番外編 魂杖の光
緋命石奪還後
「アレクシス? 少しいい?」
少し離れた位置から掛けられた声に、アレクシスは持っていた模造剣を振り払った。それと同時に、最後の一人が崩れ落ちる。
緋命石を奪還したフィオドラが、勇者たちを連れて魔界に帰還を果たしてからちょうど月が一つ変わっていた。
勇者が魔王を討ったことは魔人たちが話し合った末の計策だったが、それでも忠臣たちの感情的な部分では納得しきれないのは当然のことだろう。
帰還当初、アレクシスたちへの風当たりはかなり強かった。フィオドラがなるべく間に入るようにはしていたが、前魔王の娘、次代の魔王候補として彼女も忙しい身、ずっと彼らと行動をともにすることは出来ない。
城内ですれ違えば顔をしかめられ、陰口は当然のごとく、真っ向から突っ掛かってくる者もいた。
そんなある日、魔王の近衛をしていた男がアレクシスに決闘を申し込んできた。気の長い質ではないアレクシスは相当な鬱憤が溜まっていたので、その喧嘩を一も二もなく買ったのだ。
もちろん、結果はアレクシスの圧勝。勝ちを得た彼の不遜な態度がさらに魔人たちの反感を買い、続々と続いた決闘の申し込みに、面倒だから全員まとめて掛かってこいと嗾けたのが三人目の決闘相手を打ちのめしたときのことだ。
そんなアレクシスの圧倒的な強さと、周りに味方がほぼいない状態での傲岸不遜ぶりをなぜか気に入った将軍の一人が、彼に兵士たちの修練指導を願い、現在にいたっている。
アレクシスとしても、魔法に頼りがちな魔人たちの軍事練度に不安を感じていた。魔人たちは一般兵にいたるまで、人間の下級魔導士を軽く凌駕する魔法を使うことが出来るが、それでも普通の兵士が主用とするのは剣や槍だ。魔人たちはそれらの精度がいささか心もとない。
アレクシスとしては誰が弱くてどこでのたれ死のうが関係ないが、フィオドラが大事にしている相手なら話は別だ。まして彼らは有事の際、彼女を護る剣となるのだ。
そうして根気よく、息も切らさず兵士たちを打ちのめし続けているうちに、最近では彼の実力を認め、その存在を受け入れ始めた者たちも増えてきた。
くずおれた兵士の息がいまだ整わないのを確認して、アレクシスは回廊に立つフィオドラのもとへ向かった。
細長い包み布を抱えたフィオドラは、近づいてきたアレクシスに淡くはにかんで目を伏せた。両思いになってから1ヶ月、実務的な事柄に関しては別として、どうやら私的な時間だと目を合わせるのさえ恥ずかしいらしい。
あの薔薇色の瞳が見えないのは惜しいが、意識されてるのだと思えば気分はいい。
「なんの用だ?」
「少し付き合ってほしい場所があるの。大丈夫?」
「ああ、構わない」
ちょうど練兵を終えたタイミングだ。くだんの将軍に目配せすると、問題ないと頷きが返ってくる。
先を歩くフィオドラに付き従いながら、彼女が大事そうに抱えているものに気がいく。
「なにを持ってるんだ」
「内緒よ」
「……」
「もう少しだから、待って」
眉を寄せるアレクシスに、フィオドラがくすくすと笑う。
耳障りの良い笑声に、アレクシスは諦めて息を吐いた。
フィオドラが向かったのは、政務宮の最奥だった。まだアレクシスは一度も足を踏み入れたことはない。いや、どれだけ長く滞在しようとそうそう来るような、――来られるような場所ではないだろう。
作りは小さいが重厚な扉を押し開け、室内に踏み入ったフィオドラにアレクシスも続いた。
中は想像に反して閑散としていた。扉を壁の中央においた長方形の室内に家具は一切なく、置かれているのは両脇に寝台ほどの大理石の台座だ。窓は横壁に小さなものがあるだけで、十分な光量を確保できているとはいえないだろう。扉を閉めてしまえばなおさらだ。
