番外 魔人と剣士の少女 −1−
「ふむ、まだ目覚めないね」
耳元でそんな声が聞こえる。暗闇の中で、私の意識は覚醒していく。多分、男の声だと思う。でも、かなり高いから子供なのかもしれない。
すると、反対側からくぐもった低い声が響く。
「まさか、本当に治すとは……」
それは感嘆の声だった。一体何を治したというのか。ワタシは目を閉じたままその声に耳をすませる。
「うーん、もうとっくに目が覚めてもおかしくないんだけどなぁ」
子供、の方がそんなことを言う。確かに私は目が覚めている。だが、目を開けるのが怖かったので、まだ気絶しているフリを続ける。
ここは病院? 救護所? 私はついさっきまでドラグーンと戦っていたはずだ。そのはずなのだが、途中で記憶が途切れている。
確か、あのあとに私は、ドラグーンのふところに突っ込んで、剣を突き入れて……。
「起こしましょうか?」
低い声の方が、子供の声にそう聞いた。子供の方は、すこし思案するような素振りを見せたあと、こう言った。
「ちょっと考えがある。私がやるよ」
「はぁ……」
一体何をするつもりなのだろうか。私は警戒する。
「ふふ、じゃあいくよ」
気配が近づいてくる。私の耳元でその気配は動きを止めた。
それでも私は目を瞑っていた。おそらくここは救護所でも病院でもない。確証も何もないが、そう確信していた。
そうやって次の動きを待っていると、唐突に
ふぅー。
「ひぁっ」
耳元に息を吹きかけられた。ゾクリ、と肌を震わせ、思わず小さく声を洩らす。目も開けてしまった。
目の前には少し小柄な男性の顔。少し中性的だが、しっかりと男らしさを兼ね備ている。世間の基準で言えば、かなりの美貌と言えた。
「あはは、やっぱり起きてた」
男はそう言うと無邪気に笑う。私にはそれが少し幼く見えた。
「っ、あんたは誰!」
私は飛び起きると彼からすぐに距離を取る。私が寝かせられていたのは石の台のような物だった。
「うんうん、元気そうで何より。君、僕たちの言葉に反応してたし、目瞑っててもバレバレだったよ」
小柄な男はその場でひとしきり笑ってからそんなことを言った。
僕たち……?
そういえば、声はもう一つ――。
「うっ」
そう考えながら後ずさっているうちに壁のような物体に衝突する。
「ふん、お目覚めか?」
その壁は声を発した。先程の低い方の声だ。
私は恐る恐る振り返った。
まず目に入るのは屈強な肉体。骨太な骨格には引き締まった筋肉がこんもり盛りあがるほどに付いている。今度は視線を上にあげる。
目に入ったのは厳しいゴツゴツした顔。ものすごい形相でこちらを睨んでいる。それを形容するのには、まさに”鬼”という表現が相応しかった。
「きゃあああああああぁあ……」
私は叫んだ。
◇
「ガロン、落ち着いて、ほら……」
「この、どいつもこいつも、失礼な、反応、返しやがって、このぉ……」
「ご、ごめんなさい」
私はガロンと呼ばれたオークに平謝りしていた。小柄な男の方は彼を宥めている。
思わずびっくりして叫んでしまったのだ。急に目の前にあんな顔が出現したら、誰だってびっくりすると思う。
「その、ここは……?」
私は彼らにそう聞きながら辺りを見回す。迷宮オークがいるということは、ここは迷宮内であるのは間違いないはずだ。
だが、この不思議な空間を私は少なくともしらない。ここは一体どこなのか。疑問だけが頭の中を巡っていた。
すぐ天井には道や、階段のような物が見える。それどころか、左右にも同じような状態でそれが広がっていた。
それらに規則性は感じられない。
文字通り、上下左右が曖昧だった。
「ふふ、まずはお礼を言って欲しかったなー、せっかく治したんだけどなー」
「あ、ごめんなさい。ありがとう……って、私は今までどうなって」
彼にそう言われ、慌ててお礼を言ってから、私は気になっていた事を思い出し、彼に問い詰めた。
彼は先程からずっと笑みを顔に貼り付けていたが、私にそう聞かれても表情一つ変えずに答えた。
「うん、そうだねー。君は大怪我をしていたよ。瀕死だった」
「ああ、レウヴィス様が治して下さった。お前は出血多量で倒れていたんだ」
「ええと、やっぱりトリコロール・ドラグーンにやられて?」
「いやー、右手まで無くなってたから少し苦労したよ。まぁ、
成功してよかったよかった」
は? 右手!?
私は思わず自分の右手を確認する。彼は無くなっていた、と言っていたが、そこにはしっかりと右手が存在する。
どういうこと?
