第1章-5 『絶望の真実』
装備を身につけて広場へと向かったユーリ達を出迎えたのは、いのりの言っていた通り〝女の子〟だった。
しかし、〝普通〟の女の子では決してない。
それは、身長が十メートルはあるであろう巨大な女の子だった。
白い肌に色素の薄い髪の毛。体はまるで点滴だけで生きてきた入院患者のように痩せ細っており、触れたらすぐに折れてしまいそうだ。
しかしそれ以上に彼らの目を引き付けたのは、その美貌だった。大きな瞳に整った鼻筋。完璧すぎてもしかして人形なのではないかとすら思わせる程の容姿にその場にいた全員が思わず息を呑む。
「……なんだあれは? 巨人?」
しばらくの間言葉を失っていたシュウが思い出したように口を開く。
「で、でもあ、あ、あれ……足がないぞ!」
震えた声でそう言ったのは、先ほどユーリ達と合流したばかりのエージだ。その隣では同じく合流したモモが恐怖から膝を抱えてしゃがみこんでしまっている。
ユーリ達に状況を伝えてくれたいのりですら――再び目に入ったことで恐怖が蘇ってきたのか――横に並ぶユーリの服の裾を掴んで離そうとしない。
そんな風に誰もが恐怖を抱いている中、ユーリだけは状況を冷静に分析していた。
「多分どっちも違うよ。多分あれは……そう。映像みたいなものじゃないかな? ホログラムとかって言うんだっけ? きっと彼女の本体はここにいなくて、どこか別の場所からあれを送ってきてるんだ」
そんなユーリの考えにまるで答えるかのように、今まで沈黙を続けていた巨大な女が口を開く。
『はじめまして、と言うべきかな。この世界へと誘われた〝弱き者達〟よ』
透き通るような綺麗な声だった。聞こえやすく誰の耳にでもスッと入ってくるような声。
しかしその声が何を言っているのかを、その場にいる全員が全く理解することができなかった。
それを示すかのように、街の広場に集まった複数の男女がに、「誰?」「誘われたって?」「弱きってどういうことだよ」と口々に呟いている。
そしてそれはユーリも同じだった。分からないことだらけ。
しかしその中でも一つだけ分かっていることがあった。
それは、
「この街にバリアを張ったのは――あの子か」
『その通りだよ』
今度は明確な反応があった。そのことに驚きつつも、ユーリは尋ねる。
「君は?」
『分かりやすく言うならば、私は君達をこの世界へ誘った張本人だよ』
「な……っ!!」
ユーリだけじゃなく、その場にいた全員が驚愕のあまり喉を詰まらせた。
この世界へ誘った。
彼女は確かにそう口にした。
死んでも生き返る世界。
魔術やスキルといった異能を使える世界。
そこに誘ったのは彼女だと。
ならば彼女は――
『もちろん私は全てを知っている。この世界のことも、なぜ君達がこの世界にやって来たのかも、ね』
「す、すべて……?」
いのりが乾いた声で囁いた。彼女は相変わらずユーリの裾を掴んでいたが、その手は先ほどとは比べようもないほど震えていた。
ユーリはその手を自らの手で包みながら、話の続きに耳を傾ける。
『まず君達の誤解を一つ解いておこうか。君達はここを魔法が支配するファンタジー世界とでも思っているだろうが、それは間違いだ。ここはあくまで現実の延長であり、人が死んでも生き返るような夢の世界ではない』
少女の言葉に、ユーリ達は呆けた顔を見せる。
しかしそれも仕方のないことだった。なぜなら彼女はたった一言でこの世界の前提全てを否定したのだから。
死んでも生き返る魔法の世界。
そんな世界だからこそ彼らは戦いへと赴き、モンスターたちと戦うことができたのだ。もしもそれが崩されれば、彼らはモンスターと戦うどころか、街から外に出ることすらできないだろう。そうなれば素材やお金を得ることができなくなり、彼らは生きていくことすら不可能となる。
だからこそ、少女の発言を信じるわけにはいかなかった。
その気持ちはその場にいた全員が同じらしく、周囲から口々に上がった怒号が広場を震動させる。
「ふざけてんじゃねェぞ! 病気女! そんな言葉を信じると思ってんのか!!」
「いつまでも浮かんでないで降りてこいやァッ!!」
「そうや! 何様のつもりやッ!!」
「実際に俺達は死ななかった。今更脅そうとしても無駄なんだよ!」
どんな言葉や罵声を受けても、少女は眉一つ動かすことはない。人からの罵倒をものともしない性格なのか、それともそもそも言葉が届いていないのか。どちらにせよその場にいた者は皆、彼女に性悪だとか冷徹という印象を持っただろう。
