宴の光、星の下
頭上から注がれるシャンデリアの明かりが広間を煌々と照らす。
しかし強い灯りは明暗をはっきりとさせ、光が強いぶん影も強くなる。それがまるで人の本質のように感じられてしまうのはフィオドラの皮肉な考えか。
くるくると舞う貴婦人のドレスの影を見つめながら、魔王城に降り注がれた星明かりを思い出した。
あちらのほうがずっと美しい。
「美しいお嬢さん、一曲踊ってくださいませんか?」
壁の花になってホールをぼんやり眺めていたフィオドラは、見知らぬ男性に声をかけられてどうにか溜め息を呑み込んだ。
こうやって声をかけられるのは今夜で何度目か。目立たないような場所に立っているのに見つかってしまう。
(いっそ、目くらましの魔法でもかけようかしら)
そうは思うものの、城の魔道士にでも見つかったら面倒だ。目立つのは極力避けたい。
ホールの中央ではダンスが行われている。
たしなみとして一通り踊れるものの、形式張ったダンスはあまり好きではないし、踊りたい気分からはほど遠い。
なんと言って断ろうかと悩んでいると、男性の後ろからひとりの青年が近づいてくるのに気づいた。
謁見の間でもちらりとみたその顔は、前知識としてフィオドラも記憶している。
軍人らしい鍛えられた体、優雅な身のこなし。他人から見られることを意識している所作は非の打ち所が無く、人の上に立つ者の傲慢さと絢爛さが見える。
王太子であるフリードリヒだ。
フィオドラは軽く膝を折って一礼した。対面していた男性も、振り返って王子に気づく。
「これは、殿下」
「彼女と話をしたいのだが、構わないだろうか」
「それは勿論。私は失礼いたします」
男性が下がると、フリードリヒは面白がるような目でこちらを見てくる。
観察されているのを感じて、フィオドラも真っ直ぐ見返した。
「お手をどうぞ。もし踊れるなら」
第一印象通りの傲慢さを窺わせて、王子は手を差し伸べてくる。
「それでは、一曲だけ」
さすがにここで断るのは失礼になるだろうと、フィオドラは控えめに微笑んでその手を取った。次の曲になるのを待ってからダンスに加わる。
フリードリヒのリードは多少強引だが、フィオドラは難なく踊ることが出来た。
「なかなかお上手だ。どなたに教わったんです?」
長いスカートを器用に捌くフィオドラに、フリードリヒは意外そうに訊いてきた。
庶民出であると公表されている彼女だから、驚かれるのもしかたない。
「父に教わったのです。民族舞踊から社交ダンスまで、踊りが好きな人でしたので」
父親とダンスの練習をした日々を思い出して、思わず苦笑した。
本当に踊りが好きというよりも、人々の営みを感じるのがなによりも好きな人だった。
いろいろな祭りや夜会になにくわぬ顔で参加して、気づいた皆を驚かせてはそれを楽しんでいたものだ。だから一緒にくっついていったフィオドラも、自然と踊ることが多かった。
その頃のことを思い出すと、懐かしさと哀愁で胸が詰まる。
もう決して戻らない日々。
「よきお父上だったのですね。魔法を教えてもらったのも?」
「ええ、まあ」
「よほどの腕前なのでしょうね。あなたも、あなたのお父上も」
その言葉に含みを感じて、フィオドラは顔を上げた。
フリードリヒは挑戦的な目でこちらを見下ろしている。
その瞳に不穏なものを感じて、フィオドラはかすかに眉を寄せた。
