第十三話 支援魔導士、眠れない夜を過ごす
「それ以上やったら彼が死んでしまう。ヨータくん、離すんだ」
ギルドマスターにそう言われ、僕はライオルを掴んでいた手をぱっと離す。
ゴトリ。
そんな鈍い音がして、彼の体は地面に打ち付けられた。彼を連れ戻しに来ていた看護師さんが慌ててライオルに駆け寄り、彼を引き起こすと奥へと運んでいく。
しばらくして戻ってくると今度はミーナも抱えて運んでいった。その際に、ガレもついてくるように言われ、彼も彼女達に伴って奥に消える。
ここには僕とギルドマスターの二人だけが立っていた。
「……」
僕と彼女はしばしの間無言で互いの顔を見つめ合っていた。が、僕の方から行動を起こす。
「キミ、どこに行くつもりだい?」
僕は踵を返して再び迷宮の方へ足を踏み入れようとする。するとアレクはそう後ろから僕に声を掛けて来た。
どこ? もちろんミカを助けに行くのだ。それ以外にあるわけがない。
僕は彼女のそれには答えずに、そのまま迷宮に足を――。
「調子に乗るな」
足に強い衝撃を受け、直後に自分がその場に転んでいることに気づく。アレクが僕の足を蹴り払ったのだ。ステータスのおかげで痛みは無かったが、不意を打たれて、僕はあっさりとそれに引っかかってしまった。
更には腕を掴まれ、後ろ手に捻られる。今度はさすがに痛みが走る。相手はレベル10だ。当然だった。
うつ伏せに押し倒された状態で後ろに目を向けると、僕にまたがったアレクが冷たい視線で睨みつけているのが見えた。彼女から発せられるプレッシャーに僕は思わず息を呑む。
彼女は静かに、冷静な声で喋りだした。
「キミは今少し、傲慢になっているようだ。少し頭を冷やした方がいい」
「僕はそんな……」
アレクにそう言われ、反論しようと口を開くが、僕の腕を捻り上げる彼女の手に力が入り、それは無理やり中断させられる。
僕が押し黙ったのを確認すると、彼女は続きを話した。
「キミは今、冷静さを欠いている。まともな思考状態じゃない。ボクにはわかるよ」
「……」
「己の力を過信しているんだ。キミがさっきボコボコに打ちのめした彼らと同じように」
彼女の言葉に僕ははっとした。思わず彼女から目を逸らす。
「キミのレベルは5だ。深層域の推奨レベルは9以上。キミがいくらレベル9に劣らないステータスを持っているとはいえ、しっかりとパーティーも組まず、それどころか一人で行こうとするなんて、ボクはとても許可なんて出せないよ。……リスクが大きすぎる」
「……すみません」
彼女の言うとおりだ。僕は結局、突然大きな力を手に入れて調子に乗っていたのだ。多少強くなったくらいで、楽観していたのだ。
彼女が僕に跨がるのをやめ、立ち上がって離れていく。僕は体が自由になってから、ゆっくりと体を起こした。
「キミ自身、まだ自分の能力を理解していないだろう? 傲ってはいけないよ」
「……はい」
彼女は僕に背を向けるとそう言った。僕は素直に肯定する。
「それで、だ」
彼女はひと息置いてから提案してくる。
「キミは最近まで、レベル9の彼らと共に深層に潜っていただろう? そしてキミはスキルアップデートで大幅に能力が強化された。この意味が分かるかい?」
「……あっ」
彼女の言葉に少し考えて気付く。僕のスキル効果倍率は以前に比べて五倍以上だ。それが意味することは……。
「レベル9の人を強化して上手くやっていたんだ。今のキミならそれより下のレベルの探索者でも十分に深層で渡り合える能力まで強化出来るんじゃないかい?」
確かに、場合によってはレベル6なんかでも僕の力を使えば深層に潜る事ができるだろう。
しかし、そこで疑問が浮かんできたためにそれをギルマスに確認をした。
「でも、街にはレベル9探索者は他にも居たはずじゃあ……?」
わざわざこのような事を僕に聞かせると言うことは、レベル9の探索者は使わないということなのだろうが、やはり理由が気になった。
僕の質問にアレクは眉を下げて困ったような表情を作って言った。
「レベル9以上の探索者は現在全て深層域へと出払っている。すぐに集められる高レベル探索者はもうレベル8より下のコしか居ないんだ」
「そういうことですか」
深層域とは一言に言っても広大だ。万に一つでも彼女が他のパーティーに救助されている確率は低いだろう。
ないものねだりをしてもそれが出てくるわけではないので、僕は納得するしか無かった。
「それでだが、救助に出発するのは明日になりそうだ。すぐに集められると言っても探索者であるからには皆迷宮に潜っている。それに彼らも仕事でやっているんだ、ただの厚意で引き受けてくれる可能性はほぼないだろう」
「そんな! そんなに時間を掛けていたら……彼女は怪我をしているんだ、いくらなんでも時間が――」
「これでもギルドは精一杯の対応をしているんだ。キミ個人の都合だけでなんでも動かせるわけじゃない、理解してくれ」