しかしユーリが受けた印象はそれらとは違うものだった。
――まるで心がないみたいだ。
反応しないのではなく、反応する為の心がない。もしくは奥の奥に隠しすぎて届かないのか。
ユーリには、彼女がこんな行動を起こすのには何か理由があるように思えてならなかった。
――何でそんなことを思うのかは、僕にも分からないけど……
少女は続ける。
『死んでも蘇るようにしていたのは君達に希望を感じてほしかったからだよ。そのまま死の世界に送りこまれたんじゃ、弱い君達では生きようとすら思わないだろうからね。そうなったらまた君達は繰り返す。また君達は――自らの命を捨てようとするだろ?』
その言葉に、そこにいた者はだれ一人の例外もなく、動きを止めた。
まるで時でも止まったかのように。
『だが君達はここで暮らすことで生きる為の力と生きる気力を手に入れた。そんな君達ならば《死》を突きつけられても耐えられるだろう。だからこそ今、ここに《死》を解放する。これから君達は殺されたら死ぬ――そんな当たり前の〝現実〟に戻ってもらう』
告げられた言葉に、理解は未だ追いつかない。しかしそれでも叫ばずにはいられなかった。
叫びでもしなければ、否定しなければ――
この世界は〝優しい世界〟でないと困るのだ。
「ふ、ふざけるな!」
「そんなの嘘だ! 死ぬ? 俺たちが? そんなわけない!」
「死んでも生き返る。ここはそういう世界なの! 私たちに優しい魔法の世界なのよ!!」
無数の叫び声に、少女は初めて表情を変え、怪訝な表情を見せる。
『分からないな。なぜ死がない世界にこだわるのか』
「当然だろ! 誰だって死なない世界の方がいいに決まってる」
死が訪れない世界の方が――
『それはおかしいよ。それじゃあ何で君達は――』
死を望んでいないのなら――
『自らの手で命を絶とうとしたんだい?』
全員が思い出す。
帰還する。
現実へ。
自分が自殺したという〝現実〟へ――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
思い出すのは過去の出来事。
首吊り・飛び降り・服毒・失血・燃料アルコール・焼身。低体温自殺なんてものを試した者もいた。
全員が全員、様々な方法で死のうとして、今、ここにいる。
この世界に連れてこられた者の共通点。
それは全員が現実に絶望し、自ら死を選んだということ。――全員が自殺経験者だということだ。
『君達が自ら死を選び、その命が失われる瞬間に、私は君達をこの世界へと誘った』
この世界は現実から隔離された空間だと、少女は言う。
『スキルや魔術。そんな異能を実現させてしまうような魔法の世界。しかしそんな世界でもあくまで現実の延長でしかないんだよ』
念を押すように、先ほどと同じ台詞をもう一度告げる。
『この世界でも《死》は平等に訪れる。今まで死ななかったのは、そう……ボーナスステージとでも思ってくれればいい』
〝ボーナスステージ〟
その言葉に今まで沈黙を続けていたシュウが叫ぶ。
「ボーナスステージだと……!? 君が何者かは知らないが、神にでもなったつもりか? 人の命をゲームのように――!」
シュウの叫びに同調するように、周りにいた者達も次々に彼女を非難する声をあげる。
しかし、やはり少女は気にも留めない。
『ある意味では《神》と言える存在だよ、私は。現在、この世界の制御権は私にある。君達に魔術やスキルを与えたのは私。そして、こんなこともできる』
少女が右腕を軽く振る。
たったそれだけの動作だけで、街中に存在していた――店で商売をしていた大人、こんな状況でも道を駆け回っていた子供――全ての人間が一斉に消失した。
「えあっ…………?」
目の前で起きた現象に、ユーリは息が止まる錯覚を覚えた。
いや、実際に一瞬息が止まったかもしれない。それぐらいの衝撃がユーリを――全員を襲った。
『心配はいらない。彼らは全員この世界の魔術で作り上げた人形だ。それぞれに役目を与えた、ね。君達の言葉で言うと……RPGのNPCといったところかな? だから私は彼らを自由に消すことができるのさ』
少女はまるで子供が遊ぶかのように、この世界の住民を消したり現したりしている。
昨夜、ユーリ達に露天風呂のことを教えてくれたセクシーお姉さんも、素材を売りに行くときに出会った店主も、ユーリ達と大して年の変わらない少年も、全てが彼女の思いのまま。
現れて、消えて、現れて、消えて。
そこにいたはずのあの人はどこへ?
