さよなら、ホトトギスの花
何回も、何回も見てきた。
大好きだった人も、大嫌いだった人も。
どれだけ死なないでと願っても、どれだけ私と一緒に生きてと願っても。
その願いをあざ笑うかのごとく、私の前からは人が消えるばかり。
決して自分では見えやしないトゲに心が蝕まれるのは、もう何回目か。
私が何度拒もうとしても、その連鎖が止まることはなかった。
* * *
「……っ!」
木目調のきれいな、大きめのテーブルに並べられた、何本ものナイフ。そのうちの一本を私は手に取って、そのまま流れるように自分のお腹に突き刺した。一瞬の鋭利なその先を弾き返すような感触の後、その抵抗が嘘のようになくなって、深く奥に刺さる。一拍遅れるようにして、生暖かい液体が溢れ出す。
「ぐ……うっ」
そんなことをすれば、どうやったって死んでいるはずなのに。喉につっかえたものを吐き出した時のように、ひとしきり血が床にこぼれた後は、ナイフが溶けてなくなり、傷も何事もなかったかのようにふさがってしまう。
「どうして……」
今日は、できると思ったのに。普通の人なら、もう何回死んでいるか分からないくらいなのに。
テーブルいっぱいに並べてあった大小さまざまな形をしたナイフは、もう半分もなくなっていた。
* * *
魔女。
きっとそんな存在は架空のもので、真面目に話そうとすれば笑われるだろう。だって魔女なんてファンタジーの世界の住人に過ぎなくて、実在なんてできるはずがないのだから。
でも、私は魔女だ。
もう自分の歳を数えるのも嫌になった。二百年くらい生きているのは間違いない。二百年も生きて、いまだに見た目はせいぜい十五、六歳。幼少期の頃だけ普通の人間と同じような育ち方をするのに、ここ百五十年くらいは、ずっとこの容姿だ。
私も、普通に生まれていれば魔女になんてならなかった。両親はどこにでもいるような普通の人間で、私も人間として生まれてしかるべきだった。なのに、そうはならなかった。突然変異で、私は周りの人よりも途方に暮れるほど長い時間生きることになる、魔女になってしまった。
魔女は普通の人間と違って、魔法を使うことができる。けれどその魔法は、自分の”外”にかかるものばかりではない。私が意識しなくとも、自分の”中”、すなわち体にも魔法がかかる。それも、とびきり上級の回復魔法。お腹をかっ裂いた程度の傷なら、十秒もしないうちに元通りに治ってしまう。そのせいで、何度も何度も自分で死のうとして、何度も何度も失敗して。どうしようもない鈍い痛みのようなものと、やり場のない怒りと悲しみが残るだけだった。
「どうして、私だけ……」
お父さんやお母さんは一向に成長しない私を怖がって、早々に孤児として放り出してしまった。きっと二人とも、当たり前のように人と別れることの悲しさを感じて、そして自分たちの死を悲しまれてあの世に行ったのだろう。
それなのに。私は、出会ってきた人みんなを見送るだけ。他人の何倍も、その重みを味わってきた。我慢していればそのうち何も感じなくなるほど、私は冷酷にはなれなかった。
「どうしたら、死ねるのかな」
私の身の回りに、他に魔女なんていない。自分が魔女なんだ、と打ち明けることもできない。私の頭の中のほとんどを、そんな暗い思いが占めていた。
「今日もまた、行かないと」
私はもう何度目か分からない高校生活を送るために、制服を着て昔から住む屋敷を出た。
* * *
「……お前。魔女、なんだってな」
「……っ!?」
自分だけこんなに辛い思いをするくらいなら、もう生きるのは嫌だ。
そう思いながらも、私は何度も名前を変えながら、高校に通っていた。環境を変えれば何か解決する方法が見つかるかもしれない、そういう淡い期待を抱いていたのかもしれない。
でも友達を作ったりなんかして、その人に置いていかれるのは嫌だ。だから友達もいないし、部活とやらに入ることもなかった。ただただ、怠惰に過ごしていた。そんななんの変哲もない、ある日の放課後だった。