僕は焦りから彼女食って掛かるが、それはあっさりと切り捨てられてしまう。
彼女の言うことは正論だった。僕は彼女の言うことに従うしかないのだった。
「とにかく、キミは宿に帰って休むんだ。失敗のリスクは極力減らすに限る」
「了解しました、……ありがとうございます」
僕は彼女にお礼を言って迷宮の受け付け所から出る。後ろから彼女は僕を慰めるように言葉を掛けてくる。
「お礼なんか言わなくていい、ギルドの力不足も事実だ。明日には必ずメンバーが集まるだろう。それは保証するよ」
最初は彼女の事を変人だと思っていた。しかし、思ったよりもずっとしっかりしている人だった、ギルマスになるだけの理由はあったのだ。
僕は今の自分と彼女を比べて、改めて自分の愚かさを実感する。
と、受け付け所の扉をくぐり抜けようとノブに手をかけた所で、備え付けられた小さな窓から、目の前に人が立っていることに気づいて、勢いよく押し開こうとしていた手を慌てて止める。
僕が扉から手を離すとあちら側からゆっくりと扉が開いた。
「あの、何かあったんですか? 隋分と遅いので」
サラだった。彼女には先に帰るよう言っておいたのだが、あまりにも遅かったためか迎えに来てくれたようだ。
心配そうな顔で僕を見つめている彼女の頭じ軽く手を置いて撫でる。柔らかな彼女の髪の毛の感覚を手の平に感じながら気にしないように言う。
「大丈夫、用事は済んだから帰ろう」
僕は彼女と共に宿へと戻るのだった。
◇
夜、僕は寝付けずにいた。ギルマスには休むように言われていたが、とても眠れるような状態じゃなかった。
隣ではすでにサラが静かな寝息を立てている。僕は彼女を起こさないようにそっとベッドから腰を上げた。
そして夜風に当たるために部屋に一つだけある大きな窓まで行く。窓を開け放つと、夜のひんやりした空気が顔をなでた。
僕はそんな心地良い風に当たりながら物思いにふけった。
「……ミカ」
まだこの街に来る前、村にいた頃を思い出す。僕とミカ、それにパーティーの皆はいつも一緒に過ごす、幼馴染みの間柄だった。
あの頃は皆仲良しであった。探索者になるのが夢で、探索者になった時はみんなで一緒にパーティーを組むと決めていた。
実際に探索者になり、パーティーを組んだときも、こんなことになるなんてその時は全く思っていなかったのだ。
でも、もう関係は修復不可能なほどに壊れてしまった。
楽しかったあの頃が戻ってくる事はもうない。
追い出されたことよりも何よりも、今はそんな事実が悲しかった。
今も迷宮にいるミカの事を考える。彼女は今も逃げおおせているのだろうか、それとも……。
「……っ!」
焦燥感が胸の奥から溢れ出し、僕は胸を抑える。急激に体中が冷え込んでいくような感覚がして、思わずしゃがみ込む。
すると、突然そんな僕に声が掛かる。
「……眠れないんですか?」
「……ごめん、起こしちゃったかな? ……ほんとごめん」
サラだった。彼女は眠たげに瞳を擦りながら立ち上がってそう聞いてくる。僕は起こしてしまったのか、そう思って彼女に謝罪する。
しかし、違ったようで彼女はそれを否定してくる。
「いえ、ヨータさんのことが少し気になって……本当に何があったんですか」
やはりバレバレなようだった。というかこんな態度取っていれば誰だってすぐに分かるだろう。隠せているわけもなかった。
「ミカ、さんってヨータさんの知り合いなんですか?」
「……」
「もしかして、迷宮で……ひゃっ!?」
僕は急に彼女に抱きつく。そしてそのまま彼女の胸元に顔を埋める。驚いて慌てふためく彼女の胸からは落ち着きのあるゆっくりとした心音が聴こえてくる。僕はそれに静かに耳を傾けた。
「……その人の事が心配なんですね。よくわかりました」
サラはしばらくどうして良いかわからないといった風で手をわたわたと空中で右往左往させていたが、やがてそっと僕の頭を抱きとめると、優しい声でそう言ってくれた。
彼女は僕の事を抱きかかえたまま、ベッドに腰掛ける。
「ミカは、僕と同じ村出身で幼馴染みなんだ。君の一つ上で、君と同じ細剣士だ」
「幼馴染みさんなんですか。ミカさんは、その、今迷宮で……?」
「怪我をして、迷宮に置き去りになっているんだ。僕は彼女が心配で仕方がなくて、早く助けに行きたいんだけど、それも出来なくて……」
男なのに涙が出そうになる。そんな情けない様子を彼女には見せたくないので、必死にこらえた。そんな僕を、サラは優しく慰めてくれる。
「……きっと大丈夫ですよ、きっと。彼女は今もヨータさんの助けを待っていると思います。だから、そんなに思い詰めちゃ、だめですよ」
「……うん、そうだよね。ごめん」
僕は彼女に謝る。
頭をゆっくりと撫でてくれる彼女の胸元に、その後もしばらく顔を埋め続けた。
そこから響いてくる心地のいい音に、少しづつ心が落ち着いてく気がした。
彼女がその時少し寂しげな表情だったことに、僕が気付く事はなかった。