『逆に言うと、この世界の住人ではない君達は私の意志では消すことはできないということだから安心していいよ』
飽きたのか、最後に街の、いやこの世界の住人を全て消し去ると神は腕を振る動作を止めた。
残されたのは少女と少女に招き入れられた者達だけ。
『これから君達は彼らの助けを得ることができない。そもそも存在しないのだから当たり前なんだけどね』
軽い調子で告げられた事実。
しかしそれは、今までこの世界の住民の力を借りることによって生活を続けていたギルドにとっては、とても重い痛手だった。
『それともう一つ。これまでは街の中にはモンスターは入ってこないという安心設計だったが、これからもその恩恵を得られるとは思わないことだね』
「つまりこの世界の住人も、街が安全だという設計も、ボーナスステージの中に含まれていたってことか……」
シュウはそんな結論に達した。
全てがマユの言った通りで、もしもボーナスゲームとやらが終わりを迎えたのだとしたら、これから先、安全な場所など一つもない――むしろ危険度で言えば元の世界以上のこの世界で襲い掛かってくるモンスターから身を守らなくてはならないのだ。
死=死。
死んでも生き返ることのない――そんな当たり前の世界で。
「……ふ、ふざ……ふざけるなあああああああああああああああああああああ!!」
どこからか激昂した男の叫び声が聞こえてきた。それを引き金として、悲鳴、罵声、絶叫――絶望の声が響き渡る。
『なぜ君達はそこまで怒り狂うのか。本来なら死んでいたところを、一時とはいえこの世界で楽しく暮らせたんだ。感謝されるならともかく、恨まれる筋合いはないと思うんだけどね』
少女の言っていることはもっともなのかもしれない。
しかしそれを手放しで受け入れられるような人間ならば、そもそも自殺などを選択しなかっただろう。その〝現実〟を受け入れられなかったからこそ、彼らはそこから逃げ出したのだから。
「――そうだ! きっとこれは何かの演出なんだろう? こんなん全部嘘で、本当は今まで通り死んでも生き返るんだ。そうだ! きっとそうだ! そうに決まってる」
だからこそ、その〝現実〟を再び突きつけられれば現実逃避をしたくもなる。
「そう、だよな……? 有り得ないよな? 今までだって何回も死んできたんだ。それを今更死ぬとか、あり得るわけがねえ!」
「私たちは死なない! 死ぬわけがない!!」
最初に上がった声に、多数の者が同意するように声を荒げる。
そんな様子を瞳に映した少女は、まるで愚かなゴミ虫を見るような目を向けながら言う。
『だったら試してみればいいんじゃない? 自分の武器を突き刺してみなさいよ、自分の胸に。本当に死なないと信じているなら、ね』
少女は自分の平らな胸を親指でトントンと指しながら言う。
売り言葉に買い言葉だったのだろう。彼女の言葉を受けた数人が、「おお、やってやるよ」と、本当に武器を自らの体へと向けていく。
一斉に突き刺される武器は持ち主の体力を削っていき、そして――
「があっ…………」
最後には光となって消失し、武器だけがその場に残された。
ここまでは以前と同じ。本来ならしばらく経った後、光が再び集まり、人間の体を形作るはず、だった。
それなのに――、
「復活、しない……」
いつまで待ってもその現象が起こることはなかった。光はただ空へと流れていくだけ。
その場で〝自殺〟を図った全員が、蘇ることなく――死亡した。
「あ、あ、いや……いやあああああああああああああああああああああああああッッ!!」
受け入れられない。受け入れたくない。それは無数の絶叫となり、響き渡る。
しかし、そんな状況で、ユーリは――ユーリだけは冷静に頭を働かせていた
――最早疑う余地はない。彼女の告げたことは全てが真実なのだ、と
ならば、確認しなければいけないことが彼にはあった。
