空の頂にて
エピローグ
吹きすさぶ嵐を抜けて暗い雲を突き破ると、目の冴えるような蒼が広がっていた。
一面に広がる雲海と空の青さにほうっと息を吐く。
ここまでくれば、もう追われる心配はない。
「さっきまで嵐の中にいたのが嘘みたいだね。清々しくて、今の僕らの気分にぴったりだ」
ラギの後ろの方に乗っているシャロンが、気持ちよさそうに伸びをして笑った。
同感だとフィオドラも頷く。
両手の中にある大事な石。ずっと重石を飲んだように鬱々としていた気分は吹っ飛び、大きな声で笑い出したい。
「ねえ、二人は何か欲しいものはない? ちゃんとお礼をさせてほしいの」
後ろにいるアレクシスとシャロンに聞くと、シャロンはうーんと首を捻った。
「魔王城での滞在許可が欲しいな。あと、魔界での商売権」
「もうお金稼ぎの算段? もちろん構わないわ。アレクシスは?」
シャロンの一貫性にくすくす笑いながら、フィオドラを抱きかかえるようにして座るアレクシスを見上げる。
彼は進行方向へ視線を向けながら、そっけなく答えた。
「シャロンと同じのでいい」
「商売権も?」
「それは要らねえ」
分かって言ってるだろうと鼻に皺を寄せて睨みつけてくる顔に、ふふっと笑う。
「城への滞在許可だけなんて言わないで。他にはないの?」
アレクシスとシャロンが犠牲にしたものを考えると、どんなお礼をしても足りないくらいだ。なによりも、彼らにバルドと決別させてしまった。
こみ上げてくる苦い思いを呑み込む。
申し訳ないなんて、あっけらかんとしている彼らに失礼だ。それに、彼らはきっとどんなに離れていても、どんなに価値観が違っても、変わらず友のままでいられるのだろう。
「……何でもいいのか?」
「私に出来ることなら」
フィオドラは力強く頷いた。自分に出来ることなら何でもしてあげたい。
アレクシスの紫紺の瞳が初めてこちらに向く。
フィオドラはその奥が揺れているのに気づいて、どきりとした。
前にも一度、この瞳に見惚れたことがある。
「お前、俺のことが好きか?」
あのときと同じことを聞かれ、フィオドラは固まった。
どうしてこういう話の流れになるのか、理解できずにアレクシスの顔を見返すしかできない。
助けを求めるようにシャロンに視線をやるが、彼は知らん振りでそっぽを向いている。
髪を引かれ目を戻すと、不機嫌な顔のアレクシスがこちらを睨んでいた。
「余所見すんな、阿呆。それで、好きなのか」
「……す、きよ」
「仲間としてか。本当に?」
「え、ええ。当然よ、仲間として。だってそれ以外は迷惑でしょう。あなたを騙した私には好きになる権利なんてないもの。だから、だから。…………あれ?」
余計なことをぼろぼろと言ったような気がする。
必死に言いつのっていたフィオドラは、恐る恐るアレクシスを見上げた。
怒ったような赤い顔で眉を寄せているアレクシスに、フィオドラはさっと青くなった。
言い訳をしようと口を開いたその唇に、温もりが触れる。
目を見張るフィオドラの視界いっぱいに金の髪。青い空。
突如、雷鳴が轟いた。
蒼天の空からラギの横を掠めた雷が、下の雲海の中へ消えていく。
数瞬の沈黙。
一番に悲鳴を上げたのはシャロンだ。
「ねえ、いまの魔神の雷じゃないの!? ちょっと、アレク! なに魔神を怒らせてんのさっ」
「うるせぇな」
「うるさいじゃないよ。黒焦げになるところだったじゃないか。ねえ、ラギ」
シャロンが声を掛けると、ラギも不満そうな鳴き声を上げた。
アレクシスはふんと鼻を鳴らすと、固まっているフィオドラを見下ろしてくる。
「真っ赤だな」
指の背でフィオドラの頬を撫でたアレクシスは、珍しくふっと吹き出した。
その笑みがあまりにも見慣れない優しいもので、さらにフィオドラの体温を上げさせる。
「え、え? なんで……?」
「お前が好きになる権利もなってもらう権利もないと思っているんだとしても、俺が勝手にお前を好きになる権利はあるんだろう」
「そ……れは、そうね。だけど」
「理屈で考えんな。お前はただ、俺にお前の傍にいる権利をよこせばいい」
とても偉そうな言い方だが、頬に触れる手は優しい。顎に掛かった指が顔を仰のかせる。
つまり好きでいてもいいということか。彼の特別でいさせてもらえると。
突然与えられた幸福に頭が付いていかずにふわふわする。
子供の頃から憧れていた勇者は、物語とはまったく違った傲岸不遜な男だけれど、みなを幸せにする代わりにフィオドラを特別幸せにしてくれる。
近づいてくる整った勇者の顔に、フィオドラは自分の意思で目を閉じた。
柔らかな唇が重なる。冷え切った体に体温を分けるような温もり。
――青い空に、二度目の雷は落ちなかった。
***
人間の城から魔人の秘宝を取り戻してきた魔王の娘は、その後新たな魔王となり永い魔界の治世を築いた。
その道筋は平坦なものではなく、あらゆる試練が彼女に襲いかかり、苦難の時代だったと記されている。
多くの歴史書は語る。
薔薇の魔女と謳われた魔王の傍には不機嫌顔の男がひとり、つねに寄り添い支えていたと。
了
これにて完結です。
お付き合いくださり、ありがとうございました!
そのうち番外編や、出来ればつづきを書けたらなと。
いつかちゃんと魔王就任させたい……(笑)




