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森と雨  作者: 森本泉
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ただひたすら幸せになることを拒む美しい女子大生、雨。

雨を真摯に思うレアンと、見守る友人たちの物語です。

髪の毛は私の親友みたいになっている。目が覚めて、必ず一番に見えるものだから。毎晩私に添寝してくれている。腰の、下あたりまで伸びている私の髪。いつまで伸ばそうか。そろそろ切ってみてもいいかなと思っている。顔さえ隠れてくれればいいのだから。今以上に伸ばす必要はないのだから。


 匂いつきの朝だった。


「またあの夢か」


 そして私はあのくそやろうのことをついでに思い出す。朝起きた時は、背中の中ほどをシュシュで束ねていた髪の毛が、布団の中で盛大に遊んでいる。これは、毎日のこと。そしてあのくそやろうはそれをいつもおもしろがっていた。


「雨が何人もいるみたいでおもしろいな」


 なに、それ。と聞き返すと、


「この部屋はどこで寝ても、雨の匂いがする」


 と言って私に首にからみついてきて、きっと、たぶん、髪の毛の匂いを嗅いだ。そんなことも昔はあった。昔とっても私とあのくそやろう、レアンの奴が大学に入ったばかりのことだから、二年くらい前になる。私は名前を雨、という。生まれた時に雨が降っていた、単純な両親はそれで私に雨、という名前をつけた。


 ぼんやりと夢の残していった匂いにくるまりながら、それが自分の髪の毛から発してくる錯覚にもう一度眠りそうになりながら、私は日課であるブラッシングをはじめた。長くて長すぎる髪の毛がばさばさしているのは見苦しいから。シャンプーは夜にしてしまって、朝起きたら美容師さんから勧めてもらった竹製コームで、丁寧に梳いていくのだ。竹には適度な油分もあるそうで、長く使っていると髪に艶が出るとか何とか。でも、効果のほどはわからない。


 ブラッシングをしながら立ち上がり、テレビをつけていつものニュース番組を流し(神戸で女の子を誘拐して殺した中年男の裁判がいよいよ始まるそうだ)、その流れでコーヒーを入れに片手でサーバーに水を汲み、コーヒーメーカーにセットして、冷蔵庫から粉を出して適当に計って。


 私は朝の支度をとりあえず片手でこなしていった。あくびが出る。せまい部屋の中をうろうろしていたら、やがて夢の匂いは薄れて、壁とか、窓とか、テキストとかPCとか冷蔵庫とかレンジとか、そういう現実的なものの出している匂いの方が勝ってやがて私は気にならなくなる。


 現実に起きている事の方が私には重要だ。私にとって重要な現実。レアンが他の女の子と付き合うのを止めると言い出した。そして私にもう一度付き合ってくれと。


「今度こそ俺だけの雨になってくれませんか」


 とあのくそやろうは言った。どこまで行ってもバカなんだから。逆なのだ。いったいいつになったらレアンが私だけのレアンになってくれるのか。問題の核心はそこにあるというのに、ざんねんながらレアンはすばらしいバカなので、未だに気付いていない。


「ほとんどプロポーズじゃないの」


 と、私は呆れた。そしてそんな甘い言葉を簡単に信じるほど、私は、幸いにでしょう。バカじゃない。




「足ひきの 山田を作り 山高み 下樋(したび)(わし)せ 下問いに わが問う妹を 下泣きに わが泣く妻を今夜こぞこそは 安く肌触れ」


 ここで友達は呼吸を整えて、もう一度読み始めた。


「笹の葉に 打つやあられのたしだしに い寝てむ後は 人は()ゆともうるわしと さねしさ寝てば 刈コモの 乱れば乱れ さねしさ寝てば。て、なあ」


 友達は私を振り返って、呆れた顔をしている。


「なんで俺が雨んちに来て古事記を朗読しないといけないんだ」


 と、言った。この友達は変なやつで(私の友達になる奴だから変な奴しかしないんだけどそれにしたって、ね)、万葉集とか古事記とか古今和歌集とかそんな昔のよくわからない本ばかり読んでいる。


「昔の言葉ってファンキーなんだよ」


 ときらきらおめめで語る顔立ちはそう悪くない、綾野剛をちょっと汚くした程度のイケメンだ。でもモテない。へんな奴だから。


「来いって言われてのこのこくる方も来る方だと思うけど」


「呼びつけといてあんまり奴だな。暇なのか」


「違うわ。いやがらせ」


「あ?」


「あんた一人だけ幸せになりやがったから、いやがらせにきまっているじゃない」


 こいつ、山口ゲンゴには(ゲンゴという名前なのだ。それでいて言語フェチなんだから世の中よくできてる)、最近かわいい彼女が出来た。それもお互い想い合ってのカップル成立なので、私はばかばかしくていやがらせの一つもしてやろうというもの。


「むいちゃんに言ってやろう。ラインで写メ撮って送ってやろう」


 むいちゃんというのがそのかわいい彼女の名前だ。かわいいんだけど、ゲンゴなんかを好きになるくらいなんだから、当然変わっている。私は自分の部屋にゲンゴと二人きりでいて、キャミソールと部屋着のリラコしか履いていない。こんな状態の写メを送ったら、むいちゃんなんて思うかな。


スマホを探そうと、ベッドに寝そべったまま鞄を引っ張りよせようとしたら、隣に腰掛けていたゲンゴが言った。なんだか心配そうな声で話す。


「お前な。大丈夫なのか」


「何がよ」


「あのな。俺とお前のこんな写真送っても、むいが変な誤解するはずがないだろう。お前だってむいのそういうところくらいわかってんだろ。何くだらない事考えてんだ」


「へえ。むいって呼んでるんだ。らぶらぶだねえ」


 私は無視して、もう一度ベッドに寝転がって天井を見えあげた。さっきゲンゴが読んでくれた、昔の歌を思い出す。


「それよりも、さっきの、和歌? さっぱり意味が分からない」


「お前が読めっていったんだろうが。しかもなんで軽かるの兄妹の説話なんだよ。チョイスがさっぱりわからねえな」


「むかあし子どものころに読んだ漫画に描いてあったの。哀しいきょうだいの物語って」


 ゲンゴだったら、こういう昔のお話に詳しいだろうかと思って、呼びつけたら、本当に古い本を持ってのこのこやってきたのだった。こいつの方にだって充分問題はあると思う。でも、ゲンゴを一人で家に呼んだとしても、きっと何も心配しないだろうなむいちゃんは、と確かに私も思っている。

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