「君に訊きたいことがある」
『なに?』
自分の問いかけに普通に返事が返ってきたことに多少の驚きを感じながらも、ユーリは臆することなく尋ねる。
「ここが君の言った通りの世界なのだとすれば、ぼく達はどうやったら元の世界に戻れる? どうやったら生きた状態のまま、この世界を抜け出せるんだ?」
そう。このままこの世界にいたところで、死ぬのを待つことしかできない。彼らが生きることを望むのならば、元の世界に戻るしかないのだ。
『……勿論その方法は用意しているよ。しかもとても簡単な方法をね』
「その方法というのは? もったいぶらずに教えてくれるとありがたいんだけど?」
『もったいぶっているつもりはないよ。本当にその〝方法〟は簡単なものだからね。それは私の元に辿り着くこと。ご存知の通り、私の本体はここにはいない。もっと遠い場所――この世界の果てから魔術を使用してこの姿を見せている』
やはり、とユーリは心の中で得心がいったように頷いた。
『その世界の果てまで辿り着きなさい。辿り着くことができた者はこの世界から解放する。もちろんスキルや魔術はそのまま使えるよ。それはこの世界に来たあなた達に与えられた《力》だからね』
世界の果て――それは誰もが足を運ぼうとしなかった危険なエリアだった。
そこには昨夜ユーリ達が戦ったリザードマンを遥かに超える強さを持ったモンスターが大量に蠢いているのだ。
かつて複数のギルドがそのエリアを開拓する為、協力して討伐に当たったが、結局モンスター一体倒せず逃げ帰ってくる結果となった。
――入り口でその強さなら、更に奥へ行けばどれ程の……
強大すぎる敵を、ユーリは想像することすら嫌になる。
『誰が私の元へ辿り着けるのか――楽しみにしているね』
最後の一言を残し、魔術によって出現した少女の分身が空に溶け込むように消えていく。
消えていく間際、自分に――自分だけに視線を向けられたような錯覚をユーリは覚えたが、すぐにそんなわけがない、とその錯覚を否定する。
なぜならあの少女にとって自分は、世界に招き入れた《弱い人間》の内の一人でしかないのだから。
――そんなことよりも考えなくちゃいけないことは別にある
これからどうするのか。現実と同じように――それ以上の〝死〟を与えるこの世界で生き残る為にはどのように行動すべきなのか。
「……みんな」
ユーリは少女の言葉に、各々の反応を見せるギルドメンバーに呼びかける。
呼びかけにギルドメンバーは顔を上げるが、全員が顔に暗い影を落としており、モモに至っては涙で顔がグシャグシャになってしまっていた。
「ぼく達が生き残る為には、あの子の元に辿りつくしかない」
「……それは分かってる。分かってはいるけどよっ!!」
未だ心の整理がつかないのだろう。叫び声を上げたエージだけでなく、シュウとモモも重い腰を上げることなく、地面に座り込んでしまっていた。立っているのはユーリと、彼に掴まっていたいのりだけだ。
勿論その気持ちはユーリにも理解することができた。なぜなら彼も同じ気持ちなのだから。
しかし、だからと言って、〝しばらくこのままで〟というわけにはいかないのだ。
「あの子がいなくなったことで多分、ぼく達を阻んでいたあのバリアは消えてる。あの子が言った通りなら今すぐにでもモンスターがこの街に入ってくるよ。こんな狭い上、人がたくさんいる所にモンスターが襲ってきたら……ぼく達は全滅だ」
だからこそ、今すぐにでもこの街を脱出しなくてはならない。
これから先、彼女を追うとしても、追わないとしても、この街を抜け出さなければその選択をする前に殺されてしまう。
「でも、でも……こわ、いよ……」
モモがすすり泣きながら呟く。
普段のモンスター戦でも怯えてしまうような彼女に、今の状況は到底耐えられるものではなかったのだ。
