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〔3〕

 昼前に仮眠から目覚めたムゲンは、昼餉の膳を取りに厨へと赴いた。

 夜明け前、床に就いた時刻には白みかけた冬空に星が瞬き、澄んだ空気に明るい朝を予想していたのだが……。

 仰ぎ見た灰色の雲の間からは、いまにも雪が舞い降りてきそうだ。

 昼の膳に燗酒を一本頼むことにして奥座敷に続く渡り廊下に差し掛かったとき、ふと庭に目をやると一本の大木の下に佇む人影に気が付いた。

 様子が、おかしい。

「姫! レンカ姫!」

 庭に出る下足を履く事も忘れ、普段に過ごす素足のまま庭に飛び出した。

「ムゲン……か」

 ゆらりと傾き倒れかかったレンカの身体を、ムゲンの逞しい両腕が受け止める。着衣の上からでも、全身が冷え切り硬くなっているのが解った。

 急ぎ抱きかかえ屋敷に上がったムゲンは、レンカを部屋に運んで女中を呼び、手当を頼んだ。

 部屋の外に待機し、一刻(二時間)ほど経ったころ。

 付き添いの女中に呼ばれたムゲンが暑いほどに暖められた部屋に入ると、レンカは床から半身を起こしていた。青白かった肌に血の気が戻り、桜色に回復した頬と唇をみてムゲンは胸をなで下ろす。

「身体が冷え切るまで寒空の下に過ごされるなど、正気ではありません。いかがなされましたか?」

 心から案じるムゲンの言葉に、目を伏せたレンカの手が震えた。

「ごめんなさい、ムゲン……あなたは怪我をしているのに、私を部屋まで運んでくれたそうですね」

「私の怪我など些細なもの。姫が倒れられたら困ります」

「本当に、私は必要とされているのでしょうか?」

 普段は男言葉で話し凜々しく振る舞っているレンカの、しおらしく弱々しい姿にムゲンの胸はざわついた。

「父の亡き後、私は一族の要として課せられた任を務めてきました。しかし私は弱く、いつもムゲンやクヨウの手を煩わせ足手纏いになっています。私に任じられた責務は十八歳までですが、むしろ出陣しない方が良いのかもしれません。女の役目は、跡継ぎを産む事だけで……」

「誰が、そのような事を! ……クヨウだな? 元から信用出来ないヤツだったが、レンカ様への暴言は許しがたい!」

 クヨウは幼いとき、御館様が連れてきた出自の解らない子供だ。霊山に迷い込んだ猟師の父子が幽鬼に襲われ、子を庇い死んだ父親の下から助け出されたという。

 冷たい亡骸となった父の下で、どれほど辛く苦しく、悲しい思いをしたのかは想像を絶した。そのためか屋敷に迎入れて暫く、頑なに心を開かず誰とも口をきかなかった。

 しかしレンカだけは諦めずクヨウの世話を焼き続け、やがて二人に芽生えた恋心は当然の成り行きだった。

 十六歳で御館様の片腕となるまで成長したクヨウは、レンカとの婚約を許され毎月の務めに出るようになった。

 幽鬼は霊山頭頂部の『地獄釜』と呼ばれる深い裂け目から、毎月十六夜の深夜に出現する。レンカの一族は夕刻から御館様を筆頭に数名の選抜部隊が『地獄釜』を見張り、出現した幽鬼を狩るのだ。

 二年前、神無月の務めの日。

 見張りは下級の戦力である者が担い、主力は戦いに備えて休養するため、その日は年若きクヨウが見張りに立っていた。

 ところが迂闊にも、ほんの寸刻、寝落ちてしまったのだ。

 運が悪かったのか、狙われていたのか。その数刻を逃さず、数体の幽鬼が油断している部隊を襲った。

 瞬時に数名が惨殺され、辛うじて初撃を逃れた御館様は手負いのクヨウを庇いながら幽鬼と戦ったが、残り一体のところで深傷を負い崖に追い詰められた。

 切り立つ崖の下は、晩秋の長雨で水嵩が増し、逆巻く流れの渓流。

 御館様はクヨウを水に突き落とし、一人幽鬼に立ち向かった……。

「御館様に世話になり、姫との婚約まで許されながらクヨウは、御館様を置いて逃げた卑怯者だ! 私が部隊に居れば、御館様をお守りできたのに……!」

 レンカが近くにいる事も忘れ、怒りを滲ませムゲンが叫んだ。

 その日ムゲンは縁者の訃報で遠方に出掛けていたため、務めに出る事が叶わなかった。

 務めを優先しようとしたムゲンに御館様は、「世話になった方に礼を尽くせ、務めは問題ない」と優しい笑顔で諭したのだ。

「ムゲン……父上は覚悟の戦いをされたのです。いまさらクヨウを咎めても仕方ありません。クヨウも自らを責めています」

「レンカ様は、クヨウを庇われるのですか? あやつは自らを責めてなどいません。生き残りの体裁悪さから暫く大人しくしていましたが、半年も経つ頃には里の出会い茶屋や都の遊郭に入り浸り、この度の務めもようやく間に合った次第です。姫が望まれるなら、私が……」

 言いかけてムゲンは我に返った。

「僭越でした、申し訳ありません……」

 出過ぎた真似を恥じ恐縮するムゲンに、レンカは口元を緩める。

「ありがとう、ムゲン。もしも、この先、クヨウが当主として相応しくないと判断した時。私に子があれば家督を譲り、お前を頼りに務めを任せたいと思っています。引き受けてもらえますか?」

「身に余るお言葉。その時は必ず、お引き受けいたしましょう」

 安堵の表情で寂しく微笑むレンカを前にムゲンは、ある意を決した。





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