「やっぱそうなんだ。噂で聞いて、ここに来たんだけど。本当だったなんてな」
特にどこに注視するというわけでもなく、机に突っ伏していた私に話しかけてきたのは、銀髪のうぶな顔をした男だった。童顔に似ている気もするが、それとは少し違った種類の顔をしていた。
「……噂?」
「そう。この近辺に、昔ながらのお屋敷に住んでる、若い女がいるとか。しかも、理由は分からないけど高校に何度も何度も通ってるとか」
「……それは」
それは誤解を生む発言ではないか。まるで高校を何度もドロップアウトしているみたいな言い方だ。一応人並みの成績は取っているし、卒業が危ぶまれる状態になったことは一度もない。
「それが少なくともここ四十年は続いてる、ってな。さすがに四十年もその状態は何かあるんだろうと思って」
「それでどうして、私が魔女だと思ったの」
「さあ。なんとなく」
私の質問はひらりとかわされた。
「……じゃあ、質問を変える。魔女なんて現代には存在しない。それだけの不確かな情報で私を魔女だと考えた、あなたは一体何者なの」
「それを今、知る必要はないさ」
また彼はまともな答えを返さなかった。自分のことを彼は知っているのに、私は彼の名前さえ知らない。
名前を知りたい。
その時私は、自分の中に芽生えた妙な思いに気づいて、自分でも驚いた。
何かを知りたいと思うなんて。とっくにそんなこと、やめたはずだった。仲良くなれそうな子がいても、名前やその子の家族の話を聞いても、いずれはその子のほうが先にあの世へ行ってしまう。一方的な別れを何十回も経験していくうちに、最初から知らないでいた方が、知ろうとしない方が、私は幸せでいられるんじゃないかと思いだした。向こうだって、自分よりずっと若いままでいる友達に見送られるのはつらいだろう。
それが自分勝手な話なのは分かっている。けれど、私はそう納得して自分を落ち着かせるしかなかった。
「教えて」
ふいにその言葉が、口からこぼれ出た。
苦しかった。苦しいなんて思いをしたのも、いつぶりだろうか。きっと彼となにかまかり間違って仲良くなったとしても、いずれ彼を見送らなければならない時が来る。でも、それよりも名前を知らずにいることの方が、今は苦しく感じた。
「じゃあ、今日お屋敷に行ってもいい?」
「え?」
「オレ、気になってたんだよな。今時そんな雰囲気のあるお屋敷なんて、老朽化で次々取り壊されてほとんどなくなってるらしいし。それに、あんたがほんとに魔女なのかどうかも、家に行ったら分かる気がする」
私はその言葉の勢いに押されてしまって、結局嫌とは言えなかった。私が帰る後ろを、こそこそ彼はついてきていた。やっぱりそこは年頃の男の子で、恥ずかしかったのだろうか。
「……入って」
どうせ古い屋敷の珍しさに釣られただけだろう、と私は思っていた。玄関のドアを開ける前に一瞬、テーブルに大量のナイフを置きっぱなしにしていないかどうか心配になったが、ちゃんとしまってから学校に行ったことを思い出した。
「おお、すげえ……本物だ」
そりゃそうだ。私が孤児院だか施設だか、そこを出てからずっと住んでいるところなのだ。正確には私の前に住んでいた人がいたそうなので、この屋敷は私より年上なのかもしれない。
「別に古いだけで、特にいいことなんてないわ」
「大事なのは雰囲気だよ。この屋敷の中に流れてる空気。時間の流れがゆっくりになったみたいな」
「時間の流れが、ゆっくりね」
そんな言葉、もう聞きたくない。自分だけ時間が止まっているように感じるのは、本当にうんざり。
「なんかほんとに、魔女の館っぽい」
「……」
私は彼の表情など見ていなかった。もし目をキラキラさせながらそんなことを言っているのだとしたら、そんな楽しいものじゃない、ときっと私は怒りたくなる。もし他に何か思う事があってそんなことを言っているのだとしたら、やっぱり彼が何者なのか気になって仕方なくなってしまう。
「ねえ。何か、飲み物もらえない。喉が渇いた」
「……分かった」