「ユーリ……てめぇ!」
立ち上がったエージが、ガッとユーリの胸ぐらを掴んで揺らす。
「モモの気持ちを――皆の気持ちを考えてやれよ! この状況でそんな早く動けるわけないだろうがよ! モンスター相手に一人で突っ込んでいけるおめぇは平気なのかもしれねぇよ? でも俺たちは……モモは違うんだよ!」
「ちょっ! エージ君、こんな時にやめてよ!」
いのりの制止もむなしく、エージはユーリの胸ぐらを更に激しく揺らす。
「エースだからって……力を持ってるからって、平気だからって……」
「平気なわけがないだろ!!」
しばらくの間、なされるがままにエージの責めを受けていたユーリが痺れを切らしたように声を上げる。
「ぼくだって怖いよ! 足がガクガク震えて立ってるのすらやっとだよ。当たり前だろ? ぼくが今までモンスターに向かっていけてたのは死なないって、そう思ってたからだ。それがなくなった今、ぼくだって戦うのは怖いよ!」
変わらない。彼がエースと呼ばれていようが、珍しいスキルを持っていようが。
なぜなら、彼も現実から逃げて来た一人にすぎないのだから。
「ユーリ……おめぇ……」
「でもこのままここにいたって仕方ないじゃないか! このままここで立ち止まって、皆が殺されているところなんてぼくは見たくないんだ!! これからどうしたらいいのかなんてぼくにも分からないけど……ここで死んでやるのだけは絶対に嫌だ!!」
「…………わりぃ」
謝罪をしながら、エージはユーリの胸元からゆっくりと手を離す。
「おれ、お前のことを考えもしないで、勝手言って。そうだよな。お前だって平気なわけがないよな」
「いや……。こっちこそ、もっと皆の気持ちを考えるべき、だったかも」
「いや、お前は間違ってねぇよ。これからのことを考えるにしても、ここは脱出すべきだ。なあそうだろ? シュウ」
エージは地面に座り込んでいるシュウへと視線を移す。いつもならギルドメンバーに的確な指示をくれる頼れるリーダーへと。
「……えっ? あ、ああ……」
しかし、シュウにいつものリーダーの面影はなく、顔面は蒼白。
「おいおいどうしたんだよ、リーダー。こういう時に皆を引っ張ってくれんのはいつもおめぇだろ」
「……ああ。分かってる」
そう言いながらも、シュウは一向に動きを見せない。
そんな彼のことを見かねたのか、いのりが、
「シュウ君。それにモモちゃんも、とりあえず立とう? いつまでも下を向いてたって事態は良くなったりなんてしない。それはきっと私たち全員が元の世界で経験してきたことでしょ?」
いのりの言葉に、下を向いたままの二人の肩が小さく揺れる。
「元の世界だったらそれを待っていても良かったのかもしれない。でもこの世界ではそんなことをしていても誰も助けてはくれないよ。生きたいのなら、私たちは自分達の力で立つしかないの」
強い言葉。
普段の状態ならばその言葉を素直に受け取ることができたかもしれない。しかし今の状態では――心が弱りきったモモにはその言葉は強すぎる〝毒〟だった。
「……ももには、そんな力はない、です。ももはいのりちゃんみたいに強くなんてない、から……」
「私は強くなんてないよ。皆と、モモちゃんと同じ。弱かったから現実から逃げることしかできなかった。でも今は――」
いのりはモモの側にしゃがみ込むと、彼女の頬に手を添えて、無理やりにでも顔を上げさせる。彼女と目線を合わせる為に。
「モモちゃんがいる。シュウ君とエージ君、それにユーリ君も。皆がいたから――皆と一緒だったからモンスターとも戦えた。皆がいなかったら、いくら死なない世界だろうと戦うことなんてできなかったよ。だって怖いもん」
「……いのりちゃんも? いのりちゃんも怖い、です?」
「勿論だよ。戦うのなんてホント勘弁って感じ。でも今は戦わなきゃ。生き残らなきゃ。皆で一緒に。そうしないともっと怖くなる」