通常、欠損した部位はどんな物を用いても再生させることは出来ない。彼の言うことが本当なら私の右腕を再生させた、と言うことだ。
一度に大量の疑問が浮かんできて、頭が軽く混乱する。それはともかく、目の前の彼は命の恩人ということだ。しっかりと感謝をすべきだろう。
「ありがとうございます」
私は立ち上がると深く頭を下げた。疑問よりもなによりも礼儀がまず大事なはずだ。
「どういたしまして、と言いたいところだけど、感謝ならガロンにしてやってくれ。君を見つけて背負って来てくれたのは彼なんだ」
彼は私が頭を下げると、彼は笑ったままそういった。言われるがままに、今度は後ろに立っていたガロン、さんにも頭を下げる。
「……チッ」
すると、彼は舌打ちをしてプイっと顔をそらす。まだ怒っているのだろうか。私は不安になり、もう一度謝ろうと……。
「……感謝しろよ」
したのだが、彼はそれを手で遮ると一言だけ、そう言った。
怖い顔をしているが、根はかなり優しいようだった。
「で、ここはどこかだっけ? ここはねー、迷宮の一番奥! 君たちの感覚で言えば一番下、ってことになるかな」
「ここが迷宮の最下層だっていうの? まだ誰も、辿りついたことのない」
それなら納得がいった。特級探索者として、深層域まで幾度となく迷宮に潜ってきたのだ。見たことがない場所なんてもう最奥部くらいだった。
彼は私の言葉を聞いてニヤリ、と不敵な笑みを浮かべる。
「そうだね。君達探索者達が追い求める最終目的地。それがここだ」
何がなんだかわからない。私はどうしてこんな所に連れて来られたのか。確かレウヴィスといったか。あまり聞き馴染まない名の男にそれを聞こうとして、今更ながら彼が普通の人間でないことに気づく。
彼の頭には角が生えていた。そう、まるで魔物のような、立派な物が一対。彼は一体何者なのか、少し和んでいた空気に忘れかけていたが、それを思い出しまた私は体を強張らせる。
私が緊張していることに気付いたレウヴィスは意味深に目を細める。
「ああ、私がただの人間じゃないことは気付いてるよね? 私は、魔人なんだ」
彼は自らのことを魔人と称した。魔人って何? 私は少なくとも今までそんな言葉は聞いたことがない。
彼はそれ以上は答えずに、今度は私に質問を振ってきた。
「それで、聞きたいことが私にもあるんだけど、いい?」
「レウヴィス様には気になることがあるそうだ。いいな?」
「は、はぁ……」
もちろん構わない。私だけ聞いてばかりなのも失礼かもしれないし、なにより命を助けて貰った相手だ。断る理由など存在しなかった。
私が了承すると、一拍おいてから、レウヴィスが口を開いた。
「ヨータって、知ってるよね?」
「っ、何故ヨータの事を知って――!?」
予想外の質問に思わず彼に向かって身を乗り出す。
「お前が気絶していた時に名前を呼んでいただろう」
そうなの? 私にはその時の記憶がない。
レウヴィスは私の反応に更に顔を喜色に染める。興味津々といった様子だ。
「ねぇねぇ、ヨータって男は強いんでしょ? どうしてそんなに強いのか教えてよ」
私は彼の言葉に引っかかりを覚えた。ヨータが強い? ヨータはレベル4の支援魔導士だ。弱いと思ったことはない。
だけど私の知るヨータは強い、なんて言葉は無縁の少年だ。
レウヴィスが言っていることとはかけ離れていた。
「すみません、別人じゃないんでしょうか? 私が知っているヨータは、レベル4の支援職の子なので……」
「おかしい、あの男の強さは尋常じゃなかった。スキルを使った途端に全ての能力が、急激に上がって……」
「ヨータに会ったことが?」
「ああ、つい数日前に会ったぞ」
ヨータの支援魔法はたしか全ステータスを底上げするものだったはずだ。しかし、彼の様子を見るにもっとすごい物のようである。少なくとも、ヨータの魔法はそこまで劇的な効果が得られる魔法ではなかった。
やはり別人なのだろうか。私は彼らとの認識の食い違いに首を傾げる。
「その、ヨータと名乗っていた男の外見はどうでした?」
これを聞けば私の知るヨータであるかどうかは少なくとも分かるはずだ。そう考え、ガロンにそう質問した。
「その男は……」
彼から外見の特徴を余すことなく聞き出す。そして私は驚きに目を見開いた。
「……間違いなくヨータだわ」
ヨータが強い? どういうことなのだろうか。ついこの間レベルが低い事を理由にパーティーを追い出されたばかりなのだ。
私が思案していると、突然レウヴィスに肩を掴まれる。私は思わずビクリと肩を震わせ、彼の方を見た。
「ねぇ、君がヨータに最後に会ったのっていつ?」
「と、十日前に喧嘩して、それっきり……」
周りの空気が急速に冷え込んだような感覚に陥る。彼の纏う雰囲気が急に変わったからだ。
彼は今まで私が感じたことのない、ものすごいプレッシャーを発しながら満面の笑みを浮かべた。
「ふふ、興味深い、実に興味深いよ! そんな短期間でどうやって強くなったのかなぁ?」
「ひっ……」
私が彼に抱いていた、先程までのイメージは消え失せる。
……今の彼の笑顔はとても不気味に見えた。