水筒のお茶飲めばいいじゃん、と私は反射的に言いそうになるのを、すんでのところで止めた。他人と関わろうとするのを嫌がる私に、わざわざ近づいてきたのだ。ご苦労さまという意味で、飲み物くらい出さなければいけない、と私は思い直した。
「コーヒーでいい?」
「うん、大丈夫。砂糖ひと袋ももらえると嬉しい」
「角砂糖一個でも?」
「大丈夫、ありがとう」
あまり長い会話ではなかったが、私に対してあくまで気さくな態度だった。最近ではもう、私に対してそんな丸い姿勢で接してくれる人なんていなかった。私からそうされるのを嫌がったのも、もちろんあるが。
「砂糖は、……と」
家の中まで何十年も代わり映えしない雰囲気では気が滅入ってしまうので、私は時々わずかながらでも内装を変えていた。台所もその一つ、少し近代的な雰囲気がそこに漂っていた。私はコーヒーの粉にお湯を注いで、二人分のコーヒーを作った。それから片方には、角砂糖をそっと入れて。
ざくっ。
「……え?」
できたコーヒーを運ぼうと、カップを持ち上げた瞬間だった。肩に鋭い痛みを感じて、そのカップを手から滑らせてしまった。
痛い。いつも自分のお腹を刺す時と似ているような、でも違うような痛みをこらえながら、肩の方を見た。
「……!?」
いつの間にか彼がすぐ後ろにいて、痛みを感じた右肩には、彼の鋭い牙が二本、しっかりと突き刺さっていた。
何が起きているのか分からずにいる私と、ほくそ笑むようにニタリと笑いつつ、私の肩にかぶりついたまま離れない彼とが、しばらく見つめ合った。たぶんほんの数分なのだが、たっぷりの時間が経ったと私が感じた頃、彼はようやくその牙を離した。
「……ごめん」
「どういうこと」
彼の牙からはまだぽたり、ぽたりと私の血が滴っていた。そして私の肩の痛みは、全く消える気配がなかった。
「……実はオレ、吸血鬼で。親は人間なのに、突然変異で生まれたとかで」
私は思わずひゅっ、と息を吸い込んだ。それじゃあまるで私と同じだ。
「こんな幼い見た目だけど、もう二百年は生きてて。親はとっくに死んでるのにさ。吸血鬼のくせに大して人間の血が美味いとも感じない、でも血を吸わなくても何だかんだ、長い間生きてる。生きながらえちまってる」
「そんな……」
「でもオレみたいに、人間から突然変異で生まれて、苦しんでる魔女がいるって話を聞いたんだ。人間の血はまずくて飲めたもんじゃないけど、魔女の血なら何か違うかもしれない。そう思って、ここに来たんだ。嘘ついて、ごめん」
きっと彼も、いくつもの一方的な別れをしてきたのだろう。そうでなければできない悟ったような、それでも憂愁の混じった表情を、その時の彼はしていた。
「……あなたは悪くないよ」
私は口を開いて、まずそう言った。とっくに収まっているはずの肩の痛みは、まだ主張を続けていた。
「そう……あなたの言う通り、私は魔女。両親が人間なのに突然変異で生まれて、何百年も生きてきた……もう誰かと友達になって生きることも、諦めてた……まさか、そんな人が他にいたなんて」
「オレも、最初はびっくりした。オレみたいな人が今の時代にいるはずないって。……でも、いたんだな」
ぐらっ、と、私の視界が歪んだ。すぐに立っていられなくなって、私はその場にへたり込んだ。
「苦、しい……?」
胸のあたりが、ズキズキと痛んでいた。そんなことは今まで一度もなかった。一度もなかったがその気分を言葉にするなら、苦しい、だった。
「……オレもだ。なんか、心臓のあたりが締め付けられてる感じがする」
肩の痛みはまだ治っていなかった。あの忌々しい回復魔法が、今回は効いていないというのか。
「どういうことなの。傷がこんなに治らないなんて」
「……聞いたことがある」
彼がこめかみの辺りをおさえて、そう言った。
「何を?」
「吸血鬼の牙には、毒があるって。普通の薬では、治しようのない毒が」
「うそ……」
「……でもこの分じゃ、魔女の血にも毒が入ってるみたいだな。オレも同じ症状背負ってるんじゃ、意味ない」