背中を支える王子の手に、すっと力が籠もる。他の踊っているペアとぶつからないように誘導されたのだと分かるが、密着した体に嫌なものを感じた。
肩に添えている手を突っぱねてしまわぬよう、慎重に力を抜く。
「殿下?」
「勇者殿は城を出発する前、どんなに薦められても魔道士を同行させなかった。それが帰ってきたらあなたを連れたいた。驚いたのですよ? あなたのような美しい令嬢が、この城の誰よりも優秀であるなんて」
「……そうですか」
「私も多少は魔法が使えるのです。いつかあなたとはお手合わせ願いたいですね」
「光栄ですわ」
フィオドラは引き攣りそうになる頬を、どうにか笑みの形に作った。
彼の嫉妬と不満、そして虚栄心。おそらくフリードリヒ自身もアレクシスに同行を断られたのだろう。
そんなの私のせいじゃないと言いたい。
それからいくつか無難な話をして、曲は終盤に差し掛かった。もうすぐ離れられると、ほっと息を吐き出す。
テンポがゆっくりになったことで余裕のできたフィオドラは、初めて踊りながら周りを見回した。
酒食が並べられたテーブルにはバルドが優雅さとはかけ離れた豪快さでお酒を飲んでいるし、シャロンは窓際で他の神官と話しているようだ。
アレクシスはといえば、国王と数人の貴族に囲まれていた。その周りに居る人々も彼らの方をちらちらと見ている。
その姿を見ただけで、フリードリヒと対することへの緊張感を塗りつぶすように、心に重い影がさす。
「さすが勇者殿は、本当に人気者だ。挨拶したいとあんなに人が並んでいる」
フィオドラの視線にフリードリヒも彼らを見て、どこか芝居がかった口調で笑った。
彼は視線でアレクシスの隣に居る女性を示してみせる。
「我が妹もすっかり彼に熱を上げている」
王の隣でしきりにアレクシスに声を掛けているのは、フィオドラと同じ年頃の令嬢だ。
末姫のクリスティアナ姫だろう。王には何人かの子供が居たが、王女はみな嫁いでいて残っているのは末姫だけのはずだ。
王女は頬を染めて一生懸命アレクシスに話しかけている。その様子は初々しく、大抵の男性なら見惚れてしまうような可憐さだ。
だが、勇者の本性を知っているフィオドラには、彼が甘い笑みの下でかなり辟易しているのが分かってしまった。彼は女性のかしましさがかなり嫌いなのだ。
器用な仮面だと感心していると、顔を上げたアレクシスと目が合う。
その途端、彼の纏う空気が一気に下がった。
変わらぬ表情で周りには気付かれないようだが、瞳には危険な光が差し、不機嫌で威圧的なオーラを発し始める。
何がアレクシスの気分を害したのかは分からないが、フィオドラの背中に冷たい汗が伝った。それと同時に音楽が終わる。
フィオドラはその視線から逃れるためにも、さっさとフリードリヒから離れた。
型通りの挨拶をして立ち去ろうとしたフィオドラだが、背を向けた瞬間に腕を引かれる。
「……っ」
「またあなたと踊れる機会を楽しみにしていますよ」
わずかにバランスを崩したところを後ろから支えられ、耳元に囁かれた。甘く挑発的な声音に、かすかに悪寒がはしる。
フィオドラは顔を顰めそうになるのをぐっと堪え、体勢を立て直すと今度こそ背を向けた。
歩くはしから声をかけてきたそうな人々が居たが、彼女は足早に彼らの間を通り抜けて柱の影に滑り込む。
(なんで不機嫌? あれは魔物を狩るときの目だった!)
