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分からない感情

 ログゴート城へ上がってから一ヶ月が経とうとしていた。

 フィオドラは城のあちこちを回り、色々な階級の人々に話を聞いて回っていたが、目的への手掛かりになるものをまだ一つも手に入れることが出来ずにいた。

 焦ってはいけないと思いつつも、焦燥は募る。

(あと、どれくらい猶予はある?)

 城にいつまでも滞在できるものではない。いまはまだそういった兆候はないが、人間の爵位も権力も持たないフィオドラたちはいつ追い出されてもおかしくないのだ。

 城内にある図書館で人間の歴史を追っていたフィオドラは、手元の本が読みにくくなっているのに気づいて顔を顰めた。窓から入ってくる光量が少ない。

 暮れ始めた空。今日もまた、なんの収穫もなく一日が終わる。

 溜息と共に憂鬱を吐きだして、彼女は読んでいた本を棚に戻した。作業のために一纏めに括っていた髪を解く。

 自室に戻る足取りが重くなるのは、往生際悪く残る複雑な心境ゆえだろう。

 いまの状況を作り出したのは自分で、魔王であった父を討ったアレクシスを責める気持ちは微塵も無い。それは確かだ。

 しかし、彼の物言いたげな紫の瞳を見るとつい目を逸らしてしまうのだ。

 その理由が最近少しだけ分かってきた。

 父の胸をアレクシスの剣が突き刺した場面がどうしても頭にちらついてしまう。

 そのときの温度の無い紫紺。いつか魔人である自分にも向けられるかもしれない凶刃。それを冷静に受け止めると同時に、たぶん一度仲間にしたフィオドラには向けることはないだろうという自惚れ。

 そこに、こちらの事情に騙すかたちで巻き込んだ罪悪感が混ざり合って、説明しがたい感情のうねりとなってしまっているのだ。

 理詰めで考えるフィオドラは、自分の中の感情を理解して整理できれば、色々なものを割り切れて、また真っ直ぐにアレクシスへと向き合える自信がある。

 実際に、バルドとシャロンに対してはもう、一方的なわだかまりなどなくなって、普通に話せる。

 それがアレクシスに出来ないということは、自分の中でまだはっきりとしていない感情ががあるはずなのだ。

 ――切っ掛けさえあれば、それがなにか分かりそうな気がするのに。

 離宮へと戻る回廊の途中で僅かに冷たくなってきた風を感じていたフィオドラは、前方から上がった歓声に目を瞬かせた。

 どうやら回廊に面した中庭で、数人の兵士たちが手合わせをしているようだ。

 兵士たちの鍛錬場は城内の外れにあるが、訓練外の時間に自主鍛錬をする者たちがときどきこうやって集まっているらしい。

 誰でも通れる一画で行っているので、立ち止まっていく者も多く、遠巻きに様子を眺める士官や女官、はては城へ来ていた客人も見学している。

 鍛錬者たちの目的は、もちろん自己の向上でもあるのだろうが、先程から上がっている黄色い声援でもあるのだろう。

 城へとやってきた貴婦人やご令嬢の声援に、彼らもかなりご満悦そうだ。

 その様子を微笑ましく思ったフィオドラは、剣を振るう男たちの中から聞き慣れた声がして顔を上げた。

 回廊の端から中庭を見下ろすと、アレクシスが剣を片手にへたり込んだ若者たちに声を掛けている。

「もう向かってくる奴はいないのか」

 息一つ乱すこと無く、余裕の微笑みで首を傾げる彼に、横で見学していたらしいバルドがにやけた顔で肩をすくめる。

「もう居ねえっての。お前のレベルで戦える奴なんて、そうそう居るわけねえだろ」

 見ろこの死屍累々をと、おそらくアレクシスにのされた者たちを示す。

「だから俺が相手してやるって言ってんのに」

「お前相手に仕合っても、見てるほうは勉強にならないだろうが」

 呆れたように言うアレクシスに、バルドは不満そうに鼻にしわを寄せた。バルドはただ単に暴れたいだけのようだ。

 フィオドラは戦闘時のふたりを思い浮かべた。

 どちらの剣戟も目にも止まらぬ速さであるし、繰り出す衝撃は魔物さえも吹っ飛ばすほどだ。

 本気で仕合ったならば、この中庭は壊滅状態になって見学者にも多大な被害が出るだろう。

「アレックス」

 そのとき観衆の中からひとりの令嬢が進み出た。

 クリスティアナ姫だ。彼女は頬を染めてアレクシスに手巾を差し出した。冷やかしの声が上がって姫はさらに顔を赤らめ、アレクシスは苦笑して手巾を受け取った。

 その様子を見ていたフィオドラは、急に胸がちくちくと痛んで首を傾げた。

 確かに最近、心配事が多くて食事が喉を通らないことがあるが、そういった体調不良とはなにか違った感覚である。

 中庭の光景を見ていれば見ているだけお腹の奥がぐるぐるしてくる気がして、彼女はひとつかぶりを振ると、足早にその場を立ち去った。

 戻った部屋は静かで、フィオドラが一番乗りだったらしい。持参していた魔道書を眺めていると、しばらくしてシャロンだけが帰ってくる。

「あ、フィオドラお帰り」

 後から帰ってきたのに、シャロンはそう言う。

 フィオドラは笑って頷いた。

「ただいま」

「アレクたちには会った?」

「いいえ。戻ってくる途中で見かけはしたけれど」

「なんかね、今日の夕飯は仲良くなった武官たちと外で食べてくるってさ」

 だから夕食はふたりっきり。とシャロンは笑った。

 アレクシスとバルドの外食は、城の者にも話がいっていたらしい。いつもの時間に運ばれてきた夕食はちゃんと二人分だった。

 さすが城の料理はどれも上等で、出てくる品々も豊富な上に日替わりだ。だが下町の味に慣れ親しんだ舌には少々上品すぎる。

 バルドなどは最近、いい加減あのやっすい酒の味が恋しいと騒いでいた。もしかしたら、今日の外食は武官に誘われたというよりも、バルドの我が儘かもしれない。


 ふたりが帰ってきたのは、夜もかなり更けた時間だった。

 すでに寝室へと入っていたフィオドラは、その物音を扉越しに聞いていた。

 陽気なバルドと、そのバルドに絡まれて鬱陶しそうに怒鳴っているアレクシス。居間に残っていたシャロンとともに、酔っ払いを風呂に追いやっている声が聞こえる。

 その様子が見なくても容易に想像できて、フィオドラは小さく笑った。

 その後もしばらく騒がしいやり取りが聞こえてきていたが、一時間ほどしたらぱたりと静かになった。それぞれの部屋に下がったのだろう。

 仲間たちだけではなく、城内が静まりかえった頃、フィオドラはそっと己に与えられた部屋を出た。




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