〔1〕
風花が、闇夜に白く煌めいた。
外気の冷たさに、耳鳴りがする。
ムゲンは夜空に冴え冴えと輝く十六夜の月を見上げて白い息を吐き、隣に立つ少女に目を移した。
……我が姫、レンカ様は今夜も美しい。
ムゲンの一つに束ねた長く灰色の髪とは違い、高く結い上げ桜の髪飾りで止めた艶やかな黒髪には霜が舞い降り、月明かりで煌めいている。雛人形のように整った、幼く可愛らしい面には、寒さの為か薄く赤味が差していた。
戦いやすい、袂の短い着物と伊賀袴。着物の下には、獣の皮をなめして仕立てた着込みをつけているが、ぴったりと肌に張り付いたそれは豊かな胸の膨らみを一段と際立てる。
刀を携え、このような場所に居るべきでは無い方だと思った。
色とりどりの花々に囲まれ、金糸銀糸を織り込んだ美しい着物をまとい、琴を奏でる姿こそ相応しい。
「来るぞ、ムゲン」
ぱきり、と、凍り付いた枝が弾ける音でムゲンは我に返った。
眼前に広がる黒い山の裂け目奧から地を這うように、おぞましい霊気が這い上がってきた。ムゲンとレンカ、二人は木々が疎らで戦うのに都合が良い場所を選び待機する。枝の爆ぜる音は、霊気が強くなるにつれて激しく鳴った。
暗闇の中から、一頭の大熊が飛び出した。
素早く二人は左右に避ける。すると大熊の後から、幽鬼のように五つの人影が現れた。
青白い光を纏う、武者袴の男達。鼻の位置に二つ穴が空いた、のっぺりとした顔面に異様なほど大きな目と口。肩よりも長くのびた白髪。
「オォオオォオ!」
五体の幽鬼が、同時に雄叫びを上げた。大きな口が破裂音と共に裂け、血の色をした長い舌が、だらりと垂れ下がる。
「討つ!」
レンカの掛け声と同時に抜刀したムゲンは、素早い流れで二体の幽鬼の首を落とした。レンカも一体を斃し、残る二体に刀を構える。
勝機は見えた、容易い。
余裕から警戒が緩んだムゲンの背に、戦慄。
新たに現れた二体の幽鬼が、鋭く長い爪を奮い襲いかかってきたのだ。革の着込みを嫌い、代わりに着物の上に羽織った外套が無残に裂けた。
油断した。
敵は残り四体。想定外に分の悪い戦闘状況だが、レンカ様には掠り傷も負わせるわけにはいかない。着物の下、生暖かな血の流れを感じながらムゲンは気を引き締める。
それにしても、おかしい。
十六夜の晩に現れる鬼は通常、多くて三体。何故、今夜に限って七体も現れたのか?
「深手か?」
敵を牽制しながら、レンカはムゲンとの間を詰めた。声音に不安の色。
「お気遣い、無用にございます」
応えながら霜柱に浮いた落ち葉を足で払い、硬い地を蹴った。
下から刀身を払い上げ、翻す勢いで袈裟懸け。二体が胸から寸断され、四方に飛び散る。しかし、背に負った傷は、続く所作を鈍らせた。
ムゲン相手では分が悪いと学んだ二体が、同時にレンカに襲いかかる。
加勢が間に合わない。寸刻、凌いでくれと願いつつ、体勢を整えたとき。
「オレの嫁さんに、傷をつけるんじゃねぇ!」
一条の閃光がレンカの姿を煌めかせた瞬間、一体の幽鬼が沈む。期を逃さず、最後の一体をムゲンが斃した。
「クヨウ……貴様! 今まで、どこに居たっ!」
「あぁーうん、他に敵が出現してないか見回りしてたら迷っちゃってさぁ。遅れて悪ぃな! でも最後は、ちゃんと働いたから怒るなよ?」
クヨウは頭を掻きながら、無邪気に笑った。
今は亡き御館様が決めた、レンカ姫の許婚。後ろ髪は長く伸ばし一つに束ねているが、総髪のムゲンと違い前髪は短く揃え前に下ろしている。十六歳という年に似合わず大人びて落ち着いているレンカに比べ、十八歳でありながらクヨウの、なんと幼く見える事か。
二年後、十八歳になったレンカはクヨウと夫婦になり、この過酷な任務から解放されて跡継ぎを成さなくてはならない。
『一族の過ちから生まれた掟』は、絶対だ。
レンカの幸せを切に願っている。御館様の決めた事に反対する気も無い。
しかし、この頼りない若者に姫を任せて良いものか?
首と心の臓を断たれた幽鬼は、朝日が昇れば霧散する。散らばる残骸を足で転がし、刀を収めたムゲンの心中は、複雑だった。