魔女の血さえ吸えば、何とかなるんじゃないかって思ったんだけどな。
彼はそうぼやいた。何がどうなるのか、私には分からなかった。
「……どういうこと」
「オレと同じ人間じゃない者の血を吸えば、この”死なない呪い”も、解けるのかなって。だから魔女の噂がオレに飛び込んできたんじゃないかって、信じてここに来たんだ」
”死なない呪い”。
本当は魔女の私だって、吸血鬼の彼だって、いつかは死ぬ。生きている限り、必ず死はセットでいつか訪れる。死なない”生き物”なんていないのだ。けれど彼は自分だけがずっと長く生き続けなければならない運命を、呪いと表現した。
「……っ!」
やはり痛いままの右肩を左手で押さえつつ、立ち上がろうとした私を別の痛みが邪魔した。とっさにつかんだ花瓶に挿してあったホトトギスの花が、花瓶の破片とともに散った。
今度は全身を、引きちぎられるような痛みが襲った。引きちぎられたことなんてないはずなのに、そう表現するしかないような、初めて感じる種類の痛みだった。
「そんな……」
果たしてその表現は、間違っていなかった。どこが痛いかも分からない状態で、やっとのことで足の方を見ると、ぐぐっ、ぐぐっ、と震えながら、少しずつ大きくなっていた。
それだけではない。腕やお腹、胸も形が変わっていくのが分かった。それを表現するなら、
「成長、してる……?」
もう何百年も十五、六歳の姿のままだったのが、急に大人のそれに近づいている。それを自分自身で感じていた。
「……オレもだ」
そしてそれは、彼も同じようだった。幼く感じられる彼の顔がどんどん大人びていくのが分かった。
”死なない呪い”が、解けている――
「……本当に?」
私はしばらくして痛みが収まりつつあった足に力を込めて、キッチンにある包丁を手に取って、おそるおそる左肩に刃先をあてがった。
「痛い……痛いよ」
血は延々と流れ続け、痛みが絶えず私を襲った。何十秒経っても、何分経っても、それは収まることを知らなかった。
「こんなに、痛いもの……だったんだ」
私の目に映る彼の姿が、にじんでゆく。嬉しいのか悲しいのか、私は泣いていた。彼もまた、恥ずかしさたちいろんな表情を隠すように、屈託のない笑顔を私に向けていた。
* * *
「……なんて話が、あったのよ」
「ウソだぁ~、そんなわけないって!」
「本当よ、本当」
私は自分の孫に、話をしていた。もう何十年も前、けれど今まで生きてきた期間に比べれば、ほんの少し前のお話。
「だってばあちゃんが二百年も三百年も生きてるなんて。そんなのあるわけないじゃん。そうだよなじいちゃん!」
「いやいや、本当だよ、本当。なんならじいちゃんもばあちゃんと同じくらい、生きてるさ」
「二人ともウソばっかだー!」
もう何度過ごしたか分からない、夏のある日の昼下がり。
昔のばあちゃんってどんなのだったの?
そう聞かれて、のんびり話を始めて。ちょうど終わった頃に孫の友達が来て、元気に遊びに行ってしまった。
「……よかった。君と、子どもができて」
「本当にねえ」
あの時、呪いが解けていなかったら。今もずっと、お互い孤独に苛まれていたかもしれない。でも、もう違う。
私たちには、見送ってくれる人がいる。
彼は最近、よく咳をするようになった。私は足腰が弱くなって、家の中でも杖を使うようになった。でも、それでもいい。
「……今日で、何年目だったかな」
「”呪い”が解けてから? それとも、」
「”呪い”の方さ」
「それなら、五十年、かしら」
「そうか。そうだったかな」
「あなた。分かっていて、聞いたでしょう」
そうかもしれない、と悪びれもせず彼は言った。それから、きれいに透き通ったガラスのコップに麦茶を注いで、片方を私に渡してくれた。
「あいつらが来ればうるさくなるだろう、その前に。一足先に、乾杯」
「……あら。乾杯」
かちんっ、と軽い音を鳴らして、私たちはそっと中身を喉に通した。
孫たちの歓声を少し遠くに聞きながら、私は少しの間、目を閉じた。




