解っているのか? クヨウの振る舞いに腹を据えかねていたとはいえ、斬り捨てるなど言語道断だ!」
ムゲンは襟を掴んだレンカの手を引き剥がし、強く捻り上げながら先ほどとは違う冷たい笑みを口元に浮かべた。
「ほぅ……果たしてそれは、姫の本心ですかな? 心の中では勝手気ままに振る舞うクヨウを嫉み、自分に課せられた責務から逃れたいと思っていたのでは? もう、御自身を偽らなくても良いのです。私が開放して差し上げましょう」
ムゲンの言葉が終わると同時に、まだ月明かりの無い闇色の庭から数多の白い影が浮かび上がった。霞のような人影は、徐々に実態を成す。
十体の、幽鬼だ。しかも、見覚えのある様子は……。
「レンカ姫が寂しくないように、屋敷の馴染みを同族に変えました。さぁ、私の花嫁となって『地獄釜』に参りましょう」
「なん……だと?」
ムゲンは、幽鬼の仲間だったのか? 花嫁とは、どういうことだ?
自分はムゲンに囚われ、『地獄釜』に巣くう人為らざる者の餌となるのか?
状況を飲み込めないレンカの耳元に、ムゲンは口を寄せ囁いた。
「私は、この時が来るのを長く待っていたのですよ。我々は日光の下で生きる事が出来ない種族ですが、人間と交わり産まれた子ならば朝夕の弱い光や冬の曇り空なら耐えられます。そこで、かの昔、我が一族は姫の祖である当主と密約を結びました。我が一族が力を貸し、戦を制した際には敗軍の人間達を貰い受けると。しかし密約は人間側に漏れ、密約を交わした当主は殺され、家族と近侍は『地獄釜』に落とされました」
「では、お前は……」
「そうです、『地獄釜』に落とされた人間と、鬼の間に産まれた人為らざる忌み子。残念ながら私の他に産まれた子等は長く生きる事が出来ませんでしたが、これから姫にたくさん産んでいただければ仲間が増え、いずれは人間と同じ世界に生きる事が出来るでしょう。ご心配召されるな。『地獄釜』には、既に何人かの娘が暮らしております。姫に不自由はさせません」
血の気が引いた。
化け物の子を産むためだけに、連れ去られようとしているのだ。
幽鬼と化した使用人を倒せても、圧倒的に強いムゲンには敵わない……。
絶望感に打ちのめされ、せめて自害しようと手にした懐刀も易々と取り上げられてしまった。
「手練れとはいえ、家臣共を斬るのは造作もありませんでした。唯一、苦戦を強いられる可能性があったクヨウは、ご覧の有様です。先代の御館様も、クヨウなど助けずに御自身が生き残っておれば姫の為に戦えたでしょう……どちらにせよ、私が殺しますがね!」
楽しそうに笑いながらムゲンは、亡骸のごとく地に伏したレンカを抱き上げようと身を屈めた。
刹那、差し伸べられたムゲンの左腕が、肩から落ちた。
「レンカは、渡さない。ムゲン、お前は俺が斬る」
幻聴か?
霞の掛かった思考で重い頭を持ち上げたレンカの目に、刀を構え立つ血塗れのクヨウの姿があった。