室内で一番目を惹くのは、入ってきた扉の真正面にある大扉だ。反対側の壁にあるその扉は、先ほどのものの軽く倍はあり、細部にまでこだわったと見える装飾が成されていた。
「ここは控えの間よ」
フィオドラは台座の片方に寄り、丁寧に包みを置いた。中から出てきたのは一振りの杖だ。アレクシスには見覚えがない。
勇者の視線に気づいた彼女は、杖を取り上げて苦笑する。
「お父様の杖よ」
息を呑んだアレクシスに、フィオドラは申し訳なさげに柳眉を下げた。
「貴方には嫌な思いをさせてしまうかもしれないのだけれど」
「構わない」
フィオドラの言葉を遮るようにアレクシスは告げた。
これから彼女が何をしようとしているのかは分からない。嫌な思いをさせると言うくらいなのだから、アレクシスにとって愉快なことではないのだろう。
けれどフィオドラがそれを望むのならば、いかな内容であっても否やはなかった。
アレクシスの迷いのなさに、フィオドラは力が抜けたように笑った。
「じゃあ、いま持っている武器は全てそこに置いてね」
「は?」
「少しでも外敵の疑いがあると一斉攻撃されてしまうから」
「……あ?」
「私もだけれど、彼らに敵認定されたら、さすがのアレクシスでも生きては戻れないと思うわ」
にっこりと笑うフィオドラに、アレクシスは顔を引き攣らせた。
***
次から次へと出てくる武器に、着膨れもしない格好にどれだけの武器を隠し持っているのかと、それなりの付き合いの時間があるフィオドラでさえ唖然としてしまった。
肉体強化や魔力補助の魔道具もあるが、短剣が三本に手の平ほどの小剣が十一本。彼が小剣など使っているところを見たことがない。
靴の底に隠していたらしい刃を抜いて、アレクシスは仏頂面でフィオドラを見た。
「……気軽に言ってごめんなさい」
彼にとって武装を解くということがここまで大事だとは思わなかった。
首を竦めるフィオドラの額を叩いて、アレクシスは気にしていないと示す。ぶっきらぼうな、これが彼の優しさだ。
フィオドラは呼吸を正して気持ちを切り替えると、父親の杖を持って大扉に向かった。
見るからに重そうな扉を押す必要はない。指先で触れれば、表面に掘られた装飾に光が走る。全体が淡い光を放てば、扉はゆっくりと開かれていった。
控えの間の足りない光量に慣れた目が、飛び込んできた明るさに眩む。横で同じように目を眇めていたアレクシスが徐々に見えてきた光景に目を瞠った。
大きさは小広間ほどだが、その空間は謁見の間に似通ったものがあった。数階分を吹き抜けた高い天井。硝子張りのそこから硝子に反射し屈折した光がキラキラと降り注いでいる。円柱状の壁に沿うように柱が立ち、表扉と同じような装飾が掘られていた。
なによりも心奪われるのは、広間中に浮かぶいくつもの杖だ。
中央の水晶の台座に三本、その前に一本、あとは散らばって十三本。計十七本が床から拳一つ分ほど浮いているのだ。
「……これは」
「ここは魂杖の間」
思わずというように漏れたアレクシスの声に答える。
「こんじょう?」
「魔王は、命を、肉体を緋命石へと変換する。だから遺体は残らない。お墓に入れる躯はないの」
「……」
「緋命石によって高められた魔力は強力で、そのまま力を使えば生身の体が保たない。だから魔王は他の魔人よりもよほど杖を重用する。それこそ魂が宿るほどに」
魔王が死んで残るのは、緋命石と杖だけだ。