「もっと……怖く……」
いのりの言葉を受けて、モモは思案する。
このままここにしゃがみこみ皆が死ぬのを待つのと、例え怖くとも皆で生きる道を選ぶのと、どちらを選ぶべきなのかと。
「……そんなの、考えるまでもない、です」
モモはいのりの手を借りながら、未だ震える足で地面に立つ。
「もも、も行きます、です。皆が死ぬところを見たくないですから」
「うん、偉いね。モモちゃんは強いよ、十分」
まるで姉妹のようにモモの頭を撫でているいのりを視界に捉えながら、エージは改めてシュウの方へ向き直りながら尋ねる。
「それでおめぇはどうすんだ? このままここでしゃがみこんでるつもりか? モモですら立ち上がることを選んだのに?」
「…………、」
「チっ――いつまで呆けてるつもりだよ! てめぇは」
エージはシュウを力任せに無理やり立たせると、その頭に拳骨を入れる。
「いつっ……! いきなり何を――」
文句を言おうとしたシュウの台詞に被さるようにエージは怒号する。
「おめぇはおれたち『希望の翼』のリーダーだろうが! だったらこんなところでいつまでも沈んでるんじゃねぇよ! いつものおめぇらしく偉そうに命令しやがれってんだ!!」
「……僕だって完璧なわけじゃない。悲観することだって、絶望することだってあるんだ」
初めて聞いたシュウの弱音に、エージは穏やかな笑みを浮かべる。
「別に完璧じゃなくたっていいじゃねぇか。間違えたって、絶望したって。その時の為におれ達――仲間がいるんだろ?」
精一杯のいい声でそんなことを言うエージにシュウは、
「……気持ち悪いな、何か」
と辛辣な言葉を返した。
まさかそんな返し方をされるとは思っていなかったのだろう。エージは顔を真っ赤にしながら口をパクパクさせる。
そんなエージの様子に苦笑を浮かべながらシュウが言った。
「まさか君にそんなことを言われるとはね、全く……」
シュウはエージの横に立つと、その肩にポンと手を置く。
「悪かったな……助かったよ」
「……へっ」
シュウはエージと顔を合わせ頷き合うと、すぐに他のメンバーへと声をかける。
「皆、今すぐこの街を脱出する」
ナイフを引き抜きながら告げるシュウに、ギルドメンバー全員の視線が集中する。
「恐らく街の周辺には既にモンスターが押し寄せていると思う。全員、戦闘の準備をしておいてくれ」
その言葉に三人が頷きを見せる中、ユーリが一人手を挙げる。
「どうしたんだ?」
「いや、ぼく達以外の人はどうするのかなって思って。このまま放っておく、ってわけにはいかないと思うんだけど」
ユーリの言葉を受けてシュウは辺りを見回す。そこには先ほどの彼らと同じように絶望し、地面に伏す姿が見られた。
「……彼らにも一応話はするつもりだ。しかしその後どうするかは……彼ら次第だろう」
メガネのブリッジを押し上げながら呟いた言葉にユーリは表情を暗くする。
しかしそれは仕方のないことだ。ここで彼ら全員を説得している時間はない。そんなことをしていれば、街の中にモンスターが入ってきてしまい、撃退するのは困難となるだろう。
「しかし出来る限りやってみるつもりだ。この先どうするかは置いておくとしても、ここを脱出する上で協力者は多い方がいいからね」
時間はない。しかしモンスターが攻め込んで来るまでにやるべきことはたくさんある。
生きる。
彼らはそう決めたのだ。
逃げてきたけれど、死を選んだけれど、ここで仲間と共に生きることを。
行動を開始する。
生きる為に、〝絶望〟の中を歩んでいく。
このお話で、この作品全体の序章となる部分が終了となります。
これから、生きる為に絶望の中を進んでいく『希望の翼』を描いていこうと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。