フリードリヒの言動も不愉快だったが、それよりも問題なのはアレクシスだ。
彼の目は路銀稼ぎにと魔物退治をしたときの、容赦のない酷薄な目だった。
狩られる、と一瞬本気で思ってしまったではないか。なにゆえこのタイミングで自分に向けられるのか謎である。
フィオドラは深呼吸を繰り返して、変に跳ねてしまった心臓を落ち着かせた。
「あんまり顔色が良くないね。先に戻ってる?」
「……っ!?」
急にかけられた声に、油断していたフィオドラはまたも心臓を跳ねさせた。
いつのまに近付いて来ていたのか、銀の髪の神官が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「シャロン。驚かさないで」
「祝宴って言うくらいだからまだ長引きそうだし、アレクも捕まって逃げられなさそうだしさ。無理に君が残って無くても、この人たちには勇者だけ与えとけば大丈夫だよ」
周りに人の耳がないことを確認した後なのか、いつものように飾らない言葉で告げてくるシャロンは、まるでアレクシスを生け贄のように言う。
「シャロンとバルドはまだ残るの?」
「僕はまだ戻れないかな。バルドは、まぁお酒があれば何でも良いんじゃない」
シャロンの神官の力は格別だが、まだ若輩の身では他の神官を無碍には出来ないのだろう。
「そう、ね。じゃあ先に戻っているわ」
暫くこの城に滞在することになる筈だから、早めにこの胸のわだかまりに折り合いを付けなければいけない。そうするためには少し独りだけの時間が欲しかった。
会場を抜け出して廊下に出ると、通路には人影も宴の熱気もなくひっそりとしている。
中庭に面した回廊から流れてきた夜風に誘われるように、フィオドラは少しだけと外に踏み出した。
庭は冬に咲く花で彩られている。寒い中でも散歩する人の目を楽しませる工夫がされていた。
冬薔薇の通路を抜けて少し奥まで来れば、夏に涼をとるのにちょうど良さそうな噴水があった。夜のためか水は出ていないが、溜まっている水に星の光が映っている。
アレクシスたちと出会ったのも、こんな綺麗な星空の日だった。
人間界と魔界を隔てる川の両端にはそれぞれの街がある。この二つは戦が起きたときの最前線であり、また交流の要でもあった。出入りする人への厳重な審査と警備の強化により、それぞれの街には両種族の人々が共存している。
ある日、夕陽が川を赤く染め始めた頃、人間側の街で魔物が子供たちを攫う事件が起こった。
子供の肉を食らうのを好む魔物で、助け出すのに時間が掛かればかかるほど子供たちの生存の確率は低くなる。
だから、街が討伐隊を編成するのを待ってはいられないと、その街にいた実力者たちが名乗りを上げた。争いの多い地域だからこそ、傭兵なども多く滞在している。
フィオドラも魔道士として同行し、そこにアレクシスたちも居たのだ。
アレクシスたちは巣に入ると同時に、他の助力など必要無しに自分たちだけで魔物を倒してしまっていた。それは他者の追随を許さない、圧倒的な実力だった。
だがフィオドラは、その実力を見ても、あれが勇者一行だと誰かが言っているのを聞いても、特に彼らに関心を持たなかった。
彼女が彼らの仲間になりたいと思ったのは、助けた子供たちを親に引き渡すときだ。
街の門外には、攫われた子供たちの親が詰めかけていた。自分の子供の無事を泣いて喜び、抱きしめ合う光景の中で、ひとりだけ取り残された子供がいた。
その子は魔人で、親はまだ街の中に留め置かれていたのだ。
どんな理由があれ、人間の街で魔人が門を出入りするには長い検問を受けなければいけない。門の外へ子供を迎えに行くことさえも容易にはできないのだ。
魔人であるということで、周りに居る大人も誰も手を差し伸べなかった。
あまり目立つ行動を起こすわけにはいかなかったフィオドラだが、どうにも我慢できなくてその子供に近づいたとき、先に子供を抱き上げたのがアレクシスだったのだ。
泣きもせずに周りを不安そうに見回していた子供は、彼が抱き上げると一瞬きょとんとし、次いで人肌に不安が溶けたのか、他の子供と同じように声を上げて泣き出した。
大声にうるさそうに顔を顰めながらも、彼は子供を離そうとしなかった。
しがみついてくる手にため息を吐きながらも、子供の背中をあやすように数回叩き、不器用そうに頭を撫でた。
門の中にいる親に引き渡すまで、ずっと抱いていてやっていた。
その後、宵の星空が瞬く中で、何事もなかったかのように街の宿へと帰っていく背中を見て、フィオドラは彼らと共に行こうと決めたのだ。
アレクシスを選んだことに、後悔はない。
(後悔なんて、ない)
かすかに届く宴の音楽と光。
たったひとりで立ち尽くすフィオドラは噴水の縁に手をかけて水を覗きこんだ。
見慣れた自分の瞳が揺れているのは水面のせいだ。自分の顔を映す水鏡に波紋が広がったのが、瞳から零れ落ちた水滴のせいだと認めたくなくて、フィオドラはきつく目をつむった。
これではまるで、あのときの不安にむずがる子供のようだ。
「……お父様」
脆弱な声音で呼んでも、もう誰にも届かない。