「だからここは、魔王が魔王として死を迎えたあと、せめて魂だけは穏やかにいれるようにと杖を安置する場所なの。……それからあとは、次の魔王が就任するまで緋命石をここで護っていてもらうのよ」
「……それは休ませるどころか働かせすぎじゃねえのか」
「確かにそうね」
率直な感想に思わず笑みが零れる。
「攻撃されるっつってたのは?」
「そのままの意味よ」
歴代魔王の杖の攻撃など、興味本位でも受けたくない。
話しているうちに手の中の杖に仄かな熱が生まれた。力を緩めればふわりと浮き上がる。
手の中から離れていく杖に、胸の奥が引き攣るような痛みを覚えた。
不意に肩を抱き寄せられ、顔を上げれば気遣わしげな紫の瞳と出逢う。泣きそうに目頭が熱くなりながらも口元が緩んだフィオドラは、そっとアレクシスの胸元に手を当てた。
「緋命石を戻すとき、魔王たちの心がこの広間を満たすそうよ。貴方には気分の良いものではないと思うけれど、ちゃんと取り戻したこと、お父様たちにアレクシスと一緒に報告したかったから」
だから連れてきたのだと謝ると、強く抱きしめられる。その腕の強さに勇気を貰い、フィオドラは優しい腕の中から抜け出して水晶の台座と四本の杖の前に膝を折った。
奪還したあの日から、大事に持っていた緋命石を取り出す。
本当はもっと早くここに来なければいけなかった。いままで多忙を理由に来られずにいたが、本当は父親の杖をこの魂杖の間に持ってくるのが怖かったのだ。本当のお別れだと、実感してしまうのが。
視界の端に十八本目となった父の杖が見える。
(幼子のように、お父様に手を伸ばすのはもうお終い)
振り向かなくても感じる、背後の気配が頼もしい。
手の平に乗せた緋命石が浮きあがる。その途端、周りの杖が光りを生み出し始めた。僅かに色味の違う光の球。
「これって……」
話に聞いていただけで、フィオドラも魂杖の間に来るのは初めてだ。驚きに目を瞬くフィオドラの頬を、一つの光の球が撫でた。触れたところから感じたのは、言語などという明確なものではなく、感情のような本来決して己を超えて触れあうことの出来ないものだ。
茫然とするフィオドラに、光球の一つを手にしていたアレクシスが近づいてくる。彼女の横に片膝をついたアレクシスは呆れた様子で持っていた光を差し出してきた。
「まったく、すごい父親だな。俺に感謝なんて伝えてきやがった」
「え?」
意味が分からず受け取った瞬間、涙腺が崩壊した。止め方が分からない涙をそのままに、手の中の光を見つめる。
「おとうさま……?」
伝わってくるのは、フィオドラへの労りと深い愛情だ。頬を伝って落ちた涙が光の表面で弾けた瞬間、彼女は理解した。
「いてくれたの? いてくれるの?」
この光は魂だ。何代もの魔王の魂がこの魂杖の間で眠りについて、ときに見守り、励まし、この魔界を守ってくれているのだ。
もちろん彼らの魂全てではない。ほんの欠片なのだろうけれど、それだけで十分だ。
目を上げれば、いつの間にか緋命石は三本の杖の中心に据えられていた。次の魔王が即位するその日まで、ここで歴代の魔王の魂が緋命石を護ってくれる。
フィオドラは深く一礼した。頭を下げたその先で、床にいくつもの水滴が落ちるのに顔を覆う。
その手をアレクシスが取った。
「泣けよ」
「……っ、だって」
「泣け」
ぶっきらぼうな命令口調なのに、その声音はどこまでも柔らかい。
そういえば、父が死んでから誰かの傍で泣くのは初めてだと、そう気づいてしまえば止められなかった。
堪えられない嗚咽を、アレクシスの胸が受け止めてくれる。
与えられるぬくもりに甘え、抑えきれない涙を流しながら、これからの未来に幸福な光を見た気がした。
了




